第七節(0507)

 ミストレスのアンさんからハサミを借りて、私たちは戦利品のプリントシールを三等分に切り分けた。二十四分割印刷に設定したから余りは出なかったし、『Lotophagoi』は今日も営業中だった。


 それでも平日の昼下がりには客足もまばらで、一昨日にも見た常連らしい女性客がカウンターに一人いたのと、二人連れのカップルが一組テーブル席についてたくらいで、そこに私たちが訪れても、席はまだ半分以上空いていた。


 アンさんにしてみるとこれくらいが商況としてはちょうどいいのかもしれない。一昨日にも増して彼女の表情は穏やかだったし、忘れた頃にふらっとやってくる正体不明の常連客という立場から見ると、彼女はあまり利益を追求してるようにも思われない。時計の動きを止めることが何よりの経営方針のようなんだ。


 ハサミを貸してほしいという私たちの注文にも彼女は快く応じてくれた。といってもそこはアンさんだから、おおむねしとやかに、表情にもあまり変化がなかったのだけれどね。


 切り分けられたプリントシールを財布に保管したあと、私はシィちゃんのハンドバッグに収められている使い捨てカメラを透視した。


「さっきので、何枚だっけ?」

「残り三十五枚」ってイッタはすかさず答えた。「駅で三枚だから」


 ホームと待合室と駅舎をバックにしたもので、三回。そこに車内の一枚を足して、カメラを握ったままのシィちゃんは合計四回、シャッターを切っていた。イッタの口調はそのことを咎めてるようでもあった。


「ちょっと撮りすぎたかな?」ってシィちゃんも察して、イッタの顔色を伺うように言った。ところでイッタからすると、別にそんなつもりはなかったの。

 彼は不意に気がついて、慌てて首を振った。

「四十枚近くあるんだから平気だよ。むしろ明日までに使い切らないと」


「そのために多い方を買ったんだもん」って私も言った。

 といって、ここまで四回も被写体に選ばれても、慣れというのは全然だった。そもそも写真を撮られるって感覚に慣れも不慣れもない。相変わらず私は写真が苦手だし、ただこの日々が特別だったというだけだ。


「ところでさ、現像はどうするの?」って私は訊いた。

「俺がまた写真屋に持ってくよ」ってイッタは駅舎の方角を指差して言った。「コオリには、あとで郵送でいいよな?」

「そうしてもらえるなら」

「じゃあ、忘れないうちに住所と郵便番号」

「郵便番号?」

「いや、当たり前だろ?」ってイッタは苦笑交じりに言った。

「ああ。郵便番号か」


 ところがそんな数字は頭の中に存在しなかった。必死に記憶を手繰り寄せても玄関先の投函口の映像が浮かぶだけだった。アルバイトの面接を受けるときにもその数字は必要だったけど、履歴書のその欄には家に届いた郵便物の数字を丸写ししただけだった。


「忘れちゃった。帰ってからメールするのでいいかな」って私は言った。

 もちろん、こんな返答でイッタを呆れさせないわけがない。「自分ちの住所がわからない?」って彼は予想通りの反応を示した。


「さすがに住所はわかるよ。郵便番号」

「同じことだと思う」って彼はまた呆れて言った。


 でも数字に関することなら、実際私は主要科目の中でも数学がてんで駄目だった。例の大学受験の時期にもこれをネックに考えていたくらいだ。方程式や解法を覚えるのが苦手というだけでなく、単純計算でもたびたびケアレスミスを繰り返した。例えば今でも私の中では37+54は40+51だったりする。わかりやすい数字に直さないと混乱してしまうんだ。さもなければ2+2=5ということになりかねない。


「第一、自宅の郵便番号なんて、そらで言えるものなの? シィちゃんはどう?」

「うん」ってシィちゃんは遠慮がちにうなずいた。

「イッタも?」


 彼は呆れて肩をすくめるだけだった。それで私は改めて自分の意識の低さを認識したわけだ。

「とりあえず、家に着いたら間違いなくメールで教えてくれ」って彼は言った。


 ところが、イッタからこの時の写真が送られてきたのは、彼に住所を終えてから三週間も経ってのことだった。消印は二三日前で配送や集荷の手違いというわけでもない。すっかり夏も終わった頃だった。


