揺らめく火影は ただひとときの

山田とり

1 捕縛


 森は静かだった。

 かすかに梢を揺らす風。地を這う虫の動かす落ち葉。そんなものまでユラの耳はとらえる。青垣のたたなづく山に谷をけずる水音が遠くこだましていた。

 ユラは森にひそむのも好きだ。ただの娘でいられるから。館にいるよりよほど落ち着く。


「――来た」


 低くつぶやいたのは、ユラの後ろに控えるナギリだった。大きな男がまったく気配を消している。

 ユラは小さくうなずくと立ち上がり、羽織っていた暗い茶色の衣を脱いだ。

 下に着ているのは早緑さみどりの衣と、薄黄の前掛け。長い黒髪は背の途中で無造作にゆるく結われている。


「じゃあ、行く」


 ざるを抱えれば山菜採りに来た村娘の出来上がりだ。脱いだ衣をナギリにひょいと渡し、ユラはきつめの軽口を叩いた。


「向こうは殺しにくるでしょうから、守ってね?」

「――命にかえても」


 ボソリと応えたナギリを振り向き、ユラは笑うのを我慢した。


「ナギリ」

「は」

「重い」


 今日の相手はそれほどではない、と思う。

 いたずらな瞳を忠実な従者に向けながら、ス、と片手を上げる。四方から同じく挙手が無言で返ってきた。みんな暗い衣で森にまぎれていて、手だけが白く目立つ。

 ユラは鼻歌でもうたうような足取りで山道に踏み出した。


 峠を越えてくるのは、久良岐くらきの国の者だという。

 最近あちこちの国に戦を仕掛け、くだしている久良岐。この佐津さつの国にも斥候うかみを放ったというのは、戦を見据えてだろう。


 だがそれを知らせてきた山向こうの隣国も、すでに久良岐のもとに降っているのだった。彼らはもう久良岐の手先なのか。いまだ抵抗する者からの内通なのか。

 どちらにしても内容を頭から信じるわけにはいかず、探ってみれば本当に密かな一行は来た。ならば仕方ない。


 ――生け捕る。


 ユラはさくさくと足音を鳴らして歩いた。その音に相手が


 五人。

 ゆるやかに囲まれた。

 微笑みは絶やさない。

 端の一人に狙いを定める。


 ユラは山菜を探すふりで楽しげなまま、急に脇のやぶを分けた。そこにひそんでいた男が舌打ちし飛び出そうとする。

 それより早く、大きな悲鳴をユラは駆けだした。笊と山菜が山道に落ちた。


「逃がすな!」


 男たちの硬い声が追う。


 ――うん、逃げないけど?


 戻っているだけだ。侵入者を案内して。

 〈蜘蛛の巣〉に向かって。


 山に慣れたユラは軽やかに走った。そして。


「ぐあっ――!」

「うおっ?」


 いきなり足を取られた男らの悲鳴が響いた。

 つるを編んだ網が落ち葉の下に仕掛けられていて彼らをまとめて包み吊るし上げたのだ。


「ひとり!」


 ユラが鋭く指示するとナギリが飛び出す。

 網の中に四人しかいない。途中遅れ気味の奴がいると思ったら、仕掛けの手前で踏みとどまり逃げていった。勘づかれていたか。


「くそっ――」


 網に吊られたまま若い男がもがいた。この網は揺れると締まるように編まれている。ユラは親切心で言った。


「苦しくなるからやめた方がいい」


 若者は憎々し気に見下ろしてきた。だが捕らわれたままで格好がつかない。

 身なりの良い若者だ。きっとそれなりの身分――彼をために、佐津を使おうとしたのだろうか。


 さ、とユラが合図すると袋になったままの網は乱暴に下ろされた。

 ドサリと地に落ちて中からうめき声があがる。それでも少しだけ身動きが可能になった男たちは、抵抗する気か腰や懐の剣に手を伸ばそうとした。ユラは容赦なく若者の首もとを踏みつけた。


「ぐぅ……っ!」

「あきらめなさい。おまえたちは売られた」


 告げながら網に手をつっこみ、腰の剣をスルリと奪う。


「でも言い分は聞く。誰が売ったのか、知っておかないとね」


 足をどけて、咳き込む若者の首に切っ先を突きつけながらユラは優しく笑った。自身の剣を向けられてギラリとにらむ若者――だが、どうしようもなかった。


「――すまん、逃がした」


 ドス、と足音が戻ってきた。ナギリだ。先ほどまでなんの気配もさせずに動いていたのが嘘のように一歩々々が重い。


「あら」


 ユラは若者から目をそらさずに返事した。


「珍しい。でもはなから逃げ腰の変な奴だったから――なんじゃないの?」


 若者の目に苦し気な色が走る。何か心あたりがあるのか。それを確かめつつ、ユラは手ぶらのナギリに言った。


「山菜とざるは?」

「……いや」

「もったいないじゃない。拾ってきて」


 目を細めたナギリは渋々戻っていく。

 傍若無人だが実は細やかな愛すべき姫の言うことだ、仕方ない。


「じゃあ、逃げた奴のことも含めて、お話を聞かせてちょうだいな。ようこそ、佐津の国へ!」


 にこやかに剣を引くユラだったが、縄を手にした佐津の男たちが彼らを取り囲んでいた。



 佐津さつの姫、ユラ。

 久良岐くらきの王子、ホカゲ。

 これが彼らの出会いだった。


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