第九節(0309)
食事が終わってからも私たちの会話は続いてた。時間はまだ一時半、外には逃げ水が沸き立っている。空調のきいた店内は快適だった。
ふとした会話の切れ目にシィちゃんは壁に目をやって、そこに貼られてあるポスターに視線を止めた。
「花蕊祭」って彼女は言った。駅舎の中で見た例の告知用のポスターが、アンさんの喫茶店にも貼られてあったんだ。
「駅にもあったね」って私は言った。「シンプルでいいデザインだよね」
「毎年おんなじデザインだけどな。何年か前のやつを、ずっと使いまわしだよ」
「そうなんだ?」って私は言った。ポスターには一輪の菊型花火が打ち上がってる。
「リッちゃんは、いつまでこっちにいられるの?」
「私? 今日までだよ」って私は言った。「明日の午前中にはもう綿入を発っちゃってる。家に着くのは多分、夕方だろうけど」
「そうなんだ」ってシィちゃんは残念そうに言う。
ああ、シィちゃんは花蕊祭に誘おうとしてくれたんだなと、私はこのとき気付く。
「初めから決まってたことだからね」ってイッタも同じタイミングで気付いたようだった。彼はシィちゃんを慰めるように言う。
「できれば一緒に行きたかったな」
「仕方ないさ。今日のことだって本来ならコオリの予定になかったことなんだから。現状に満足しないと」
「そうだけど、それでも一緒に行きたかった」
「無理なことは諦めないと」って彼は言った。
「ヒデくんってたまに残酷だよ」ってシィちゃんは寂しそうに言う。
「だけど、現実問題、どうしようもないだろ?」って彼は続けた。
シィちゃんはそれには答えなかった。私もなんにも言葉にしない。テーブルの向こうから、シィちゃんのちょっと拗ねた表情に見とれてた。
「本当に残念」ってシィちゃんはつぶやいた。
「お祭りはいつだっけ?」って私は何か気を紛らそうとして言った。
「三日後」ってイッタは端的に答える。
「難しいね」って私は肩をすくめた。「もしよかったら、来年連れて行ってよ。それならなんとか調整できるかも」
シィちゃんはあっさりとそれがリップサービスであることを見抜いたようだった。彼女は力なく微笑んで、うん、ってうなずいた。それから彼女は目の前のワンプレートの空き容器を両手で無意味に5センチ横へスライドさせながら、
「でも、一緒に行ける気がしたんだけどな」って言った。
私とイッタは無言で目を見合わせた。シィちゃんの口ぶりや仕草に、予言めいた奇妙な何かを感じたからだ。
アンさんがやってきて空いた皿が下げられた。代わりに食後のサービスドリンクが運ばれる。
「紅茶とコーヒー、どちらにします?」ってアンさんはそのとき訊いた。
なさいます、ではなく、します、というのが気取らない彼女の上品さだ。私たちは一様にアイスティーをお願いした。
「取り敢えず、このあとどうしようか」ってイッタはアイスティーにミルクとスティックシュガーを溶かしながら言った。
「プランは練ってあるんだよね?」って私は言った。
「少しだけね」って彼は目に見えない角砂糖を摘んで言った。
「それなら、そのとおりに動けばいいんじゃない?」ってシィちゃんが言う。
「でも34度だぜ、干上がっちまうよ」
「見直しが必要だ」
「そう。できればもう少しこの店で涼んで、だけどあと一ヶ所くらいはどこかに案内しておきたい」
「見当はついてるの?」ってシィちゃんは言った。
「時間が許すなら、ゴマ山なんてどうかなと思ってる」
「ゴマ山?」
「ゴマ山か。うん、それならいいかもね」ってシィちゃんは答えた。「あずま屋までだよね?」
「そうそう。見晴らしもいいからね」
「山に登るの?」って私は言った。
「いや、登るっていっても、ほんのちょっとだよ」ってイッタは手を振りながら答える。「コオリは今日、何時まで大丈夫なの?」
「えっと、六時くらいまで。夕ご飯の手伝いをすることになってるから、それまでにはおばあちゃんちに帰ってないと」