 こういう些末な原動力のなさは私もイッタもやっぱり似通っている。それなら同じ性質であるはずの彼が、私と違ってどうして成績優秀だったのか、つまり数字に強かったり教科書の内容を記憶することになぜ長けてたのか、それについては今もはっきりとはわかってない。人生のかなり早い段階で自分の性質を理解し、克服に向けて動いたことが理由の一つではあるはずだけど、それにしたって能力的な限界はあったはずなんだ。その点を彼は一体どうやって突破したんだろう。


 これは単なる憶測にすぎないんだけど、彼はたぶん、長い時間をかけて性格を矯正させていったように、意識の方も、勉強そのものに興味を抱くよう少しずつシフトさせていったんだ。本能的な感覚である好きとか嫌いとかに、能動的に手を加えてやることができるのかは、実際私も疑問に感じるところではあるけど、仮に可能だとすれば、それは私の読書や映画鑑賞とおんなじだ。私たちの性質ではこれらのことも苦手だとされている、でも私は趣味や生きがいとして持っている。あとはそうした興味を人為的に変更させてやれるかどうかだ。そしてなんとなくだけど、イッタならそういうこともやってのけそうな気がする。


 住所の問題が一先ず棚上げになったあと、彼は「だけど、あれだな」ってふいに言った。

「話を戻すけど、せめて差分以上は撮っておかないとな」

「差分って?」

「要するに、二十七枚以上」って彼は言った。彼はフィルムの度数の差について論じてた。「祭りだけで消化するのは難しいと思う」


 明日の花蘂祭では会場での楽しみのほか、ゴマ山への登山も控えていたわけだけど、それでもフィルムを使い切るには足りないというのがイッタの主張だった。そのことは写真屋さんの前でもシィちゃんと議論を重ねたことだった。結局私の介入で三十九枚撮りが選ばれてからも、イッタはずっと、その点を気にかけてたの。


 携帯端末を開くと、時間は四時をちょっと回ったとこだった。今日という日にも、まだ二時間近く余裕がある。


「今からでも少しずつ消化しちゃおうか?」って私は言った。

「それなら、どこで撮ろっか」ってシィちゃんは二つ返事でうなずいた。既に三十九枚撮りのうち四枚が彼女の手によって消化されている。シィちゃんは妙にはしゃいでた。


「消化するのは俺も賛成だけど、場所がな」

「とりあえず外に出よっか」ってシィちゃんはどこか無邪気に言った。「ちょっと思いついたことがあるの」


 それから一分ほど話し合って、私たちはシィちゃんの計画に乗ることにした。私たちの再会した日をなぞるという可愛らしい計画だ。


 結局アンさんのお店にいたのは十五分か二十分程度のことだった。会計のときにハサミのお礼をすると、ミストレスのアンさんは「いつでもどうぞ」と柔らかに言った。


 カフェを出て初めに向かったのは河川敷の方角だった。大通りから抜け殻の路地に入って、土手の上に着くまでは、ほんの短い時間で事足りた。自転車はこの小さな田舎をひときわ狭くさせていた。


 奥に見える橋を背景に、土手の上で一枚、フィルムを消費した。相変わらずの風の強さに髪が騒がしかったけど、カメラを手渡されたイッタは有無も言わさずシャッターを切っていた。


 河川敷や、その手前の滑空場でも、同じようにした。二日前の日曜日と違って、平日にはグライダーの滑空場にも人気がなかった。


 堤外地からの帰りには、例のトウモロコシ畑にも寄ることにした。道すがらに、わざわざそこで一枚撮ってゆこうってことになったんだ。トウモロコシの葉の陰に隠れている子を私とシィちゃんが覗き込んでいる、そういうちょっとしたおふざけの写真で、イッタにカメラを握らせてからは、大体がこういった、何かしらのテーマに沿って撮られてた。


 比べてシィちゃんがカメラを受け持ったときは自然の一瞬を抜き取られることが多かった。駅のホームで電車を見送っている一瞬や、駅舎のあちこちを見回してる一瞬だ。そして私の場合は、いや、そもそも私にはカメラが渡されなかった。ベゼルの中に決まって私が収まってないと、二人は承知しなかったんだ。どうにかイッタとシィちゃんのツーショットを一枚撮らせてもらって、それからは撮影はすべて任せてた。


 土手をまたぎ返してからは小学校を訪れた。プールの開園時間はとっくに過ぎていて、校内はどこを探してももぬけの殻だった。正門から裏手に回ってみると、教職員用の駐車場として使われているプール前の広場には、車一台停められていなかった。

