第六節(0206)

 特に行き先を定めていなかった私は、ひとまずナオ兄の助言に従って掘っ立て小屋の方に足を伸ばした。小屋を過ぎてその先の十字路を更に直進すれば、すぐに美術館の表口だ。


 生家の周りを懐かしむという当初の予定はこの際関係なかった。暇が潰せるなら手段はなんでもいいし、空のカンガルーポケットとは違ってパンツのヒップポケットにはしっかり財布が納まっている。


 入館料いくらだろう、って行きしなに私は考えた。でも特に考慮してみる必要はなかったから、あまり深くは考えなかった。帰郷に際していくらか贅沢な金額を下ろして来てたんだ。それに、片田舎の美術館ならきっと金額設定もそこそこだ。


 ところで「なぜこんな田舎に美術館が?」という疑問についてだけれど、この美術館はさる大手ゼネコンの創設者が、屋敷の一部を割く形で設立したものだった。館内には彼の生前の収集物である絵画や彫刻なんかが六百点ほど展示されていて、屋敷の一部を削ってまでこの場所を選んだのには地元への文化貢献という名目があったそうだ。


 私が幼い頃に何度となく見た真っ白で直方体の外観は、吉村順三という著名な建築家の作だった。美術館の正面まで回るとそこには枯山水の庭が広がってるんだけど、これも作庭家として知られる重森三玲という人の作品だ。


 この美しいばかりの十七歳の夏の日々には存在しなかったけど、後年敷地内には湯島天神を祀った大きな分社や来館者用のレストランも設けられ、この場所に訪れると綿入が辺鄙な片田舎だということをつい忘れてしまうほどだった。


 ただ、そういう貴重な場所でも、物心ついたときから目と鼻の先にあれば、それはやっぱりまっとうな価値を見出しにくい。第一にこの美術館は例の通学路脇にある登山道とおんなじように、周りの大人から立ち入り禁止区域に指定されている場所でもあった。それは子どもたちが館関係者に迷惑をかけるためというよりも、美術館の表口が交通量の多い旧北国街道に面していたためだ。それらの事情もあって幼い私にしてみると、この美術館はただそこにあって私の生活とは分離された建物でしかなかった。


 いや、もちろん。もちろんそうはいっても好奇心の旺盛な子どもだよ。言いつけを破って美術館の方まで足を運ぶこともあった。そのうちの一回では館内への進入も試みた。結果はあえなく失敗だったけど、二度目を試みようと思わなかったってことは、それにしたって単なる暇つぶしの思いつきだったんだろう。


 ところで十年後、十七歳になっていた私はかつての失敗が簡単に覆せると思ってた。なにしろ保護者が必要な身分でもないし入館料だって自由に払える。表口に着いてそこから伸びる遊歩道を進んでいるあいだに一切の不安はなかった。


 でも遊歩道の最後の角を曲がったとき、私の足はぴたっと止まった。数歩行ったところにガラス製のエントランスドアがあって、その奥には入館料を払うか案内を聞くかするためのインフォメーションセンターがある。カウンターは常備二人くらいの館員が配備されていそうな大きさだった。だけれどもそこにまるで人気はなくて、そもそも館内全体も照明が落とされて薄暗かった。両開きのエントランスドアだって固く閉ざされている。そのドアの中心部分、切れ目のところに、まるで封をするみたいに一枚の印刷紙が貼られてあった。


 センタリングされた大きなフォントの見出し文がまず目に飛び込んだ。『休館のおしらせ』。その下にいくらか行間を空けて小さな文字がびっしりと並んでる。平素より当美術館をご利用いただき……から始まるとても長い文章だったけど、かいつまんでいうと改装作業のため十一月の末頃まで運営を休止するって旨だった。


 前面をガラス張りにした美術館は、外からでもいくらか中の様子を伺えた。エントランスホールには無人のカウンターがあり、枯山水を前にしたロビーには外向きの長椅子が設けられている。でもそれより奥は日光も届かずどんよりしてた。


 いや、正直にいって私もこれはどうかと思う。つまり君に聞かせる物語として、こんな展開はあってはならないことだ。使わない銃を飾るべきじゃないってチェーホフも論じてる。だけどこれは私の物語でもあって、現実に起こった出来事を歪曲することもできないんだ。


