第27話
「……お前らいったい何をやってるのだ? 気でも狂ったのか?」
リーンは開口一番そう言った。
「うっさい。黙れ。俺たちは間違っていない」
それに不機嫌そうに応じるコウ。
彼ら三人は麹室に椅子を持ち込み、目の前の皿から茹でそら豆を口にしては一口齧り、それを口の中から摘みだして別の前の皿へと戻す作業をしていたのだ。
「うん……とりあえず……まだ狂ってないぜ」
疲れた声で元気なくクローも言った。
「まあ、実験のようなものですね。あっ……リーン、話をするなら中へ。扉を閉めてください。温度が下がります」
イサムに言われるがまま中へ入り扉を閉めるリーン。
それで状況はさらに奇天烈なものになった。
三畳ほどの狭い小屋を閉め切って青年四人が粗末なテーブルを囲んでいる。四人は一様に割烹着のような白衣と髪をすっぽりと覆い隠す白い帽子を被っていた。テーブルの上には茹でそら豆が盛ってある皿と噛み砕いた豆を戻す皿が三組、合計で六皿。テーブルの中央には垂直に立った藁――イサムが以前に作った三十六度計だ――が置いてあるが、まるで趣味の悪い前衛芸術作品のようだ。
そして室温は三十六度弱に調整してある。適度に温度調節として扉の開け閉めをしてはいるようだが……とても暑い。茹でそら豆からの湿気もかなりあった。
四人のうち三人は機械的に、休むことなくそら豆を摘んでは噛み砕いて隣の皿へ戻す作業を続けていた。残された一人はそれを呆然と眺めている。
邪教の儀式かなにか――それも経典の翻訳か何かを間違えた――と思われても仕方がなかったかもしれない。
「なあ? やっぱりこの小屋に三人――いまは四人か――は多くないか?」
呆れたようにコウが言った。
何度も繰り返された会話なのかもしれなかった。それにコウにしては元気のない様子だ。
「俺は……俺は一人っきりでこの作業するの嫌だ。量が少ないのが救いとはいえ」
ものすごく深刻そうな表情でクローは言った。
大げさではあろうが……クローの主張は解らないでもなかった。独り麹室で黙々とそら豆を噛み砕いては皿に戻す作業。気が狂うとは言えないまでも……大声で喚きだす程度にはなりそうだった。
「これでも多いと思ったんですけどね。必要十分な最低限の量がよめないのが……。繰り返しで倍々に増えていきますから、何度か途中で棄てることになりそうです」
クローのぼやきに応じるイサム。
イサムは三人の中で一番平気そうな顔で作業をしているが……彼が一番異常な雰囲気をかもしだしていた。コウとクローには悪いが二人の作業風景は不潔そう程度の感想しか与えない。そら豆を口にして、噛み砕いて、それを口から摘みだす。不潔に感じるのが普通だ。それが普通なのだが……イサムはそう感じさせない。異常といえた。
「……なんだ。まるっきり味が付いてないのだ」
興味が湧いたのか、三人が口にしている茹でそら豆――もちろん、まだ噛み砕かれていない方だ――をつまみ喰いするリーン。
「塩を混ぜたら麹菌の一部が死にますから。それで……僕らに用ですか?」
そう答えながらイサムはリーンに訊いた。
「んあ? そうだったのだ! びっくりして忘れてたぞ。イサムに頼まれたのやってみる!」
リーンは元気良く答えた。
「いけそうなんですか?」
期待してなかったのかイサムは驚いていた。
「いや、解らないのだ。それに自信はまったくないぞ。イメージが足りない分、まるっきり名前の魔力頼りになるはずなのだ。この世界での麹菌の名前が解れば楽なのだが……駄目なのだろ?」
「そうですね……そういう風に『全知』は使えませんね。それが『不文律』です」
リーンの先回りした質問に、イサムは申し訳無さそうに答えた。
イサムに限らず、召喚された三人は異世界の言語を日本語として理解できる。召喚の際に付与された不思議な『翻訳の加護』とでもいうものだ。しかし、日本語に全く無い言葉――特に名詞などは翻訳されないことがある。それらは大体、異世界独自の品物であったり、風習であるから問題は少ない。
逆に彼ら三人が日本語で話しかけても異世界人は異世界の言語で理解する。そして同じように異世界に全く無い言葉は翻訳されない。
例えば彼ら三人と異世界人が『麹菌』を話題に話しても、異世界人は『麹菌』を聞いたままのイントネーションで繰り返すだけだ。この世界での『麹菌』の名前を口にするわけではない。実際に『麹菌』を知っている相手ならまた違った結果になると思われるのだが、それは試してみるまで何ともいえないことだった。
最初は異世界の言葉として聞き取れたり、日本語のまま相手に伝わったりでも、イサムの『全知』で言葉の意味を特定して翻訳されはじめることはままあった。しかし、それは言わば外堀から埋める方法で、『全知』で直接特定したわけではない。
イサムの『全知』が本当の意味で全知全能の全知であるなら異世界の言葉も全て知っているはずだし、知らないことなど無いはずなのだが……そこまで万能な『能力』では無かった。
「現地に行った者がいれば良かったのだ。文献でも構わないのだが……そっちのほうがレアだろうし」
諦めたようにリーンは言った。
「お前ら、なにをはじめんだ?」
不審そうにコウは問いただした。
「リーンに麹菌を召喚魔法で……異世界からではなく、この世界の麹菌を召喚してもらおうと思いまして」
イサムは何でもないように言った。
「本当か! そりゃ良いな!」
そう言いながら、クローは口に運びかけたそら豆を皿へ戻した。
「……どっちにしろ、この実験は続けますよ? 手を休めず続けてください」
無常にもクローを叱るイサム。
それへ溜め息を吐いてクローは作業を再開した。
「でだ! 少し……少しだけオレ様も自信が無いから準備をしようと思うのだ」
「リーンが自信ないとか珍しいな……準備って何すんだ? 手伝いは要るか?」
コウが心配そうに訊いた。
「平たく言うと儀式だな。瞑想だとか精神統一だとか色々するのだ。足りないのを全部オレ様の魔力で補うことになるだろうし。オレ様の儀式についてこれるのは……この世界にいないと思うぞ? 一人でやるから手伝いはいい」
「リーンって儀式魔法?とかいうのも使えるんだな」
意外そうにクローは言った。
「儀式魔法なんて存在しないのだ。詠唱なんかと同じで単なる技術だぞ? ありとあらゆる魔法は儀式を利用できるのだ。クローも覚えたほうが良いぞ。普段の魔力じゃ発動できない魔法を使うときに便利なのだ」
専門家らしく説明するリーン。
「えっ? 普段の魔力で発動できないって……リーンの魔力でってことですよね?」
リーンの言っていることの意味が理解できたのか、イサムがびっくりした顔で訊きなおした。
「そうだぞ? 足りないから儀式で補うのだ。とりあえず三日三晩徹夜の儀式になるだろうから、その間は何も手伝えないと言いにきたんだぞ。儀式を使うなんて子供の頃以来だから……凄く楽しみなのだ!」
そうリーンは嬉しそうに笑いながら言ったが……三人には不吉な予感をひしひしと感じさせた。
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