第六節(0106)

 祖母の家はそこから百メートルもなかった。山の麓の傾斜地に構えられた住宅地は、どれも家の土台を石垣に支えさせていて、石垣は児童公園の方では背が低く祖母の家が近づくに連れて私の目線と同じくらいにまでなってった。どうも道自体も緩やかな坂になってるらしかった。


 その石垣がすとんと途切れたところ、砂利敷の駐車スペースに一台の車が停まってた。正門側から祖母の家を出た私は、近所をぐるっと回って搦手側の坂に帰ってきてた。


 車は高級そうな黒のセダンだった。一目で伯父のものだろうなとわかった。私設秘書という響きにその車の風合いはとても馴染んでいたし、サヤコさんのらしき軽自動車は坂が平坦になった先の、例の冷蔵庫群の通路に停められていた。そっちはバックパックを背負って訪問した際にも見えていた。


 伯父の車を目にすると、私は一瞬ぴたっと立ち止まった。なぜかといえば彼に会うためには準備が必要だった。しわがれた声。野太い声。眉や額に深く刻まれたしわ。脂肪によって細く尖った目。その声と顔に幼い私はよく叱られた。幼少期の私にとって彼は幽霊やおばけより恐怖の対象だった。準備というのはこの場合、落ち着き払って覚悟を決めるという意味だ。


 例えば彼と私のエピソードには、例の冷蔵庫群のものがある。トタン屋根が被せられた通路の脇に並ぶ、巨大な三つのモノリス型のステンレスドアからなる冷蔵庫群は、伯父がまだ特約店の事業を続けていた頃に使われていたもので、元々は大きな土蔵だったのを改装して作られた、冷房機能完備の保冷庫だった。


 普段だとそれは、製造元から送られてきた商品を一時保管するために用いられる施設だったのだけど、ある場合には悪さを働いた子を閉じ込めておく更生施設としても使われた。


 といっても使われたのは一度きりだった。そのときどんな悪さをしたのかも今になってはてんで覚えてない。とにかく何か伯父の怒りを買って、私は冷蔵庫群の中に入れられたんだ。文字通り頭を冷やせというわけだ。


 ステンレス製のドアは内側からは開かない仕組みだった。いや、要するに子どもの力では開けられないようになっていた。ドアの厚みは幼い頃の印象で、北極海に浮かぶ氷ほどあったんだ。


 電灯のスイッチも子どもの手には届かなかった。暗さと寒さで私は泣き出しそうになっていた。どうして私がこんな目に遭わなきゃならないのかもわからなかった。幼い頃の悪さなんてそんなものだ、大体のところ悪さだなんて思ってない。


 とにかく心細かった。二度とここから出してもらえないんじゃないかとも感じた。だけど、そう感じると、急に私の心は生き生きとした。


 一瞬のうちに思考の転換があったんだ。「いやいや、このまま一生閉じ込められるなんてはずがない。適当なところで、それもいずれ遠からぬうちに迎えにくるはずだ」。言語化するとすれば大凡こんなところをひらめいていた。


 そうするとここはもう私の遊び場だった。以前から伯父の事業が忙しいときには母が手伝いとして駆り出されていて、その場合、当然のオプションで私も母に付き添っていた。だから冷蔵庫内のどこに何があるかについては、暗闇の中でも明るかった。

 伯父がステンレスドアを開放したとき、私の両手はアイスクリームでべとべとに汚れてた。彼は近くの水道で私の手を洗いながら、「お前にゃ閉じ込めて置く場所もない」ってほとほと呆れてた。


 だけどそれは唯一伯父を負かせたエピソードだ。いつもは彼の叱りつける声に私のほうが泣きじゃくってた。当時の印象がそのまま十年後まで持ち越されていたために、私の足はその場に硬直されてしまった。