「こりゃ自由だな」ってイッタは悪い顔をした。


 小学校では昇降口で一枚、中庭とグラウンドでそれぞれ一枚、それから一年生の教室をベランダ側からも一枚、合計で四枚の写真をフィルムに納めた。あの日に沸き起こった感傷も二度目の訪問には受け入れる余裕ができていた。物事っていうのはきっと、こうやって平坦化されてゆくんだろうね。


 撮影の合間、イッタはことあるごとに校舎内への侵入を試みてた。それは一昨日にも同じことをして諦めたはずのことなのに、彼は飽きもせずその日の真似事を繰り返してた。


 セキュリティ対策は万全なんだ。自分で口にしたことなんだから、イッタだってそんなことわかっていたはずだ。それでも結果のわかりきった行動を実践し続けたのは、それがイッタなりの様式美だったからだ。


 私たちが使い捨てカメラを手にして行っていたことは、いみじくも一昨日の模倣だった。小学校から土手へ向かったあの日とは順路がちぐはぐになっているだけで、私たちは再会の日にやり残したことの精算を、二日遅れで済ませに来ているだけだった。思い出を形あるものとして保存する。だからその場でイッタがとっていた無駄な行動も、決して無意味なんかじゃなかったの。彼はそういうことに変に律儀なやつだった。


 だから小学校での思い出を保存したあと、私たちが最後に向かうべき場所も、もちろん決まってた。再会の場になった駅舎でも写真を撮った。アンさんの喫茶店にも立ち寄った。大通りは、まあ、コンビニを見て回るついででしかなかったけれど、それでもあの日の道筋をトレースしたには違いない。


 携帯端末はまだ四時台を示してた。思いつきで始まった小さな時間遡行は、とうとう夕暮れを待たずにあの日のスケジュールに追いついた。あと一つはゴマ山の図書館だ。


 麓に着くとイッタはまた荷物番を買って出た。山の中にまで買い物袋を持ち込むのはなんだかへんてこな光景ではあったけど、「どっちみち保管しに来なきゃならないからね」って彼は言った。


 登山道に入ってみると、ゴマ山は充分に乾き上げられていた。一部水はけの悪いところがぬかるんでるくらいで、それも明日になれば固い地面に変わりそうだった。緑のアーチに覆われた登山道でこれだから、昨日の雨の影響は綿入のどこをとっても残されてないようだった。


「ヒデくん、ちょっと」ってシィちゃんは山道を数歩も行ったところでイッタに振り返った。


 彼からヘアピンのケースを受け取って、私たちはそこで留め具としてのアメリカンヘアピンの性能を試すことにした。二つ、三つ、ケースから取り出すと、裾を曲げて、折り目に差し込んだ。


「リッちゃん、どう?」

「どうだろう。しっかり固定はされてるけれど」

「検証には不十分だったかな」ってシィちゃんは言った。


 結局、厚みのあるジーンズでは浴衣と見立てるのに限度があった。裾の四方をピン打ちすることで留め具としての機能は証明されたけど、シィちゃんの考えによると浴衣の場合にはもう少し折り目を重ねる必要があるらしかった。


「使えるってわかっただけでも、良かったんじゃないの?」って後ろから見ていたイッタはあまり興味なさそうに言った。

「でもさ、これ、浴衣だと、歩きづらくならないかな?」

 留め具に固定された裾を後ろ手に持ち上げて、かかとの部分に目を落としながら言うと、「下が固定されちゃうから、ちょっと不便かもしれないね」ってシィちゃんはちょっと控えめにうなずいた。


 やや間を置いてからシィちゃんは「やってみないとわかんない」ってはにかんだ。

「汚すよりはいいさ」ってイッタは地面を踏みつけて言った。

「明日は晴れるかな?」

「予報では快晴マークだったよ。お盆までずっと晴れだった」


 そんな風に会話を弾ませていたせいか、あずま屋まで半分の地点まで着いたときには息が切れ切れになっていた。これも一昨日の模倣といえばそうなるのかな。二人は汗一つかいてない。


