第十節(0310)
登山者用の駐車場にシィちゃんの自転車を停めたとき、辺りにはまるで人影はなかったし、他に自動車や自転車が停められていることもなかった。
太郎山は標高1,000メートル級、頂上までの道のりも4キロ弱の比較的挑みやすい山だ。途中にいくらかの難所があることから、手慣れた中級者に喜ばれ、行楽シーズンになると町の外からもいくらかの登山客が訪れる。でもこの夏の盛りには、みんな滴る汗で神聖を汚したくないとでもういように、この山には見向きもしなかった。あるいはイッタの両親のように、もっと標高の高い山へ涼を求めに出かけたのかもしれない。
入り口からあずま屋まではよく整備されている。均した地面にプラスチックの擬木を打ち込んで、階段状のコースが作られていた。崖の側面を通るけど、道幅は充分に確保されているから危険もない。ただ、不慣れな私はすぐに息を荒くした。
第一に階段の踏面がしっかり計測されてないんだよ。どれもちぐはぐの長さで、足の運びがめちゃくちゃだ。一歩足をかけて次の段差に届くところもあれば、二歩も三歩も必要なところがある。まったく一定のリズムでは進めないんだ。
そんな私を尻目に、イッタとシィちゃんは軽快に登山道を進んでいった。二人の身のこなしにはとても慣れたものがある。
「リッちゃん、ゆっくりでいいよ、目的地はすぐそこだから」ってシィちゃんはずいぶん離れた位置から私を励ました。
「無理すんなよ」ってイッタも彼女の隣から私を見下ろす。
私は声を出すことも億劫で、手を挙げるだけで合図した。
「階段になっていないところの方が楽かもしれないよ」ってシィちゃんは言った。崖ぶちだけはプラスチックの擬木が打ち込まれていなくって、滑り台のように細い斜面になっている。
「それと、真下だけ見て歩くんだ。重心をおろして」
「歩幅も小さく」
二人のアドバイスに従うと、不思議と距離が稼げた。息は上がりっぱなしだけれども足は自然と前に出る。一歩一歩着実に。
彼らのもとに着いた頃には額や首筋がじっくりと濡れていた。腰のフェイスタオルを抜き取って、一息入れる。二人は私とは対照的にとても涼やかだった。
「平気な顔してる」って私は言った。
「これくらいの距離」ってイッタは鼻で笑う。
彼が指さしたのに釣られて振り返ると、登山道の入り口はまだ目に見えるところにあった。多分、登り始めて五分も経ってない。
「田舎暮らしって強いんだ」って私はおどけてみせた。「あずま屋までは、あとどれくらい?」
「すぐだよ。あと半分」ってシィちゃんが答える。
和菓子屋さんで買った緑茶を飲みながら、あと半分か、って心の中でひとりごちた。やれやれこれは困ったね。
でも、残りの半分はそれほど苦しくはなかったの。ある地点から傾斜は急に緩やかになったし、肉体的な機能も運動に目覚め始めてきた。アドレナリンが血中に染み出す感じ。
石製の白い鳥居をくぐると、目の前にはあずま屋だ。雑草の茂る平坦な道の先に、元々は拝殿として機能したその建物がある。一般的な拝殿のように床が地面から離れ、入り口には小さな階段が設置されている。四方の壁は真ん中だけがすぱっとくり抜かれてて、まるで大きな角凧のようだった。
それはなにか、こんな山中には似つかわしくない物体のようにも感じられたけど、反対に、周囲の緑を取り込んで、変に馴染んでる神寂びた感もあった。
「わ」って私は思わず声をあげた。鳥居の柱に触れると、ざらっとした質感が表面に吸い付く。
「疲れも飛んだ?」
「かもね」って私は息を整えながら言った。
あずま屋の床には砂やほこりが積もってる。底板を踏むと、どの場所でも靴裏にじゃりっとした反応が返ってくる。建物の内側は大きな屋根のもと日陰に覆われて、風は山上からさらさらと吹いていた。ときおり抑揚をつけながらも決して止むことのない風だった。下界の煩わしい暑さとは、ここは完全に切り離された空間だ。
