第四節(0204)
二人を載せた車は頭から生家の駐車スペースに突っ込んで、ちょうど助手席側のドアが玄関ポーチの横になる位置で停車した。
エンジンが切られるとすぐにトモ兄が降りてきた。彼は開口一番、
「こんなとこに座ってちゃ汚れるぜ。少しは気を遣えよ、女なんだから」
彼らの到着に合わせて一旦後ろに身を引かせていた私は、お尻を払いながら聞き流すようにその言葉を受けていた。だけどトモ兄の顔を見たら急に使命を思い出して、
「だって疲れたんだもん。誰かさんのせいで」って上半身を差し出しながら言った。
「おお、そうだった、ま、ご苦労さんよ」って彼はまるで意に介してないように私の肩を挑発的に叩いて言った。「なんにしても早かったじゃねえか」
「十分くらい待ってたよ」
「わりいな。予定より遅れちまってよ」
「道、混んでたの?」
「いや、出がけにちょっとばたついてな」って彼はそれ自体は特に問題でもないように言った。それからちらっと運転席に振り返った。
すっかりエンジンの切られた車の中で、ナオ兄は座席にかけたまま携帯端末で誰かと話し込んでいた。窓越しに目が合うと、彼は加速度のない平坦な動きで手のひらをかざし、「少し待たせるよ」の挨拶に代えた。
その様子はトモ兄もしっかり捉えてて、彼は仕方なさそうに(本当に仕方なさそうにね)、
「しかし、本当に歩いてくるとはな」って、間をもたせるように会話を続けた。
「トモ兄がそうしろって言ったんだよ」
「それにしても少しは頭を使えよ。誰かに送ってもらうんでもよかったろ」
「出来ないよ、そんなこと」
「そんなんじゃババを引かされるばっかりだぜ」ってトモ兄は言った。
「切り札としてね」って私は皮肉を込めて言い返した。「大変だったんだよ。サヤコさんだって車を出そうかって言い出すし」
「だからそれに乗じておけばよかったって言ってるじゃねえか」ってトモ兄は自分の予想が正しかったことに気を良くして言った。
「だから、出来ないって言ってるでしょ」
「つくづく不器用に育ったな」
まったくとことん嫌味な表情と言葉だった。たぶんトモ兄には何を訴えても無駄なんだろうと気がついて、大きくため息をつく。
「もういいよ、景色も楽しんでこれたし」
「いいならいいじゃねえか」
そのあたりで運転席を見ると、ようやくナオ兄も通話を終えたらしかった。彼は運転席から降りると、車体の後部をぐるっと回ってこちらにやってきた。
ナオ兄の顔を間近で見たとき、私の心は急な驚きに駆られた。
「ナオ兄?」って私は感情を隠さずに呼びかけた。
彼は静かにうなずいた。「見違えたね、コヨリ。本当に見違えた」
「待たせちゃったね」ってナオ兄は玄関ポーチに着くと、私に対してともトモ兄に対してともつかずに言った。それから私に向き直って、「明日のことで友だちと話し合ってたんだ」
だけどそのことを私はうまく聞き取れなかった。それよりもナオ兄の変化が衝撃だった。車の内と外とで見るよりも、いざ目の前にすると彼の変わりようは本当に衝撃だ。
私の覚えている限りナオ兄は、トモ兄から細胞分裂した双子のようで、片方が悪さをすれば悪さをするし、笑えば笑う、服の好みも音楽の趣味もほとんどおんなじだった。だけど今や彼らは独自の進化を果たしてしまい、立ち居振る舞いただそれだけを比べてみても、洗練もしくは野暮、その違いがはっきりとわかるんだ。
外見だって大きく変わってた。乾燥したかさかさの肌と、洒落っ気のない黒縁の眼鏡と、ぴんと跳ねた寝癖をそのままにした髪型が、ありし日の彼のトレードマークだった。それが今では白く絹のような質感の肌になり、眼鏡はコンタクトレンズに代えられ、中途半端だった髪も短く整えられていた。肉体労働のせいかやや太りじしになったトモ兄とは違い、線は昔より細く、カットソーのシャツとストレッチジーンズという安物のコーディネートからも充分に清潔感が溢れてた。