「今からそんな状態じゃ、明日が思いやられるな」ってイッタは両手に提げた荷物も意に介さず笑った。

「わかってるけどさ」

「明日は浴衣なうえに夜道なんだぜ」

「それもわかってる」って私はちょっとムッとして言った。でもイッタはなぜだか満足そうだった。


 そのとき出し抜けにシィちゃんが一枚撮った。山道に疲弊した私を俯瞰で納めた、十三枚目の活動記録。うん、そう、たしかこれが十三枚目。だからこれで残り二十六枚。


 あずま屋に着いてからもフィルムの消費は止まらなかった。麓の姿を映した風景画も含めて、新たに三回か四回くらいシャッターが切られたと思う。自転車のおかげで時間には余裕があったから、私たちはそこで思い思いにくつろいだ。つまり私はまた一昨日のように、あずま屋の図書館を堪能して回ってた。その横顔も何枚かフィルムに納められている。


 二人がカメラに夢中なのと同じくらい、私もこの図書館の蔵書に夢中だった。どうして背伸びのない文章に、これほど惹きつけられるんだろう。そこには優れた作家によって書かれた優れた小説に劣らない価値が備わっている。青春や情熱のかけらがそのまま封印されている。


 そのうちの一つに、新しい発見をした。書かれてある内容は至ってシンプルで、形式や規格も他の蔵書と変わらない。そこにはこう書かれてあった。



 十年、三十年、五十年

 どれだけ歳をとったって

 どんな風に変わったとしたって

 俺たちの仲は絶対に変わらないから

 ○○ 誠治

 ○○ 知子

 ○○ 洋平


 昭和○○年○月○日



 私は一昨日にもそのメッセージを目にしてた。でも背伸びの努力がどことなく邪魔をして素直には感じ入っていなかった。韻を踏もうとしている感や、なにか文学性を見出そうとしている感が鼻についたし、何より技術に寄ろうとして失敗している感が痛々しくもあった。本当のことをいえばそういう蔵書もこの図書館にはいくらかあった。私はそういった蔵書の一つとしてこの場でもそのメッセージをやり過ごそうとした。でも署名の部分に注目したとき、ちょっとした発見に驚いた。


 男の子が二人、そして女の子が一人、まるで私たちのような組み合わせだなと感じたの。ちょうど男女の比が逆になっているだけで、彼らはシィちゃんとイッタと、そして私という順番で署名されていた。


 この順番は私には大きな関心だった。もしかすると最初に署名された二人は恋人同士で、そこに最後の一人が加わっていたんじゃないか。わざわざ男の子と女の子が交互に署名しているあたりに、そういう必然性を感じたわけだよ。いや、そうではなくて単なる偶然だった可能性もあるけれど、どうしても彼らの順番が意味のないものだとは考えにくかったんだ。


 それについては私の願望もあった。恋人同士の二人のあいだに、何物でもない一人が紛れ込み、そんなぎこちのない状態で彼らはしっかり友情を育んでいた。『俺たちの仲は絶対に変わらないから』、私自身の拠り所のように、そのメッセージを受け取った。


「ねえ、リッちゃん、もう一枚撮っておこうか」ってそのときシィちゃんが言った。

「え?」

「そこに立ってて」


 シィちゃんは珍しく構図に悩む仕草をして、ようやくぱしゃりと一枚撮った。不意に撮られたさっきまでの横顔に対して、その写真にはどこか表情の抜けた顔でぼんやり佇む私の姿が納められている。


「ヒデくん、ありがとう」

 シャッターを切ったあと、シィちゃんはカメラをイッタに渡した。でもイッタは手で遠慮した。


「それはシズカが預かっておけよ。浴衣に着替えた後にでも、どうせ撮りたくなるだろ?」

 気の早いイッタは、もう明日のことに触れていた。


「そうだね」ってシィちゃんは穏やかに微笑んだ。使い捨てカメラはハンドバッグにしまわれた。

「そういえば、明日ってどうなってるの?」

「うん?」

「だから、明日の予定。私はシィちゃんちに浴衣を借りにいくけれど」

「ああ、いや」って彼の目はちょっと宙をさまよった。「俺は現地集合にするよ。というより、一昨日そう説明しなかったっけ?」

「そうだっけ?」

 だけどイッタにしてもどこか自信がなさそうだった。


「まあ、言った言わないはともかく、俺は直接祭りの会場まで行くよ」

「シィちゃんちには来ないんだ?」

「良い顔されないからな」ってイッタは自嘲気味に笑った。


 シィちゃんはちょっと困った様子になっていた。あんまり触れない方がいい話題だってことにそのとき気がついた。

「さて、それじゃぼちぼち行くか」ってイッタはとりなすように言い、あずま屋の縁から腰を浮かせかけた。


「もう?」

「だって、こんな時間」


 イッタが開いた携帯端末は、今が五時半であることを示してた。私は驚いて辺りを見回した。山の上からあずま屋、そして麓へと、夜の知らせがゆっくり吹き抜ける。図書館に夢中だったあいだに、もうそんなにも時間が流れてた。


