第三節(0203)

 玄関先の緩やかな坂を下ってアンダーパスを抜けると、そこから道は二つに別れてた。どちらの道を選んでも生家には続いているけれど、密集した住宅地を通るよりは開放的な気分を味わいたくて、昨日祖母の家まで送ってもらう途中にも通った、田園風景を貫く長い一本道を採ることにした。


 故郷といっても十年も離れていれば土地勘はめちゃくちゃだ。それに七歳の移動範囲なんてたかがしれている。だから生まれ育った町といっても、生家から離れるほど景色はより新鮮味を増した。


 昨日トモ兄の車に載せられ、そして今日は二本足で進む、この対向二車線のやや幅広の道は、片側に民家や果樹園を並ばせていて、それは山際に近い方だった。おかげで背中には相変わらず平地を走る高速道路が見えていたのに、しばらく道を進むと、彼が山肌をなぞっている姿は建物の陰にすっかり隠されてしまった。


 道の反対側には水田が広がってる。空間が縦軸にも存在することを忘れた、平坦な風景だ。顔を向けると綿入のずっと奥の奥の、名前もわからない山々まで一望できる。


 下では青々とした稲の海が山からの風でさわっとそよいで、少し視線を上げるとまばらに並ぶ木造家屋や、白いコンクリート造りの町工場や、スレート屋根をかぶせた集荷場の姿があって、その更に奥に、まるで誰かがいたずらにぺたっと張り付けでもしたような、現実味のない、薄みがかった半透明の山々が連なっている。


 空は透き通っていて、午前中には雲も穏やかだ。夏を思わせるおっきな入道雲もこの時間にはまだ形をなしてない、まばらな雲がのんびり浮かんでる。


 こうなってみるとトモ兄の策略も案外悪くなかった。こんな田舎らしい牧歌的な風景を、一瞬で通り過ぎてしまうんじゃあまりにもったいなかった。いや、だからといって溜飲を下げる気はなかったけどね。


 それでもうっかり忘れてしまいそうなくらいだった。午前中の涼しい空気を吸い込んで、全身が躍りだすと、もったいないと思いながらも歩く速度が次第に上がってく。


 道を半分まで進んだところに小さな工場があった。周りは一面の水田で、そこにぽつんと不釣り合いなコンクリート製の工場が建ってる。軒下に青色のプラスチックコンテナがたくさん積まれてあって、工場内ではそれをきのこの培養に使ってる。ここはえのきの栽培工場だった。


 その工場を過ぎたあたりから水田の奥にある景色は徐々に情報量を濃くし始める。一面の田園風景から一軒家の並ぶ田舎の住宅地へと、ゆったりしたグラデーションで変化する。同時に、手前にある水田も少し行った先から果樹園に切り替わる。


 そしてそういう変化の中心部分に、いみじくもここが特異点であるとでもいうように、周りの景色とは不釣り合いな直角の白い物体が現れる。こんな田舎じゃ他に比較する対象もないくらいの巨大な建物だ。それは町の子どもたちを一時的に収容する施設で、私もこの町に住んでいるあいだ一年間だけ通い詰めていた。


 長い一本道の上からだと民家に遮られて、小学校の全体を見渡すことはできなかった。民家の屋根を突き抜けた三階部分だけが純白の色合いを顕にしていて、他に見えるのは、民家の並びが途切れた先にある校庭だけだった。その校庭の前を小さな隘路が走ってる。


 校庭を横目にする、そのあぜ道よりか細い隘路は、当時の通学路でもあった。生家方面の子どもたちはみんなその隘路を通って登校し、下校の際も各々自由に隘路の上をゆく。


「ああ」って私は思わず声を上げた。

 急な懐かしさに駆られて、その場に立ち止まったの。


 通学路に思い出があるわけじゃなかった。それらしい感慨を覚えようとしたわけでもなかった。ただそのあまりにも細くてあまりにも心もとない隘路を見た瞬間、常に私の隣にいた人物をふっと脳裏に蘇らせてしまっただけなんだ。


 彼とは物心ついたときから何をするにも一緒だった。鬼ごっこも隠れんぼもチャンバラごっこも、いつだって相手の一人に彼がいた。幼稚園も一緒だったし小学校も一緒だった。驚くことに生まれた年度までおんなじだったんだ。


「あいつ、何やってるんだろう」って私は心のなかで独りごち、密かに微笑んだ。

 もしも時間に余裕があったなら、懐かしさを引き合いにして小学校の敷地を踏みたくもあった。だけど遅刻は許されなかったんだ。そんなことにでもなったら不満をぶつける立場が失われてしまう。かぶりを振って前に出た。


