第五節(0305)

 掃き出し窓の段差に腰かけて、改めてその景色をじっと眺め見た。北校舎の一階には普通教室を二つくっつけた広さの多目的教室があって、それは中庭の中央あたりに位置してた。特に黒板に近い側の掃き出し窓は計算されたように中庭の正中線上に位置してた。そこに座ると、ビオトープはもう、変えがたい事実として私たちの目に映る。


「まさか、中庭まで作り変えられてるとはね」ってイッタはまるで誰かの熱意を褒めるみたいに言った。

「本当に驚いた」ってシィちゃんは言う。「でも、作り変えられたのは最近のことだよ」


「そうなの? シィちゃんは知ってたんだ?」って私は脈絡なく言った。

「ううん、ナツがなんにも言ってなかったから」

「ナツ?」

「シズカの妹」って横からイッタが補足する。

「ああ、妹さん、いるんだ」


「あの子は私にはなんでも話してくれるから」ってシィちゃんは暗にうなずいて言った。「もしもナツの在校中に作り変えられたなら、そう聞かせてくれたはず」

「いまいくつなの?」

「ちょうど三つ離れてるから、今は中2だよ」

「じゃあ、去年か今年に入ってからこうなったんだ」

「具合からいって去年だろうな。今年のうちにしてはしっくりしすぎてる」

「しっくりしすぎてる」って私は反復した。

「いかにも作り変えたばかりですって感じがしない」

「そうだね。言われてみれば」って私は言った。


 体育館の真新しさに比べて、このビオトープは時間の目安になるものに乏しかった。せいぜい池に使われてる石材がどことなく古ぼけていない質感だったというくらいで、植えられた木も若木とはいえそれなりに成長していたし、雑草のどこを眺めれば古さがわかるんだろう。自然環境を模したこの中庭は、昔からその姿であったように、この場所に馴染んでる。


「まいったね。だいぶ計画が崩れたよ」

「なにが?」

「いや、コオリに懐かしんでもらうつもりだったからさ」

「確かに。これだとね」って私は言った。

「たった数年で代わり映えし過ぎだよ、まったく」

「でも、不思議とすんなり受け入れられちゃうものなんだね」ってシィちゃんが言った。するとイッタも半分は同意するように、

「後から知るって、こんなにもあっけないんだな」

「体育館のときは、私もうちょっとショックだった」

「俺もだよ。駅前のショッピングモールが潰れたときも」って言って彼は私の方をちらと見た。「今になってコオリの気持ちがわかった気がする」

「私の?」

「結果だけを見せつけられるのが、どれだけ残酷かってこと」

「しょうがないよ、なっちゃったものは」って私は言った。言いながら自分でも背伸びをしてると感じてた。


 だけどこのとき私が彼らの言葉から彷彿してたのは、駅前や体育館の変化より、生家の成り行きについてだった。この町に帰ってきてから私はいくらかの既成的な変化を目の当たりにした。例の老夫婦が営むガソリンスタンドにしてもそうだし、今日これまでに見てきたこともそうだ。けれども立ち返ってみると、徐々に失われてゆくということについては、まさに生家がそうだった。それは私が目を背けただけで、いまこうしている瞬間にもトモ兄たちの手によって着々と終わりへと駒が進められている。


 つまり私とイッタとシィちゃんは、この点において一つになっていた。彼らが段階的に見てきた駅前や体育館の移ろいと同じものを、いま私は生家の立ち退きを通じて感じてる。そしてその反対に、あっけなく変貌したものを彼らは中庭を通じて感じてる。喪失感という場の中心で私たちは手を取り合っていた。


「とはいえ、ここまで徹底的にやらなくてもね」ってイッタは取り繕うように言った。彼の言う通りかつての中庭は完膚なきまでテラフォーミングされていた。きっと土だって掘り返したに違いない。


「元々植わってた木はどこにいっちゃったんだろう」

「根っこから引き抜いて、焚き木にでもしたんじゃないか」

「使いみちがないよ」って私は彼の冗談に付き合った。

「秋の収穫祭のあとに、校庭でさつまいもを焼いたんだ」

「そんな行事あったっけ?」

「さすがに覚えてないか。もっとも今では――」


 イッタはそこで言葉を切った。シィちゃんが遠くを眺めているのに気付いたからだ。彼女は私たちが会話を続けてるあいだ、ずっと目の前に広がる景色を見つめてた。その瞳は彼女がさっき口にしたこととは裏腹に、黒く塗りつぶされていた。

