第15話 考察会
「かくてゼウスの御心からは逃れ難し」
録音していた音声を再生しつつ、三人は揃ってその言葉に首を傾げる。
あの後英生は三人へ大声を出してしまった事を謝り、「頭を冷やしてくる」と出かけて行った。
そうして残された三人は神妙な面持ちで、スペロの言葉や英生の激昂ぶりについてああだこうだと話し合っていた。
「これ、前ヒデちゃんも呟いてたんだよね」
アルファは腕組みしつつ上体を横へひねる。
「いつ?」
「私の能力が発現して、エリア1からすっとんできた時」
問うた理人自身は記憶になく、眉根を寄せつつ明後日の方を見る。
「同じ言葉かあ……」
「知り合いなのかな」
ニコラはぬいぐるみを抱えたままコーラの缶を口に運ぶ。しかしアルファは更に上体を倒しつつ、目を閉じて口をへの字に曲げる。
「そうかも。ただ言葉自体はヘシオドスの引用だからなあ~」
「ヘシオドス?」
「ヘシオドスっていう古代ギリシアの詩人が『仕事と日』って詩に書いた言葉。パンドラについての記述の締めくくりなんよ」
「パンドラって……あんたのコードネームじゃん」
ニコラに指摘され、アルファは今更ながら気付いた様子で目を見開く。
「それ」
「いや気付くのおっそ」
理人はジト目でアルファを見つつ続ける。
「で、どういう意味なんだよ、その言葉」
「えーとねえ……」
アルファは眉を歪めたままパンドラの神話から語って聞かせた。あくまでヘシオドスの説として。
パンドラは、プロメテウスが火を盗んだ事に怒ったゼウスが作らせた人間であった。そして、「決して開けてはならない」と言って一つの甕――よく「箱」とも言われる――を与え、プロメテウスの弟エピメテウスに引き合わせた。
一目でパンドラに惚れたエピメテウスは、プロメテウスの「ゼウスからの贈り物を受け取るな」という説得も空しくパンドラを娶る。
しかしある日パンドラは誘惑に負けて甕の蓋を開いてしまい、箱の中に詰められていた様々な災厄が世界に満ちる結果となってしまった。
ところが「希望」だけが出て行かず甕の中に残り、パンドラはその蓋を閉じた。
「ヘシオドスは徹底した女嫌いだったから『女という存在がいかに邪悪か』を言いたくてこう記したって事もある。んで、その締めくくりが『かくてゼウスの御心からは逃れ難し』。なんで、難解なんだけど作者の思想に沿って解釈しちゃうと『人間は、ゼウスの制裁を受ける運命からは逃れられませんでした』って言えなくもない」
「はあ。神話ってやっぱ結構創作入ってるよな。作者の思想バリバリで」
理人は呆れたような表情で短くため息をつく。
「で、そんな逸話の引用を何でしたかって話よ」
「うん」
アルファはコップの水を一口飲んで続けた。
「わからん」
何かいい答えでも出て来るのかと期待していた理人とニコラは揃って「ハァ~~~~??」と天を仰ぐ。
「わかりゃ苦労しないよ~~。ヒデちゃん単独で考えると私のコードネームに反応した説も挙げられるけど、スペロって人は私の事知らないでしょたぶん。理人にかかってきた電話だし」
「大体何で俺にいきなりコンタクト取りに来たのかも意味わかんねえし」
「あ~~~~話が益々こんがらがる~~~~!」
ニコラはたまりかねた様子で脚をじたばたさせる。
「ええとですね」
エヘン、とわざとらしく咳払いしてアルファは姿勢よく座り直す。
「まず理人の電話番号が割れた件だけど、たぶんレナードさん経由じゃないかと思う。経緯は知らんけど。で、どういうわけだか理人にソムニウムの施術を勧めてきた。……って取っていいよねあの言葉」
「たぶん」
「そんでヒデちゃんが怒って割って入った。あの時のスペロの反応って、よくよく考えると『思わず知り合いがいた』って感じにも思えるんだよねえ。通話すぐ切りもせずに暫く黙ってたでしょ。たとえば知らん人から横入されたら、わざわざためてあんな言葉言わずにすぐ切ると思う」
「かもね」
「だからニコラが言ったとおり二人は知り合いで、あの言葉は二人を繋げるなんかなんだと思う。たとえばだけど、スペロが実は元ソゴルの出身で、チーム・プロトスの仲間だったりとか。んで、共通の問題意識かなんかだったとか」
