2 身上


 ユラが捕らえた若者は久良岐くらきの王の子、ホカゲというそうだ。

 身分低い側女そばめの子ゆえに、身を立てるためには力を示さねばならない。共に捕らえた男たちがそうもらした。

 ホカゲ自身は何もしゃべらないが、どうやらそれで間違いはないらしい。


「うんまあ、つらい立場ね」

「ユラもだ」


 自身もいちおう佐津さつの姫であるユラに、むっつりとナギリが応じた。ふふん、とそれを鼻で笑う。


「私は身を立てる必要がないもの。能なし姫として、山猿のままでもかまわない」

「そういう言い方はやめとけ」


 苦笑いでたしなめた男はウスラバという。

 ユラよりも十ほど年上だ。ナギリと同じくユラが幼い頃より側で守り、物言いがぞんざいでも許される二人。ユラの右と左。それがナギリとウスラバだった。


 三人は板の間で車座になり食事をしていた。強飯と塩漬けの菜と白湯。

 行儀悪く片膝を立てたウスラバはニヤ、とユラを見る。神の宮におさまることができず里や森を駆けるユラ。姫としては常ならぬがまつりごとに目をくばれる女など他にいない。


「こんなに役に立つ猿娘に育って嬉しいぞ。巫女の力などなくてよかった」

「ウキ、キィ」


 猿の真似で応えたら横でナギリが嫌な顔をした。男じみたぶっきらぼうなユラのしゃべり方すら、ナギリは時にたしなめる。



 佐津の国では王の娘のうち一人が巫女となり、うらを告げる。その兄弟が次の王として立ち、巫女の補佐を受けて民をみちびくのだ。

 姫として生まれれば、多かれ少なかれの才はあるものだった。国の巫女となるのは、内でもっとも能の鋭い者。


 だが、ユラはまったく神を降ろせない。


 幼いうちから幾度も神の宮に入れられ香を焚き祈ったが、占を告げる水盤はびくともしなかった。もちろん亀甲など割れるはずもない。


『姉上は心が強すぎるんだよ。神の呼びかけにも揺らがない。だから占が出ないのでしょう』


 弟のカザネはおかしそうに笑う。だが父である王アケダは笑っていられなかった。跡を継がせるのは他の子らの方が、と迷う。

 アケダ自身はユラもカザネも、二人を産んだ妃サノメも愛していた。だが民は普通の巫女と王を望むものだから。



「――ナギリ」


 呼ばれたナギリはユラのやわらかな笑みに目を伏せた。

 ナギリがまだ少年の頃、幼いユラに出会った。以来守ってきたこの姫は誇り高く心は猛々しく、決して山猿などではない。


「心配しないで。私はおまえたちといるのが好き。闘い方を教えてくれてありがたいと思ってる」

「は」

「もう。堅苦しいな」


 ユラは大口を開けて笑った。

 だがナギリから見て、しなやかに山を駆けるユラの姿は猿にしては美しすぎた。

 ユラは巫女になどもったいない。躍動し疾走するさまこそがユラだ。このまま、共に。言葉少ない従者の大男はそう思い詰めていた。



 * * *



「ホカゲ」


 ユラは自分が捕らえた男に声をかけた。牢の中の肩がピクリとする。でも顔は向けてくれなかった。


「ご飯」


 格子の下の隙間から差し入れる。それでも目もくれようとしないホカゲに、ユラは首をひねった。


「怒ってる? 踏んづけたから」


 あみに捕らわれ身動きの取れないホカゲを足で押さえたのは、わざとだ。

 上の者を完全制圧すれば下は戦意をなくす。示威のための行動だったが、若い男にしてみれば屈辱でしかないだろう。


「ごめん。無駄に抵抗されたら怪我させると思って」


 あっけらかんと謝るユラに何を感じたか、ホカゲの頭が揺れた。貴人にしては短めの、肩の長さの髪がほどけていてハラと前に落ちる。


「見もしないのね」


 言うのにも頑として視線を上げない。ユラはつまらなそうに口をとがらせた。しばらく待っても反応がないホカゲにため息をついて立ち上がる。


「――私はユラ。いちおう佐津の王の娘。気が向いたら話して」


 名乗るだけしてスタスタ出ていくユラを盗み見、ホカゲは自分の耳を疑った。


 ――王の、娘? あれが?


 信じられないのも仕方がない。

 囮になって山道を走り、敵を制圧する指揮をとり――ホカゲを踏みつけて剣を奪い、突きつける。そんな姫があるか。

 久良岐の国の姫たちは、荒事など一切しない。かしずかれ、飾り物のように暮らしているのだ。

 ユラはもう大人に見える。十九歳のホカゲと同じ年頃だろうか。佐津の姫だというならば、とうに嫁に出て子の一人や二人いてもおかしくないのに。


「……ここはいったい、どういう国なんだ」


 呆れかえってホカゲはうっかりつぶやいた。ハッとするが、そばには誰もいない。

 ホカゲはため息をついた。これまで押し殺していた心が軋む。


 罠が張られていたのは「売られた」から。

 そんなことは、わかっていた。


 もう意地を張るのも馬鹿ばかしくなって、そこに置かれた食事に目をやった。

 ――腹が減っていることに、やっと気づいた。


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