私はあずま屋の出口に向かって、まずはそこから山上を見上げた。あずま屋の近くには慰霊碑が建っていて、登山道を少し登ったところには例の功霊殿が見えている。かつてこのあずま屋が拝殿と呼ばれていたことを裏付けるように、お互いの位置は直線の上だった。
「昔はあそこに奉安殿があったの?」
「そう。らしい。俺も見てきたわけじゃないからね」
「リッちゃんとヒデくんってやっぱり似てるよね」ってシィちゃんは言った。「興味の対象がおんなじ」
「コオリのせいで、なんか言われてるぞ」ってイッタは笑った。
「私のせい?」
「いいからこっちに来いよ」ってイッタは壁のそばから手招きした。「俺が見せたかったのは、むしろこっちの方なんだから」
その一角だけは視界を遮るものが存在しなかった。壁の向こうが険しい崖になって、そこだけ木々が生えてなかったの。綿入がパノラマ的に見渡せた。
無人の駅舎、幼稚園、小学校、アンさんの喫茶店、大通りの町並み。今日訪れた場所があまねく見通せる。ここからは随分距離のある土手や滑空場や河川敷さえ眼下に広がっていた。
もっと遠く、ローゼ橋や千曲川、善光寺平に林立するコンクリートの針山だってそこにある。視界の最も深いところには、常に山々の壁が連なっていた。山の色合いはそれぞれ異なっている。手前の山ほど緑を濃くし、奥にゆくほど青みがかってるんだ。一番奥に見える山は純水のように透き通ってた。まるでバターナイフで切り分けたみたいに、そこには明確で段階的な色の違いがあった。
四方を山に囲まれて、この土地はゆりかごのようだった。人と太陽と木々と水。それらはこの大きな窪地の中にだけ存在が許されている。ううん、ここに住む人たちは、本当にこの箱庭だけが全世界なんだと信じて生きてきた。科学が地球は丸いと定義した後も。
麓近くの道を、荷台を空にした軽トラックが一台通る。彼は車とは思えない間延びした速度で、まっすぐに伸びる一本道をスライドしてた。どちらかというとその動きは、機械や生き物というよりも、ベルトコンベアに載せられた、空港のキャリーバッグを想像させる。さっきまで私たちがそこにいたなんて、まるで嘘のようだった。
「見え方が違う」って私は言った。
「それが第一声?」
「だって、本当に」
「感動の仕方は人それぞれだよ」ってシィちゃんは豊かにはにかむ。
「まあ、そう感じてくれてるならいいんだけど」
「うん。良い景色」って私はうっとりとした。
「俺やコオリの家は見えないけどね」
「それは大丈夫」って私は言った。
いや、むしろその方が楽だった。方角的にいえば生家は鳥居の奥にある。だからあずま屋から望むことは出来ないの。でも私は今朝イッタの家へ向かう途中にも生家の前を通らないようにしてきたし、帰郷旅行の大義名分も役割も、昨日のうちに清算しておいた。残りの作業はトモ兄たちの分担だ。
一度けりがついたことに、私はあんまり執着しない。あくまでも生家のことは暗闇で行われている何かということにしておきたかった。特にこの出会いの最中にはね。
「ねえ、じゃあ、シィちゃんちなら見えるかな?」って私は二人の視線をそらすように言った。
「あの辺り」ってシィちゃんは遠くの方を指さす。小学校よりかなり深くに入ったところで、祖母の家とはそれほど離れていなかった。そこには無数の民家が密集してる。
「どれがシィちゃんち?」
「探すのは難しいかも」ってシィちゃんは首を傾げた。
「いや、一番でかい家を探せばい。多分あの家だ」
「どれ?」
「ほら、あれ。屋根の広さで見分けてみなよ」ってイッタは指の先で突っつくようにして言った。
多分イッタの見当は正しかった。一番広い屋根と一番大きな庭。それがシィちゃんち。でもシィちゃんはなぜか恥ずかしがっていた。
あずま屋の縁に腰かけて、私たちはいっときそこからの展望を楽しんだ。楽しみながら、会話はどんどん別の方向にシフトしていった。抜け殻の路地や滑空場のことやアンさんの喫茶店のこと。今日という日が早くも思い出になりつつある。
