第33話
「大丈夫なのか?」
クローが言った。
彼の格好は完全武装と言うべきで、全身鎧に身を包んでいた。その鎧はフルプレートメイルなどと呼ばれるものだが、この世界にこの一領しか存在していない。
プレートメイルに分類される鎧が作られるのは中世の中期から後期にかけて、フルプレートメイルと呼ばれる完成形は中世の末期にならないと誕生しない。存在そのものが不可思議な鎧だ。
そして手には両手持ちの恐ろしげな斧が握られている。
「大丈夫も何も……もう、やらせっしかないだろう?」
そうコウは答えた。
彼もまた完全武装していた。鎧こそこの時代で一般的な鎖帷子……いわゆるチェーンメイルであるが、その素材は我々の世界にはない神秘の金属――ミスリル銀だ。逆手に持つ盾はありえない事に全て金属製でやはり神秘の金属で作られていた。
右手に持つ剣に至っては自身が光り輝く金属――オリハルコンでできている。おそらくはこれが『勇者コウの剣』であり、魔王を討ち取った誉れ高き名剣に違いなかった。
「しかし、リーンはこの世界で最強の……おそらくは史上でも最強の魔法使いです。その魔法使い最大の術が麹菌召喚で良いんですかね?」
イサムは軽口を叩いた。
彼も一応は武装していた。手には金属製の両手持ちの杖――魔法使いの魔術用ではなく、戦闘用の――を持ち、革鎧と上質なマントもつけていた。全てが魔法の武器と防具であり、間違いなく一級品ではあるが、コウとクローに比べれば数段落ちると言わねばならないだろう。
コウとクローの二人が前衛、イサムが中衛、後衛にリーンとするのが彼ら四人で戦うときの……四人の勇者が強敵と対峙するときの布陣だ。
もちろん、リーンも三人の背後にいるし、いまは長い詠唱を続けている。
しかし、四人の前に強敵はいない。
粗末なテーブルとその上に茹でたそら豆があるだけだ。
その日の早朝、彼ら三人はリーンの執事――ヴィヴィアに準備が整ったと伝えられた。
それでまずは城の裏手に様子を見に行ったのだが……すでに天は荒れ、黒雲立ちこめ、禍々しい予感をひしひしとさせられた。
「急げ」
いまだ魔方陣――リーン特製の立体式魔方陣の中央に座禅しながら浮かぶ彼は、そう言ったきり目を閉じて黙り込んでしまった。
魔方陣がある辺り、もしくは魔方陣の周囲は空間でも歪んでいるのか、ときおり物が歪んで見える。
事態を重く見た彼ら三人はそら豆茹でと麹室の消毒、温度調節を頼む間に、それぞれが最強の装備で城の裏手に再集結したのだ。
何かの手違いで危険なもの……異界に潜むいまだ人類に知られていない邪神などが召喚されてもおかしくないと感じたからだろう。
呪文を開始してからすでに数分以上、リーンは詠唱を続けていた。
儀式をするリーンもそうだったが、こんなに長く呪文の詠唱をするリーンは彼ら三人もはじめてだった。
最初は囁くような詠唱が段々と大きくなり、終いには一音一音を叫ぶような大声へと変化した。いまでは一音ごとに周りで力ある言葉が実体化しては消えていく。彼ら三人にはさっぱり意味がわからないが、それが文字であり、力があるもので、理屈は解らずとも実体化したのが理解できたのだ。
詠唱が大きくなるのに呼応したのか、リーンの周囲に浮かぶ宝玉の光も強くなっていった。そのせいで曇り空――黒雲は見たことも無いほど濃くなり続けていた――なのに辺りは昼間よりも明るい。
ついに、詠唱は大詰めを迎えた。なぜかそれが彼ら三人にも直ちに理解できた。来るべき異変に身構える。
しかし、何も起きず、詠唱は止まり、宝玉は全て光を失い地に落ち、辺りは暗闇――濃い曇り空の暗さに満たされた。
すわ失敗かと三人がリーンを振り返ると、滝のような汗で必死に愛用の杖――角の生えた頭蓋骨が頭のところに飾ってある――を握り締めていた。杖を握り締めているというより、何かを力ずくで――それも現実的な身体の力ではなく、精神の力で抑え付けているようにも見える。
一瞬、力みによる身体の振るえが治まり、リーンは閉じていた目を見開いた。同時に杖を高く天に突き上げる。
「我、命ず! そは稲を喰らうもの! 稲を病ませしもの!」
リーンは日本語で叫んだ。
今度は彼ら三人にも意味が理解できたし、慌てて茹でそら豆の置いてあるテーブルの方へ身構えた。真の大詰めはこれからはじまるところだったのだ!
リーンの言葉に従って力ある言葉として日本語が、次々と実体化しては消えていくのが見えた。辺りが明るく……眩しくなっていく。彼ら三人には見えないが、リーンの持つ杖の先に小さな光が生まれ、その光はどんどん強く――すぐに直視できないほど強く光輝いていたからだ。
「我に従いて来たれ! 集え! 我がしもべよ!」
そうリーンが続ける頃には辺りは目を開けられないほど眩しくなっていた。
「我が前の豆を喰らえ! その名は麹菌!」
そう最後にリーンが叫ぶと光が消えた。
三人が恐る恐る目を開くと、辺りは薄ら暗いものに戻っていた。
それに茹でそら豆には全く変化は無かったし、呼び出してはいけない恐ろしい何かも出現していなかった。
三人が後ろを振り返ると……リーンが地に伏している!
「坊ちゃま!」
そう叫んでヴィヴィアがリーンに向かって走る。
「大丈夫かリーン! おい、しっかりしろ!」
慌ててクローが助けおこす。
「誰かグネーを! 急いでグネーを呼んでくるんだ!」
コウが遠くに――かなり遠くに控えていたレタリーに向かって叫んだ。
「これを……」
イサムはそう言いながらリーンの口元に何かのビンを差し出した。
差し出されたものが何であるか確認すらせず、力なく飲もうとするリーン。おそらくは貴重な秘薬か何かなのだろうが、半分くらいは口の端から溢してしまう。
「成功したか?」
そして、ようやくリーンは口を開いた。
三人は一瞬無言になったが、代表してイサムが口を開いた。
「解りません。これから培養してみます」
「それもそうだったのだ。とにかく……腹が減ったし、眠い……後は頼んだぞ」
そう言うとリーンは目をとじた。
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