 それに、私にも期待があった。生家から美術館までの僅かな距離に、私は単なる暇つぶし以上の期待を寄せ始めてた。ところが目論見が中心からぽっきり折られると、既に私の中で手段と目的が逆転していたことに気がつかされた。無い袖は振れない、だから近所の散策に戻ろう、とはなれなかったんだ。


 エントランスドアの脇に、普段は館内に設置されてるであろうカタログホルダーが出されてた。私のように休館を知らずにやってきた人への、せめてもの配慮だったと思う。パンフレットを一枚抜き取ってエントランスポーチの段差に腰を下ろした。

 初めのページを開くと、そこでは美術館の外観を背景に、建物にまつわる由来や建築主の来歴なんかが説明されていた。さっき私が君に聞かせた内容だ。


 展示品の説明は次の見開きから始まった。館内には和洋問わず様々な美術品が展示されているらしく、国内でいえば横山大観や円山応挙、高村光雲、外ではルノワールやシャガールといった芸術家の作品が紹介されていた。中でも目玉は島崎藤村の『破戒』自筆原稿、佐久間象山の韻文『望岳賦』、松代藩主・真田幸貫の鎧甲具足といった展示物で、これらはパンフレットの中でも大きく取り上げられていた。


 パンフレットの最後にはアクセスマップと入館料も印刷されていた。高校生以下は五百円。良心的な価格設定だったと思う。残念なのは、いまこの状況をお金で解決できないことだ。もしもこの場で入館が許されるなら倍は払っても良かった。


 携帯端末に目を落としてみると時間はまだ一時をいくらか回ったばかりだった。たぶん生家を出てから五分と経ってない。してみるとトモ兄に言われた四時が遥か遠くのように感じられた。ただ時間だけを流すやり方は精神的な工夫も要る。今やすっかりそんな気分じゃなかった。


 顔を上げると例の枯山水が見えた。館内ロビーからの鑑賞を想定した前庭が、エントランスポーチからも支柱越しに眺めることができたんだ。近くの山を借景にして、きれいな景色だったと思う。このとき私が肉眼で見ることを許された唯一の作品だ。


 出鼻をくじかれたことで私はしばらくその枯山水を眺めてた。垣根を曲がってたどり着くエントランスは表の道からは死角だったし、改装作業も週末には手を休ませるのか、館内には作業員の姿もなく、入り口に腰掛ける私を咎めようとする人はいなかった。


 背中に振り返るとドアにはまだ『休館のお知らせ』が貼られてあった。この美術館が近くに在ったときは年齢に阻まれて、遠くからやってきたときには何かの事情によって阻まれる。三ヶ月も経てば再び自由に出入りできるけど、そのとき私はここにはいない。時間や空間の軸がこうも歯がゆく噛み合わないのは、ちょっと悔しいものがある。本当にさ、こういう場面に遭遇したとき私は常々感じるんだけど、どうして人生のカレンダーってやつは、私たちの思う通りに数字を並び替えさせてくれないんだろう。


 モダニズム建築の白い直角の建物と、あまりにも日本的な枯山水の庭は、極論と極論をぶつけあわせてアウフヘーベンするみたいに、不思議な均衡のもとで見事に調和してみせていた。熊手で掻いた波の一つ一つが美しくって、どれだけ眺めていても飽きがこない。


 そうして眺めているうちに、私はふっとデジャヴュに襲われた。エントランスの段差に腰かけた、いままさにここからの景色を、いつかにも目で捉えた覚えがある気がしたの。


 それは錯覚じゃなかった。青い空を仰ぎ見て、私はこの既視感が何であるかを思い出したんだ。幼少期にも一度だけこの美術館への進入を試みたって話を、私はさっき君に聞かせたと思うけど、既視感はまさにそのときのものだった。


 垣根の遊歩道を曲がって、幼い私は美術館のエントランスを前にした。そしていまお尻をつけているこの段差を、小さな足で踏みつけた。横を見ると枯山水が広がっていた。七歳と十七歳で視界の高さが違うのは、ちょうど座高の計算によって辻褄が合わされていた。