 シィちゃんはイッタからの視線に気がつくと、ふっと照れ笑いを浮かべて、そしてすぐに薄らいだ笑みに変えた。


「やっぱり、寂しいね」って彼女は言う。その目はビオトープというよりも、放射状の花壇や噴水を見つめているようだった。「昔からあったものがなくなっちゃうのって、思ってたより辛いんだ」


「急にどうしたんだよ」

「ううん」ってシィちゃんは首を振った。「私、リッちゃんちのこと、もっと簡単に考えてたから」


「それって、私の家のこと?」って私は言った。「イッタから聞いたの?」

「いや、俺じゃないよ。俺が聞かせたときには、もう知ってた」

「初めに聞いたのはおじいちゃんからだった。農協の帰りにそう教えてくれたんだ。うちはこの辺りだと大きめの農家だから、そういう情報が入ってきやすいの」

「そうなんだ」って私は言った。そのとき私は生家と農家の関連性についてあまり深く考えてみなかった。ただヤシパンのおじさんが頭に浮かんだばかりで、それで変に納得してしまった。


「そうでなくても狭い町だからね。噂はあっという間に広がるよ」ってイッタは補足するように言う。

「お互い別口から情報が入ってきてたってこと?」

「そういうこと」

「なんだか私が思っている以上に重大なことみたい」

「狭い町だからな」ってイッタは繰り返す。

「ヤシパンのおじさんも知ってたもんね」

「そういうこと」って彼はまた繰り返す。


 それからイッタは小さくため息をついた。彼もまた空元気な表面とは裏腹に、心の整理がついていなかったみたい。もしくは私やシィちゃんが発する空気感に圧されてたか。猫背の背中を更に丸くして、膝の上に重そうな肘を置く。


 じりじりと気温を上げる34度の夏が、掃き出し窓の日陰にもたれかかってくる。晴れ晴れとした中庭は独特の倦怠感に包まれていた。

 イッタはちらりと私の方を見た。私、というよりも、具体的には私のあごのあたりに目をやっていた。そして何か言い出そうと口をぽかりと開ける。でも彼はずいぶん迷った末に、声を奥に引っ込めた。


「どうかした?」って私は言った。

「いや、なんでもないよ」って彼は言う。


 何か気遣いの言葉がほしいのか、それとも反対に私を気遣おうと思ったのか、いずれにしろそのどちらかだろうと私は考えた。

 でもイッタは、視線を中庭へ戻す直前に、ほんの一瞬だけ片目を潰すような苦い表情をしてみせた。それは彼の視線が私のあごから私の後方へと移された瞬間のことだった。そのほんの少しの変化で、私は自分の後ろに彼をそうさせる何かがあるんだと見て取った。


 おもむろにその方向へ目をやった。イッタの後ろ側には体育館があり、私の後ろ側には反対側の出口がある。出口はそのまま東校舎に通じているけれど、そこにはやっぱりステンレス製のドアがあり、それ以外の風景は渡り廊下のプラスチック板に覆われている。


 この情報量に乏しい中から彼は一体何を見たんだろう。きょろきょろと目で辺りを伺ってみたけれど一向に答えは出てこなかった。

 仕方なく私は隣にいるシィちゃんに問いかけた。


「ねえ、他にもなにか、変わったことってある?」

「え?」

「なんか、そんな気がしたから」って私は言った。

「この中庭で?」

「うん」


 シィちゃんはしばらく辺りを伺って、そしてやっぱり私の後方に目を留めた。


「飼育小屋かな、たぶん」って彼女は言った。

「飼育小屋」


 改めて振り返ってみるとたしかにそうだった。この中庭にはサケの稚魚を飼育する暗室が設えられていて、それはいま私たちが背中を預けている北校舎に横付けされていた。だから、本来だとこの位置から東校舎に目をやれば、視界の一部が暗室によって覆われるはずだった。でも私の視線はいまクリアに東校舎まで届いてる。


 もっと早くに気づけてもよかった。「本当だ。なくなってる」

「場所変えたのかな」って私は続けた。


「いや、なくなったよ。行事自体が」ってイッタはそれが重大な事柄であることを認めるように重々しく言った。


 サケの放流は千曲川流域にある学校で広く取り組まれている行事で、前年の秋頃から飼い始めた稚魚を翌年の春頃に川へ還す、半年以上かけて行われるプログラムだ。飼育小屋は放流までのあいだ稚魚を保管しておく施設だった。