 だけどかつての通学路がすぐそこにあって、私の足が生家に向かって進んでいるということは、ここからはもう未知の農村なんかじゃなかった。勝手知ったる懐かしい綿入だ。田園を貫く長く幅広の一本道も、ちょっといったところで通学路とぶつかっている。


 例えば通学路と合流する手前には、農薬の希釈用水を貯めておく施設(正確には防除用排水施設といった)があって、農繁期になるとよく腕に黒い手甲をはめたおじさんや花柄のガーデニングハットをかぶったおばさんたちが、施設内の駐車場にブルーシートを広げて休憩所代わりにし、持ち寄ったお菓子を分け合ったり世間話に興じたりしてた。農繁期でもない今は無人の空間と化していたけれど、何もない駐車場に在りし日の光景を投じるのは簡単だった。


 その排水施設が面する一本道の、道の反対側には、この町で最も檀家の多いお寺さんの霊園が広がっている。本堂の脇にある墓地が手狭になったためお寺から離れた位置に作られた第二霊園なのだけど、ちょうど十年前に作られたばかりのときは一基か二基のお墓しかなかったのが、いや、十年経っても数はそれほど増えていなかった。まるで新興の都市計画をジオラマにしたみたいに、墓石の予定地がコンクリートで区分けされてるだけだ。でもそこに、十年前にはなかった高さ三メートルくらいの仏様の坐像が建てられると、それなりに霊園らしい威厳が生まれてるようだった。


 霊園の隣にある空き地は、お墓参り兼登山者用の駐車場として開放されてる空間だった。すぐ奥が丘になっていることから地元の子どもたちからはソリ遊びの場としても用いられていた。現に私も一年生のときに何度か遊びに来、遊び尽くした果てに一度ランドセルを置き忘れたままにしたことがあった。


 それで肝心の登山道はというと、ちょうど通学路と一本道が合流する辻にぽっかり穴を空けている。祖母の家の近くから続く山が、ここにきて道の脇にまでせり出してきて、最も張り詰めた頂点が登山道の入り口になってるの。入り口は注意しなければ見過ごしてしまうほど幅狭で、近くに設置されたトレッキングコースの案内板と『クマ出没注意』の看板でどうにかそれとわかる具合だ。


 生い茂った木々の下から覗き込むように登山道を見上げると、視線の切れる先までずっと崖の道が続いてる。片側を崖、反対側を土の地肌の壁にした、幅二メートルくらいの心もとない登山道だ。地面には擬木の丸太が打ち込まれて階段状に整備されてある。いくらか進むと道は緩やかに曲線を描き始め、崖の斜面に生えた木々が道の上に葉っぱを被せると、入り口からでは奥の様子に蓋がされていた。


 その先で山道がどうなっているのかをこのときの私は知らなかった。幼い頃この山は(山に限らず池だとか川べりだとかいった場所は)あらゆる大人から禁止区域に指定されていて、きっと興味はあったんだろうけれど、ついに登ってみようとは一度も思わなかった。言いつけを守らないことなら数え切れないほどあったのに、少なくともこの山は私とは無縁の場所だった。


 土の壁と木々がアーチを作って緑のトンネルみたいなのが、薄日の差す一枚の絵のようで、なんとなく心地は良かった。


 そうして山道を覗いてるあいだじゅう、あたりには菌床栽培特有の刺激臭が漂っていた。この通りでは二軒目になるえのき工場が、道のすぐ先に建ってるんだ。規模はさっきの工場の倍くらいあって、こっちの工場は今の時間からも稼働しているらしかった。七歳当時の私も、よくこの匂いを嗅いだ。


 工場を過ぎ、その先のローカル線の踏切を越え、もうちょっと行った先で十字路に差し掛かる。生家へは十字路を左に曲がるべきで、ちょうどその左の角に個人経営の小さなガソリンスタンドがあった。


 高速道路のPAに設置されてるくらいのこぢんまりした規模で、ここは小柄な老夫婦二人によって営まれてた。大手チェーンのお店と違って仰々しい洗車機もないし自販機の並んだ休憩スペースもない。給油機一台で回る、昔の片田舎ではよく見かけたタイプのお店だよ。


 私が通りかかったとき、そのガソリンスタンドはずいぶん錆びついていた。そもそも入り口が縄のロープで囲われていて、誰の目にもお店を畳んだことは明らかだった。かつて老夫婦が腰掛けていた日除けつきの待機所にも人気はなく、表面のコンクリートがただぼろぼろと綻んでいる。


 土曜日の下校時(私が一年生だった頃にはまだ土曜日の午前授業があった)になると、上級生たちはこの角を曲がるたび、必ず老夫婦のどちらが店番をしているか賭け合っていた。賭け自体には特に意味がなくて、おばあさんがいるときは店の敷地をショートカットに使わせてくれるという、それだけの理由だ。だけどおじいさんのときに同じことをやるとかんかんに怒鳴られて、いや、どちらかというと上級生たちはその結果こそ期待しているようだった。掃除の最中だったのか、手にしていたホースで水を浴びせかけられていることもあった。