「ねえ。。やっぱりやめようよ」


 既視感の原因を発見したのと同時に、かつての幻聴を聞いた。勝ち気に決意した私の袖を引っ張る、幼馴染みの声だった。


「こんなことしたら怒られちゃうよ。コオリちゃん。ねえってば」って彼は繰り返した。


 出会ったばかりの頃、彼は舌っ足らずな個性から私の名前、下間瑚和(いや、当時は堀田瑚和だ)をうまく発音できずに、コオリちゃんって呼んでいた。


「泣かないでよ。イッタの意気地なし」って、一方で私は彼のことをそう呼び続けてた。彼の名前は『一汰』って書いて、本当はこれをヒデトシと読むのだけど、冷やかしにイッタって呼んでやったらなぜか本人が一番喜んでいた。そうやってある種の自然発生的に、お互いの呼び名が定まっていた。


 私とイッタ――幼い二人の子どもは、しばらくエントランスの前で館内に入る入らないの押し問答を繰り広げてた。そのうちにフロントにいた係員の女の人が駆けつけてきて、ここは保護者抜きでは立ち入れないんだと優しく諭された。


 それで、そのあとは一体どうなったのかな。館内に立ち入れなかったのは確かだけれど、あの頃の私が素直に引き返したんだろうか。いや、そうではなくて、もしかしたら癇癪を起こしてたかもしれない。あれは何歳の頃のことだったろう。


 それにしても。「またイッタか」って私はつぶやいた。午前中、生家に向かう最中にも通学路を眺めて彼のことを思い出していた。そもそも近所で同学年は彼しかいなかったから、思い出して当然といえばそうなんだけど。


「暇だしな」って私はまたつぶやく。

 彼の家は生家から一分もかからない位置にあった。この美術館からだとそれが倍にはなるかもしれない。どっちにしても全く大した距離じゃない。


 はっきりいって彼に会うつもりはなかった。別に仲違いしてたとかそういうことじゃないよ。でも生家の差し押さえを聞かされてからも、実際に綿入に帰ってきてからも、彼に会う未来を予想していなかった。彼は男の子だし、十年ぶりに再会して何を得られるとも思えなかったんだ。彼には彼の今があって私には私の今がある。それらは十年前にすっぱり切り離されたものだし、今になって再結合されるものだとも感じていなかった。


 それに……会おうとしなかった理由は他にもある。私たちはこの十年のあいだ一回も連絡を取り合ってなかったし、だからいま私が帰郷していることを彼は知らない。こっちは久しぶりの生まれ故郷で非日常を味わってるからいいとして、彼にとっては日常の中に突然異分子が現れるわけだ。つまりもともと温度差が違う。そんな相手とうまくことを運ばせられるだろうか。私にはそんな技量はない。

 まあ、だから、要するに保身だ。失敗して恥をかくのを恐れてる。


 それでも事ここに至ると義理を欠く気もした。社交上の挨拶くらいはしておいたほうがいいかもしれない。

 いや、どうしよう、と私は悩む。


 いや、さ、仔猫くん。こんな些細な選択でも、私は自分自身の決定にこれほどまでに自信が持てないんだ。一旦悩みだすと情報の波に溺れて、冷静な判断ができなくなってしまう。そのもやもやした状態に苛立って適当な選択肢を選んでしまうと、それは常に正解の裏になる。かといって考えに考え抜いた道が正解とも限らない。その決定にも多く失敗を味わわされてきた。


 結果私は十七歳の時点で既に、最も怪我のない道を選ぶという打算的な性格を獲得してた。そしてこのとき怪我を避けられるのは、幼馴染みとは会わないという選択の方だった。ことを起こさなければ平坦で済む。


 だけどまたそこでふとよぎったんだ。かつて同じ土地に生まれて、同じ時間を遊んで暮らし、順当にゆけばお互いの成長を見守る仲でもあったはずの私と彼は、いつしか遠い遠い距離に隔てられて、そのあいだを埋める消息もないまま、無闇に長い年月を費やした。あるいはその距離は、生家の問題が発生しない限り、二度と縮まることもないはずだった。それがいま瞬間、強烈な引力に寄せられて、例えばハレー彗星やヘール・ボップ彗星のように長い周回軌道の途中で急接近してる。この瞬間を逃してしまったら、次の天体ショーまで何十年も待つことになるか、もしくはそんな機会は私たちの生きてるうちにはやってこないかもしれない。


 この瞬間を見過ごすのは大きな損失だ。いずれの道を選ぶにしても決定は慎重に行わなければならない。人と人との出会いっていうのはいついかなるときもそうで、無数に枝分かれする平行世界の根本の部分に最も大切な選択が委ねられている。