「でも驚いたよ、二人とも本当に登るの早いんだから」、話題がゴマ山に触れたとき、私は二人に向かってそう言った。
「コオリの体力がないだけじゃないの?」ってイッタは皮肉に笑ってみせる。
「体力の違いもそうだけど、なんだか慣れてる感じがした。普段から山登りとかしてるの?」
「まさか。そんな趣味は親父たちだけで充分だよ」
「ああ、そう考えると奇遇だね。同じ時間に親子で別々の山に登ってる」
イッタはなんにも答えずただ苦笑した。
「でも、慣れてるっていうのは、そのとおりだと思う」って逆の方向からシィちゃんが言う。二人は私を間に挟んで座ってた。
「つまりシィちゃんは登山が趣味?」
「ううん、そうじゃなくって」って彼女は微笑む。「小学生のときに、毎朝の日課だったの。学校に着いたら朝礼が始まるまでに、功霊殿まで登らなきゃいけなかったんだ。休みの日を除いて、毎日の義務だった」
「そんな取り決めあったっけ?」
「いや、コオリは知らないよ。五年生の秋頃に始まったことだから」
「五年生の秋頃」って私は言った。「あれ、それって放流行事の……」
「やっぱり変なところで勘がいい」ってイッタは笑う。
「放流行事を取りやめた後で、新しく義務付けられたことなんだ」ってそのことについてはシィちゃんが代わりに答えた。
「それって、つまり、えっと、誰だっけ」って私はその名前を思い出せずに彷徨った。
「跡部」ってイッタが端的に答える。
「そうそう。その跡部先生とやらが決めたことなんだ?」
「放流行事の廃止を盾にしてな」
「でも、廃止を提案したのは跡部先生とやらでしょ?」って私は一拍置いてから言った。
「元々そういう腹づもりだったんだろ。何か新しいことを始める代わりに、古い何かを除外する。多分、跡部はそうやって、自分の功績を残したかったんだ」
「そうなの?」って私はシィちゃんに意見を求めた。
「わからないけど、私たちが六年生になった頃には、ひとつ下の学年の子たちも参加するようになってた。それに、妹のナツの時代も早朝登山が続けられてたみたい」
「今も続いてるよ。朝早くにランドセルの集団を見かけるからね」
「朝早く?」って私は疑いの目でイッタを見た。
「普段は朝早いの。高校が遠いからな」ってイッタはその眼差しを理解して言った。「ともかく、跡部の作った早朝登山は今も続いてる。俺は気に食わないけどね」
「だけどその跡部先生とやらって、もう綿入にはいないんじゃなかったっけ。たしか二人が卒業したのと同時に他の学校に転任して行ったって」
「だから気に食わないんだよ。跡部がいなくなってからも跡部の功績だけが残ってる」
「私はそんなに悪いことではないと思うけど」ってシィちゃんは言った。「最初は他の先生たちも難色を示してたけど、徐々にみんな協力的になっていったの。私たちが卒業する頃には、ちゃんとした行事として取り組まれてた。下の道が車道になってるでしょ、そこに朝早く先生たちが立って、横断旗を振ってくれるようになったんだ」
「まあ、体力づくりにもなりそうだもんね」って私はどっちつかずに答えた。
「子どもが朝早く起きるようになるから、PTAの受けもよかったみたい。朝ごはんも毎日食べるようになったって」
「朝ごはん」
「ちょうどその頃、朝食と学力の関係性が話題になってたんだ。毎日朝食を食べる子どもほど成績が高いっていう、胡散臭いデータ」
その言いぐさに偏向性を感じて、私はイッタをじっと見た。
「気の向いたときにしか食わないよ、俺は」って彼は言った。「でも事実がどうであれ跡部の勝ちだったね。時流と上手く噛み合ってた」
「今も続いてるなら、時流だけじゃないんじゃない?」
「かもしれない。あるいは純粋に正しい事柄だった」
「それなら私もシィちゃんに賛成だな。良いことは良いって捉えるべきだよ」
「悪意から始まったとしても?」って彼は間を置かずに言った。
「悪意は大げさだと思う」って私は苦笑いする。
「だけど跡部に高尚な理念があったとはとても思えない。その点はシズカも同意できるはずだけど」
