第五節(0405)

 店主のおばさんが教えてくれたとおりに山を下ってゆくと、本当に山門と出くわした。センターラインの道から脇に入ってすぐ、仰々しい木造の箱型的物体が目にとまる。脇道は一直線に麓を目指していて、直感的にこの道を下ってゆけば例のアンダーパスまでたどり着くとわかった。さて、そうすると私はずいぶん回り道をしてきたわけだ。


 山門は小高い台地に石段を設けて建てられていた。仰々しい箱型的物体って、まさにそう形容したように、石段の先にあるそれは八本の柱を支えにした八脚門の形をとっていた。


 門をくぐってすぐのところには一対の仁王像が祀られていた。全身を朱く染めた阿像と吽像が門の左右に配置されている。不思議なことに山門の正面は板で目張りされていて、中に入ることでしか彼らの姿は拝めなかった。もっと不思議だったのは彼らの体が門の奥へ向いていたことだ。


 ただ、不思議というのはそれだけじゃなかった。朱の仁王像を過ぎた先に、この門の中にはもう一対の仁王像が祀られてたの。奥の仁王像は対照的に真っ黒で、形状もずいぶん違ってる。よく見ると彼らには両腕がなかった。黒の阿像と黒の吽像からは、つごう四本の腕がごっそり削ぎ落とされていた。


 体に注意を向けると、そこには大小無数の亀裂が走ってた。その様子からいって、どうも黒の仁王像は一旦火にくべられているようだった。元々別の色で塗られていたものが、まるで備長炭のように煤けてしまってる。まさに火難の象徴のようで、そうすると朱の仁王像はあとになって再建されたもののようだった。


 そしてその直後に起こったことがこの山門における最大の不思議だったのだけど、八脚門の通路を抜けると、そこにはのっぺりした砂利敷の駐車場があるだけだった。本堂はおろか、そこへ続く参道すら存在しない。


 駐車場の先は崖になっていて、見下ろすと眼下にはリンゴ畑が広がっていた。もしくは崖になっていないところは二車線の舗装路が隣接しているだけだった。試しにその舗装路に出てみると何やら見覚えのある錯覚に襲われた。いや、決して錯覚ではなくて、道のちょっと奥の方に、さっき鍵しっぽの猫くんに案内されて通り抜けた、あの隘路の入り口が見えていた。


「なるほど」って私は手玉にとられてしまった人の笑い方をした。

 あの鍵しっぽの猫くんは、やっぱり人間の言葉を理解しているようだった。祖父のお墓参りに向かうという目的を事前に彼に伝えてしまっていて、だから彼は隘路を近道のためにではなく、この山門をやり過ごすために利用してたんだ。徹頭徹尾あの子にはしてやられた。


 だけれどもお寺さんの謎は解決していなかった。てっきり山門を抜けたら境内が続いていると思ってたのに、そこにあるのは砂利を敷いただけの簡素な駐車場だけだ。それだって一台の軽トラックがそこに停まっていなければ、単なる空き地としか映らなかった。


「お寺って、これだけ?」って私は首を傾げる。

 祖母の話ではお寺の中におじいちゃんのお墓があるってことだった。でもそうするとずいぶん話が食い違ってる。お寺まで着いたら「また探してみるといい」とも祖母は言っていた。


 振り向いて山門の意匠をよくよく観察してみると、私はなにか勘違いをしているんじゃないかって気になってきた。八脚門の中で、赤の仁王像はこちらに向いている。山門の作り自体も、いま私が居る方を正面に捉えているようだった。詳しいことはわからなかったけど、飾り付けの雰囲気とかがどうもそんな感じだった。ということはこちら側が入り口で、どうやら私は出入りの順番を間違えていたらしい。なるほど、って私はまたつぶやく。