「なくなった。どうして?」って私は訊いた。彼の断定的な物言いは中庭の変貌と飼育小屋の消滅が無関係であることを告げていた。


「私たちが終わらせちゃったの」ってシィちゃんがぽつりと答える。

「自発的に?」

 二人はこくりとうなずいた。


 飼育小屋の中には大きな水槽が二槽と使い古された学習机が一基あって、机の上にはいつも鉛筆とノートがセットで置かれてあった。飼育当番になった子は朝と中休み、お昼休み、放課後の計四回この飼育小屋に訪れて水温を測定し、場合によって餌やりや水槽の洗浄をする必要もあった。この学校ではそれらの活動はすべて五年生と六年生に任されていて、机の上のノートはその時間に正しく活動が行われたことを確認するため用意されていた。


 私が飼育小屋の存在を知ったのは入学から間もなくして行われた校内見学のときだった。担任の先生に引率されて校内をめぐる途中、中庭の飼育小屋にも立ち寄った。中を覗くと水槽や学習机のほかにも様々な器具や道具が所狭しと並べられていて、どこか秘密基地めいた感じがあった。そのとき先生の説明を受けながら『いつか私も稚魚の世話をするようになるんだ』って、そんなようなことを思ってわくわくした覚えがある。


 二人から目を離し、かつて飼育小屋のあった場所に振り返る。

 その方角からは絶え間なく子どもたちの喧騒が響いてた。プールは東校舎の裏側に面してたから、体育館や一年生の教室の前で聞くよりも、その声は一際大きく私たちの耳に届いてた。時折は意味を持つ言葉として認識できた。


 彼らの陽気さがベランダの日陰や木陰で鳴くセミの声と混じり合っている。今までさほど気にしていなかったけれど、意識してみると、それらは途端に鈍い波のようになった。そして緩やかに私の皮膚や感情を痙攣させた。その複合物は、なにか薄い毒性を含んでいるようだった。


「終わらせたっていうのは、つまり?」って私は二人に振り向いて訊いた。

「言葉のとおりだよ。俺たちがそう決めて、終わらせた」

「五年生のときに」って二人は端的に答えた。

「どうして?」って私はシィちゃんの目を見て言った。


 シィちゃんはまた口を閉ざしてしまった。

 サケの放流行事は一年生のときに一度だけ参加したことがあった。稚魚の飼育は高学年の仕事だったけど、千曲川へ還すのは全学年参加の課外授業だったんだ。


 その日は朝から全校集会が行われ、折りに触れた校長先生から生命の尊さや自然環境の大切さ、ひいては綿入という風土の豊かさを説かれ、次いで壇上に上がった先生から今後の段取りを細かく説明される。


 教室に戻ると私たちはそそくさと運動着に着替え、前の廊下に二列になって待機した。稚魚の入れられた水袋が班ごとに配られ、手渡す際に上級生のお姉さんが「空気袋を塞がないようにね」って優しく注意してくれていた。


 水袋が全クラスに行き届くと、出発は六年生からだった。一年生のなかでも下駄箱から最も遠いクラスだった私たちは一番最後まで残された。校門を出ると目の前の横断歩道に二人の先生が立っていて、向こう岸とこちら側からそれぞれ生徒を誘導してた。それから私たちは住宅街の安全な道を選んで河川敷を目指す。


 土手へ上がる頃には先頭集団の姿はもう見えない。上級生の足はキリンのように長く、私たちの足はブタのように短い。だから行進の列はたるんだゴムみたいに伸びてった。


 放流場所の河川敷に着くと、一旦そこに整列させられた。すぐに稚魚を川に還すんじゃなくて、そこからまた校長先生のご高説が始まるわけだ。季節は春、というよりも梅雨入り前の初夏の頃だった。散々歩かされた上に暑い日差しを浴びて、誰も彼の話なんて聞いてない。話の内容も朝の全校集会でしていたのと特に変わんない。そのあとで別の先生が具体的な放流手順を説明する流れもおんなじだった。


 けれどもいざサケの放流が始まると、みんな一斉に川べりに駆け出した。稚魚を預かっていた代表者が水袋を川に浸すと、みんなそれに手を伸ばす。袋の口を開けながら、更に深く底に沈めてく。稚魚はこの瞬間に自由を獲得する。


 でも彼らは中々出てゆこうとはしなかった。突然舞い込んできた自由が信じられないのか、その先に待つ自然の脅威に怯えてるのか、ともかく彼らは狭い水袋の中でおろおろとうろたえていた。


 やがて一匹の稚魚が川の流れに逃げてゆく。残された稚魚たちも彼の行動に自分の使命を思い出す。一匹、二匹と後に続き、いずれ水袋の中身は空になる。そうして川の、濃く塗りつぶされた青の中に溶け込んでゆく。それっきり彼らの姿は見えない。一匹として戻ってくるものはいないんだ。