 それでも上級生たちはこの遊びをやめにしなかったし、思い返せばおじいさんも本心から怒っているわけではなさそうだった。要するに近所の子どもと老人がお互いに構い合ってるだけだった。だって子どもたちからしてみると、お店の敷地を突っ切ってみたところで、たかだか数歩の省略にしかならないんだ。危険を冒してまで挑む道じゃない。


 返って私は無人のガソリンスタンドなら突っ切ってしまいたかったところだけれど、憾むらくは張り渡されたロープに阻まれた。「やれやれ」ってあえて口に出してみる。


 昨日橋の上から見た例のランドマークは、そこから百メートルもないところにそびえてる。製鉄の町工場が建てた金属製のサイロで、町にはこれより高い建物は存在しない。高さだけでいえば巨大な小学校より頭いくつか抜けている。そのサイロにたどり着きさえすれば生家までもう少しだ。距離はおよそ四百メートル、走ってもぎりぎり体力がもつくらいだよ。


 その四百メートルのあいだに曲がるべき角が三回あった。そして最初に曲がらなければならない十字路の端っこに地元のパン屋さんが店を構えてる。なぜか店先にヤシの木が一本植わってて近所の人からは正式な店名ではなく『ヤシの木のパン屋さん』あるいは『ヤシパン』と呼ばれて親しまれてた。店内よりも倍くらいある工房を持ったしっかりしたパン屋さんなんだけど、商品棚には自家製パンのほかスナック菓子やおにぎりまで並べられてあって、どちらかというと多角経営の食料品店のようだった。昔はよくトモ兄やナオ兄から使い走りにされたお店だ。


 さっきのガソリンスタンドと違ってこのお店は十年経った今でも経営を続けてた。角を曲がって店の横を行き過ぎようとしたとき、気だるい甘さの酵母の香りが、換気口を伝って私の鼻を刺激した。


 もう一度角を曲がったとき、辻には小さな杉林があって、酵母の匂いは杉のツンとした香りに変わった。そして最後の角を曲がると、生家の青い屋根はほとんど目の前にある。


 たぶん君にしてみれば、こんな辺鄙な田舎が道と道をどう繋げてるかなんて、ほとんど興味はないんだろうね。でもこれでようやく、昨日バスを降りてから辿ってきた、例の枝を保管しておく掘っ立て小屋の道に合流したわけだ。


 携帯端末を開くとまだ十時になっていなかった。いくらか足早になったり目移りしたりを繰り返して、祖母の家を出てからは大体三十分くらいで生家に着いたことになる。おおかたのところは予定通りの所要時間に落ち着いた。


「トモ兄たち、もう来てるかな」、思って私は小走りに駆け出した。ところが最初のゴールテープを切ったのは私の方だった。生家の駐車スペースには昨日の軽トラックはおろか車の一台も停まってなかったの。


 試しに玄関のドアノブをひねってみると、途中でがちりと固まった。いや、言いそびれてたけど、昨日生家を去るときにトモ兄がしっかり施錠してるのを見てたんだ。鍵はトモ兄のポケットにしまわれたし、もちろん私は合鍵なんて持ってない。

 さてどうしたものか。


 玄関ポーチの段差に腰を下ろして、ぼんやり空を眺めた。それから大きくため息をついた。遅れこそすれ待ちぼうけを食うとは思ってもみなかった。


 まあ、でも、悪くはなかったよ。軽い運動のあとには休憩が必要だ。それに日頃からなにかを待つ時間にそれほど苦しめられたりはしない。それならそれで文庫本の一冊でも持ち出しておくべきだったなと後悔はしたけどね。


 熱気はまだ本格的に夏を始めてない。汗ばんだ手をフェイスタオルで拭ってみたけれど、三十分のウォーキングのあとでも額を拭うまでの必要はなかった。


 上空ではかすかに風が出てきているらしかった。南から北に、じんわり雲が流れてく。まるで蝶々がさなぎの繭から這い出るように、形も静かに変化させていっている。のんびりとたゆたう彼らの姿は目にも心にも優しかった。


 フェイスタオルを腰のベルトに噛ませて、再び空を見上げる。

 雲も空もずっと悠久で、永遠に何も変わらないんじゃないかって時間が流れてた。いや、流れる時間すら止まったまま、何かだけが流れてるようだった。でもそのうちに現実がやってきて、通りの向こうから一台のステーションワゴンが近づいてくる。顔を向けると、助手席のトモ兄がフロントガラスごしに手を上げた。運転席にはナオ兄が座ってた。

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