 さて、だけど私はそのまま門をくぐり直そうとはしなかった。山門に寄ってみはしたものの、通路の入り口からは一旦外れたの。山門の隅っこの屋根の下に、いや、まったくこの場には不釣り合いなんだけど、スチール製の椅子と机が一組、置かれてあったんだ。


 机の上には一冊のノートが放置されていた。まるで誘蛾灯に導かれる虫のように私はその異物に引き寄せられていた。ノートを手にしてみると表紙には丁寧な字で『蓮華寺・参拝者用』って書かれてあった。


 蓮華寺というのはさっき個人商店のおばさんが教えてくれた名前とおんなじだった。彼女は同時に「山にはお寺さんは一軒しかない」とも言っていたから、場にそぐわない不釣り合いなノートによって、いよいよここが目的地であると確信を持てた。


 不釣り合いなノートは土埃にさらされていくらか薄汚れてた。長く触れているには抵抗もあったけど、私は構わずページを開いた。


 山村のお寺というわりに、ノートの中はずいぶん多くのメッセージで埋められていた。初めのうちは特に目立ったところのない、平坦なメッセージばかりで、古くて雰囲気のあるお寺だったとか、思ったより長い参道でしたとか、遠出してきたのでご利益ありますようにとか、そういった無色透明な感想が並んでた。ポップな字体が多いから、書き込んでいるのは主に女の人らしかった。ここはあじさい寺としても有名らしくって、満開の花がきれいでしたとも綴られていた。


 あじさいか、って私は無関心にひとりごちる。今は盛夏の折で、もう少し早い時期なら興味をくすぐられていたかもしれない。


 寄せ書きの中にはお寺の仏像に触れられているものもあった。『本堂にありました指定文化財であります九品仏を拝められて何よりでした』って、それはちょっと達筆な字で書かれてあった。なんとなく品のいいおじいさんの姿を想像させる。短い白髪頭のロマンスグレー。


 だけど文化財? 九品仏? 書かれてある内容についてはよくわからなかった。何か大切な仏像が祀られてあるらしい。


 次に多かったのは登山者の書き込みだ。例のゴマ山に挑んだ人が、このノートに登頂記念をしたためていた。どうしてわざわざお寺の参拝用ノートにそんなことを書き記すんだろう。そう疑問に感じたけれど、いくつかの書き込みに目を通すうちに、どうやら昨日イッタたちと登った場所以外にも、あのゴマ山にはいくつかのルートがあることが覗えた。そしてそのうちの一つがこのお寺の本堂近くにあるようだった。『麓と山腹のルートからは踏破できました。これで登頂は四度目になります。次は蓮華寺さんに参拝してから挑んでみようと思います』、こういった書き込みのおかげで私はそのことを知る。


 登山者のうちのいくらかは下山後に寺院に参拝できるロケーションの良さも褒めていた。『登山で自然を堪能した後に手を合わせられますのは、とても霊験あらたかな気持ちになれます。次のシーズンにもまた訪ねようと思います』。私は昨日の登山を思い返して、彼らの体力の高さに脱帽した。


 ページを手繰ってゆくと、多くの書き込みが特定の日付に言及していることに気がついた。五月八日最高でしたとか、五月八日の甘茶が美味しかったですとか、なにかその日に特別な行儀が催されていることが明確に匂わされていた。けれども私が気になったのは、その行事自体よりも、五月八日という日にちそのものが、このノートの中で祭事の名称のように扱われていることだった。


 さっきは九品仏、今は五月八日。どうもこのお寺は数字にまつわる由縁が多いらしい。五月八日。口にしてみてもいまいちぴんとこなかった。


 書き込みはノートの中ほどまで続いていたけれど、ある程度まで読み進めると残りは前のページの内容と大差なくなった。ひとしきり満足してノートを閉じる。なんにせよ事前に情報が得られたのはいいことだ、と私は考えた。それは鍵しっぽの猫くんの影響かな、単なるお墓参りのはずが、すでにちょっとした観光気分になっていた。