「じゃあ余裕を持って五時半ってところか」そう言って彼は携帯端末を開いた。アンさんの喫茶店には時計が設置されていなかった。「あと一時間くらいはゆっくりしてもいいかもね」
その行動はまるで誘導灯のように、私とシィちゃんにもめいめい携帯端末を開かせた。液晶画面はまだぎりぎり一時台を示してる。
「ついでに連絡先交換しておけば?」って彼は言った。
イッタの場合どこまでが計算でどこからがひらめきなのかよくわからない。でもその提案は、時といい場所といい、ちょうどよかった。昨日彼の部屋でやったのとおんなじように、赤外線通信が私とシィちゃんの距離を縮める。
「ねえ、ところで、そのゴマ山って?」って私は携帯端末をポケットにしまいながら訊いた。
「ゴマ山はゴマ山だよ。コオリだって知ってるだろ?」
「知らないから訊いてる」
「あれ?」ってイッタは首を傾げた。
このゴマ山というのは例のトレッキングコースのことだった。祖母の家から生家へ向かう途中、ちょうど通学路との分岐点に入り口を覗かせる、あの登山道のことだ。つまり真横に駐車場兼雪ぞり用の丘があって、そのまた隣には真新しい墓苑が広がっている、あの登山道。
正式にはこの山は太郎山といい、菅平高原から連なる山脈の一部をなしている。入り口の看板にも『太郎山トレッキングコース』ってはっきり明記されている。それを地元の人がゴマ山と呼ぶのには、明治維新後の世の中の動きが関係してた。
1873年に奈良県庁が市民への公示目的に天皇の肖像写真を宮内省へ請願したところ、それを皮切りに、各地の教育現場でも同様の請願をするムーブメントが起こったの。宮内省から下賜された天皇の肖像写真(御真影)には教育勅語も同封されていて、各教育機関はこれを学校施設内に用意した奉安殿に祀り、厳重に保管した。ところが1898年に長野県の高等小学校で起こった火災では、奉安殿とともに御真影ならびに教育勅語が焼失し、責任を負った学校長が割腹自殺するという事態にまで発展した。この事件を受けて各教育機関では、既存施設とは別の安全な場所に奉安殿を移設することが検討された。ご多分に漏れずこの町でもそうだった。
検討の末に綿入では太郎山への移設が決定された。綿入の人たちは昔から太郎山への信仰が厚く、高所であれば洪水による被害もないことから、最も適した場所だと考えられた。奉安殿は無事に移設され、御真影と教育勅語もそこに納められた。つまりゴマ山というのは、天皇の御真影が祀られている山という意味なんだ。御真影の御真をゴマと読んでいる。
そして奉安殿より少し下ったところには、シィちゃんがあずま屋と呼んだ拝殿も建てられた。戦後教育で各地の御真影は回収もしくは焼却処分が命じられ、この土地の奉安殿も取り壊しになったけど、現在その跡地には日清・日露の英霊を祀る功霊殿が建てられている。拝殿もそうしてあずま屋と呼ばれ名を変えた。
「功霊殿と拝殿のあいだには、戦没者の名前を刻んだ慰霊碑も建ってる。それにあずま屋の手前には鳥居だってある」
「やけに詳しいね。それって調べたの?」
「中学のときに郷土教育ってやらされなかった? 俺はそれでゴマ山をテーマにしたんだよ。ゴマ山って名前が謎すぎたから」
「ああ、郷土教育か。あったかな」って私は首をひねった。
「ヒデくんはその研究で県知事賞も貰ったんだよ」
「厳密には県知事から褒賞されたってだけだけどね」ってイッタはへりくだるように言う。「だって地元の人間はゴマ山って呼んでるのに、国土地理院の地図には一切その名前が載ってないんだぜ。ちょっとしたミステリーじゃん」
「それで調べてみたら、御真影にまで行き着いた」
「そう。だけど、なんでコオリまでゴマ山って名前を知らないんだ?」
「そんなこと私に言われても」って私は苦笑交じりに言った。「誰かに聞かされる前に、綿入を離れたからじゃない?」
「大方、聞かされたけど覚えてないってことだと思うけどね、俺は」