 私たちはそれが半年ものあいだ中庭の小屋で飼育されていたのを知っていた。学校から河川敷までも長かった。だけど水袋が空になったあとでは、それがあまりにもあっけない。稚魚たちは決して一方向にしか進まない歯車の一部になった。そうしたのは私たち自らの手だ。


 サケに刻まれた運命は、彼らを絶え間なく下流にくだらせる。大海原で成長し、やがて故郷の川に遡上する。そこで新たな生命を産んで、息絶える。


 それは概ね校長先生の説いていたことだった。私たちはそこで初めて彼の言葉を思い知る。生命の尊さや大切さとはなにであるか。生きるとはどういうことか。見上げた綿入の風景には、雄大な緑の山々が広がっている。なにかが私たちの内側で大きく膨らむの。


 子どもから大人になるために必要な感性を、ほんの些細ではあるけれど、綿入に育つ子どもたちは、このサケの放流行事を通じて学んでいった。


 私にとってもそれは貴重な体験だった。転入した先の学校ではそんな行事はなかったからね。だけどこの学校にしても、今は存在しないという。二人がいうには終わらせたのは他ならぬ彼らだった。私の中を疑問符が埋め尽くす。


「なにか理由があるんだよね?」って私は訊いた。

 シィちゃんは伏し目がちにうなずいた。彼女は私の隣に座っていて、小さな声でつぶやくようにこう言った。


「理由は色々とあるんだ、一つじゃないの」

「よかったら聞かせてくれないかな」

「多分長くなるよ」ってイッタがシィちゃんの奥から言った。

「うん。それでも聞きたい」


 そうして二人はぽつぽつと語り始めた。

 でも、いま冷静に振り返ってみれば、当時その話に耳を傾けるだけの時間的余裕が私たちにあったとは、とても思えないんだ。この日は帰郷旅行の最終日のはずで、旧友たちと過ごす貴重な一日でもあったはずだから。だけど、それでも興味に絶えなかった。放流行事の終焉がとても気になった。そして私には、一旦気にかかるとどこまでも追求しないと気がすまないたちがある。


「ある日の学級会にね、当時私たちの担任だった跡部先生っていう先生が、サケの放流行事について議論しようって、持ちかけてきたの」ってシィちゃんは静かに語りだす。「そのとき私たちは五年生で、季節は秋頃だった。跡部先生がいうには、来年の放流行事に向けて、来月までには業者さんに稚魚の発注をしなければならない時期だった」


「それで、事が動き出す前に、俺たちの意思を確認しようとしたんだよ」

「そう。もう一度稚魚の世話をする気があるか、って」

「もう一度?」って私は言った。「五年生の秋なら、イッタたちにとっては稚魚の飼育が初めてになるはずじゃ?」

「ううん」ってシィちゃんは首を振る。「卒業する六年生の代わりに、飼育当番は四年生が引き継ぐの。冬休みの前に引き継ぎが終わって、それからは四年生と五年生の役目になる」

「あれ?」って私は言った。「でも私の記憶だと五年生と六年生のはずだけど」

「そりゃ年度が変われば自動的にそうなるよ。サザエさんじゃあるまいし」

「ああ、なるほど」って私は話の腰を折ってることに気づきながらうなずいた。「それでイッタたちは十二月頃から五月頃まで飼育当番を担当してたんだ?」

「そういうこと。週末も返上でな」


「冬休みや春休みにも、飼育当番に当てられた班の子は、学校に顔を出さなくちゃいけなかったの。休み時間が潰れるのはいいんだけど、私にはそっちのほうが大変だった。春になると家の手伝いも増えるから」

「休みの日まで」

「まさか魚たちに『明日から連休だから餌は我慢してください』なんて言えるわけはないからね。もちろんタイマー付きの餌やり機なんて上等なものが用意されてあるわけでもないしさ」


「多分、それも教育の一環ってことだったんだと思う」ってシィちゃんは言った。

「だろうね」ってイッタもそれに同意する。「でも一番割を食ってたのは跡部の方だろうな。その週の週番が俺たちのクラスになると、跡部は休日でも毎日顔を出さなきゃいけなかったわけだからね。飼育小屋の鍵は担当クラスの教師が保管することになってたからさ。だからこそ跡部は、自分から放流行事の廃止を持ちかけたんだ」


