第26話

 翌日、イサムはコウとクローを呼び出した。

「リーンの奴どうしちゃったんだ? なんでか唸ってやがるぞ? 平気なのか?」

 三人が顔を会わせるなり、クローはイサムに訊いた。

「少し……いえ、だいぶ難しいことをお願いしてしまって……」

 イサムも心配そうに答えた。

「リーンはあれでなかなかタフだから平気だろ。実際は俺たちよりずっと逞しいぜ? で、話ってなんだ?」

 コウはそんな風にリーンを評し、イサムに用件を切りださせた。

「実は相談と言いますか……三人で検討したいことがあるんです」

「話し合いをするのか? ならリーンも呼ぼうぜ?」

「イサムが三人でって言うなら……何か理由があんだろ」

 気楽そうにコウはクローを宥めた。

「理由と言うほど大げさじゃないんですが……まずは僕ら三人だけで考えてみたくて……」

 珍しくサロンには三人だけだった。常にコウに付き従うレタリーも席を外している。イサムがわざわざ場を設けたのかもしれなかった。

 しかし、それっきりイサムは黙り込み、その場は変な沈黙に包まれてしまった。

「……どうかしたのか? とりあえず話してみろよ」

 重い雰囲気にびっくりしたクローが促した。

「すいません。どう切り出せば良いのか悩んでしまって……」

「良いから気にすんな。俺らだけだ。問題あっても忘れてやるし」

 コウがあっけらかんと言った。一見、この雰囲気を全く気にしていないように見える。

「解りました。ズバリ言いますね。『口噛み酒』って知ってますか?」

 イサムはそう言って二人を見回した。

「知らないな」

 予想と違う展開だったのか、意外そうな顔でクローは答えた。

「俺もだな。口噛み酒? 何なんだ、それ?」

 コウは平然としていた。

「どぶろくの造り方のひとつなんですが……『美人酒』だとか『サル酒』などとも呼ばれます。やり方は凄く簡単で……材料を口で噛み砕いてぬるま湯に放り込むだけです」

 イサムは平静な顔で説明を続けた。

「何て?」

 耳を疑う表情でクローが訊き返した。

「材料を口で噛み砕いてぬるま湯に放り込んで造ります」

 眉一つ動かさずにイサムは繰り返した。

 そして男達三人は黙り込んだ。

 長く重い沈黙の後、クローが沈黙を破る。

「お、俺は反対だ! その口噛み酒ってのを応用して……誰かに噛み砕かせて造るって言うんだろ? だ、だいたい誰にやらせるんだよ!」

「俺は別に……クローは考えすぎじゃないか? 例えば俺の女たちに造らせれば……美人味噌に美人醤油だろ?」

 動揺しているクローに比べ平然とした様子でコウは言った。

 しかし、相変わらず表情を全く動かさずにイサムが続ける。

「いえ、やるのは僕たちです」

 再び沈黙が場を制した。

「ど、どうしてだよ! なんでよりによって俺たちなんだよ! 同じ造んなら……可愛い女の子の方がまだ良いだろうが!」

 流石にコウも動揺して叫んだ。

 クローは言葉もなく口をあんぐりと開けたままだ。

「僕たちでやらなければ試す意味がないからです。『口内菌』というのを知っていますか?」

 そこでイサムは一旦区切り、二人を見回した。

 しかし、二人とも唖然としたままであった。

「口内菌というのは文字通り口内……人間の口の中にいる菌類のことです。有名どころでいうと虫歯菌なども口内菌の一種でしょうね。虫歯は虫歯菌を他人から貰わねば罹らないそうですし、口内菌として虫歯菌を保有していない人もいます。口内にどんな菌がいるのかは、その人のそれまでの人生で千差万別ですね。そして最も影響を受けるのは食生活なんです」

「そ、それがどうして俺たちがやることにつながるんだ?」

 クローがイサムに問いただした。その顔は恐ろしいものを見た表情だ。

「僕たちの口内に麹菌がいる可能性があるからです。僕らは日本から来たわけですから……麹菌がありふれている世界で育ったわけです。米は毎日のように食べていましたし、味噌や醤油もほぼ毎日でしょう。僕なんかは家の近所に田んぼもありました」