ストローの先からイッタに息を吹きかけた。彼は愉快そうに笑ってる。
「だとしても、私たちはそのゴマ山になにしに行くの?」って私は何事もなかったように後を続けた。「ゴマ山研究の継続調査?」
「まさか。単なる遊びだよ。あずま屋まで行けば暑さもしのげるし、それに見晴らしもいい」
「ああ、さっきも見晴らしがいいって言ってたね」
「あずま屋からだったら、綿入が一望できるんだ。コオリだって、せっかく綿入に帰ってきたんだから、一度はそういう景色も焼き付けておきたいだろ?」
「なるほどね」って私は言った。「面白そうだね。異存はないよ」
食後のドリンクサービスで私たちはまるまる三十分粘った。ランチタイムのお客さんは随分前に引き、アンさんはカウンター席の常連客と親しげに話してた。メッセージ性のない環境映像のように静かに回り続けるシーリングファンと高質な木材の香り。スムースジャズに混ざる輸送トラックのタイヤ音。ここは時間の流れが曖昧で、いつまでもいたいと思う心地よさがあったけど、なんとなくいよいよという気配が流れ出していた。
「またいらしてね」
アンさんが独特の透き通ってそのまま消えがかりそうな笑顔で送り出してくれたとき、時間は二時半を回ったばかりだった。予定の一時間には満たず、外は炎天の盛りにあった。
店の外から改めて喫茶店の構えに目をやると、エントランスドアの窓にはホワイトパウダーの文字で『Lotophagoi』と書かれてあった。その下には『since 1996』って付記されている。
「お店の名前?」って私は窓を指しながら言った。「なんて読むんだろう」
「多分そうだと思う」ってシィちゃんは店名についてだけ答えた。
「多分?」
「製材所のカフェで通じちゃうから、名前まで気にしたこと、なかった」
「俺もなんて読むか知らない」ってイッタも肩をすくめた。
それは彼にとってゴマ山のようなミステリーたり得ないらしい。そして私にとってはミステリーだった。
Lotophagoi(ロートパゴイ)はギリシャ神話に登場する伝説上の民族を指す言葉だった。彼らはロートスという植物の実や花を主食にし、だから『ロートス食い』を意味するその名前で呼ばれてる。トロイア戦争で活躍したオデュッセウスは凱旋中の航路で嵐に遭遇し、部下ともども彼らの地に立ち寄る。ところがいざ旅路を再開する段になると、オデュッセウスの部下たちはロートパゴイの地から離れることを嫌がった。彼らはロートスの味に魅了され、この地に永住すると決めたんだ。オデュッセウスは力づくで部下を船に載せ、まだ実を味わっていない部下たちがロートスに手を付けないうちに船を出航させた。
ロートパゴイが文献に現れるのはこの一節だけで、彼らの実態は多くの謎に包まれている。ただ漂着したオデュッセウスたちを迎え入れてやったことからも、温厚で平和的な民族だったことは間違いないみたい。
ロートスの実についても様々な解釈がされている。味はデーツ(ナツメヤシの実)に似ているといわれ、概ね甘かったらしい。食べると酔ったような気分になるだとか良い気分になるともいわれ、麻薬性を含有する食物だったんじゃないかとも疑われてる。
一説には水中植物だったともいわれているけれど、これはロートス(Lotus)の綴りが蓮や睡蓮(Lotus)と同じだったことから生じた誤謬だという見方が強いのね。早生のロートスは緑色で、熟するほど黄色く、最後には真っ赤に変色し、このときが最も甘みの出る時期らしい。でも、それが実在したかどうかについてはなにもわかっていないんだ。多くの研究家はロートスが空想上の植物だったと結論づけている。
アンさんは何かのきっかけでこのロートパゴイの伝説を知り、喫茶店の名前に相応しいと感じて店名にあしらった。もしくは以前からギリシャ神話に精通していて、もし綿入でお店を開くことがあったらその名前をつけようと決めていたかのどちらかだ。