トモ兄の変化にも驚いたけど、学生時代の面影を残す彼とはまるで桁違いの衝撃だ。実のことをいえばナオ兄が車内で通話をしていたとき、私はその横顔を、はっきり彼であると認識できていなかったんだ。
「それはそうと、わざわざ歩かせてごめんよ」って、そのナオ兄が、十年前には自然と口にしていた言葉遣いまで忘れてしまったように、言葉の端々に折り目正しさを漂わせながら言った。「俺は迎えに行くべきだと言ったんだけれど」
「いや」って私は言葉を詰まらせた。思わずトモ兄に視線をやった。
トモ兄は私の反応を面白がってか、意地の悪い笑みを浮かばせてた。彼は不敵な視線をナオ兄に送ると、「お前の変わりようが信じられないみたいだぜ」
「職業柄ね、どうしても」ってナオ兄はさらりと言った。
彼は大学卒業後、県内では大手と呼ばれる商社に就職し、今はそこの開発部に所属してた。商品開発や生産管理に携わる一方でクライアントとのすり合わせも生じるその部署の社員は、他部署の社員と同様に、所作や言葉遣いに関しても徹底した教育を受けていた。もしくは社員も商品であるという精神のもとで、そこの組織に属する人はみんな、一定の型にはめ込むように人格を再組成させられていた。
「兄貴からは色々と屁理屈を聞かされただろうけれど」ってナオ兄は話を一つ前に戻して続けた。「要は親父と顔を合わせたくないのが理由なんだよ」
「ああ」
ナオ兄の丁寧な口調から兄貴とか親父とかいった乱暴な言葉が発せられるのを聞くと、私の頭はどうにかするとくらくらしてしまいそうだった。けど、丁寧も乱暴もどちらも一緒くたに混ぜ合わせた状態が、十年経って再会したナオ兄の、いわば自然な話しぶりだった。
「別に、親父だけが理由ってわけでもねえけどな」ってトモ兄は言った。
「それでも顔を合わせば口論になるだろ?」
「ええ、もういいだろそのへんで」
トモ兄が苦り切った顔をしている横で、私は心の置きどころに困ってた。ナオ丹兄の変化とは別に、状況が父の思惑通り運ばれていることに苦さを感じたの。案の定というか、二人は父が週末も仕事に出ていることを知らされてないようだった。
「まあ、とにかく、コヨリにはきちんと謝るべきだよ」ってナオ兄は言った。
「いや謝ったぞ。謝ったよな。なあ、コヨリ?」
「え。うん」って私は中途半端にうなずいた。ナオ兄はそれを良しとしなかった。
「兄貴、コヨリにだからってその態度はよくないよ」って彼は言った。
「おいおい勘弁してくれよ」
「あの、ねえ、ナオ兄、もう大丈夫だから」ってそこで私はとっさに言った。
こうなるまでは一方的に被害者と感じていたけれど、ナオ兄の真面目さを前にすると父の片棒を担ぐ私まで加害者のように感じられてきた。なんとなく後ろめたくなって、二人の仲が険悪になりそうだとか、いつまでも玄関先でもたついてる場合じゃないだとか、そういう言い訳を心の中でして、切り出した。
玄関ドアが開錠されると、トモ兄は我先に、次いでナオ兄が続き、最後は二人に先を譲った私の順で生家に入った。ナオ兄が私の前を横切ったとき、柑橘系の爽やかな香水の匂いがかすかに吹き抜けた。
二人は上がり框に立った途端、さっきの口論を忘れてしまったように不都合なく作業の確認を始めた。なぜかこの日もニッカポッカを履いていたトモ兄はポケットからメジャーを取り出してナオ兄に渡し、本人はしわの寄ったメモ帳とクリップペンシルを手にした。前もって段取りを決めてあったのか、二人のあいだでは計画が万全に練り上げられてるらしかった。
「私は何をすればいい?」って私は靴を脱ぎながら、三和土から二人を見上げて言った。
「ええ、お前は好きにしてろ」ってトモ兄が言った。
「兄貴」ってナオ兄はそんな投げやりな態度を咎める口調で言った。彼は私に向き直ると、「仏間にコヨリたちの物をまとめておいたから、持ち帰れそうなものがあるか確認してくれるかな」