「イッタはその跡部先生とやらのことが嫌いだった」

「まあね。子どもながらに魂胆が見え透いててさ」

「でも、いずれにしろイッタも、その跡部先生とやらの提案に乗っかったわけだよね?」

「かいつまんでいえば、そうだな。わざわざ苦労を背負い込もうとするやつなんていなかった」

「そして放流行事はすっかり廃止になっちゃった」

「大まかに言えば」

「なるほどね」って私は言った。「でもさ、一つだけわからないんだけど、どうして学級会での決定だけで行事を廃止することができたの?」


「いや、その決定を跡部は職員会議の場に持ち込んだんだよ。生徒たちから廃止の要求があがってる、って言ってな」

「逆だよね?」って私はとっさに言った。「本当は跡部先生とやらがやめたがっていたんであって、鶏と卵が逆さになってる」

「そういう奴なんだよ。職員会議に持ち込む前にも、反対派の教師を抱き込んでた。そうやって議論が自分の望む方向に進むように根回ししてたんだ」

「でもね、生徒や先生への負担が大きいことは、それ以前から問題になってたの。だから跡部先生からそういう提案があがったときも、校長先生たちは放流行事の廃止をすんなり承諾したんだよ」

「そうなんだ」


「だけど、それだけじゃないんだ」ってイッタは私の顔を覗き込むように言った。「そもそも俺たちが廃止案に賛成したとき、放流行事はそれ自体が形骸化してたんだ」

「形骸化?」

「下流にダムが建設されて、サケの稚魚がみんなそこで死んじゃってたの。私たちが放流行事を取りやめる何年も昔から、この地域にサケが遡上してくる姿は確認されていなかったんだ」

「何年も昔。っていうことは、私が参加したあの年も?」

「ダム開発は十年以上も前のことだからな」ってイッタは暗にうなずいた。


「情操教育としての意味合いは残ってたと思うんだ。でも、そのために稚魚を見殺しにするのは、違うと思ったの」

「つまり、シィちゃんはそういう理由から?」

「うん。結果的に私も放流行事の廃止に賛成した」

「イッタも?」

「俺は半々だね。面倒くさかったことも事実だよ。それがやらなきゃいけない面倒なら別だけどさ」


「でもイッタは、その跡部先生とやらを嫌ってるようだけど」

「何の話?」ってイッタは眉をひそめて言った。

「いや、結果的に跡部先生とやらの意見を後押ししたんだな、って」

「俺があいつを嫌っていたかどうかは関係ないだろ? 問題は生命をどう取り扱うかってことだよ」ってイッタは柄にもなく倫理的なことに触れた。「跡部はしっかりその点にも言及してたんだ。過去何年かの統計を持ち出して、ダムの建設がサケの遡上に関係してるってことをね。そのデータによるとたしかに俺たちのやってることは生命を軽蔑する行為だった」


「そうでなくても私たちはその問題を以前から知ってたの」

「反論の余地はなかったわけだ」

「厳密にいうと、俺とシズカは初めのうち反対してた」

「どうして?」って私は言った。


「第一に跡部のやり方が気に入らなかった。あいつは学級会が開かれているあいだに結論を出せって迫ってきたんだ」

「要するに一時間のあいだに?」

「そう。つまり俺たちに考える時間を与えたくなかったんだ。当然俺は抗議したよ、一旦家に持ち帰らせてくれって」

「跡部先生とやらは拒否した」

「親や家族の意見を反映させたくなかったんだろうな」ってイッタはうなずく。「みんなこの土地に長く住んでいて、放流行事に携わってきた大人も少なくない。それに田舎の連中は保守的だから、そういう意見が加わると、提案が通りづらくなることをわかってたんだ」

「それに、子どもだけなら騙せるとも考えていた」って私は言った。

「言い方を気にしなければ、そういうことだと思う」ってシィちゃんは言う。


「なんだか、判断しにくい話だね。稚魚のことを思えば良いことだったのかもしれないけれど、そのために手段を選ばないのは、どうなんだろう」


「俺たちが反対してた理由はそれだけじゃない」ってイッタは手を前に差し出して言った。「そもそも俺は賛成か反対かなんて極端な結論を出したくなかったんだ。稚魚の命を尊重する一方で、放流行事っていう伝統も守りたかったんだよ。いや、守りたいっていうよりも、俺たちの勝手な都合で破壊していいものだとは思わなかったんだ」

「そうなの? だけどイッタはさっき、面倒くさかったって」

「賛成か反対かについては、前もって半々だって言ったろ。それに、やらなきゃいけない面倒なら俺はやる。それについてはコオリも同じはずだけど」

「なるほど」って私は言った。これは多分私の口癖だ。「だけどどちらか一方に決めなくちゃいけなかったから、放流行事の廃止に回った」

「結果的にな」

「本当なら折衷案を模索したかった?」


「実際にいくらかは提案もした。稚魚の放流は取りやめにするけれど、飼育だけは続けるとか、あるいは放流地点の先に回収用の網を張っておいて、稚魚はまた学校まで持って帰るとか。もちろんそのまま成魚になるまでは保管しておけないから、業者と掛け合って、ある程度のところで引き取ってもらうとかさ。でも、まあ、いま考えればいかにも子どもが考えつきそうなことだよ」