だってレンコン栽培で有名な綿入で『Lotophagoi』なんて店名は、あまりに出来すぎている。きっと豊かな教養からくる高度な洒落だ。
「気になるなら戻って聞いてみる?」ってイッタは真剣にとも皮肉にともつかない様子で言った。
「ううん、それより早く駅に行こう」って私は首を振る。
アンさんのお店から駅までは徒歩で一分ほどだった。ゴマ山へ向かう前にシィちゃんの自転車を回収してしまおうと話がついてたの。
駅につくとシィちゃんは小走りに自転車置場へ駆け寄った。私たちはその後ろからとぼとぼとついてった。
「良いやつだろ?」ってイッタはそのとき耳元で囁いた。
「そうだね」って私は同意した。「一分の隙もない女の子」
「女はそういう女のことを嫌うっていうけれど」
「そこまで含めて一分の隙もないんだよ」って私は笑った。オデュッセウスの部下のように、私もシィちゃんというロートスに魅了されていた。
私たちが駅舎の前に着いたとき、シィちゃんは自転車の鍵を外し終え、ヘッドの向きを切り替えようとしているとこだった。私たちはそれを少し離れた位置から見守っていた。
駅舎には相変わらず人気がなかった。戸のない入り口から見える中の様子は、午前中に来たときとなんにも変わってない。窓からさす光の角度がほんの少し違っているだけだ。
ふと私は花蕊祭のポスターのことが気になった。でもそれは待合室の入口側の壁に貼られてあって、外からでは確認することができない。それに興味といってもアンさんの喫茶店に貼られてあったものと同じかどうかを確かめたかったというだけで、だからそのまま捨て置いた。
「おまたせ」ってシィちゃんは自転車を引きながら言った。
「ああ。行こうか」ってイッタは表の道まで引き返す。
それから少し進んだところで、シィちゃんは一つの提案を持ちかけた。
「ねえ、まだ時間大丈夫だよね?」って彼女は言った。
イッタは携帯端末を開きながら、「だいぶね」ってうなずいた。「どうかした?」
「ちょっと寄り道してもいいかな。スイーツ食べそこねちゃった」
「スイーツ? コンビニにでも寄る?」
「ううん、大通りの外れの和菓子屋さん」ってシィちゃんは言う。
「和菓子屋?」ってイッタは眉をひそめた。「それがスイーツなの?」
「いつも良くしてもらってるお店だから。それにこの町の名物もあるでしょ」
「確かにこの辺りじゃ少しは名前が知れてるらしいけど」
「へえ、そんなお店があるんだ?」って私は言った。イッタはそんな私を興味深げな目で見つめた。
「なるほど。コオリを案内したいわけね」
「うん」ってシィちゃんは微笑んだ。「ゴマ山まで持っていって、おやつにしたら良いと思う」
イッタは少し考えてからうなずいた。
「それなら、ついでに大通りを歩いて行こうか」
道は幼稚園の十字路に差しかかる。踏切を越えて左にゆけば小学校への道に乗り、右に曲がれば町一番の大通りだ。十字路と大通りのあいだには民家や公民館の建つ、小さな路地がある。公民館の壁には例の花蕊祭のポスターが貼られてあった。私たちの頭上では祭提灯がずっと列を作ってる。
大通りにはコンクリート製の建物が多かった。いくつもの商店がこの道沿いにいらかを並べてる。町一番の大通りというのも実際のところそういう意味なんだ。旧北国街道である403号線の道幅は、どこをとってもそれほど広くなく、普通乗用車がすれ違ったらそれで精一杯だった。相手が輸送トラックの場合は路肩に幅寄せをする。歩道だって一列にならなければ進めない。それでも多くの商店が店を構えていることから、ここは綿入の中心地であり町一番の大通りと認識されていた。少し駅の方へ戻ればアンさんの喫茶店に着き、逆方向に進めばシィちゃんが案内したいといった和菓子屋さんに着く。