 山門を引き返すと、石段からまっすぐに伸びる路地がある。路地の入口には左右一対の石碑が建てられていて、表面には何やら文字が彫刻されていた。


 楷書体のそれは大部分が風化したり苔むしたりで真っ当な記録媒体としては機能していなかった。それでもどうにか、字画の少ない『山九品』って部分だけが連続性のある言葉として理解できた。


 路地は終わりの見えない長い一直線だった。片側が急な崖になっていて、見下ろすと下が野菜畑になっている。さっきの駐車場とおんなじで、果樹の緑が土くれの茶色に変化した程度の違いでしかない。そしてもう一方の道の側面には民家がまばらに並んでる。


 私ははじめこれを参道とは思わなかった。思わなかったからこそ山門の方に足を伸ばしたわけだけど、彼の示す出入りの方向や石碑の位置を鑑みるに、どうやらこの路地の先にお寺さんがあるらしかった。


 崖のすれすれのところに桜を植えて、路地はちょっとした桜並木になっていた。どれも樹齢が百年は越えていそうな立派なやつだ。どの木々も枝を道の上にまで突き出していて、だからこの参道は奥の景色ほど緑のトンネルのようになっていた。


 かなり長い参道だ。どれだけ進んでも緑のトンネルが終わらない。民家を二軒三軒過ぎたところで前かがみに覗いてみたけれど、相変わらず桜の葉が消失点に覆いかぶさってるだけだった。


 ようやくそれらしい雰囲気が出てくるのは民家の並びをすっかり過ぎた頃だった。その頃になると地面も情緒のないアスファルトから石畳に変えられた。

 緑のトンネルがぱっと晴れ、古めかしい鐘楼門が突然姿を現すの。


 雨で泥になった地面に、のっぺりとして丸っぽい石が点々と敷き詰められている。石畳は鐘楼門のほんの少し手前まで続いてて、門と地続きの辺りはそれより文明的な直角の石段に変えられていた。


 門の造りや大きさはおおよそ山門とおんなじで、釣り鐘のある二階へは外付けの階段から上がれるようだった。すっかり観光気分に陥っていた私は門を通り抜ける前にその階段に足をかけた。封鎖はされてなく、鐘撞き台までは自由に出入りできるようになっていた。


 見かけに反して、そこは四畳くらいの狭い空間だった。先端の潰れた鐘木と大きな釣り鐘がそのうちの大半を占有すると、ぐるりには人一人が辛うじて通行できるくらいの幅しか確保されていない。


 他には凝った意匠もない、簡素な空間だった。

 私は期待はずれに感じてちょっとがっかりとした。かといって何を期待していたのかって聞かれると、それもよくわかんない。とにかくこの空間に胸の躍る何かを求めてた。


 でもそれは確かにあったんだ。寂しい空間に対して、光景ってことなら凄かった。鐘楼門の二階からは境内のほぼ全景が見渡せた。


 そこは杉木立と苔と石段からなる世界だった。あまりにも長く伸びすぎた石段の左右に、天まで突き上げる木々が林立し、空には針のように尖った杉の葉が群がっている。陽光はその隙間を縫うように僅かばかり差し込んでいる。おかげで途中の舗装路はもう雨を乾かしてたのに、ここにある石段はまだじっとりと全体を濡れそぼたせていた。光が当たるとそこだけ煌めいている。


 石段と杉木立の境界線には背の低い下草が群がっている。鐘楼台の上からだとちょっと立体感が掴みづらかったけど、草むらの背丈は私の腰くらいまであるようだった。その草むらに青や赤や紫の花が咲いている。丸っこくて柔らかそうな、こんな雨上がりには良く合う花だ。