「だから跡部先生とやらも相手にしなかったんだ」

「跡部だけじゃない、クラスメイトもみんな煙たがってた。大半の意見は廃止に傾いてたからね。なにしろ稚魚の飼育なんて、他のやつにとっては純然たる面倒でしかないんだから」

「イッタとシィちゃんだけが、その面倒を背負い込もうとしてたんだ?」

「社会的にも取り組まれてる事柄だったんだよ」ってシィちゃんは言った。「端っこに専用の水路を設けたり、その時期だけ水流を調節したりして、環境に気を遣ってるダムもあるの。公的なところでもそうやって環境問題との折り合いをつけてたんだ。だから、私たちにもやれることがあるんじゃないかって、学級会のときに意見したんだよ」


「だけどな、最終的には二択なんだよ。賛成か、反対か。俺たちは学級会の終わりに決断を要求された。どっちかに票を入れなきゃならなかったわけ。そこに現状維持って選択肢がなかったからな」

「現状維持?」って私は言った。「いや、現状維持なら反対に票を入れるべきじゃない?」

「だからさ、そういう考えが極端なんだよ。無闇に生き物の命を奪いたくなかったのは、俺もシズカもおんなじだ。一方で文化的な伝統も守りたかった。だから現状を維持しつつ、より良い答えを模索してゆきたかったんだ。そこにはイエスもノーも含まれてない。賛成か反対かじゃなかったんだ」

「でも、ひとまず反対に票を入れておかなければ、何も起こらないよ」

「ひとまずなんて考えがあればね」ってイッタは首を振る。

「跡部先生はそういう態度を許してくれなかったの。あの学級会で一度に答えを決めようとしてたから」


「つまり、仮に反対派が勝ったとしても、その後やり方を変えることは認められなかった?」

「それは詭弁で姑息なやり口なんだとさ。無責任な考え方だとも言われたよ」

「無責任」

「そうまで言われたら、賛成に回るしかないじゃない。俺たちだって後味が悪いよ。結果的に俺たちの決定が放流行事を終わらせたんだから」


「でも、そこまで聞くとイッタたちが悪いようには思えないけどな」

「どうだろうな。俺たちも稚魚の飼育から解放されて、ほっとしてたのは事実だし。それに、どう言い訳しても全会一致で廃止案が採択されたのは覆らない」


「ナツも残念がってたからね」ってシィちゃんは寂しそうに言った。

「シィちゃんも後悔してるんだ?」

 シィちゃんは小さくうなずいた。「けど、議論をやり直せたとしても、答えは一緒だと思う。たった一時間じゃ根本的な解決なんて見いだせないから」


「俺たちが主張してた『守るべき伝統』っていうのも、たったの三十年のことなんだ。その春に稚魚を川に還したので、ちょうど三十回目。平安時代から続く行事ならいざしらず、たかだか三十年の歴史なんて、誰も尊重しようとなんて思わないよ。それでも俺は、そこに積み重ねられてきた想いがあるって信じてたんだけどな」


「イッタのくせにアツいんだ」

「だろ。現実を知ってこうなった」って彼は皮肉っぽく言った。

「それでも伝統を守りたいって気持ちは、今も一緒でしょ?」

「それも厳密に言うと違うんだけどね」

「うん?」って私は首を傾げた。


「伝統を守れとか文化は保存されるべきだとか、そういう一般論もたしかにそうだけど、俺が本当に感じてたのはそういうことじゃないんだよ。俺は敬意を払えってことを訴えたかったんだ。その結果どっちに転んだにせよ、敬意を払うことに意味があるって考えていた」


「みんながまともに取り合っていなかったから?」

「それもあるけど、極端な物の見方をされてることに我慢がならなかった。だって考えてみろよ、三十年も続いてきた伝統が、その終わるか終わらないかの議論を、たったの一時間しか与えられなかったんだ。三十年のうちのたった一時間だよ、それがどれだけ一瞬のことか」

「時間によって価値が決まるわけではないと思うけど……」って私は言葉尻を濁した。

「でも跡部が敬意を表してたとは、とても思えない」

「それはそうだね」


「悔しいのは当時の俺がそれを正確に表現する術を持っていなかったってことだよ」ってイッタは小刻みにうなずきながら言った。「跡部に手玉に取られて、それでおしまいだった」