町民の生活を支える信用金庫やコンビニエンスストアやガソリンスタンドもほとんどこの大通りに集中してる。床屋や靴屋、駄菓子屋といった個人商店もそうだし、一部には学習塾や宅地相談所として開放してる民家もあった。この時代にはまだ彼らも細々と経営を維持してて、寂れた町並みとはいってもそこそこ活気づいていた。
コンビニの表には子どもたちの姿があった。背格好からして中学生のグループだ。片手にうちわと、もう一方の手にはアイスバーが握られている。夏を謳歌しようと飛び出してきたまではいいけれど、34度という猛暑に行き場を失っているようだった。庇の陰に涼を求めてる。
「俺たちも早くしないとああなるぜ」ってイッタは燃える太陽の光を浴びながら言った。
「今日は特別暑いね。34度だっけ」ってシィちゃんは列の最後尾から言った。たまに電柱のせり出したところがあると、それだけで通りにくそうだ。
「シィちゃん、自転車大丈夫?」
「ありがとう。でも、すぐにお店に着くよ」
「用事さえ済ませたら、またすぐに裏通りに戻れるから」ってイッタは水先案内の務めを果たすように言う。
同じ403号線沿いでも、大通りはアンさんのお店がある辺りとは大違いだった。あの辺りは歩道も充分に確保され、建物だってこんなに密集していない。喫茶店のそばには製材所や工務店がまばらに並ぶばかりだった。
「全然雰囲気違うよね」って私はそのことについて、何気なく言った。
「そう? たしかに店構えが変わったところもあるけれど、大まかには昔のまんまじゃない?」って、だけどイッタはそれを別の意味に受け取った。
大通りのことはよく覚えてた。母の買い物に付き合ったり、トモ兄たちの使いっぱしりで何度も駄菓子屋まで足を伸ばしていたからだ。
「コンビニなんて昔はなかったね」って、だから私はすぐに調子を合わせて言った。とりとめのない会話を無理に訂正する必要もないと感じたの。「あのあたりには元々何があったんだっけ」
「なんだったかな」
「シィちゃんは覚えてる?」
「ううん、私も」
一つ一つをよくよく点検してみると、たしかにイッタの言う通り、この大通りには大なり小なり変化があった。日用雑貨を扱う商店は電子機器を扱う会社のオフィスに変わっていたし、荒物の専門店は週末の日中にも関わらずシャッターを下ろしてた。店先にお酒の自動販売機を設置していた酒屋も、おんなじようにシャッターを下ろしてる。自動販売機さえきれいに撤去されていた。
古い木造家屋が並ぶなかで、一軒だけ真新しい家があるのに目がとまる。駅裏の新興住宅地にあったのとおんなじで、サイディング工法の壁がのっぺりと奥行きを感じさせない、直線的な近代建築の様式だ。その新築の家の近くには、彼もまたこれからそうなるであろう、真四角の更地があった。塀と塀とに囲まれた範囲に砂地だけが広がっている。
もちろん、昔と変わらない店もある。系列店のガソリンスタンドは今でも盛況のようだったし、床屋さんのサインポールもくるくる回転してる。そこにははっきりとした懐かしさが存在してた。それは私にとって、わずかに残された希望のようなものだった。
だけど君には伝えておいたはず。今日という地域探訪の一日は、決して楽しいばかりではないってことを。つまり小学校の隣にあった例の文具店が、形を変えて何度も目の前に現れるってことをだよ。その最後の光景が道の先にある。大通りを少し行ったところに、母の買い物に付き合ってよく来店した、一件のスーパーマーケットがあったんだ。
建物の外装は駅前のショッピングモールとよく似てた。赤レンガの作りで、窓は大きめにとってある。駐車場はショッピングモールより一回りほど狭く、大通りに面してることからアクセスも良いとはいえなかったけど、母の気まぐれはときにこっちのスーパーマーケットを選ぶことがあったんだ。電気屋さんのコーヒーを嫌ってのことだったかもしれない。
ともかくそのスーパーマーケットは、いま、建物の輪郭だけをそのままにして、無残に荒れ果てていた。窓ガラスは地面に散乱し、駐車場には一歳児の書く直線みたいな亀裂がいくつも入ってた。店内はレジカウンターと作荷台を除いてもぬけの殻で、壁から剥がれ落ちたレンガの瓦礫が、なぜか店の奥に転がっている。