「可能性はあんだろうが……俺たちが異世界に召喚されてもう一年以上経ってんだぞ? 麹菌に触れてたところで……そいつらもどっかに行っちまったんじゃないか?」

 考え込みながらコウが言った。

「いえ……ある程度湿っていて温度は三十六度くらい、適度に空気も得られる口内は理想的とは言わないでも、十分に麹菌は生存可能のはずです。菌の食料も定期的に口の中を通過します。唾液の殺菌作用に勝てるか不明なのは残念ですが」

「でも……虫歯菌?だとか……他の菌もいるんだろ?」

 クローは問題点を指摘した。

「それはそうなんですが……ある程度まで選別可能なはずです。まずは茹でそら豆を噛み砕いていきます。口噛み酒は唾液の酵素による糖化を利用するため、かなり念入りに咀嚼するそうなんですが……僕らは口内菌が付着さえすれば良いので軽く噛む程度で十分でしょう」

 そこでイサムは二人の様子を窺った。

「あー……とりあえず、最後まで説明してみてくれ」

 コウは難しい顔で促した。

「それから三十六度で培養するのですが……三十六度が最適でない菌の繁殖は控えめに、最適な菌は活発になるはずです。先に説明してしまいますが、培養の全工程は何度か繰り返す予定です。この工程を繰り返すことで三十六度が最適な菌だけを選り分けれるはずです」

 イサムの説明は多少難しいかもしれなかった。

 三十六度が最適な菌が半分、最適ではない菌が残り半分に混ざっている菌群を三十六度で培養したとする。その場合、元のように三十六度が最適な菌と最適でない菌が半分半分とはならない。一番多く増える三十六度が最適の菌の比率が高くなる。それを繰り返せば完全に選り分けるとまではいかなくても……ほぼ三十六度が最適の菌だけになるという理屈だ。

「次の工程で茹でそら豆の表面は乾いていき麹菌はそら豆の内部に逃げていきますが……麹菌のようにそら豆の内部に逃げられない、もしくは逃げるのが苦手な菌はここで弾くことができます。乾燥して表面に付着したままとはなるでしょうが……その状態でも生存可能な菌以外は弾けるでしょう」

 そこでイサムはいったん水を口に含んだ。

 コウとクローは理解できているのか不明だが、固唾を呑んで話を聞いている。

「そして味噌や醤油にしないで枯らしてしまいます」

「枯らす?」

 クローが疑問を口にした。

「ああ……麹菌の保存方法の説明のとき乾燥させて保存すると言いましたよね? 細かく説明すると、十分に醗酵させたそら豆を空気乾燥して水分を飛ばすんです。この空気乾燥させるのを枯らすと呼ぶそうです」

「それは解った。続けてくれ」

 コウが先を促した。

「空気乾燥することで乾燥に弱い菌を弾くことができます。また、何度も培養を繰り返す過程で、空気に長く触れていると死滅する菌も弾くことができます」

 そこでイサムは説明を終えた。

「半分も理解できてないが……きちんと考えてんのは理解できた。勝算はあんのか?」

 コウはイサムに結論を求めた。

「こればっかりはやってみないと解りません。そもそも口内菌に麹菌が含まれているのか不明ですし。含まれているとしても僕らが……今現在の僕らが保有しているかまではとても。それに何度も培養を繰り返すことで麹菌も弾かれてしまう可能性もあるんですよね。これは実際にあることらしいです。麹菌とほとんど同じ生態だけど麹菌より繁殖力が強く味噌や醤油を造るのに役立たない菌が、混ざっていると麹菌が徐々に弾かれていきます。つまり世代を進ませると麹菌じゃなくなっちゃうんですね」

「麹菌は長持ちしないのか?」

 クローが驚いて訊いた。

「いえ、たまにあるということです。代々続いた麹菌があるときを境に力がなくなっていく。それはいま説明したことが起きたんだと思いますね。ただ、起きるといっても非常に珍しいことらしいですから。でも、できれば数種類の麹菌を確保したいのは事実です。どれが世代交代に耐えうるか解りませんから」

 そうイサムは締めくくった。

「うーん……あまり気は進まないが……まあ……やってみるべきだろうなぁ」

 コウは複雑な表情で言った。

「……まじか?」

 クローも複雑な表情でそれに答えた。

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