「私たちのもの?」
「家を出てゆくときに置いていったものだよ」
「ああ」って私は言った。
「あるとは思えねえけどな」
「見てみないとわからないよ」ってナオ兄は、実際はトモ兄の意見をもっともだと考えているらしい、ちょっと気弱な態度で言った。
「トモ兄たちがまとめておいてくれたの?」
「小物整理のついでにだけれどね」
「親父のお達しだ」ってトモ兄は嫌味っぽく言った。直後に彼はナオ兄の肩を叩くと、下らないお話はこれっきりだとばかりに玄関脇の階段を指差した。ナオ兄が何を言うでもなく私に会釈して、二人は二階へ上がっていった。
私と母の荷物がまとめられてるという仏間は居間の一つ奥にあった。短い廊下を抜けて居間に入り、正面の襖を開ければそこが仏間だ。かつて母と私の寝室としても使われていた部屋だ。
トモ兄たちの背中を見送ったあと、私はすぐには仏間へ向かわず、一旦その途中にある居間に立ち寄った。特に何か目当てがあるというわけでもなかったけど、居間に踏み入った途端、この光景をもう一度収めておきたい気になった。
昨日と今日で代わり映えはなかった。発見という意味でも、細々したものを除けば目に新しいものはない。本棚代わりのスチールラックに寄って、そこに陳列されたトーマス・エジソンやエイブラハム・リンカーンの伝記をぱらぱらめくってみたけれど、特に食指は動かされなかった。すこし興味の惹かれた国語辞典も手にしてみるとずっしり重く、家まで持ち帰ろうって気を失った。
その本棚の一番下の段には、父が仕事で使っていた道路地図が陳列されていた。棚の右から北海道、青森、岩手、秋田って、日本国土を北から順に丁寧に並べられてあって、ほとんど全国の地図が揃ってた。無いのは沖縄くらいだったと思う。適当に抜き出してみると表紙には手垢や汚れが付着して、ずいぶん使い古されたものだってわかる。
父は私が物心つく以前から長距離トラックの運転手を務めてた。元々は製造業に従事していたけれど、社内で揉めて職場を去ると、それからは他人と深く擦れ合わずに済む運送業に転向したようだ。一度仕事に出れば数日間は家を空け、帰ってくる時間も朝方だったり夜中だったりとまちまちだった。だから幼い私はある時期まで父のことを「たまに家の中で見かける不思議な人」って認識していたし、父の方でも幼い私や母に気を遣って寝室を分けていた。それでも幼い私の目からは彼が長距離トラックの運転手という仕事を気に入っているようにも誇りに感じているようにも見えていた。実際に当時はお給料も良かったらしい。
ついでだから触れておくと母との出会いも彼の仕事が関係してる。母はその頃派遣社員として精密機器を扱う製造工場で働いていて、そこに部品の荷降ろしをしていたのが父だった。一介の派遣社員と一介の運転手がどういう経緯で知り合ったのか、その詳細を私は知らないし、両親の馴れ初めを深く掘り下げたいとも思わないから、そこは君の想像に委ねるけれど、ともかく二人は仕事上の接点から、お互いを現実に存在する一人の人間として認識し合ったわけだ。
年齢の差もあったし土地の差もあった。なにより父には二人の連れ子がいた。当時未婚だった母にとってそれらは枷にしかならなかった。それでも彼女はこの地に嫁いでき、私を生んだ。
軍人の名誉ある勲章とか文化人の功労を表した褒章の代わりに並べられた道路地図は、いってみれば父がかつての仕事に感じていた尊厳を形として残したものであり、同時に母や私に結びつける思い出の品でもあった。でもそれらはこの生家の中に相変わらず置きっぱなしにされて、昨日トモ兄が教えてくれたことを正しいとするならば、後日誰ともわからない他人の手によって簡単に処分されてしまう。私はそこになんとなく寂しさを覚えた。
だから次に私の胸に飛び込んできたことを考えるなら、こんなことはしないほうがよかった。スチールラックの本棚になんか寄り道せず、まっすぐ仏間へ向かうべきだった。
