第1章 第1節 正義漢の源流 いじめに耐え続けた少年

 これは今から50年前に私が実際に経験した実話です。勿論モチロン、名前は仮名です。


 俺の名前は、大和彰ヤマトアキラ。私の父は、国家公務員でした。そのため転勤が多く、小学校だけで4つの学校を転校した。

 俺の髪の毛は、生まれつき茶色っぽかったため人前で目立っていた。転校初日からいつも髪の毛の色でからかわれていた。


「こいつ、髪の毛が茶色だぜ、『変な外人か?』、『宇宙人なんじゃねえか?』髪の毛を抜いて、からかってみるか?」


「おい、橋口、やれ!」


「分かったよ、土屋君。」


「痛え!てめえ、何しやがった!」


「ほ~れ、お前の茶髪だよ!抜いてやったのさ!痛えか?なら泣けよ、弱虫!」


「てめえ、この野郎!」


「ガツン!」

「ボコッツ!」

「卑怯だぞ!なんで5人なんだ!」

「ガツ!」

「ボコッ!」

「ドン!」

「ガン!」

「ガン!」


 私は、身長が低く、どの学校でも、いじめの主犯格2、3人ととその取り巻きの連中たちから、からかわれ、我慢して耐え続けていました。


 最初は髪の毛をむしられていたが、徐々に、腕をつねられたり、ひっかかれたり、足ですねを蹴られたりした。その行為を我慢していると、土屋一派の暴力と陰湿ないじめはエスカレートしていった。拳で頭を殴られたり、登校中に後ろからおもいきり走ってきて、カバンに跳び蹴りを喰らわされ転倒して顔面に怪我をしたり、廊下ですれ違うと胸にパンチをされたりした。


 私は成人して大学院で心理学を学びましたが、現在も50年前も、「いじめの四層構造」は変わらないことに気付かされました。


 「いじめの四層構造」とは、社会学者の森田洋司先生が提唱した概念ガイネンです。いじめは加害者と被害者だけではなく、観衆と傍観者ボウカンシャを加えた四層の中で拡大していくのです。分かりやすいように私を例に説明します。


 より分かりやすいように例えられるのが、楕円形ダエンケイの図を用いた説明です。1つめの楕円形の中心は、いじめられている被害者がいます。それが47年前の私でした。それを囲むようにもう一つの楕円形の線があり、その中には、加害者がいます。私は、今でもその人間の名前をはっきりと覚えています。いや、むしろ、心に深い傷跡として刻み込まれています。この楕円形の線が2つで、2層構造になるのです。

 そして、その2つの楕円形の線を囲むように、もう一つの楕円形の線があります。その楕円形の線の中には、観衆カンシュウがいます。観衆とは、直接的に暴力を振るうことはありませんが、被害者の私がいじめられている様子を見て笑ったり、声を出したりして面白がっている連中です。

 さらに、楕円形は外側にもう一つの楕円形が存在します。その楕円形の線の中には大勢の傍観者ボウカンシャがいます。傍観者とは、見て見ぬふりをする連中のことです。いじめを止めさせようとする仲裁者も傍観者に分類できるそうですが、私の場合、そんな意思表明のできる勇気のある者はいませんでした。この「被害者」「加害者」「観衆」「傍観者」の関係性を、いじめの4層構造と呼ぶのです。


 転校初日からいじめは必ず始まった。

「おい、茶髪の外国人!」

「違う!俺は、日本人だ!」

「嘘つけ!外国人のくせに!」

 教室ではこれですんだが、教室に担任がいなくなったり、廊下や靴箱では、頭を叩かれたり、ほっぺたをたたかれたり、足を蹴られたりした。特に掃除の時間は最悪だった。担任がいない時を見計らって。放棄ホウキタタかれたり、背中に膝蹴ヒザゲりをらったりしていた。


「ドン!」

「ガツン!」

「ボコッツ!」


 体の大きな奴が主犯格で土屋武という。土屋は私に足払いをして、いつも私を廊下で倒した。


「ドッ!」

「ドッ!」

「ドッ!」


 廊下に倒れ込んだ私に、子分たちが容赦ヨウシャなく思い切りりを入れてくる。特に、背中は思い切り踏みつけられた。

「おい、茶色毛の外人!先生に言ったら殺すからな!絶対に言うなよ!」


 私は、負けず嫌いの性格だったため、頭を蹴られて朦朧モウロウとした意識の中で土屋たちに言い返した。


「クソガッ!お前ら全員、覚えてろよ!」


「何だと、もういっぺん言ってみろよ!」


 私の言い返した言葉にキレた土屋は、横たわった私の胸と腹をさらに思い切り蹴り始めてきた。土屋はクラスだけでなく、学年でも体がいちばん大きく、太っていた。


「ドッ!」

「ドッ!」

「ドッ!」

「ウグッ!」


 私は、そんな過酷ないじめに1年生の頃から4年間ずっと一人ぼっちで我慢し続けてけてきた。父や母、兄に相談したかったが、「親や兄に心配をかけたくない。」「私がいじめられていた存在であることを親に知られたくない。」という一心で、ずっと耐えた。