 ああ、本当に、私は時間というものの正体がよくわからない。彼らが時を刻む速度にいつも私は驚かされるし、苦しめられる。私の知る小説のなかで時間というものは基本的に穏やかな性質として描かれていて、そこに登場する人物は短い時間のなかで数多くのことをこなしてる。それがいわゆる小説的表現なのか、それとも実際に多くの人がそういう時間の経過を目の当たりにしてるのか、私にはわからない。時間は、私の前ではときに激流でありときに動きを止めている。私が望む変化とは常に反対の状態に彼はある。


「楽しい時間はあっという間だね」ってシィちゃんは言った。

 私は「うん」って体裁を繕った。でも私の感じてることは、そんなに簡単なことなんだろうか? あずま屋に着いてからそれだけの時間が経ったということに実感が追いついていなかった。


 二人は早くも次の行動に移りかけている。あずま屋の縁から完全に腰を離したイッタは(そう、イッタでさえも)床に置いてあった買い物袋に手を伸ばしかけていた。


「ねえ、それ置いてくの?」って、そのときシィちゃんが言った。

「まずかった?」

「ううん。ただ、目立つんじゃないかなって」

「大丈夫。ちゃんと考えてあるよ」


 手前を崖にして見晴らしのいい面とは反対側に、清掃用の大きなホームロッカーが壁付けされてある。外から回り込んで引き戸を掴んでみると、鍵はかけられてなかったみたいでするする開いた。


「鍵かかってないってよく知ってたね」

「中学のときにもゴマ山から花火見たって言ったろ? 二度目のとき、あいつらもここにジャケット隠してたんだよ」

「あいつら?」、訊くと、イッタはあずま屋の天井を指差した。イッタたちの署名を見て私は納得する。


 私たちのショッパーは埃が紛れ込まないように袋の口を何度も折ってから、より死角になりそうなモップの裏に忍び込ませた。


「これで南京錠でもあれば、完全犯罪なんだけど」

「誰もこんなところ確認したりしないよ」ってシィちゃんは言った。


 その口ぶりにしてもちょっとシィちゃんらしからぬところがあって、私をひどく驚かせた。花蘂祭の計画に関しては彼女が一番気を昂ぶらせてたんだ。


 ほかの小物類についてはカメラと一緒でシィちゃんの預かりになった。花蕊祭の会場にもハンドバッグは持ち出す予定らしかったし、ペンライト型のライトや虫除けスプレーは思ったより嵩張らなくて、すんなりバッグの中に収まった。明日のための油性ペンも、その中に入れられた。


 それなら最初から小物類はシィちゃんに預けておいたほうがよかったはずだけど、イッタはその点には無頓着で、ただ油性ペンがしまわれるときにだけ、

「いま書いてっちゃった方が楽だけどね」って、人間が夜目の効かない性質であることを強調するように言った。


「明日の楽しみがなくなっちゃう」

「もちろんね。わかってるよ」って彼は言った。彼にしてもただ可能性の一つを提示したに過ぎなかった。


 下山のときもイッタとシィちゃんは私より先を行っていた。ただこのときは個人的な話題から二人きりになる必要があったらしくって、小さな二つの顔がどちらも気難しそうになっていた。


 おそらくだけどイッタがさっきシィちゃんの家族を悪く表現したせいだ。シィちゃんちの敷居を跨いでも良い顔をされないって説明したことが、彼女には気がかりになっていた。それは単なる痴話喧嘩だったから、私は後方で成り行きを見守ることにした。


 ただ、難しそうな顔の二人をまじまじ覗くのは、私としてもバツが悪かった。道の先の目印としてシィちゃんの手元で揺れるハンドバッグに視線を注ぐことにした。


 眺めているうちに、私はぼんやりとハンドバッグの中身に考えを巡らせた。道が整備されてるおかげで上りより下山の方が遥かに楽ではあったけど、それでも半ばまでくると段違いの地面に苦しめられていた。そういうぼんやりした頭に、今日買ったばかりの品々が映像として飛び込んできた。