仏間に通じる襖を開けた瞬間、いや、まさにその瞬間に、私の胸に当時の後ろ暗い感情が蘇ったの。
私の立場から彼女のことをどう呼ぶべきかわからない。前妻とも違うし継母というのでは意味合いすら変わってくる。トモ兄たちのお母さんと呼ぶのも妙に他人行儀だ。それで私は昔からその人のことを単に『彼女』と心の中で呼んでいた。その彼女が仏間の奥の、天井に近いあたりの壁に飾られていた。
色彩情報の失われたモノクロームの彼女は、にこりともむっすりともしない平坦な表情を七歳までの私に絶えず送り続けてた。その冷淡な表情(私の目からはそう見えていた)に、私はいつも何かを責められているような感じを受けていた。大体三歳か四歳のときにはそういう感覚が芽生えてた。
物心つくより以前に彼女と私の関係性を教えてくれる人が周りにいたとは思えない。むしろ誰もが無意識に、私と彼女の関係に気を遣っていたと思う。子どもながらに私は、そうした周囲の空気を敏感に感じ取り、彼女がトモ兄とナオ兄の母であり、父の先妻である事実を知った。知ったというよりも、気付いたときには知っていた。そして私自身を異物のように捉えてた。
十七歳の夏の日々に、彼女の遺影はすっかり取り払われていた。数年後に知ったところでは、事前にトモ兄が新居まで運び出していたらしい。それでも私は天井付近の何もない空間に、当時の彼女の表情や、モノクロームの姿かたちを完全に保存された状態で見出していた。
すると不意に、祖母の家での朝の出来事が思い返されたんだ。仏壇に白米を供える儀式のあと、私は実存する祖父たちの遺影に、なにか責め苦を受けさせられている気持ちになっていた。祖父たちの遺影ばかりじゃなくって、写真全般、被写体と目が合うことは苦手だった。私がそう感じてしまう根源は、この部屋に存在した、彼女の遺影にあったんだ。彼女の視線には、はっきりと死者の恨みが込められていた。いや、つまり、私がそう錯覚していたという意味でだけれど。
仏間からは遺影と一緒に仏壇も運び出されてた。もともと仏壇の収められていた場所がすっぽりと空洞になっていて、人工的に切り抜かれた大木のうろみたいだった。
部屋の中心には私と母の忘れ物がまとめられていた。家中探し回ったという割に段ボール箱ひとつしかないささやかなもので、すぐに検分に取り掛かったとしても後回しにしたとしても、時間はたっぷり余るように思われた。
入り口に立ったまま段ボール箱を見下ろす。小さな子どもなら体育座りですっぽり納まりそうな大きさだ。その中に十年前の遺物たちが詰め込まれてる。覗いてやるべきか。今はやめておくべきか。私はしばらくその場で悩んでた。
だけど踵を返す理由がなくて、とぼとぼと近寄った。
上蓋を開いてみると、真っ先に目に飛び込んできたのはクマのぬいぐるみだった。あらゆる集積物が沈殿する頂点に、色あせて毛並みのヘタった彼がちょこんと座ってた。小さな腕を大きく広げ「ようこそこんにちは」とでも言いたげな様子で私を出迎えている。
こんなことをするのはトモ兄しかいない。気の利いたいたずらのつもりだったのだろうけど、今の私には結構効いた。
クマくんを脇によけて改めて箱の中を覗くと、集積物というのはまったく目を覆いたくなるものだった。古ぼけたハンディクリーナー、ヘアアイロン、毛玉取り、液晶のポケットゲームにトイカプセルの塩ビ人形、ところてん式に押し出す竹細工の水鉄砲や輪ゴムでくくりつけられたトレーディングカードの束。
底の方を確認するためにそれらはいちいち畳の上に広げられた。そうしてかつての私が愛用していたおもちゃを眺めてみると、これはどうにも現実味に欠けていた。堀田瑚和という女の子の遺品というよりは、なにか男の子のタイムカプセルを掘り起こしでもしたようだった。残念なくらい少女趣味が見当たらない。