 

 私はこんな日常に嫌気がさしていた。私は強くなりたかった。いじめる相手が7、8人いようが、コテンパンに殴り倒してやりたかった。でも、自宅の机に座ると涙が止まらなかった。私は家の北側にある高いブロック塀の裏で、いつも声をあげて泣いた。


 するとある日、自分の部屋の机で声をあげて泣いた私のそばに4学年上の兄が近付いて来ました。

「彰、いじめられているのか?」

「・・・・・。」


「俺はよお~、彰の腕や体のあざがずっと気になっていたんだよ。彰、いじめられることは恥ではないぜ。いじめは威張りたい弱い者がすることだ。彰、泣け、うんと涙を流せばいい。人間の目は物を見るためと泣くためにあるんだ。李小龍始祖が草本に書いていたんだ。だから、泣けばいいんだ。」

 兄の言葉を聞いて私は号泣した。

 しばらくして泣き止んだ私に兄が言った。


「彰、『涙』という字は、どう書くんだ?自由帳に書いてみろ。」

「分からない。書けない。」

「そうか、書けないか。自由帳をよく見てみろよ、涙って『サンズイ』に『戻る』と書くんだ。これは、兄ちゃんが担任の西原先生から教えてもらったんだ。だから、辛い時は泣けばいいんだよ。人に見つかりたくなかったら、家の裏で泣けばいい。」


「彰、『涙』という字の『サンズイ』はどんな意味があるか知っているか?」

「うん。水という意味だよ。」

「そうだ、その通りだ。うんと『涙』を流したら、元の自分に『戻る』のさ。だから泣いた後はすっきりするだろう?泣くことは弱さではないよ。うんと涙を流して元の彰に戻ればいい。」

「彰、それから『泣く』っていう字はどう書く?」

「それなら書ける。」

「そうだ、『サンズイ』に『立つ』と書く。泣いて、泣いて、泣きじゃくった後は、立ち上がるんだよ。だから思い切り泣くといい。」


「ちなみに、彰、『涙』は何でできているか知っているか?」

「う~ん、分からない。」

「『涙』はなあ、お前の血でできているんだよ。赤血球という赤い細胞があるから血は赤いんだ。西原先生がそう言っていた。でも、赤血球が目の奥の膜を通ることができないから、血が透明になって涙になるんだぞ。」

「へーっ、知らなかった。もし、僕がいじめられて家の裏で泣いてばかりいたら出血多量で死ぬのかな?」

「ハハハハハ。大丈夫だ。死なないよ。どれぐらい涙を流せばいいか、お前の体がちゃんと教えてくれる。だから心配は要らないのさ。」


 今から50年ほど前の時代は、校内暴力全盛期の時代だった。兄は、中学校を3つも転校を繰り返していた。兄も強くなりたかったんだと思う。


兄は、弱音や愚痴グチをはかず何も言わなかったが、帆布性ハンプセイのサンドバッグを通販で購入し、車庫に吊り下げた。また、車庫の横に父に頼んで高鉄棒を作ってもらった。兄は李小龍であるブルース・リー始祖に憧れ、ジークンドーという月刊誌を注文し、食い入るように読みながら、構えから足の動かし方や手の動かし方が写真と図で描いてあるページを読みながら、一人で練習を始めていた。当時のサンドバッグはウオーターバッグではなかった。帆布性ハンプセイの布に砂を入れると、コンクリートのように硬かった。


 兄は、最初から素手の拳でサンドバッグを叩いていたのだろう。拳の皮はぜ、兄の血と拳の皮はサンドバッグに染み込んでいた。そして、1週間も経つとサンドバッグに染み込んだ兄の血と皮膚は真っ黒に変色していた。お金のない兄はグローブを買うことができず、ハサミでタオルを切り、それを拳に巻いて叩いていた。