「それはちょっと飛躍しすぎ……でもないか?」
理人は口元に手を押し当てて何やら考え込む。
「武装組織とはいえ、穏健な感じなのは今回ゼーロスに来た通信でなんとなくわかるし。英生さんがあそこまで危険視するのがちょっとよくわかんねえ。でもソゴルの、たとえば裏切者がソムニウムに加担してる・スペロ張本人だったとしたら、拘る理由もわかる気もする」
「裏切者かあ~~~~」
「なんか陰謀の匂いがしますな」
ため息をつくニコラに、アルファは芝居がかった調子でキリッと表情を作る。
「やっぱあの言葉の意味まではわかんないか」
諦め顔の理人だったが
「そーでもない。あ、あった」
と、アルファは携帯を取り出して画面を繰る。
「今朝のニュースでも言ってたけど、ドーム外の気候が益々悪化してるんだって。私達うっかり忘れちゃいがちだけど、地球の状況ってあんまよくないよね」
「……」
普段考えないようにしている事実を改めて言われ、ニコラも理人も押し黙る。
「『青の終焉』やらマキナントの襲来を、神=ゼウスの制裁と捉えて……。もし、もしもなんだけど、ソゴルがこの先の未来を絶望視してるんだとしたら」
「それがチーム内の共通意識になって、古代の言葉の引用が囁かれるようになる……」
理人は膝の上に両肘を乗せ、物語の探偵よろしく両手の指を突き合わせる。
「じいちゃんが呼び戻されたのも、状況が芳しくないからって考えるとしっくり来るし」
「もしそうだとして、アルファのおじいちゃんが呼び戻されたって事は、まだソゴルは諦めてないって事でしょ。科学者かき集めてなんとかしようとして」
どこか縋るようなニコラの視線に、アルファはたじろぎつつ頷く。
「……もしかするとスペロとヒデちゃんは元は仲が良くて、絶望視する言葉を二人で言い合ってたんかもしれない。それで、諦めて独自の合法ギリギリの手段をとるようになったのがスペロで、諦めてないのがヒデちゃんなのかもしれない」
「『かもしれない』のオンパレードだけど、そう考えるとなーんか納得感あるわ」
「じゃあ何で、アルファを勧誘に来た時その言葉が出たわけ?」
「そこは私のコードネームに思わず反応しちゃった説を取りたい」
「やっぱ憶測じゃーーん」
「憶測しかできないんだもーーーーーん」
と言いつつニコラとアルファは頭を抱えた。
さすがに考え疲れて三人ともぐったりするが、アルファはソファの背にもたれ、天を仰いだままぼやいた。
「でもヒデちゃんがどうやらソムニウムを調査してる責任者ってか張本人っぽいのは間違いないよね。なんていうか……昔と雰囲気が随分変わったし」
「そーなの?」
「昔はもっと普通の学者だった。でも今って、ヒーロー飛び越して映画の諜報員みたいな雰囲気がする。かつてのFBIやらCIAの想像上のエージェント的な。エリア1の現首都、もといニューヨークで銃使ってたとことか」
「あ、わかるそれ」
映画の話を引き合いに出されて理人が思わず体を起こす。
「だよね。単にイメチェンしましたってんじゃなくて、苦労に苦労を重ねて、何なら死線も越えてきました感ある」
「あるわ~~」
理人は膝を叩きつつアルファを指さす。
「そしてそこで2.15の文字を見た時のヒデちゃんの態度なんですが」
「あーーーもうやめやめ!!今日は考察やめよ!仮説に仮説だと余計こんがらがる!」
ニコラは髪の毛をくしゃくしゃ掻きむしり、アルファも理人も思わずふきだした。
気付けばキッチンの窓から差し込んでいた日はすっかり傾き、いい時間になっていた。「送っていく」と言って理人はニコラの帰路に同行し、一人残ったアルファはソファに倒れ込み、大あくびをしながら白い天井をぼんやり眺める。
すっかり考え疲れてしまったのだが、それでも後から後から考え事が湧き出してくる。憶測ばかり絡む考察ではあったものの、割と真実に近いのではないかとアルファには思えていた。
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