 もちろんそれは一瞬のことで、次の瞬間には坂を登り始めてた。

 事務所の角を曲がって縁側を横切ったとき、やっぱり居間には伯父の姿があった。窓越しに目が合って私は軽く会釈した。


「お帰んなさい、暑くありませんでした?」って、居間に上がるとまずサヤコさんが迎えてくれた。「冷たいものでもお出ししますね」


 居間の中心にどっしり構えていた伯父は、サヤコさんが言い終えないうちから言葉をかぶせるように、


「しばらく見ないうちに、ずいぶん大きくなったもんだ」って例のしわがれた野太い声で言った。酒焼けのせいか昔よりもっと声が低くなっているようだった。

「ご無沙汰しています」って私は祖母とサヤコさんのときよりも、気持ち背筋を正して言った。

! そんな挨拶なんざせんでいい」って彼は言った。「しっかし、なんだい、そんな男みたいな格好して」

「すみません」って私は急に萎縮して言った。


 伯父の表情を見るに、彼は友好的な態度で接しているつもりらしかった。けど彼の野太い声とこの地方特有のぶっきらぼうな口調が合わさると、どうあっても相手に攻撃的な印象を与えてしまう。十年前の思い出がここに来て猛スピードで近づいてきた。


「もう仕事は終わりなんですか?」って私は話題を変えようと恐る恐る訊いた。

「たまたま近くに来たもんで、立ち寄っただけだ。またすぐ出るよ」って彼は言った。確かに彼は居間でもスーツ姿のままだった。「んなことより、まあ座ったい」

「失礼します」って私は頭を下げた。


 すぐにサヤコさんが麦茶を持ってきてくれた。ひとまず喉を潤したくあったけど、伯父の手前、なんとなく慌てて手を伸ばすのもはばかられた。

 すると伯父は急に生家の件に触れ、


「しっかし、まあ、今回のことは災難だったな」って言った。彼は古い郷土の人が持つ無遠慮さと、多忙を極めた人が持つ特定の話題に執着しない特性を兼ね備えた人だった。「コヨリまで綿入に帰ってくることになるたあな」


 私は曖昧にうなずいた。伯父の人相は十年前に比べて声質と同じくらい険しくなっていた。元々多かったしわは加齢によって更に数を増してたし、これも酒焼けのせいなのか肌は不健康な黒みを帯びていた。肉付きも昔よりよくなって、何よりもまぶたのたるみが一層目つきを悪くさせていた。


「だけんども、あれだ」って彼は続けた。「綿入へ来る前に色々と聞いてきただろうが、お父さんのことを恨みに思っちゃならんぞ」


 私はそれにも曖昧にうなずいた。色々聞かされたのは綿入へ来る前ではなく、さっき再会したトモ兄の口からだったけど、そんなことは冗談でも言い出せる雰囲気ではなかった。


「なんにせよ、コヨリが元気そうでよかったよ」って彼は最後に言った。それだけ伝えるとやおら立ち上がり洗面所へ向かっていった。全体特に私の返事は求めてないようだった。


「仕事の合間に立ち寄られたんですよ」ってサヤコさんは伯父の姿がなくなったあとで言った。その質問を伯父に投げかけたとき、彼女は台所に発っていた。「コヨリちゃんが戻られるのを待っていたみたい」

「そうなんですか」って私は言った。「それなら、もっと早く帰るべきでした」

「ええ、ええ、いいんだよ」ってそれまで穏やかな顔で見守っていた祖母が言った。「そんなことより、コヨリが楽しんでくるほうが重要だ」

「そんなこと」って私は苦笑いした。

「そうね。なにかおもしろい発見でもありました?」

「すてきな場所が、いくつも」って私は素敵という言葉にちょっと仰々しさを感じながらも敢えて言った。「おかげで帰りが遅くなっちゃった」


 居間の柱時計を見るとすっかり五時を回ってた。とすると控えめに見積もっても一時間半は外で過ごしていたことになる。ざっと見渡すだけなら三十分で回ってこれそうなところに、ずいぶん時間をかけてたみたい。


「楽しんで来られたなら何よりですよ」ってサヤコさんは言った。それから手つかずの麦茶を見て、「疲れたでしょうから、お飲みになって」


 こういう彼女の態度はさながら料亭の女将さんのようでもあった。お客様を丁重にもてなすことを第一と教育された伝統ある老舗の女将さん。彼女の場合そうした態度は自然と生まれてくるものだった。相手が誰かによらず常に他人に寄り添おうとしてくれる。


