6 喪心


 ホカゲは死んだと教えられ身一つで山に逐われたヒエノだったが、実はすぐにノグナに拾われている。

 久良岐くらきの太子タケミから遣わされた二人はホカゲの生死を見届けるのが役目。ノグナもさっさと逃げ出すわけにいかずひそんでいたのだった。


「――ホカゲはみずから首をくくった、と」

「は。そのように聞きました」


 なんとか久良岐に帰り着いた二人は、王タヒトの前で平身低頭してみせた。

 王子ホカゲを守れなかったのは落ち度ではあるが、案じていない。死なせろと命じたタケミがそこに同席しているのだから。

 そもそもホカゲに死にそうな役目ばかり与えていたのは王だ。本音はどこかで死んでほしかったのではと考えれば、褒美をもらってもいいぐらいだと思う。見かけだけ恐縮してみせて、二人は任務の成功にホクホクしていた。


「――他の者らも、死んだのか」

「ミヌマとカヤカリは野に放すと害を為すかもしれないと牢につながれており……」

「……ふん」

「朽ちるまでそうしておく、と我らを捕らえた者が憎々しげに申しておりました。佐津に落ち度はないと帰り伝えよ、と我のみが山に」

「そのヒエノを我が拾いました。もはやホカゲ様をお救いすること叶わぬと知り、帰参しましてございます」


 ヒエノとノグナが口々に述べる。それを射貫くようにタヒトは見た。


「我が王子を死なせて、おめおめ戻ったか」

「は……面目次第もなく」


 その叱責も表面上のものだと彼らは信じていた。だがその頭上に冷ややかな声が降る。


「その罪、つぐなう覚悟はあろうな」

「――は?」

「ホカゲは首をくくったと申したか。そなたらも同じにするがよい」


 タヒトは平板に言い渡す。怒りを抑えているというよりは、心をなくしたかと疑いたくなる口調だ。


「父上、それは」


 青ざめかけた従者たちを庇い、タケミが割って入った。


「この者らにとがはありませぬ。逃げ戻る機を待つこともせず命を絶ったのはホカゲ自身。供についていただけの者に何ができましょうか」

「ホカゲが弱いと申すか」


 タヒトは太子の言葉をさえぎった。息子に向けた目が見開かれている。やや焦点を失ったかのような瞳に沈む深淵に、タケミは怖れを感じた。


「ホカゲは数多の死地を抜けてきた。館にいるおまえよりも、はるかに戦ってきた。そのおまえがホカゲに何を言える」

「――それは、わかっております」


 タケミはひれ伏した。下を向いたままギリギリと奥歯をかむ。

 自分が跡を継ぐ者として大切にされてきたのはわかっていた。戦に出ても、いつも後方で守られている。

 だがその言い方だとタケミはホカゲに及ばないと聞こえるではないか。王に言い返すことはできないが、承服しかねる言葉だった。


「ホカゲを失わせておいて科がないとは言わせぬ。その二人、手ずから斬ってやるか」

「父上! そのような――お手をわずらわせるような者どもではありません。私にお任せを」


 立ち上がったタケミは脇に置かれていた剣をつかむと二人を見下ろした。


「おまえらでここを汚すわけにもいかぬ。外へ出ろ。どこぞの川べりへでも行けば血がすぐに洗えてよいな」

「お、お慈悲を……!」


 タケミは蒼白な二人に目配せし追い出した。とにかく父王の目の届かぬところへ行く。そうして逃がしてやればいいだろう。

 彼らが消えた後、その思惑通りタヒトは何にも興味を無くしたように座り込んだ。


「ホカゲ――」


 ポツリと呼びかける。


「そなた、死んだのか。まことか」


 ――タヒトがただひとり、愛した女はアコヤという。ホカゲの母だ。何年も前に病により儚くなった。

 なんの身分もない娘に目が留まったのだった。だから産まれたホカゲも立場は弱い。身のほどをわきまえ、太子たるタケミを常に立て、その手駒であることにより生存を認められようとしているのだと見えた。


「この父がいるのに」


 アコヤによく似た面差しの、しかし雄々しく育った王子。

 わざと命じる危ない任に耐え、責を果たして帰ってくる息子。


「そなたが帰らずに死ぬなど、あるのか――」


 想いに沈むタヒトは底つ根の国死者のくにに行ってしまった女と息子のことを心に念じる。


 そのタヒトの影が、ぞわりと揺れた。



 * * *



 そして佐津にて生かされてしまったホカゲは迷いの中にいる。

 生きてみろと言われても、どのように生きるべきか。好きに生きればとユラは笑うがとはなんだ。


「俺は、父上の役に立つために生きてきたのに」


 命ぜられ、果たす。ただそれだけ。

 何を求めて生きていたかといえば、ただ認められたかったのだ。生きていてよいと認めてほしかった。生きるために生きていた。

 そんなホカゲが欲するべきは何か。


「そんなこと、わからない――」


 身の内の虚ろを突きつけられ、ホカゲは異国に立ち尽くしていた。


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