 兄は、ジークンドーの月刊誌を何度も読みながら毎日3時間は練習していた。車庫にるしていたサンドバッグから毎日夕方になると鈍い音が響いてきた。サンドバッグを叩き、次にハイキックの練習が済むと、今度は高鉄棒で懸垂ケンスイをしていた。必死の形相ギョウソウで懸垂をしていた。兄はそれをずっと繰り返していた。車庫も高鉄棒も私の部屋の近くにあったから兄の練習風景がはっきりと良く見えた。必死な表情でサンドバッグを叩き続ける兄。校内暴力全盛期に中学校を3つも転校した兄。言葉では言わなかったが、兄がどんな酷い目に遭ってきたか容易に想像することができた。中学生は体も大きくなるし、力も強い。喧嘩が強ければ、いじめられないことを兄は知っていたんだと思う。


 ある日、まだ兄が帰宅していない時間を見計らって、兄の部屋にこっそりと入り、

兄が通信販売で読んでいる「ジークンドー」の本を読んでみた。最初のページはブルース・リーの写真だった。本の半分はブルース・リーの写真や映画の写真だった。

 本の後半は、「ジークンドー」の内容が書かれていた。文章を読んでも難しい漢字が多く読めなかった。でも、基本的な構え方や足跡の形の図やその動かし方が矢印で描かれていた。本のページをめくってみると驚いたことに、空手の世界大会にブルース・リーの写真が載っており、椅子に座った人の体とブルース・リーの拳の位置がワズか2.5cmほどしかないのに、ブルース・リーがパンチを打つと、椅子に座っている人が、椅子に座ったまま7~8m後方に飛ばされていたのだ。


 小学生の私でさえも、パンチは、相手の体との間合いをとって、相手の体や顔面を殴ることぐらいは知っていた。でも、ブルース・リーの「ジークンドー」は相手の体と自分の拳の間合いが2.5cm程度で、相手を7~8m吹き飛ばしていたのだ。私は、全く信じられなかったし、文章で書かれている内容も分からなかった。


 それから毎日のように、兄が帰宅する前に「ジークンドー」の本を読みアサった。ボクシングとは全く違う構えだということは理解できた。足の位置が直線に近いことに驚いた。「なぜ、直線なのか?」私は心の中でつぶやいた。


 しかも、無数の足型の動かし方の下には、フェンシングの写真がたくさん載っていた。「なぜ、ここでフェンシングの写真が出てくるんだ?」私は心の中でつぶやきながら考えこむことが次第に多くなってきた。文章の読めない小学生の私にとっては、分からなかったのだ。


 そんなある日のこと、朝から大雨だったため、全校朝会が体育館で行われることになった。校長先生の話を聞いているときに、私の前に並んでいる同級生に話しかけられたので、その同級生と話をしていた。


 すると、いきなり迫田という学級担任が急にやって来て、思い切り往復びんたをされた。私はその衝撃で倒れてしまった。話しかけてきた同級生も同じように倒れ込んでいた。担任の迫田先生は、いつも子供たちに暴力を振るう最悪の先生だった。


 心理学には「モデリング」という概念がある。人の行為の真似をすることを「モデリング」をいう。今回のその担任の行為は、悪いモデリングに該当する。つまり、周囲の児童たちに「こいつならこの程度の暴力を振るってもいい。」という悪影響の認知させ誤学習をさせてしまうのだ。

 これがきっかけになって、私のクラスでは、担任がいないとき他の子ども同士が喧嘩ケンカをする時に、往復びんたをするようになった。驚くべきことに、女子同士の喧嘩でも往復びんたが見られるようになった。


 教師は、「聖職者でなければならない。」という理由はここにある。日記帳の提出を忘れた子どもが2人いた。1人の女の子は、成績が優秀。父親がPTA役員でしかも学校歯科医だった。その子には優しく注意して終わった。ところが、もう1人の男子は、日頃から授業中にうるさかったり、忘れ物が目立ったり、トラブルの多っかったりした子どもだった。でも、人をいじめる悪い奴ではなかった。だから私は仲良しだった。そんな友達を、教師は、本を丸めてその男子の頭とほっぺたを思い切り叩いていた。その男子は鼻血を出して泣いていた。この行為も教師による悪いモデリングだ。学級の子どもたちを震え上がらせるだけでなく、「この男子には、ここまでしていいのだ。」というモデリングを提示しているのだ。


 子どもは善しにつけ、悪しきにつけ、人の真似をする。「この男子には、ここまでしていいのだ。」という悪しきメッセージが学級全員に伝わると、その男子をばかにしたり、教科書を丸めて頭やほっぺたを殴ったりする行為が蔓延マンエンした。


 私は、土屋一派からこのようないじめはうけなかったが、依然として人気のない所で蹴られたり殴られたりする行為はずっと続いていた。私はこの頃から、心の中で「転校する前に、こいつらをぶちのめしてやる。」という復讐を誓った。


 










 








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