 やっと喉を潤せたところで伯父が戻ってきた。せっかちな彼は洗面所から戻りしなズボンの位置を調整していたらしく、居間に着いたときにはベルトを締め直してるとこだった。


「ほいじゃあ、また行ってくるでよ」って彼は敷居の上から言った。

「お戻りはいつになられます?」

「ええ、早いよ。いつもどおりだ」って彼は適当な空間を眺めながら言った。「夕飯までにゃ戻るで」


 そのとき伯父と目が合った。私はこういうとき自分の立場でどう答えればいいのかわからず、無言で軽く会釈するだけにした。


「ここにいるあいだは、自分の家だと思っていいからな」って彼は言い、母屋を発ってった。


 伯父がすっかり姿をくらますと、「まあず、用だけ足しに戻ったよ」って祖母は愉快そうに笑った。そのすぐあとに砂利敷の駐車場の方で、タイヤが小石を踏みしだく小気味良い音が響いた。私は内心ほっとした。


 居間はまた例ののんびりした空気に包まれた。テレビのチャンネルは私が散策に出ているあいだもずっと一つの局に合わされていたらしく、今はその日最後の高校野球の試合を流してた。


 一つ落ち着くと祖母とサヤコさんはまた熱心に野球中継を見始めた。熱心にといってもそれは、例によってフォーマルな空間でクラシックの生演奏に聞き入ってるような、静かな態度ではあった。試合がどう展開してもそれによって感情が揺さぶられることはないようだった。


 だけどそうかと思えば、ボールカウントの表示が攻守交代を意味するまっさらな状態にリセットされると、それがどちらのチームの場合でも、彼女たちは決まって小さく残念そうな声をあげていた。


「どっちの学校を応援してるんです?」って私はほど近い位置に座っているサヤコさんに訊いた。だけど彼女は静かに微笑んだ。

「どちらということもないのよ」、「どちらにだって負けてほしくはないんですから」

「試合自体を楽しんでるんです?」

「それもどうかしら」ってサヤコさんは恥じらう少女のように、慎ましやかに言った。難解な謎掛けを出題されてる気分だった。

「コヨリも、大きくなればわかるよ」って祖母は言った。私はますますわからなくなって、だけどそれ以上は邪魔になる気がしたから、黙って二人の姿勢に倣うことにした。


 野球は基本的なルールを知ってるくらいだった。勝ち方や負け方を知ってるという意味ならサッカーやボクシングとあんまり変わらない。それでもクリケットやアメリカン・フットボールよりは詳しい。大体その程度だ。


 だけど高校野球はそんな理解度でもあるていど見てられた。展開が早いのが、動きのある映像として興味を引いたんだ。そういう意味では私も祖母たちとおんなじだった。勝ち負け云々ではなく、投げて、打って、捕る、投げて、打って、走る、選手たちのそうした動きに躍動を感じられるのが面白かった。そう、仔猫くん、ちょうど君たちが猫じゃらしに夢中になる具合にね。


 私たちが熱心に見始めた六回の表から、スコアボードは0を連続させながら九回まで進んでいった。九回の表にそれまで三点差をつけていた先攻のチームが、ノーアウト二塁三塁の状態からフェンス際のヒットで走者を進めると、それでようやくスコアボードに2がついた。送りバントが成功してもう一点加えると、結局攻守交代までに点差は六つまで開いてた。


 九回裏、最後の攻撃は虚しく三者凡退だった。選手たちのいなくなったグラウンドがしばらく映されたあと、映像はテレビスタジオに切り替えられて、六時台のニュースが始まった。アナウンサー特有の抑揚のない声で原稿が読み上げられてゆく。


「ほいで、どんなところが面白かったって?」って祖母はニュースにはまるっきり関心がないように、訊いた。

「え?」って私は言った。「ああ、外で、ですか?」


 訊き返すと、祖母は嬉しそうにうなずいた。

 祖母の家の居間というこの空間は、何もなければすぐに時間の概念から分離した。柱時計がぎりぎり分離を留めてるというだけで、放っておけば過去も未来も存在しないんだ。いま祖母が持ち出した、こういう返し縫いのような話の振り方も、親しい間柄で時折起こるそれとは違って、ひとえに彼女が時間という物質を忘れてしまっているためだった。