 幼馴染みに会うかどうかを他の誰かはここまで大げさに考えるものだろうか。ううん、私にとってはそれくらいの問題だ。人生の選択の一つ一つが重要で、あまりにも重大すぎるから、判断を持て余してときに投げやりになってしまう。


「面倒だなあ」ってつぶやいて、私はおもむろに立ち上がった。それからぐっと背筋を伸ばして、「行ってみるかあ。イッタんち」


 もし美術館が開いていたら、きっとこんな風には考えなかった。だからチェーホフの銃も、すこし広い視野で見れば正しく使われたことになる。たぶん。


 仰々しい名前に比べて幅狭の旧北国街道へ出て、すぐ脇の隘路に進路を取った。

 イッタの家は隘路をまっすぐ進んで突き当りの角にあった。このあたりでは珍しいレンガ造りの外装で、彼が生まれるちょっと前に一家が越してきたことから、周りの家と比べても比較的新しい風だった。表の道に通じるガレージと隘路から玄関までを繋ぐ通路と、入り口は二箇所ある。


 外から見た限りでは建物の雰囲気は昔となんら変わっていなかった。玄関正面の通路から入って、横手のガレージに目をやると、車幅二つ分確保された空間に、車が一台だけ停められていた。


 ところが玄関のベルを鳴らしてみても中からは反応がなかった。車一台置かれてあるってことは、誰かしら留守を預かってるはずだ。少なくとも私はそう踏んだのだけど、二度目にベルを鳴らしてみても相変わらずインターホンは無音のままだだったし、家の中からも物音らしい物音は響かなかった。


「あれ?」って私は首を傾げた。まさか不在ということは想定していなかった。

 試しにノブに手をかけてみると、ドアからガチャっと戸バネの外れる音がした。施錠を確認しようと思っただけの私は慌てて手を離した。


「留守、なんだよね?」


 もう一度、今度は確実にノブを引く。見た目からして厚みのあるレリーフ調のドアが私の非力な手によってゆるりと開いてく。でも「ごめんください」って挨拶しても中からはやっぱり反応がなかった。そもそも人のいる気配がまるでない。三和土の靴はまばらにあってそれだけでは判断できそうになかった。


 田舎にあって施錠の習慣があまりないということを知らなかったんだ。だってあの生家でさえトモ兄はしっかり鍵をかけてたんだ、混乱するのも無理ないよ。とはいえ現実、この家に人気がないことを目の当たりにしてしまってる。


 後ろ向きにガレージの見える位置まで下がると、そこにはやっぱり車が一台停められてある。私は首を傾げた。


「片方の車にみんなが乗って、出かけていった」って私は敢えて口に出して状況の整理に努めた。「鍵がかかってないのは、すぐに帰ってくるから?」

「じゃあ、しばらくこの場で待たせてもらえば、いいのかな」


 あまり深く考えずに玄関脇の日陰にしゃがみこんだ。昼下がりにもなると太陽からの熱線が容赦なく肌を刺激する。目的がイッタに会うことなら、この場で待つことが最も合理的だと思った。


 空は青々として、午前中と違い雲も太陽も夏そのものだ。この場所から見えるのはそれだけで、隘路の向こう側はリンゴ畑に覆われている。表の道を走る車もほとんどなく、遠くから鳴り響くセミの声だけが田舎の静寂を破ってる。とりわけ面白みのある景色ではないけれど、涼しい日陰から覗いているとそれも悪くなかった。


 だけど不意に、この状況を冷静に見る瞬間がやってきた。

 外出先から帰ってみると、玄関先に正体不明の少女が座り込んでいる。近所では見かけない顔だし、誰一人思い当たる節もない。訝しんで声をかけようとしてみると、少女は笑顔でこちらに歩み寄ってくる。


 まるで安っぽいホラー小説だ。いやそうではなくて、玄関先で不在相手を待つなんておよそ常識的とは言い難い。わからないけれど、私が思い描く一般常識の中ではそうだ。そんな常識的ではないことを、私はかれこれ五分もこの場で続けてた。そうではなくて適当に近所をぶらきながら彼らの帰りを待つべきだった。