 空の色は薄みを帯びてきて、それらの映像と一つに重なっていた。


 要するに私が考えてたのは彼らの行く末だ。今はまだ役目を控えている彼らだけれど、明日を終え、用事が済んだ彼らは一体どう扱われてしまうのか。普段遣いされているうちに消耗してゆくものもあるだろうし、アメリカンヘアピンはきっと一つ一つ迷子になって、いずれ自然消滅してしまう。でもそれは彼らにとって幸せだ。私は特にペンライトのことを考えていた。


 電池さえ入れ替えれば何度でも若返ってしまう彼は、捨てられる瞬間を私たちの恣意的な判断に委ねられている。いずれ大したことのない安っぽいペンライトだよ、捨てようと思えばいくらでもその気になれる。だけどそこに思い出とか記念とか、そういう大切な付加価値がついてしまったとき、私たちはこれをどうやって手放せばいいんだろう。ううん、そうじゃなくって、確実に処分する瞬間はやってくるんだ。


 思い出を切り離すことに人は苦しめられたりするのかな。イッタやシィちゃんはあのペンライトを処分したんだろうか。おそらくそうしたんだろう。だとすると二人はその瞬間に何を感じたのか。あるいは物質は物質として、思い出と切り離すことに成功したんだろうか。私にはわからない。わかるのはその方が人として健全だということだけだ。私はまだあのときのペンライトを保管し続けてる。プリントシールと一緒に思い出用の箱にしまってあるの。


 そんな私にしたって、あれを捨てる瞬間は確実にやってくる。それがいつになるかはまだわからないし、その瞬間のことを私はうまく想像できてない。


 思い出を形として残すってことは、一つの意味合いとして、将来的な苦痛の選択を内包してる。だからこそ本来の私は写真というものが苦手だったのかもしれない。幼い頃から仏間の遺影を見て、そのことはよく知っていたはずだから。


 だけどそんなことは、この瞬間に考えることじゃなかった。もっといえば、考えて良いようなことでもなかったはずだ。私たちはまだ思い出の中に居て、後ろを振り返るには早すぎた。第一、あのペンライトたちが綺麗に三等分されることも、この場では知りさえしなかった。

 でも、悲しいけれど、それが私なの。物事の最中にも終わりを意識してしまう、昔からそういう種類の人間だった。


 前をゆくシィちゃんが不意に振り向いた。彼女は黙って私に微笑みかけた。イッタも同じように微笑んで手招きしてみせた。二人の相談は何事もなく終わってた。

「二人とも、早いんだって!」って私は言った。


 麓に着くとイッタはクロスバイクにまたがって、「じゃあ、明日の夕方に」って言った。荷物番から解放されて身軽になった彼は、この日も身軽な一人の帰路をゆこうとしてた。


「途中まで一緒に行かない?」ってシィちゃんは誘ったけれど、

「親父たちが帰ってきてたらまずい」って断って、背中を小さくしていった。こんな田舎でも日中に鍵もかけずに家を空けておいたんじゃ、留守番の名目が立たなかったみたい。結局はそれも再会の日の模倣に繋がった。


 だからシィちゃんと一緒だったのも、例の交差点までだった。夕暮れの気配が漂い始める空のもとで、一所懸命に手を振り続けあった、あの別れ道の丁字路。そこに着くと私は一旦またがっていた自転車から降りて、


「シィちゃんちに、返しにいかないと」ってサドルに手を当てながら言った。

 だけどシィちゃんは柔らかく首を振った。

「借りたままで、大丈夫?」

「明日も私の家に来てもらうことになるから」

「そっか。それなら助かるよ」って私は言った。もしも彼女の家まで自転車を届けるとすると、私たちは下山の時間を大きく見誤っていた。

「ねえ、だけど、浴衣の約束、忘れないでね」


 そのときのシィちゃんはなんだか可愛らしかった。ううん、友情が深まるに連れ、彼女はどんどん可愛らしくなっていった。確認なんてしなくても、そんなこと当たり前なのに。


「二時ごろになったら向かうよ」

「待ってる」って彼女は言った。


 私たちはあの日とおんなじに、丁字路を左右に別れた。なんとなく自転車へ跨るのに時間がかかって、引いて歩くそのたびに、振り向くとシィちゃんはやっぱり丁字路のちょっと先に佇んでいた。手を振ると振り返すのは、なんだか長い影法師のようだった。

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