 ああ、それはアジサイだったんだ。私の予想を裏切って、境内の中に無数と咲いていた。それもまだ多くが満開で、陽の当たらない場所ほど花の開きを大きくしてた。

 石段の頂上では本堂がちょこっとだけ顔を覗かせていた。


 私は急いで階段を駆け下りた。ずいぶん古い階段のようで、踏み板がぐらついたりもしたけれど、逸る気持ちから一気に駆け下りた。


 鐘楼門をくぐるとき、天井を見上げると、中央部だけマス目状に材木が組まれてて、隙間から覗くと釣り鐘の底が大きく口を開けていた。もしもいまこれが落ちてきたらどうしよう、なんて、ちょっと不安を感じながら、足早に門を通過する。


 鐘楼門を抜けた先では肌に触れる質感も違ってた。山をくだってくる途中で、アスファルトの路面はすでに水分を蒸気に変え始めてた。ところが境内に一歩踏み入ると、ここは空間そのものが冷やされているようだった。空気の層がまるで違うんだ。


 長い長い石造りの道が伸びている。その先にある本堂は下半分を隠してスレートの屋根だけをちょこんと覗かせていた。あまりに長い石段のせいで彼にはそういう自己表現の方法しか与えられていなかった。それほど膨大な数の石が境内には積み上げられてたの。それらはすべて杉木立の中にあり、左右からは絹糸のように薄い光が差し込んでいる。雨露に濡れたアジサイが高級旅館の仲居さんのようにずらりと並んで迎えてくれている。


 耳には小鳥のさえずりと、それから小川のせせらぎが届いた。上から見たときにはちょっとわかんなかったけど、見てみると石段の一部が窪んでて、そこが水路になっていた。水流は全体的にはちょろちょろって穏やかなんだけど、部分的に激しさを増すと外側にまで溢れ出していた。石段の表面が濡れそぼってたのは直接の雨だけが原因ではなかったらしい、氾濫したせせらぎが彼らの表面を満たし、それは特に珍しい現象でもないようで、ところどころ苔むしているのもそのせいだった。


 その光景はなにか、海底の遺跡に続く空想上の通路を思わせた。深い深い海の底の遺跡に向けて、地表から遥か何千キロも伸びる古代文明のオーパーツ。見えない壁によって海水の侵入を阻んでいるけれど、誰も原理を解明できてない。どれほどの水圧にも耐えられるよう設計されてあり、地球上で最も深い海の底まで下ってく。海底では遺跡のスレート屋根が顔を覗かせている。


 でも間違いなくこの石段は空に向かって伸びていた。足を一歩踏み出すと、そこには明確な肉体の負荷があり、太ももや腰に重力がずしんとのしかかる。そのとき初めて参拝者は天地の錯覚を理解する。


 一歩、また一歩、空に近づいてゆく。そのたびに私の体は悲鳴をあげる。万有引力はこんな方法でも証明された。たぶん、アイザック・ニュートンは階段をのぼったことがないんだよ。


 アジサイが綺麗に咲き誇ってる。彼らは空想上の通路の左右にぽつぽつと、だけど充分な数で咲いている。中には花の色の失いかけているものもあったし、完全に枯れてしまってるものもあった。でも大まかには満開の花びらたちだった。杉木立からの木漏れ日が時刻によって地面を照らし出すと、そこにあるアジサイだけが萎れてゆくようだった。


 本当に長い階段だ。濡れた表面のせいで足元が滑りやすくもなっている。石材に使われてるのはおそらく粘板岩だ。柔らかくって加工しやすいけれど、雨に濡れ続けると人を転ばせる。だから慎重に足を運ばなければならないの。一歩一歩着実にね。アジサイが雨露を滴らせてる。


 石段の切れ目が近づくに連れ、本堂の全貌が明らかになってくる。足を踏み出すごとに、地球上で最も深い地点にある海底神殿の、スレートの下の部分がぬるぬると顔を覗かせる。それは名もない田舎の山寺っていう割には立派な構えの本堂だった。