私はシィちゃんに振り向いた。彼女は遠慮がちにうなずく。
「悪意って表現が不適切なら、思いつきってことでもいいよ。とにかく跡部の考えとしては、何か自分の功績を残したいっていうことだけなんだ。跡部の情熱は常にその点にだけ注がれていた」
「いや、だからさ、結果的にそれが良い形になったなら、それでいいんじゃない?」
「結果が良ければ動機は気にしない?」
「改めてそう言われると、よくわかんないけど。でも、取り組み自体は良いことだったと思う。早朝登山の成果は今も二人の身についてるみたいだし」
「そうだな。結果自体は良いことだった。それは俺も認めておくよ」って彼は言った。「だけどそれは独り歩きした結果だ。縁起のいい副産物が勝手に取りついて、みんながそれを拝むようになっただけ。早朝登山っていう文化の起こりには誰もそんなことを予測していなかった。ただ一人の人間の虚栄心がそこにあっただけなんだ」
「文化か」って私は言った。高々十年に満たない取り組みに文化という呼び名をつけるのは、これもちょっと大げさじゃないかと感じた。でも仮にそうすることにしておいた。「イッタは他の文化にもそういう悪意があるって考えてるの?」
「全部が全部じゃないけどね」って彼は彼なりの表現で首肯した。「そしてその傾向は、最近起こった文化の方が高いと思う」
「例えば?」
「それはコオリが自由に考えてくれ」って彼は言った。「俺は別に、具体的な名前を挙げて批判したいわけじゃないんだから。俺がしたいのは、利己的な目的で起こった文化を文化として認めていいかの是非についてだよ」
「だけど文化として根付いたなら、万人が望んだことなんだから」
「そうともいえない。一部の崇拝者がいれば、文化は簡単に根付くよ」
「そうかな」
「コオリの好きな小説で考えてみるといい。本の世界って百万冊売れれば大ヒットだろ。ミリオンセラー。メディアでだって大きく取り上げられる。だけどこの日本に何人の読書家が住んでるんだ? あらっぽく計算したって一千万人は下らないと思う。気の向いたときにだけ読むって奴も含めればね。そうしてみるとミリオンセラーって十人に一人の割合だ。もしも日本人口に換算すると百人に一人だよ。もちろんその中には赤ん坊とかも含まれるから、それだって大雑把な計算だけどさ。でもそれにしたって極端に少ない割合だと思わないか。百人に一人なんて、見つける方が難しい」
「それに、本を手にした人の中にも、否定的な意見はあるわけだ」って私は個人的な経験からそう言った。私たちはシィちゃんを置き去りにして会話に熱を帯びさせ始めてた。
「そう。本の売上にサイレントマジョリティの意見は反映されない。同じことが文化というものにだって当てはまると思わない?」
「全体から見れば少数の人たちの支持だけで文化は成り立つ」って私は咀嚼するように言う。「でもそれは悪意と関係のあることなのかな」
「関係があるかもしれないし、ないかもしれない。いや、つまり、ケース・バイ・ケースだよ。でも仮に関係があった場合、俺たちはその文化に踊らされてることになる」
「イッタも早朝登山に踊らされてたの?」
「俺は適当に上手くやってたよ」って彼は言った。「でも繰り返すようだけど早朝登山はたまたまなんだ。たまたま悪意と純粋な価値が噛み合っていた。純粋な価値っていうのは、つまり、俺たちをより良い方向に導こうとする力のことだ」
「だけど最近の文化にはそういう価値が含まれていないものもある」
「そしてそれは極少数の支持によって、さも高尚であるかのような文化に見立てられる」
「なるほど。それで時として私たちは、その価値のない文化に踊らされることになる。イッタはそう言いたいわけだ」
「そう。だから出発点が悪意である文化は危険なんだ。いや、少なくとも俺はそう考えている。たまたま上手く行ったから良いってものじゃないんだよ」