 不慣れな感覚に私はちょっとどぎまぎした。そして一つ一つを丁寧に、彼女たちの前に差し出した。レンコン畑、赤鳥居の神社、湧き水の池。それがいかに幻想的だったかを説明するのは流石に恥ずかしかったから、ごく現実的な部分だけを口にした。


 すると祖母は普段どおりの穏やかな口調で、それらすべてに解説を加えていった。つまりレンコン畑の由来とか、そういうことだ。解説の中には神社や池の由来書きにも記されていない、まったく未知のものも含まれていた。湧き水の池の水脈を辿ってゆくとクロサンショウウオの生息地に着くとか、あの山麓の寂れた神社以外にも、綿入には寺社仏閣が珍しくない(このささやかな町に大小二十から三十の寺社仏閣が存在しているらしい)というような地に根付いた解説だ。時おりサヤコさんが口を挟んで補足をすることもあった。


「どうしてそんなに神社やお寺が多いんですか?」、こう私が訊き返したときも彼女たちは丁寧に答えてくれた。


 まず、祖母の方ではこの質問に地形的な答えを用意した。つまりレンコン畑の由来にも関係する、後背湿地という単語だ。元々水害の多い綿入では、災害碑や慰霊碑の意味合いで寺社仏閣が建てられ、もしくはそこには災害を鎮めてくれるよう神様に願う、土着信仰としての意味合いもあった。


 一方でサヤコさんは祖母の解説を認めながら、社会的な理由もあると付け加えた。ここ綿入は、かつて交通の要衝として盛んだった北国街道の線上にあって、特に江戸時代には多くの人がこの道の上を行き交った。人と同時に異文化も持ち込まれ、そうした背景から当時の文化の象徴である神社やお寺さんが乱立されていったということだ。


 私は驚きと喜びを感じながら二人の話を聞いていた。二人は決して地質学の専門家とか人文地理学の権威というわけではなかったけれど、私もそこまで学問的な信憑性を求めてはなかったし、何よりもまず彼女たちの話が歴史的な事実かどうかにこだわっていなかった。


 当時のことを振り返って考えてみると、このとき私が求めていたのは古い時代より脈々と受け継がれる、生きた情報だった。彼女たちの語り口は決して自ら調査研究した結果を発表している様子じゃなかった。多くの人たちが口々に語られていたことが彼女たちの中で自然と一つにまとめあげられたような、そういう語り口だった。だからこそ心地が良かった。

 できるなら私はその話をもっと長く聞いていたかった。


「あら、もうこんな時間」って、だけど柱時計の鐘が一度鳴ったとき、サヤコさんははっとして言った。居間の柱時計は六時には六回、六時半なら一回って具合に三十分置きに鐘を鳴らしてた。


「いけませんね、お夕食の支度が遅れちゃいます」

 そう言うとサヤコさんはおもむろに腰を上げた。私はぼんやりしていて、その動きを見送りかけた。そうしてサヤコさんが居間を出てゆくかゆかないかのところで、

「コヨリも手伝ってきたらいい」って祖母が言った。「その方がお母さんも助かるよ」

「ええ、大丈夫よおばあちゃん」ってサヤコさんは敷居をまたぎかけたところで反射的に言った。だけどすぐに思い直したらしく、「でも、そうね、せっかくですから、もしよろしければコヨリちゃんにも手伝ってもらおうかしら」

「返って迷惑になるかもしれません」って私は急に心細さを感じて言った。「でも、手伝えることなら、なんでも」


 料理なんてそれまでしたこともなかった。母の教えでは、料理というのはスーパーマーケットの惣菜品をお皿に移し替えることを指していた。小さい頃からその環境に慣れきっていたため、私はある程度の年齢になってからも、家庭料理を学ぶという意欲に欠けていた。欠けてるというより、いや、そもそもそういう意識がなかった。


「普段からお手伝いは?」って台所に立ったときサヤコさんが聞いてきたけれど、そのときも私は急に恥ずかしくなって、「いいえ」って小さく首を振るだけだった。


 だから手伝いといえば聞こえはいいけれど、ほとんど足手まといになるだけだった。包丁の扱い方も、野菜の切り方も、魚をグリルに入れるときの向きも、何一つわからない。「お砂糖は小さじ一杯」、小さじってどれ? 「火加減は中火で」、どこからが中火なんだろう? まったく、疑問符しか浮かんでこない。