 それにさ、なんというか神秘的だった。本堂の裏手には例のゴマ山が広がっていて、そこは一面の杉林だった。石段の杉木立と合わせると、視界の大半が針葉樹に覆われている。けれども本堂の周りでは光を遮るものが一つもなくて、ぽっかりと穴を空けたところに太陽の聖なる光が差し込んでいた。


 ずいぶん遠回りをしてきたおかげかな、私が本堂にたどり着いた時間には、空はすっかり晴れ上がってて、まばらになった雲の中心に丸い太陽の輪郭がくっきり浮かび上がってた。本堂の周りはアスファルトの路面とおんなじくらい乾きあげられていて、いみじくもそこだけが聖域として保護されてるようだった。


 佇まいとは裏腹に人気はなくて寂しい本堂だった。この山で出会った人といえば、いまのところ鍵しっぽの猫くんに連れられていった、あの個人商店のおばさんしかいない。この村の人たちは雨上がりに出かけようなんて気を起こさないのか、それとも普段からそうなのか。考えてみれば昨日の地域探訪でもそうだった。


 本堂の横手に家屋が隣接されていて、そっちに顔を出せば住職さんなりが相手をしてくれただろうけど、そこまではなんとなく気が引けた。とはいえここに至るまで祖父のお墓らしきものは見当たっていなかった。その目的は観光気分に毒されてるあいだも変わらず私の頭にあった。注意深く辺りを観察していたから見落としているということもないはずで、そうなるとこの場に誰かしらの姿があった方が楽だった。偶然のことなら気軽に尋ねられもする。でも見渡す限り、本堂の近くには本当に誰一人いないらしかった。


 ただ、本堂の戸が、ほんのちょっぴり隙間を作ってた。かろうじて中が覗き込めるくらいの細い隙間ではあったけど、人の生活を証明する確かな痕跡でもあった。


 本堂の中に人の気配を期待した。そして恐る恐る戸板まで近づいた。片目で覗き込むと、いや、だけど、ちょっとよくわかんなかった。まず言えるのは中には誰もいなかったってことだ。


 その瞬間私は例の参拝者用のノートを思い出していた。そこに書かれてあることによれば、本堂には九品仏というありがたい仏像が祀られているはずだった。人の姿がないことを認めると、次には私の目は仏像の在り処を探ってた。


 でもよくわかんないっていうのはそれのことなんだ。隙間から見た限りでは仏像は八体しか数えられなかった。端から丁寧に確認してみたけれど、何度数えても八体しかないんだよ。戸の開きに手を加えなくても、顔ごと工夫して動かせば、どうにか堂内の端から端まで目が届く。それでも中にある仏像は八体だけだった。


 私は中を覗き見るまで九品仏というのは単一の仏像を表した言葉と思ってた。九品という概念か物質に由来する一体の仏像なんだという風にね。ところが本堂の中には数体の仏像があって、数えてみるときっかり八体あるわけだ。そのときに九品仏という名前は、そのまま九体の仏像のことを指してるんじゃないかと直感したの。ただ、そうなると、数の計算が合わなくなってくる。


 本堂の中には前卓や五具足や磬子や、そのほか私の知識にはない名称不明の仏具が所狭しと並んでて、内陣の最も奥にある仏像を数えるのに苦労が要った。でも間違いなく八体だ。私はその不思議のために四回も数え直したんだから。


 戸を開けて中に入るには勇気が要った。それで私は縁側に腰かけて、ぼんやり空を仰ぎ見た。


 午前中の雨が嘘みたいに空は青かった。湿り気を帯びて、文字通り雨上がりの空って感じがする。からっと晴れた昨日の夏空とはまるで違う。でもそれは単なる印象の問題で、本当は昨日も今日も空の青さに違いはないかもしれない。


 海底通路の杉木立は見上げた空にまで写り込んでいた。空のとても高いところにどんよりとした濃い緑が群がっている。とげとげしい針葉樹の葉っぱが風に押されてかすかに揺れている。