たしかに幼い頃はトモ兄やナオ兄の影響が大きかった。幼馴染みを相手にチャンバラごっこに興じてたのも、それが田舎の遊びだからというよりは知らず知らず彼らに誘導されていたからだ。性格だって当時は勝ち気だったように思う。
だけどここに残されたものはそればかりが理由じゃなかった。つまり幼い私にも女の子らしい趣味はちゃんとあったんだ。ドールハウスや着せかえ人形やメイクボックスといったおもちゃたち。でもそれらはこの家を出てゆくときに運び出され、不必要とされたものが今畳の上に広げられてあるものだ。
「いい機会だから、卒業しちゃいなさい」、母の言い分に従って私はそのとおりにした。
それからの十年、彼らはこの瞬間を延々と待ち続けてた。なにかの拍子に私がこの家に戻ってき、彼らを見、触れられるまで、忍ぶように待っていた。勝手に捨てられた恨みを、その瞬間に晴らそうとするべくだ。
ところが、彼らは私を前にしたって目くじらを立てることもなく、じっと身をこわばらせているばかりだった。私の琴線に触れるものは何もなかった。彼らはとっくの昔に息を引き取ってたの。
もしも彼らを懐かしんでやれる気持ちが私にちょっぴりでも残ってたなら、彼らの心臓は今も鼓動を続けていたに違いない。本当に残念だ、彼らを前にしたって、私の心は砂漠の砂のように乾いたままだった。あくまで一般的な懐かしさということならいくらかは感慨深げにもなってみせたけど、それ以上の個人的な思い出には、どうしたって浸ることはできなかったんだ。なぜなら簡単な話で、彼らにまつわる個別のエピソードを覚えていなかった。
いや、笑いごとではないんだよ。一つ一つの道具を手にすると、遊んだという事実だけは思い出せるんだけど、それはとてもぼんやりしてて、具体的な印象ってやつにおしなべて欠けていた。どこか他人の目を借りてるような感覚だ。そもそも実際に手にとるまで彼らの存在さえ忘れてたんだ。
だから私は彼らに微笑みかけてやることもできなかった。薄っぺらい顔で「ごめんね」ってつぶやいて、それからひどく事務的に、彼らをダンボールの中へ押し戻した。
母が使っていたらしい家電類も、まとめて全部ダンボールにしまった。家に帰れば彼らより身なりがよくて優秀な子がいくらでも待っている。彼らはあまりにも古ぼけていた。
元あったようにクマくんを添えて蓋を閉じると、私の仕事はなくなった。
結局何一つ成果は上がらなかったし、残ったのは虚無感だけだ。
父の思惑は別にして、この仕事が本当にたった一つの目的だった。この仕事のために私は一週間も体調不良で寝込んで、乗り継ぎの電車を逃して、もっといえば結構な旅費を注いで、十年ぶりの生家まで戻ってきた。代えの割り当てはなにもないたった唯一の目的だ。それがこの瞬間に一切のかたがついてしまった。実働時間三十分、収穫はゼロ、誰にでも出来る簡単なお仕事。
せめて何か一つ持ち帰るべきだろうか。もう一度蓋を開いてクマくんの挨拶を見ると、そんな気も失せた。「こんなもの今更何に使うの」、母の幻聴が聞こえた。
天井を見上げる。遺影の残滓から目をそらす。壁を経由し、畳に視線を落とす。ため息が、出る。
「なにやってんだろ」って私は抑揚のない感情でひとりごちた。
途端に何もかもが虚しくなった。マスコットだとかカカシ役だってことについて、私はここにくるまで深く考慮してみなかった。現実がとうとう肩を並べると初めて実感が湧いた。
畳の上に大の字に倒れ、天井近くの壁をあえて凝視した。遺影が取り払われたその場所は、今や空虚な空間だ。私はそこにありし日の彼女の姿を彷彿した。
濡れ羽色の黒髪が美しい、きれいな女の人だった。すこし横向きに撮られていて、写真というよりは中世の貴婦人を描いた肖像画のようだった。少なくとも遺影という感じはしない。面影は、どちらかというとトモ兄よりナオ兄のほうが受け継いでいる。優しそうな目元は今のナオ兄にそっくりだ。