「シィちゃんもおんなじ思いだった?」

「うん。みんな飼育当番から解放されたことに喜んでばかりだった」

「目先の利益に釣られたってわけ」ってイッタは投げやりに言った。

「嫌な先生」って私は言った。


 ――イッタとシィちゃんは小学五年生にしてしっかりと自我を芽生えさせているようだった。それでも、小学生が大人との論争に勝てるはずはない。特にその跡部先生とやらは当時で五十代後半の老獪の教員だった(これは後でイッタたちに聞かされた)。彼にしてみれば、ちょっと知恵の回る生徒を抑えるくらい、さしたる程度じゃない。他の生徒なら尚更だ。そうやって子どもたちを意のまま操っていたってわけだ。


「でもね、私たちが反対したとしても、いずれ放流行事は取りやめになってたと思うんだ」ってシィちゃんは言った。

「どうして?」

「跡部先生は私たちの卒業と同時に他の学校に転任していったの。そして、そのときにはまだ飼育小屋は取り壊されないままそこに置かれてあったんだ。でもナツが言うには、体育館の改築と同じ頃に撤去されたんだって」


「陣頭の跡部が転任してから撤去されたってことは、要するに誰も復活させる気なんてなかったんだよ。むしろ心の中じゃみんな鬱陶しく感じてたんだ」


 私は飼育小屋に目をやった。そこには無意味な空間が広がっているだけだった。平べったいコンクリートの通路が、何ものにも視界を遮られずに続いてる。


 ところでこのときの会話を後年思い起こしてみるにつけ、私の胸に訪れたのは、彼らが聞かせてくれたことの中心にある事柄とはあまり関係のない、数字というものの神秘性についてや、やるせなさといったものだった。


 というのはまずやるせなさについて触れると、これは文化だとか伝統だとかいった保護されるべきものも、たった一人の悪意と、そして彼のほんの少しの労力とがあれば簡単に破壊してしまえるんだなということだ。ちょうど金閣寺の放火事件が同じ事柄の上位に挙げられるかなと思う。そう、あの三島由紀夫が題材にした事件だよ。


 それはよく癌細胞に喩えられるよね。何万何十万というものの中から、たった一つの異分子が現れる。そして彼は、そこに何かのカタルシスを覚えながら、やがては全てを破壊し尽くしてしまう。反対に私たちはいつも歯噛みする。やるせないっていうのはそういうことだ。


 そして第二に、つくづく不思議に感じるのは、歴史っていう名前の靴紐をどこまで伸ばしたら、文化や伝統として重んじられるんだろうかということと、その靴紐のうち、たったの5センチくらいのところで裁断されてしまうものと、もっと長く、5メートルも8メートルも伸び続けるものとの違いがあるけれど、その差は一体なんだろうということだ。


 それはたとえば相撲でもいいし平泉でもいいし、もちろん万里の長城でもモン・サン・ミシェルでも、なんでもいいんだけど、こうした事物に私たちが荘厳さや格調高さを見出しているのは、ひとえに現代という立ち位置に視点を置いてるせいではないかって、こう考えることがあるんだよ。つまり相撲なら相撲という事柄が世に現れたとき(それは必要性に応じて現れる場合もあるし、単なる思いつきから出現する場合もある)、その瞬間には誰も歴史的な価値、あるいは伝統的だとか文化的だといった付加価値を認めようとはしなかった。単なる事柄としての価値しか見なかったはずだ。そしておそらく未来の付加価値に対する投資もしなかった。つまり物事が起こった瞬間からそれを文化的だと感じ、それを守るべく文化保存の活動をしようとする人はいなかったはずなんだ。ごく一部の例外を除いてはね。


 それなら、じゃあ、この相撲というものをみんなが歴史的に(あくまで歴史的にだよ)尊重すべきものだ、あるいは価値のあるものなんだと感じたのはいつかといえば、それはちょっと矛盾しているかもしれないけれど、既に歴史的に長いあいだ継承されてきたあとの、既成事実として、歴史的であること、伝統的であること、文化的であることが認められた後のことなんだ。誰かがこれを歴史的であると認めた瞬間に歴史的な価値が備わったわけではなく(そういう例がなくもないけれど)、ふと気づいたときにはもう歴史的な価値が付与されていて、みんながその既成事実に追従しているだけなんだ、いや、きっとそのはずなんだよ。


 もちろん相撲という催し物に価値がないといってるわけではないんだよ。むしろその逆で、つまり跡部先生という悪意によって幕を閉じたサケの放流行事だけれども、その跡部先生は、シィちゃんが教えてくれたとおり、彼らが卒業したのと同時に別の小学校へ転任していった。彼は放流行事に異を唱える中核だったから、彼さえいなくなれば行事を復活させることは簡単だった。少なくともそう難しいことではなかったはずだ。ところが中庭の飼育小屋は彼が去った後に取り払われ、以後私の知る限り放流行事という伝統が蘇った事実はない。それらは他の残骸たちと一緒に焼却炉へくべられてしまったの。