 それでもサヤコさんは忍耐強く注文を下してた。私になんか任せずに彼女一人であれこれ動いた方が手っ取り早かったろうに、サヤコさんはまるでそんなことに頓着しなかった。私の失敗にも彼女は寛容だった。


「最初は誰だってそんなものですよ」って彼女は言った。「すこしずつ慣れてゆけばいいんですから」


 その声の優しさに驚いて、私はまな板に落としていた目を、サヤコさんに向けた。彼女の目元は何かを愛でるときの形になっていた。

 恐らくだけど、私はこのときからサヤコさんに母親の代わりを見出していたように思う。寛容に接してくれる大人はそれまで稀だった。包丁を握る手から、少し力が抜けたのを覚えてる。


 茄子の味噌炒めと、かぼちゃの煮つけと、かますの塩焼き、それに味噌汁と白米と、あとは香の物でその日の夕食だった。私の手際が悪いのをサヤコさんがサポートしてくれて、どうにか夕飯時には間に合った。


 お勝手のすりガラス越しに外を見ると、すっかり日は暮れていた。


「明日もお願いできるかしら」

「迷惑でなければ」って私は言った。

「もう、やあね」ってサヤコさんはくすりと笑った。「私だってここに嫁いできたときは、てんでだめだったんですから」

「そうなんですか?」

「誰しも学んで育つのよ」


 父との再会はそのすぐあとだった。後片付けをサヤコさんに任せて、居間へ料理を運んでいる最中に、ばったり会った。台所の入り口にかけられた暖簾をくぐると、ほとんど目の前に父の姿があったんだ。


 父はこの時期離れに部屋を借りてたのだけど、そちらへは寄らずに仕事帰りにじかに母屋へ上がったらしかった。居間の敷居をまたごうとする彼の手には、通勤用らしいクラッチバッグが握られていた。


「おお、コヨリ」って彼はそのクラッチバッグで私の肩を小突くようにして言った。

 両手をお盆で塞がれていた私は、思わずよろめいて、意識は一瞬、父よりも料理が盛り付けられたお皿に向いた。


「おっと、大丈夫か。悪くとらんでくれよ」って父は笑いながら言った。

「お父さん」

「照れ隠しと思ったらつい力が入っちまった」

「ううん」って私は特に敵意がないことを示して言った。

「しかし、大きくなったな」って彼は今日のうちに何度耳にしたかわからない文句で続けた。「元気にしていたか」

「うん」って私はたじろぎ気味に返事した。

「まあ、とにかく運んじまえ」


 二人揃って居間に上がると、ソファに腰掛けていた祖母は、ちょっと不服そうな顔で待ち構えてた。


「急に小突くもんがあるもんかね」って彼女は言った。どうやら祖母の位置からも、父の動きだけは見えてたらしかった。

「ええ、堪忍してくれよ」

「大きいったって女の子なんだ」

「加減はしたつもりなんだけどな」って父は頭を掻いた。


 私はテーブルに料理を並べながら、ちらちらと伺うように父を見た。突然の再会ですっかり気が動転してた。それに、十年ぶりの再会だというのに、ここにくるまでなんの準備もしていなかった。どんな言葉を交わすべきか、頭が空っぽになってたの。