「ここも潰れちゃったんだ」って私はなるべく抑揚を出さないように注意して言った。
「駅前ですら撤退したくらいだからな」
「そうだね。当然といえば当然か」
「でも、ひどい光景だね。いっそ取り壊しちゃえばいいのに」ってシィちゃんはどこか悲しそうに言う。
だけど私は簡単にはシィちゃんに同意できなかった。取り壊すという言葉に、駅前の光景や、さっき目にしたばかりの真四角の更地を彷彿したからだ。
でもそれらの映像が頭の中に浮かんだ瞬間に、もしかすると私が感じていることには矛盾があるんじゃないかと、疑った。矛盾か、もしくは不合理な感情だ。文具店が店じまいをしていたこと、駅前が更地になっていたこと、体育館が改築されていたこと、新たに住宅地が作られようとしていたこと。それと同じ変化が大通りには集約されていた。スーパーマーケット。真四角の更地。サイディングの民家。新しく出来たコンビニエンスストア。それらが一気に目の前に飛び込んでくることで、ようやく私の頭を震盪させた。
文具店とスーパーマーケットの結末は私に物事の終焉を感じさせていた。物事が起こり、そして終わるときには、間違いなく悲しみが残される。私はその悲しみを一身に受けていた。ショッピングモールや真四角の更地も、形がなくなったというだけで、そこに残されるのは概ねおんなじだ。そこまではいい。
だけど駅裏の分譲地やサイディングの家はそうじゃない。それはもう再生の段階だ。物事は完全になくなって、新しいストーリーが始まっている。悲しみの対象はもうそこにはない。あるとしても伐り倒された大木から若い芽が生えているというだけのことなんだ。でも、もしもその大木を伐り倒さなければ、老木はやがて腐り果て、その場に横たわる。それは物事の衰退とは関係のないことだ。単に私たちが時間とともに生きているという証拠でしかない。
冬を越えて春になり、野原では新しい草花が咲き誇る。それなのに私は、その草花にまで居た堪れなさを感じてる。矛盾か、もしくは不合理な感情だ。けれどもそうと理解してもなお、私の気持ちは揺らいでた。
そして改築された体育館やコンビニエンスストアは、私たちが時間とともに生きてゆく中で、前を向いて歩いてゆくための手段というだけだった。私たちが肉体の細胞を絶えず入れ替えて生きているように、町並みも建物も、次々に再生し、更新されてゆく。そうしなければ生きてはゆかれない。私も、町も。じゃあ、一体それのなにが悲しいことなんだろう。何も終わってなんかいないんだ。
――端的にいうと、当時の私は変化というものに慣れていなかった。とても若かったんだ。つまり、私たちは非常に高度で複雑な感受性を持って生まれてくるけれど、それはあらゆる変化を目にするたびに怪我を負い、やがて治癒する段階で硬質な皮膚をまとうようになる。自然災害や人災によって大きく怪我を負うこともあれば、経年変化によって緩慢に傷が広がってゆくこともある。そのたびに感受性は硬くなってゆき、いつか痛みを感じない。私の感受性はまだ生身のままだった。
そして今の私はどうだろう。でも、いずれはみんな鈍くなる。
私はこのとき感情の揺らぎに蓋をした。二人の手前そうするしかなかった。だけどね、多分そういう方法は間違いなんだ。まともにぶつかり合わなければ感受性は傷を負わない。そして生身の感受性はいつか肉体の成長から取り残される。そうと気づいたときには社会からも取り残される。いや、このときそうするしかなかったというのも正しいことだけど。
「暑いね。急ごうよ」って私は気を取り直すように言った。「あとどれくらい?」
「ん、店まで?」ってイッタは特に代わり映えなく言った。「もう目と鼻の先だよ」