「あなたは生まれるべきではなかった」ってその目で彼女は訴えていた。もちろん幼い私の勝手な妄想だ。だけど今こうなってみて、結局は彼女の言い分が正しかったようにも感じられてくる。
二階からはときおりトモ兄たちの足音が聞こえてた。私の状況とは裏腹に、彼らの足音はどこか気忙しかった。
「なにか手伝えることある?」、そう訊いていれば気分もちょっとは晴れたかもしれない。頭の中でシミュレートしてみると、その先の未来はいくらか前向きだった。だけど実際は気が重すぎて、そんな青写真を実行に移す気にもなれなかった。
携帯端末を開いてみても、連絡は一つも入ってない。友人とも母とも、必要な受け答えは昨日のうちにすっかり済ませてた。
そこに何もないとわかっていながら、次に私はカンガルーポケットを両手でぽんぽんと叩いてみた。仮に文庫本を収めておいたとして、文字を追う気はたぶん起きなかった。それにしてもまったく、祖母の家から持ち出してこなかったのが恨めしい。時間をつぶす手立てのないことが虚しさを増殖させていた。
仏間では夏がそろそろ始まっていた。目を閉じて大の字に寝転んでると、皮膚に粘着性の空気がまとわりついてきた。決して汗を呼ぶことはなく、不快感を刺激するだけの熱だ。
生家の仏間には広縁(旅館の窓際なんかによくある空間だ)が確保されていて、広縁と仏間は障子戸で仕切られていた。庭から入り込むはずの風は、その障子戸と掃き出し窓によって遮られてる。ついでにいうと光もカーテンに遮られてた。このままだとどんどん気が滅入ってゆきそうだった。
むっくりと起き上がり、まずは障子戸と、それからカーテンを開放した。庭は手狭ですぐ向こうに隣家の壁が見える。それでも南向きの窓からは日中の爽やかな色合いが入り込んできてた。最後に掃き出し窓を開放して、私は縁に腰かけた。
思っていたよりも風はない。山から吹き下ろす風は住宅地の壁という壁に衝突してかき消されてた。それでも色彩があるだけまだましだ。
確かに庭の景色は鮮やかだった。少なくとも後ろ手の仏間に比べれば段違いの明るさだ。空だって、玄関ポーチに腰かけていたときと変わらないくらい青々と澄んでいる。雲の流れものんびりだ。段々と熱気のましてきた外界に、セミもそろそろ動きを起こし始めてる。飛び込めば私だって彼らの一員になれそうなくらい、太陽のもとではみんなが活動の中にいた。
かといって、すぐに気が晴れるほど安い心でもなかった。いや、安っぽい方が私としては助かるんだけど、どうしてもそう簡単には割り切れなかったんだ。そういう鬱蒼とした心を通して眺めてしまうと、ここから臨む景色はどれも明るいのに暗かった。
ふと携帯端末を見る。さっき開いたときから、時間は数分しか進んでない。まだ十一時にもなってない。
「トモ兄たちの時間に合わせる必要なんてなかったんだな」って、そのとき私は気づかなくてもいいことに気付いてしまった。三十分遅れたって三時間遅れたって、これじゃなんの影響もない。ううん、そもそも。
私は来る必要すらあったんだろうか。
そして「来る必要」がどんな言葉にかかっているのかを考えてみて、また更に虚しくなった。生家に来る必要があったのか? いや、生まれ故郷に戻ってくる必要があったのか?
ため息がまた出た。
相変わらず、二階からは断続的に物音が響いてた。多くは足音だったけど、たまに床と何かがぶつかるような音もした。二人の作業が順調な証だ。
物音に釣られて、ふらっと腰を浮かせかけてみることもあった。それは例えるなら夜行性の虫が街灯の光に集まるようなもので、特に意味のない、こんな心持ちにはよく起こる条件反射でしかなかった。再び腰を落ち着かせてぼんやりと空を眺める。
水墨画のような青い空が貼り付いている。
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