「じゃあ、まだ手伝いが残ってるから」って、お盆の上が片付くと、私は逃げるように退散した。

 台所に戻ると、サヤコさんはグリルからお皿へ焼き魚を移してるとこだった。あとは味噌汁を注いでご飯をよそえば終わりだ。

「もうお二人とも戻られました?」ってサヤコさんは居間の様子に気づいたらしく、背中越しに言った。


「いえ、父だけ」

「あら。お父さんはまだかしら」

「みたいですね。伯父さんの姿は見ませんでした」って私はお互いの呼ぶ父とお父さんの違いを確認するように言った。


「離れの方かしらね」って彼女はこちらに振り返りながら、つぶやくように言った。「コヨリちゃん、残りはお願いできます? 私はお父さんを呼びに行ってきますから」


 ああ、だけど、そのときとっさに、これが時間稼ぎの逃走手段になるとひらめいた。


「それなら、私が」って私は間髪を入れずに言った。「呼びに行ってきます。伯父さん」

「そう? それなら助かるわ」ってサヤコさんは私の意図には気付いてないようだった。「駐車場に車があれば、離れにいるはずよ」


 そして私は多忙を極めた演出をして居間の横を通り過ぎ、父とはろくに視線も合わせずに縁側の前を抜けてった。


 でも一応断っておくと、父との再会に気まずさを感じてたのは、トモ兄から聞かされた事実とはなんの関係もなかったの。当事者でありながら差し押さえをめぐる件にまるで関与していなかったことや、個人的な感情で私を呼び戻したということは、たしかに聞かされた瞬間には多少の衝撃があったけど、あるていど時間が過ぎてしまえばなんてことはなかった。前者は私に被害がないことだし、後者は……どうあっても現実、私は既にここにいる。この現実を変えられない以上、考えても無駄だったし、それに変えたいとも思わなかった。なんにしたって十年ぶりの生まれ故郷だ。


 だから単純に父親って存在が気まずかっただけだ。十年ぶりに会う父親に対して、思春期の女の子が当たり前に持つ感情さ。その点はやっぱり、兄弟や祖母に会うのとはわけが違う。


 離れに向かう途中、砂利敷の駐車場には例の黒いセダンがあった。隣には見慣れない小豆色の軽自動車があって、これは父のだった。とにかく伯父が帰宅していることを知り、私は冷蔵庫群の通路に折れた。


 通路の最奥にある離れは、元々納屋があった場所に建てられたもので、一階部分は本来の機能のままの土間の農具置き場、二階部分は居住区という、階層ごとに分離した造りになっている。ちょうど西部劇の映画に登場するパプみたいに、二階の各部屋は吹き抜けの廊下で繋がれてるの。隣の巨大冷蔵庫群と比べて規模は小さく、全部で三つしかない部屋は、今のところ伯父とサヤコさんと父によってすべて埋められていた。お勝手でサヤコさんに聞いてきたところでは、伯父の部屋は階段をのぼってすぐのところだった。


 ドアをノックすると、中から野太い声の返事があった。


「そろそろご飯になるので、呼びに来ました」って私は名前を告げてから言った。

「おお、わざわざ」ってドアの向こうで伯父が言った。「着替えが済んだら向かうでな」

「ああ、すみません」って私はとっさに謝った。「じゃあ、私はこれで」

「それよりか、シゲオは戻ってるんかや」

「父ですか? つい、さっき」

「そうか」

「もう、みんな揃ってます」

「ん」って伯父はくぐもった声で返事した。


 それからちょっと間があった。伯父がなにか言い出すかと続きを待っていたけれど、着替えの音らしきもの以外は何も聞こえてこなかった。


「じゃあ、戻ってますね」って私はいくらか経ったあとに言った。伯父からの返事はなかった。


 母屋ではもう夕食の支度が整っていた。焼き魚も味噌汁も白米も、全部食卓に並んでる。そこに祖母と父がいて、サヤコさんは仏壇に白米を供えているとこだった。


 といっても私はサヤコさんが何をしてるのかを初めからはわかっていなかった。大方のところお祈りをしているんだろうくらいにしか思ってなかったの。


 時刻は七時をまわり、山々に囲まれた祖母の家は夏でもこの時間になるとすっかり影の中に沈んでしまう。その影の中でサヤコさんは電気もつけずに仏壇の前に座ってたんだ。


 それが供米の儀礼だとわかったのは、こちらに戻ってくるサヤコさんの手にご飯茶碗が抱えられていたからだ。ご飯茶碗は食卓に載せられて、しゃもじで適当により分けられた。


「コヨリちゃんも、これくらいは食べられます?」ってサヤコさんは小ぶりに白米を載せたしゃもじを見せて言った。どのご飯茶碗も嵩増しされることを見越して少なめに盛り付けられていた。

