8 護剣
コトフリ。
ホカゲの剣の名。父王より授けられた物だそうだ。
「俺に渡せないのは仕方ないが――俺が同行する時は持ってきてくれないか。いざという時に戦えないのは困る」
水を張らない乾いた田には、雀が遊んでいる。主従六人をうかがう気配が森の奥に消えて安堵したホカゲは、苦々しい顔で要求した。得物がないのがこんなに心もとないとは。
「私に持っていろって?」
「じゃあ俺が持つ。渡せ」
「駄目」
子どものような問答にウスラバとミヌマが同時にため息をついた。そして視線を合わせ苦笑いする。お互い主に苦労しているようだ。
「コトフリは、力ある剣です」
仕方なくミヌマが説明した。
久良岐の王たるタヒトが清め、神に祈って力をこめた剣を賜ったのだそうだ。これまで幾度もホカゲと共に戦い、命を救ってきた。
それはホカゲが強いだけでは。そうユラは思ったが、コトフリには
人が暮らしを営む日常、〈
「久良岐は、そういう地だ」
ホカゲに言われてユラもうなずいた。それは知っている。
クラは谷、キは別れ道を示している。
久良岐の地はゆるやかな丘といくつもの
だがそこには、もう一つの意味がこめられている。
岐。分かたれる処。
何を分かつかといえば、〈中つ国〉と〈底つ根の国〉だ。
死と穢とが
「久良岐の王は穢を封じる者。その力がこめられているのが俺のコトフリだ」
「――ならばホカゲは、やっぱり父上から大切にされているんじゃないの?」
剣とは関係ないことをユラはポツリと言った。
「なに?」
「そんな剣を与えるなんて、ホカゲを守るためでしょう。危ないことばかりさせるのは、死なせたいからなのかと思ってたけど」
「――はっきり言ってくれる」
「誰でもそう考えない?」
ホカゲに嫌な顔をされたが、ユラは屈託なく笑った。
「コトフリを授かったのは、ずいぶん前だ」
「だけど護りの剣を取り上げないのなら心は変わってないんでしょうよ。よかったね、ホカゲは父上が大好きだから」
ニヤニヤとからかうように言われ、紅潮したホカゲがムキになる。
「どういうことだよ!」
「タヒトも酷なことを、て父様が言った時の顔ったらなかった。父上のことを信じたかったんでしょう?」
「それは……父上は父上なのだから、そういうものだろうが」
「怒らないで。がむしゃらでいいなと思っただけ」
ユラは静かにまつげを伏せた。
「――好きに生きればと言ったけど、ホカゲがまだ久良岐の王のために生きるというならそれはそれでいい。それも、好きのうちだから」
遠くの梢で小鳥が鳴く。チチチチ、という声が妙に耳に残った。
「ホカゲは一途だ。真っ直ぐに一つのことしか見ずに戦ってきた――私はそんな風にできない。だから、そうしたいのなら止めない」
フイと目をそらし、ユラは田の一番上を目指した。ひとり、先に歩く。無駄話をしすぎた。
「どういう――」
困惑するホカゲを、ズイと進み出たナギリがにらんだ。
「何も背負わぬ者にはわからん」
「なんだと」
久良岐の王子の末席。それが何も背負わないというのか。それなりの鬱屈を抱えるホカゲはその言葉に納得できなかった。
ギラリと視線を合わせる二人だったが、その間に何食わぬ顔でウスラバが割り込む。相棒に向けた横目は冷たく強かった。
「さっさと仕事を済ませよう。あの子鹿のこともある」
そう、話の発端はそれだった。里に戻りそちらのことも調べなければならない。
男たちは無言で水路を見て回ることになった。あまり楽しくない散歩だった。
* * *
底つ根の国とつながる谷を封じる地、久良岐。その王たるタヒトは夜な夜な夢に蝕まれている。ただひとり愛した女アコヤが底つ根の国から微笑みかけるのだった。
「――」
そちらにホカゲは行ったかと問いたいのだが声が出ない。暗く沈む闇にアコヤの面差しだけが白かった。
ホカゲ。ホカゲよ。そこにいるのか。
私の手の届かぬ場所に。
おまえは私を憎んでいるだろうか。常に戦いに追いやった父を。命のやり取りの中で恨んだだろうか。
おまえだけだ。私が手を伸べたいのは。
おまえだからだ。私が唯一愛した子よ。おまえがアコヤの血の者だから。
夜の中タヒトはもがく。暗い想念が絡め取りにくる。
ぞわり。ぞわり。
タヒトの心に射した影が、
ホカゲよ。私の――――。
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