「むしろそういう成功がイデオロギーのない第二第三の文化を生み出してしまうんだね?」って私は言った。でも別に彼の意見に賛同したわけじゃない。相手の考え方を飲み下そうとしただけだ。私はこう続けた。「そこには自浄作用のようなものはないのかな」
「誰によって行われる自浄作用?」って彼は言った。
「文化に踊らされた人たち。あるいは少数の支持者の中から起こることとして」って私は言った。「文化の源流にいる人たちが浄化してくれれば一番だろうけど、それは現実的にも難しいだろうし、イッタの論じたい方向性とも違うと思うから」
「ああ」って彼は笑った。「そういう自浄作用も無くはないと思うよ。だけど決して大きな力にはならない。なぜなら犠牲者は常に心地の良い物事に寄り添うからね。彼らを救おうとする自浄作用は、その動きが起こったときには既に、彼らにとって耳障りなものにしかなっていないんだ」
「犠牲者?」
「踊らされた人たち」って彼は言った。「いつかみんな馬鹿になる」
「ごめんね、ちょっとイッタの考え方がわからない。イッタはそうやって踊らされた人たちのことをどう考えてるの?」
「そうだな」って彼は言った。「大半の人間は愚かだよ。俺も含めてね。だけど愚かなことは罪にはならない。いや、少なくとも俺はそう考えている。罪があるのはそういう愚かさを利用する側にある」
「愚かな人たちは愚かなままでも問題にならない?」って私は言った。「だけどその愚かさのせいで簡単に踊らされてしまうんじゃないのかな」
「いや、二人を非難したいわけじゃなく」って私は付け加えた。
「もう俺たちのことからは話が離れてるよ」って彼は冷ややかに笑って言った。「コオリの言い分も正しいさ。その文化が善か悪かは俺たちが考えればいい。だけどその判断って想像しているよりもずっと難しいからね。ある程度触れてみなければ誰にもわからないし、触れる以上は多くの時間を要してしまう。それに、そういう判断力は、どこで身につければいいのかな。もし身につけようと踏み入った場所まで悪意に染められていたなら、その人間は自ら立ち上がる術まで無自覚のあいだに奪われていることになる。それを何回か繰り返せば、ほら、愚かな人間の完成だよ」
「愚かなことは罪じゃない」って私は彼の考えを再確認するように言った。
「間違ってるのは利己的な考えを持つ方だ」って彼はうなずく。「それに根本を是正する方が効率的だからね」
「でも、そんなこと可能かな。誰にだって下心はあるし、そういう人たちの感情だって、いってみれば表現の自由の一部だよ。法律でだって認められてる」
「だな。誰にも止めることはできない」
「イッタはわかっててそういうことを言っている」
「そうだよ。自由主義の上では何をやっても自由さ。だから気に食わないって言ってるんじゃないか。方向性として間違ってるってわかってても、誰にもそれを止める権利がないんだからね」
「警鐘を鳴らすことはできると思うよ」
「無理だよ。その警鐘ってのは言い換えれば自浄作用のことなんだから。熱中してる間は誰も周りの音なんか聞いてない。ふと冷静になって初めて過ちに気付くんだ」って彼は言った。「結局自分のことは自分で知るしかない」
「そしてイッタは、自分で知る力さえもそういう人たちからは奪われてるって考えている。利己的な意思によって」
「コオリって意外と話せるんだな」って彼は笑い、うなずいた。「だからこそ文化の始まりを悪意で染めておいてほしくないんだ。そういうのって弱者を痛めつける道具にしかならないから」
コオリって意外と、って彼は言った。でも意外に感じたのは私の方だ。私はこのときまでイッタを徹底した現実主義者と思ってた。全ての物事を受け入れて打算的に生きて行くような人。でもそうではなかった。ううん、それだけではなかったの。彼にも彼なりの信念が備わっていた。
そして、彼のこうした主張は、考えてみると小学生時代の苦痛から生じたものだった。放流行事廃止の議論で煮え湯を飲まされた、その苦痛。跡部先生とやらの悪意によって打ちのめされた弱者当人の叫び声だった。愚かな人という暗喩は彼自身を含めた当時のクラスメイトのことを指している。