「育ち盛りだからな、たんと食ったい」って父が遮るように言った。


 私は適当にうなずいてしゃもじの行く先を見守った。それから仏壇に目をやった。供米という風習についてはこのとき初めて知ったことだった。


 するうちに伯父が姿を現して、何が合図ということもなく粛々と食事が始まった。いや、まさに粛々だ。夕食のあいだはテレビも消され、音というのは基本的に箸と食器だけが立てていた。ゆっくりと、緩慢に、盛り付けられた料理が消費されてゆく。


 この空間には過去も未来もないといったけど、特に夕食時にはそのことを強く感じた。過去も未来もないというよりは、その瞬間は過去そのものだった。大昔の日本の食事風景が、祖母の家にはまだ残されていた。はっきりいって私は唖然としてた。家庭によって食事作法は異なるけどさ、それにしてもちょっと違いすぎていた。


「それで、こっちにはいつごろ着いたんだ」ってふとした拍子に父が言った。それで私は、とりあえずのとこ会話は許されてるらしいことを知った。

「お昼ごろ」って私はそれでも様子を探りながら言った。「ちょっと乗り換えに手間取っちゃって」

「電車のか」

「うん。二回乗り換えるんだけど、二回とも乗り遅れちゃった」

「そうか」って父は鼻で笑った。

「無理して始発に乗ってこられたんですよ」ってサヤコさんは父をたしなめるように言った。

「本当ならお昼前には着いてる予定だったのに」

「そりゃあ考え方の違いだ。乗り遅れるから始発を選んだんだ」って伯父は愉快そうに言った。「始発じゃなきゃ夕方になってたで」

「そう考えれば運がよかったかもしれませんね」

「なんにしてもご苦労なことだ」って祖母は総括のように言った。

「ほいじゃあ、駅からはどうやって来たんだ」

「駅から?」って私は父を見て言った。当たり前のことをわざわざ聞かれてるような感じがして、一瞬きょとんとした。「もちろん、バスでだよ」

「バスか?」って父は言った。


 そこではっと、トモ兄との約束を思い出した。あのずる賢い兄との約束が原因で、サヤコさんと祖母には本来乗ってきたのとは別の、もう一本の路線バスを利用したと説明してた。口を滑らせる前に気づけたのは幸いだ。


「バス停で調べたら、おばあちゃんちの近くまでバスが出てたの」

「この辺まで走ってるんかい?」

「近くに停留所があるで」ってそれには伯父が答えた。「循環用のルートに、ついでに設けたやつがな」

「ほんなら、降りてからも距離があったろう」って父は停留所の存在を思い出したように言った。


 一方で私はその停留所がどこにあるのかを実際には知っていなかった。


「ああ」って一瞬口ごもって、「でも、歩くのもそんなに嫌いじゃないから」

「嫌いじゃないって言ったってな」って父はどこか呆れたように言った。どうしてかこういう片田舎だと、歩くという行為に大変な労力を予想する人が多いんだ。父もそういう、文明の利器を信奉してる人の一人だった。


「若いんですから、ねえ?」ってサヤコさんは返って嬉しそうに言った。私も得意そうに笑ってうなずいた。

「それに、さっきだって、近所を歩いて回って来たんだよ」って祖母が言う。

「こんな暑い中か」

「楽しかったよ」って私は表情を崩さず言った。「大体は日陰を選んでたから、そこまで暑さも気にならなかった」

「なるほど、若さだな」って父はサヤコさんの言葉を引き取るようにして、やや呆れ顔を残しながらうなずいた。「全体、どのあたりまで見て回ったんだ」


 父に訊かれ、私はそこでまた日中サヤコさんたちにした説明をこの場でも繰り返した。それは確かに二度手間だったけど、十年ぶりの再会がうまく軌道に乗りだしたのを感じ、むしろ気をよくしてた。


 話がとうとう最後に立ち寄った湧き水の池に移ったとき、それまでは子どもの成長を見守るように淡々と聞いていた父が、


「そういえば、昔はこの家にも地下水が湧いてたっけな」ってふと思い出したように言った。

「そうなんだ?」って私は言った。「もしかして、庭の池?」

「昔はあれより一回りも大きくてな」って父は暗にうなずくように言った。

「じゃあ、庭のほとんどが池だったんだ」

「おかげで夏も涼しくてな」


 すっかり夜のとばりがおりて、庭先の様子はもうはっきりしなかった。居間からの明かりは小さな廊下を超えて、縁側の切れ目までしか届いてない。私は記憶の中にある映像をその暗闇に投げて風景を補完した。