 慌てて腰を浮かせた。だけど今一つのところで手遅れだった。


 そのときガレージで甲高い音が響いたの。なぜか車の音ではなく自転車特有のブレーキ音だった。ブレーキのあと、スタンドを下ろす音、ガサガサとポリ袋の擦れる音って続いた。


 ガレージから続く通路と隘路へ出る通路とは途中で見事に交差してる。つまり私が動けば相手からは丸見えで、玄関先に立つ私は、もうこの場を動けそうにない。


 人影がにゅっと現れる。片手にコンビのレジ袋、逆側の手には携帯端末、視線はメッセージの送信か何かでその携帯端末に注がれて、耳につけられたイヤホンからは大音量の音楽が漏れ出している。ご機嫌にも彼は鼻歌まで口ずさみ、まるでこちらには気づいてないようだった。

 私との距離が二歩か三歩まで近づいたとき、ようやく彼は視線を上げた。


「うん?」って彼は、特に警戒を持たない様子で、私という奇妙な侵入者と対峙した。でも次の瞬間には怪訝が浮かぶ。

「どちらさま?」って彼は片方のイヤホンを外しながら、眉根を寄せて言った。


 彼がイッタであることは一目でわかったよ。なにせここは彼の家だし、私は彼に会いに来たわけだからね。でも当たり前だけどイッタはそうではなかった。そしてここにきて、私はもう一つ、大事な見落としがあったことに気がついた。もしイッタが私のことを覚えてなかったら? 私は急に声を失った。


 私が何も答えないことで、イッタの表情はますます険しくなった。

 そのとき彼が目まぐるしく思考を渦巻かせてたことは疑う余地もない。例えば目の前にいるのがフォーマルなスーツを身にまとった三十前後の女性なら、彼はきっと訪問販売か新興宗教の勧誘のどちらかであると決めつけられたはずで、あるいはもっと幼い四歳か五歳くらいの女の子が迷い込んでいたとしたら、「ここは君の家じゃないんだよ」って追い返すことも簡単だった。そういう意味でいうと十七歳って中途半端な年齢は、こういう状況にはとても不利に働いた。

 私たちは一言も発さないまま固唾を呑みあった。


 まったく、笑っちゃうよ、十年ぶりの幼馴染みとの再会が、まさかこんなお粗末になるなんてね。


「もしかして」って、先に口を開いたのはイッタの方だった。彼は耳に残るもう一つのイヤホンを外し、自分の思いつきに疑いを持つように、「え?」って目を見張り、それからまじまじ私を見つめた。


「まさか、コオリ?」


 私は必死に首を動かした。声が喉元まで出かかって、だけどまだ言葉にならない。

「信じらんない。嘘だろ」って彼は瞳を潤ませて言った。「コオリ? 本当にコオリなの?」


「忘れられてたら、どうしようかと思った」ってようやくそこで声が出た。「いまね、家の都合で帰ってきてるの」


「ああ」ってイッタは、一瞬生家の方を眺めるような角度で硬直して、「そっか。そういうことか」ってうなずいた。

「聞いてるよ、聞いてる。大体は親から聞いてる」って彼は続けた。「なんか、ずいぶん大変だったみたいだけど……」

「ごめんね、なんて説明していいかわからなくて」って私はそれには取り合わずに言った。

「え?」って彼は一瞬戸惑った。「ああ、いや、気にするなよ。確かにちょっと驚いたけど、でも、コオリだってわかったら、そんなの全然」

「うん」って私はうつむき加減にうなずいた。


「とりあえず、中に案内するよ。といっても、鍵はかかってないんだけど」

 彼の腕では重みのある玄関扉も簡単に開けられた。イッタは片手でその重いドアを支えて、私を中へ通した。


「時間は? 手伝いとかは大丈夫なの?」

「うん。夕方までなら」

「じゃあ、こっちには手伝いで戻ってきたってわけじゃないんだ?」

「私はそのつもりだったんだけど、あんまり必要とされてないみたい」

「でも呼ばれて戻ってきたんだろ?」

「そうだよ。それなのに」

「へえ。それじゃただのマスコットだ」ってイッタは笑った。


 あの泣き虫だったイッタが笑ってみせている。あまつさえ冗談まで言って。十年ぶりの彼の外見には、どんなことにも動じない屈強さと、それから利発そうな雰囲気が備わっていた。彼との再会に私の鼓動は高鳴っていた。

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