イッタが語り終えた後、私たちのもとに句読点の沈黙が訪れた。議会の閉廷を告げる穏やかな沈黙だ。風がさわりとそよいでる。
「もう、会話に参加しても大丈夫かな?」ってその沈黙を柔らかく切り裂いてシィちゃんは言った。
私は慌ててシィちゃんに振り返る。でもシィちゃんは拗ねた様子もなく、薄らいだ微笑みで私たちを見やってた。まるで我が子を愛でる母親のような表情だ。
「シィちゃんごめんね」ってそれでも私はとっさに言った。「二人だけで入り込んじゃってた」
「ううん、ヒデくんも楽しそうだったから」って彼女はたおやかに首を振る。「そういう話ができる相手って、中々いないもん」
「ねえ、でもね、悪い文化ばかりじゃないんだよ」って彼女は続ける。
「え?」って私は言った。
シィちゃんは体の向きを変え、あずま屋の中に降り立った。そして私にもそうするように腕を差し伸ばす。私は彼女の手を取った。
「どうかしたの?」
「どの場所でもいいから、壁を探してみて」ってシィちゃんは隣に立つ私の耳元に囁いた。
「壁?」
「リッちゃんなら気に入ると思う」
私は初めそれがなんのことかわからなかった。言われたとおりにあずま屋の壁に近づいてみても、そこにはのっぺりと暗い日陰の濃さがあるばかりだった。それというのも私はずっと床から伸びる足元の壁ばかりを見ていたからだ。落ち着いた木目の色が日陰と同化している。けれども天井から垂れ下がる白漆喰の壁を見上げたときに、シィちゃんの指す正体に気がついた。そこには一つの物語が記されていた。
一旦気がつくと、壁のどの部分からも物語が見つかった。白漆喰の壁はもちろん、床に近い木目の部分にも、そして柱の部分にも。あずま屋の内側は無数の物語に埋め尽くされていた。
そこにある物語というのは子どもたちの情熱だった。思春期の感情が最も高まった瞬間を吸い上げた、澄んだ色の結晶たちだ。別れや、出会いや、旅立ち、ときには想いを失ったときや固い抱擁のときにもそれは表れる。その瞬間の純然さを、彼らは一つのメッセージに載せて、ここに残してた。
黒い油性マジックで書かれたそれらが、あずま屋の壁という壁を埋め尽くしてる。大きく堂々としたものもあるし遠慮がちに隅っこに小さく書き記されているものもある。筆跡も筆圧もまるでばらばらだ。でも形式については一つの決まりがあるようだった。どの結晶にも、メッセージの横に日付と連署が添えられてるの。物語が書かれたであろう日にちと、その物語に携わったであろう子どもたちの名前。もちろん日付と署名も全部ばらばらだった。物語の内容だって、一つとして同じものがない。そしてそれらは、この薄暗いあずま屋の中に、誰の目に留められることも期待せずひっそりと蔵書されていた。まるでバーネットの『秘密の花園』のような図書館だ。私は映画でしか見たことがないけれど。
「ねえ、これって?」って私は口元のほころびを隠せないままシィちゃんに振り向いた。
「そういう文化だよ」ってシィちゃんはちょっと気取って言った。
「みんな思い思いに書いてるの?」
「うん。好きなときにここに書きにくるの」
「特別な取り決めはないよ」ってイッタは好意的な口調で言った。「ただ前のやつに倣って、おんなじ形式にしているだけさ」
「前のやつ」って私は言った。
日付を頼りにして、その前のやつの原点を探ってみた。元号と西暦の表記が入り混じってややこしいけれど、大体のところは見当がつく。壁の一枚一枚、柱の一本一本を丁寧に精査した。
最も新しいメッセージはすぐに見つかった。この夏より五ヶ月前の、今年の春先に書かれたものだ。そして最も古いであろうメッセージはあずま屋の中を一周半したときに見つかった。功霊殿に近い側の白漆喰の壁に、大きいとも小さいともいえない平凡なサイズで残されている。昭和表記で、この夏より四十年も前だった。
『月が変わったら皆と会えなくなるね。ずっと親友でいてほしい』