目指す和菓子屋さんは大通りを少し外れたところにあった。大通りの切れ目にある十字路を、細い路地へ進んだ先に建っている。いかにも老舗といった木造の店舗で、屋根の看板には大きな筆字で屋号がしたためられていた。
「あら、いらっしゃい。毎度ご贔屓に」
引き戸の音を聞きつけて店の奥からやってきた女将さんは、シィちゃんの顔を見るなり馴染みの客に対する柔和な声遣いで出迎えた。
「お世話様です」ってシィちゃんは慇懃に頭を下げる。「今日は家の使いじゃなくて、私用で伺ったんです」
「あら、そうだったの。後ろはお友だち?」って女将さんはにっこりはにかんだ。
私とイッタは不慣れに会釈した。
シィちゃんの家では農繁期になると、近所からお手伝いさんを招くことになっている。そのお手伝いさんたちには必ず、このお店で用立ててもらった和菓子を振る舞うことになっていた。午前と午後の休憩どきにお茶請けとして出して、お土産も別途用意する。この準備は彼女の家では代々女性の務めとなってたの。シィちゃんも幼い頃からそのようにしつけられてきた。だから女将さんともすっかり顔なじみというわけだ。
「一度お母さんが注文を忘れたことがあったんだ。その時期はみんな忙しくって、当日になってようやくそのことに気づいたの」ってシィちゃんはお店へ向かう途中に言った。「おじいちゃんはそれでかんかんになって怒ってた」
「お菓子一つで?」
「そうだよ。あの家じゃお茶請けの用意もしないだなんて噂が立ったら、次から人を呼べなくなるだろうが、って」
「でも、お手伝いさんにもお金は払ってるんだよね?」って私は言った。
「うん、お心付けはちゃんとお渡ししてるよ。でも、そういうことじゃないんだって」
「田舎の人間は体裁を気にするからな」ってイッタは訳知り顔で言う。
「それで、結局どうなったの?」
「急いでお店まで出向いたの。あるだけの数だけでも用立ててもらおうと思ってね。それでね、まだ開店前だったのに、すぐに女将さんが出てきて店に通してくれたんだ。それだけじゃないんだよ、レジの上にはもう和菓子の箱が重ねられてあったんだから」
「それって、注文を忘れたのに用意してくれてたってこと?」
「その時期に必要だってわかっていたみたい」
「干菓子なら日持ちもするしな」ってイッタは簡単な謎解きを答えるみたいに言った。
「でも万事解決ってわけじゃないんだよ。おじいちゃんはその日から三日くらい不機嫌なままだった」
「上手く収まったのに」って私は言った。
「シズカんちのじいちゃんは筋金入りだからな。コオリだってもしも会う機会があったら、態度には気をつけたほうがいいぞ」
「あればね」って私は青いバラと空飛ぶ豚という言葉を思い浮かべながら言った。どちらも『ありえない』。
その瞬間の愉快そうなシィちゃんに比べて、店内でのシィちゃんはとても折り目正しかった。私やイッタとはまるで違う、すっかり大人びた雰囲気をまとわせていた。そこには砕けすぎた表現もなかったし、だけど行き過ぎた固さも存在しなかった。ありのままとも思える自然な態度として備わってたの。
「今年は梅雨時に天候に恵まれたから、いつもより多めにお願いするかもしれません。夏を越えてみないとまだわからないですけれど」ってシィちゃんは言う。
「今日みたいに暑い日が続かなければいいけれど」
「祖父もそればっかり心配してます。体より稲の方が大事だ、って」
「もう若くないんだから、そんなことも言ってられないでしょうに。お大事にしてあげてね」
「はい」ってシィちゃんは声に笑みを含めて言った。「祖父にもよろしく言ってたと伝えておきます」
後ろ姿からも彼女は自然に見えた。言葉遣いだけじゃなく、声の調子や体の線にも、彼女の注意は向けられていた。シィちゃんはきっと幼い頃からそうやって、何かの代表者としての自分を自覚して生きていた。だから十七歳という年齢で、既に社会というものの中に見事に溶け込んでいたんだよ。