 ふと目的を忘れかけていた。「おじいちゃんのお墓」って、そのことを思い出す。


 やおら腰を上げて、本堂の、家屋が隣接してるのとは反対方向に進路を取った。というのはその方向に石段の参道とは別の、なだらかな坂道が伸びていたからだ。


 実のことをいうと本堂の横手には、薄い色の軽自動車と黒のセダン、つごう二台の車も停められていた。もっというと鐘楼門をくぐった先で、私はそのなだらかな坂道も認めてた。坂道は空想上の通路と鐘楼門を迂回するように大きなS字を描いて手前の桜並木にまで繋がっていた。境内で見落としている場所があるとすれば、もうその道しかないはずだった。


 そして案の定というか、ぐねっと曲がった下り坂の途中に、それらしい空間があったんだ。全部で十基くらいの墓石しかない、小さな墓苑だった。山のせり出した木陰にひっそり設けられてたの。


 墓石には『先祖代々』や『○○家之墓』といった一般的な刻銘が彫られてあった。あまり見かけない刻銘としては『南無大師遍照金剛』って文字もある。十基のうち二つくらいにその経文が刻まれてた。母方の実家の菩提寺は浄土宗で、私は今まで『南無阿弥陀仏』の経文しか知らなかった。宗派によって墓石に刻まれる文字が違うことをこのとき初めて知った。


 下間ではなく堀田。そのことを頭に焼き付けながら墓石を見て回る。表面に『先祖代々』や『南無大師遍照金剛』しか刻まれてない場合、墓石の側面にも目をやった。大体のところそこには納骨された人の名前が彫ってある。墓誌のあるところは墓誌も見た。だけどついに堀田の二文字は見つからなかった。


 そもそもこの町で堀田という名字は珍しかった。小林、村上、それからシィちゃんの名字でもある滝沢が綿入の大半を占めている。この墓苑にもその三つの名字しか彫り込まれてなかったの。


 墓苑を一周して、私は途方に暮れた。間違いなくここにおじいちゃんのお墓があると思ってたんだ。墓苑からは道の終わりがよく見えた。小高い位置から遮蔽物なく鐘楼門まで見通せる。他にお墓らしい人工物は見当たらない。

 呆然としてため息をついた。


 今この状況はまるで祖母の意見と食い違ってた。彼女は「探せばすぐに見つかる」って言ってたし、嘘をつく理由もない。とするなら問題は私の方にあるわけだ。注意深く観察してたはずだけどどこかに見落としがあったらしい。


 こうなったらやることは一つ、ローラー作戦だ。ひとまず本堂まで引き返して、そこからしらみ潰しに探索しようと考えた。


 坂道は目の粗いモルタルで敷設されていて、下りよりも上ってゆくときのほうがごつごつとした感触が足裏に吸い付いた。道は大きく弧を描いてて、参道を覆う杉木立によって先のほうが目隠しされていた。そうしてようやく頂上付近までやってきたとき、さっきまで誰もいなかったはずの本堂の前に人の姿が見えたんだ。


 上下とも紺色の作務衣に頭にはフェイスタオルを巻いた男の人だった。場所といい身なりといい、どう考えてもお寺の関係者さんだ。


 私はなんとなく状況を見守った。しばらく彼がその場を動かないのなら、それっぽい態度でお墓の場所を尋ねに行こうと考えたし、もしも住居の方まで下がるなら駆けて捕まえる必要もあった。私がどう動くかは彼の出方次第だった。


 すると彼はこちらに振り向いて、私に気がつくと、おもむろに会釈した。それはちょっと予想外の反応だった。慌ててお辞儀を返すと、彼は会釈とおなじゆっくりした動きで私のもとへやってきた。


「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました」って彼はお互いの声が届く距離にまで近づくと、言った。

「お邪魔してます」って私はかしこまって返事する。

「いや、しかし、すぐにお会いできますとは」

「はい?」


 彼は次にこう言った。


「堀田瑚和さんでいらっしゃいますね?」

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