名前は三つ、付記されている。日付は六月。卒業シーズンでもない適当な時期に書かれたものだ。きっと書き手は私とおんなじように、この町を出ていかなければならなくなった女の子だ。名前にも筆跡にも柔らかい印象がある。
そこには理念も信念も存在しなかった。あるのは悲痛な感情の発露という、多くの子どもたちを純粋さに導くイデオロギーだけだった。悪意も虚栄心も存在しない。もちろん、文化を強要していることもない。
だけどみんなが勝手に追従していった。多くのメッセージは彼女に共感し、その澄んだイデオロギーに賛同しているようだった。
だからこそこのあずま屋は、落書きに埋め尽くされているにも関わらず、美しさを保ってた。暴言や汚らわしい言葉はどこにも残されてない。綿入を離れることになった悲劇の少女にみんなが敬意を払ってた。おそらくは無意識に。だからどれだけ落書きで埋め尽くされていようとも、治安の悪い公衆トイレのそれなんかとは、全然わけが違ってた。
「ねえ、リッちゃん、実はヒデくんの名前もあるんだよ」
「イッタの?」って私は言った。「あれ、でも、なかったよ?」
「案外見えないところに転がってるかもね」ってイッタはちょっと冷めた様子で言った。多分、照れ隠しだ。
「転がってる?」って私は言い、足元に視線を落とした。
「そっちじゃない」ってイッタは笑う。「言葉の綾だよ」
「でも、見落としたところなんてあったかな」
イッタは何も答えずに肩をすくめ、シィちゃんも状況を楽しんで黙ってた。
だけど壁や柱のメッセージは充分に精査した。そして床にもない。だとすると残されているのはあと一ヶ所だ。私はおもむろに天井を仰ぎ見た。
そこには羽目板を丸々一枚使った、特大サイズのメッセージが残されていた。
十年後もまたここで
変わらない気持ちの証に!
H○○ 3.4
村上 雪隆
小林 直
由利 一汰
新発田 滉希
由利一汰。「ほんとだ、イッタの名前」って私は声を上げた。
「シンプルでいいよね」ってシィちゃんは言う。「十年後もまたここで」
「言っておくけど考えたのは俺じゃないからな」
「だとしても、イッタもこういうことするんだね」
「コオリは一体俺をなんだと思ってるの?」
「皮肉なピエロ」って私は言った。彼は呆れたように肩をすくめる。
仮に考えたのは俺じゃないとしても、イッタもこの図書館にしっかり名義を貸していたわけだ。そうやって彼らは数世代に渡り綿々と、本来なら拝殿と呼ばれる神聖な場所に、落書きを残し続けてきた。そして、いつかその好き勝手に行われる儀式に文化という名前がつけられた。けれどもそうした落書きが新たに加えられるそのたびごとに、このあずま屋は神聖さとは別種の清浄さを宿していった。
「ねえ、シィちゃんの名前は?」
「私のはないよ」ってシィちゃんは言った。
「そうなんだ。どうして?」
「誰もが書きにくるわけじゃないからね」ってイッタは答えにくそうにしているシィちゃんに代わって言った。「綿入の中でもほんの一部の連中だよ。一部の頭のおかしい連中だけあずま屋に傷をつけにくる」
「イッタもその一人なのに」
「じゃなかったらこんな言い回しできないだろ?」ってイッタは皮肉に笑う。「わざわざ油性ペン片手にゴマ山まで登るんだ。現場を押さえられたら何かしら注意されるだろうことも織り込み済みでな。もっと簡単に、ノートの隅や教室のどこかにでも残しておけばいいものを、手間と反社会性を惜しまずに書きにくるんだもん、よっぽどの連中じゃないとそんなことしないって」
「でも、よっぽどの連中は少なくないみたい」って私はあずま屋を見渡して言った。
二人は満足そうに微笑した。子どもたちなりの、これが信仰心の表現なんだ。
私はもう一度あずま屋の四方をつぶさに見て回った。さっきよりも丁寧に、注意深く。そこに宿された想いを余さず拾い上げてゆくように。
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