店を出る際にもシィちゃんは、「秋口になったらまた予約をとりに伺うと思います」って女将さんに会釈した。この和菓子屋さんでは名物のどら焼きと冷蔵ショーケースに陳列されたペットボトルの緑茶とを買ったのだけど、会計もまた彼女が一人で受け持った。
「私が出しておくよ」ってシィちゃんはそのとき何気ない口ぶりで言った。彼女の落ち着き払った様子には、なにか催眠的な圧力が含まれてたの。
ところが店を一歩外に出ると、シィちゃんはまるで自分にさえ催眠術がかけられていたみたいに、(そしてそれが解かれたみたいに)途端にいつもの様子に戻った。
「ごめんね、思ったより待たせちゃった」ってシィちゃんはなぜか恥じるように言う。
「五分そこらのことだよ」ってイッタは携帯端末に目を落としながら言った。「店の中、涼しかったし」
シィちゃんは最後にもう一度謝った。大人びた雰囲気をまとうことは、彼女に少なからず精神的な苦痛を与えているようだった。
だけどこの和菓子屋さんに立ち寄ることがなかったら、私の帰郷旅行はこの日で終わっていたはずだ。大通りの十字路まで戻って、今度は道の向かいの路地に入り込む。そこにも花蕊祭のポスターが貼られてあった。
大通りを迂回してこなければその路地へ足を踏み入れることはなかった。例の老夫婦が営むガソリンスタンドに繋がる道で、そこをまっすぐ進めばやがてゴマ山が見えてくる。午前中にイッタと二人で駅へ向かうのに使った道は、大通りと平行に走る裏通りの方だった。
花蕊祭のポスターは、初め耳の部分だけが見えていた。それは路端の電柱に貼られてあって、水平線から覗く朝日のように、ゆっくり私たちの目に明らかになってった。もちろん、そうなる前からそれが花蕊祭のポスターだってことはわかってた。
私はどことなく気まずさを感じてた。イッタとシィちゃんもおんなじだ。アンさんの喫茶店を出てから、道の途中にはいくつも花蕊祭の香りがあったけど、二人は極力気付かない振りを通してた。駅前を過ぎたあと、私たちの頭上には絶えず祭提灯が飾られてあり、公民館の壁にも花蕊祭のポスターが貼られてあった。そうしたものに対する彼らの態度はひどくよそよそしくて、私もそれに触れないことにしていたの。待合室のポスターにはまだその違和感を感じていなかった。
「一緒に行ける気がしたんだけどな」
喫茶店でつぶやいたシィちゃんの予言めいた一言が、私たちをそうさせていた。花蕊祭の香りが漂うたびに、彼らはそのことを思い出し、私も押し黙る。要するにそれら花蕊祭の印象は、私たち三人に許された時間が残りわずかであることを、痛烈に示してた。
でもそれは、ちょうど吊るし首にあった遺体の前を伏し目がちに行き過ぎするのと同じことなんだ。目をそらせばそらすほど、意識している証拠なの。フランス革命前夜の民衆が、無実の罪で処刑された亡骸を前にしているのとも同じこと。徐々にバスティーユへの熱意が蓄積されてゆく。
とうとう私たちは電柱のポスターさえやり過ごした。この場ではまだ、革命運動という結果は得られていない。一歩、そこに向かって前進しただけだ。
だとしてもこのポスターに目を通しておくことは間違いなく必要だった。結果というものは常にすぐに現れるものではないし、特に私の場合、一旦こうと決めてしまったことを後から覆すには、膨大な熱量を消費しないとならない。自分の意見に一本筋を通してしまう、意固地な面がある。そしてその意固地な面は、相手が力ずくで解こうとするほど、反発を強くする。私の翻意が起こるとき、そこには段階的な懐柔と適切な力加減が必要だ。『北風と太陽』に登場する旅人のように。
だからゴマ山へ向かう途中に見かけた花蕊祭の象徴たちは、そのどれもが欠けてはならなかったし、そのどれもが私の意見を翻すのに役立った。
ゴマ山にはきっかり午後三時、到着した。
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