 これにはイッタたちの説いた理由が大きく関わってると思う。「稚魚を放流しても無意味で残酷だ」という理由がね。だから跡部先生という悪意がこの綿入を襲わなかったとしても、いみじくもシィちゃんが言った通り、いずれ遠からぬうちにサケの放流行事は短い歴史に終止符を打っていた。綿入に住む多くの人たちも薄々その事実に気づいてたと思う。


 でもこれはさ、実のところサケの放流行事を保護しようとする人たちの努力の質量の問題で、どうにかやり方を工夫して現代に則した方法を編み出せば、行事そのものを存続させることはいくらでも可能だったんだ。相撲だってはじめ五穀豊穣を占う儀式だったものから、戦場武術、そして現在に見られる興行の形へと変化していった。イッタが学級会で唱えた提案は実際的な面で難があったにせよ、それに近い形での存続が、努力の次第では不可能ではなかったんだ。


 例えば回収した稚魚を地元の水産試験場に預けて、その一部を見返りとして返却してもらう。充分に育って成魚になった段階でね。それはあるとき給食のメニューとして机の上に配られる。サケのムニエル、カルパッチョ、刺し身、ちゃんちゃん焼き、石狩鍋、いや、調理方法はなんだっていい。君にあげるわけにはいかないけれど。それは一見残酷に見えるけど、子どもたちは自分が育てたサケを食すことで命の尊さや儚さ、あるいは矛盾を感じ、食育という方面から倫理を一つ身につける。


 もちろんこの方法にだって問題点や突破するべきいくつかの関門はある。でも私が言いたいのはそうではなくて、やり方というのは考え抜けば必ず見つかるものなんだ、ということだ。けれどもサケの放流行事ではそれがなされなかった。そして他の歴史的な文化では、それは充分になされてきたことなんだ。大坂城は鉄筋づくりによって支えられている。


 もしもサケの放流行事が三十年ではなく三百年続いた伝統だったなら、私が示したようなやり方、あるいはもっと完全で緻密なやり方が、どこからともなく浮上したはずだ。それは間違いなく形骸的な方法で、反対意見もたくさん出てくるだろうけど、そうした通過儀礼を逐一乗り越えることに、伝統や文化を『存続させる』という熱意が含まれている。イッタ的に言うなら敬意を表しているわけだ。つまり『存続させる』という意思は、それ自体が文化的な象徴に許された特権なんだ。


 だからこそ私は『相撲』というものとそうではなかったものとを見比べて、数字というものが私たちに与える影響力の大きさに、不思議さを感じたり、ときに困惑したりもしてしまう。三十年と三百年は遥かに違う。数学上の十倍という意味以上にね。


 ううん、たしかに、相撲にもモン・サン・ミシェルにも、それ自体の純粋な価値はあったと思う。その価値が過去にも未来にも認められたからこそ、存続を望む運動が起こったという見方だってある。


 事実私もどちらかといえば現代文学より古典文学の方を好むんだ。それはなぜかといえば、そういった文学には歴史的な価値以上の、知識や知恵や人文学の結晶的な価値があるからさ。文学的な技術体系の宝庫でさえある。


 逆説的にいえば、そういった絶対的な価値のあるものだからこそ『存続させる』という意思が生まれて、結果的に歴史的な価値をも認められるようになったのかもしれない。でも私は思うんだけど、そこにだって偶然性は関わっている。科学的にいうところの確率的に収束する地点という意味をも含めた偶然性がね。アレクサンドリア図書館は価値がないから燃えたわけじゃない。


 歴史という靴紐がどの部分で裁断されるかということについては、とても気まぐれで、災害、人災、政治圧力、自然消滅、様々な理由でマカロニパスタみたいに短く切られてしまう。ときには誰かの悪意によっても。


 だけれども、もしもその気まぐれを回避できたなら、三十年の歴史が三百年、そしてその後の三千年までも平穏に続いてゆくというわけだ。その平穏をもたらすのは、ひとえに私たちの熱意にほかならない。


 歴史的な価値が付与されることの偶然性や、その偶然性と数字(時間という言葉に置き換えた方がいいかもしれないね)の相関性を、私はいつも不思議に思う。考えれば考えるほど不思議だし、困惑しもするけれど、一方でとても神秘的にさえ感じるんだよ。歴史にifは存在しないというけれど、いみじくもその通りだ。何かしらの意思決定がそこにはある。まるで人知の及ばない、ロマンに溢れた決定が。

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