 石造りの池と、岩と、松。申し訳程度の小ぶりな日本庭園だ。池の端には百葉箱に似た餌入れの箱があって、錠剤サイズの餌をその箱から取り出すと、伯父はよく中央にかけられた橋の上から、放り投げるようにそれらを水面に撒いていた。


 元々は池に泳ぐ鯉も庭園も、すべて祖父の趣味だった。彼が亡くなった後しばらくは伯父が餌やりの役を代わっていたようだけど、さっき見た限りだと、池はもう空き家と化していた。


「俺が子どもの頃には、よく池の水で茶を沸かしたもんだ」って父は言った。「茶の時間になると池から水を汲んでくるんだよ。それが大体は俺の役目でな」

「庭に湧き水があるなんてすごいね。水道も要らなそう」

「ええ、だけん直接は飲めんよ。一回火を通さなきゃ無理だ」

「なにが湧いてるかわかりゃしないからね」って父と祖母はそれぞれ衛生上の問題に触れて言った。なるほどと私は小刻みにうなずいた。

「じゃあ、今でも沸かせば飲めるの?」

「いや、その池が枯れたんだ」

「枯れた」

「ある朝起きるとな、庭先で親父が騒いでんだよ。池の水が枯れた、池の水が枯れたって言ってな。母屋の中にまで響いてたんだから、そりゃえらい騒ぎだ」って父は言った。「俺もこの目で見たが、すっかり水が引いてたよ。庭に穴がぽっかり空いたみてえになってた。それで仕方がねえからってんで、今の池に作り変えたんだ」


「つまり、もう水は湧いてないんだ?」

「水脈の流れが変わっちまったようでな」


 すると隣で聞いていた伯父が、急に体を揺らして笑い出した。彼は味噌汁をすするために一呼吸置いて、それから、


「ありゃあ親父の大博打だったな」

「大博打?」って父は言った。「なんだい、博打ってなあ」


「なんだいシゲオ、知らなかったのか」って伯父はまだ笑いを鎮めきれずに言った。「池の水が枯れたなんてのは親父の狂言だ。あとから聞いた話じゃ、庭を作り変えるために芝居を打ったんだとよ」


「んなこといったって、本当に水が引いてたで」

「夜中のうちに水を排しちまったんだ。ご丁寧にそこらじゅうから工夫まで呼んでな。俺たちはまだ子どもだったから、そんなこと考えもせなかったけど、まあ、親父にしても、よくあんな馬鹿げたことをしでかしたもんだ」

「おい、本当かいばあちゃん」って父は目を丸くしながら言った。

「やだよ、とっくに気付いてるもんだと思ってたんだがね」って祖母はこともなげに言った。


「にしても、なにもそこまでするこたあ」って父は急に感情を強めて言った。「庭を作り変える。それですむ話じゃねえか」

「後で俺たちから文句言われんのが嫌だったんだろう」って伯父はまた更に肩を大きく揺らして言った。「なにか事件でも起こしゃ納得させられると思ったんだ」

「呆れた!」って父は本当に心の底から呆れたように言った。背中の庭園に目をやって、大きく首を振っていた。


「湧き水が枯れるなんてこと、実際にあるんですか?」って私はやや声を抑えて隣にいたサヤコさんに聞いた。彼女は「どうなんでしょう」ってくすりと笑って答えた。

「水脈なんて、時々によって変わることもあるよ」って私たちのやり取りを見ていた祖母が、ぐっと身を乗り出して言った。「うちの庭のは、あの人が蓋をしちまったんだけどね」

「まったく、親父にははめられたもんだ!」

「お義父さんらしいわね」ってサヤコさんは言った。「私も初めて聞きましたよ」


 私は夜の庭にもう一度目をやった。祖父はどうやら豪快な人だった。その祖父によってこの庭は姿を変えられた。でも私にしてみれば見知った祖母の家の庭だった。

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