第五節(0105)

 正門側の坂を下ると、祖母の助言に従って例のアンダーパスを目指した。アンダーパスまではさほどもない距離なのに、肩も背中も軽く、それだけでバックパックを脱いだ効果がはっきり見える。


 せり出した山肌は高速道路の一部をすっぽり隠し、アンダーパスはその山肌が平地に変わる、ちょうど境目に通されていた。二車線の道路に歩道と農業用水路まで収めた、幅広のトンネルだ。アンダーパスを抜ければ、また生家までの道へと続く。


 けれどもこのとき私はアンダーパスを無視して、高速道路と並行する隘路に進路をとった。高速道路を目印にという祖母の意見を率直にとって、しばらくは田舎の道を壁伝いに進んでみることにした。


 祖母の言う通り、この町で高速道路は大きな目印だった。生家の近くではその姿が山の中を走っているためにうまく見られないけれど、それが祖母の家の近くでは、まるで一つ町をすっぽり覆う西洋の城壁みたいに平地を貫いている。遠く離れれば方角を知るのにも役立った。


 七歳の思い出にも、綿入は既にこの風景だった。水田やリンゴ畑や、緑の多いこの地域に、灰白色の人工物が長い一本道を作ってる。それはこの地に生まれた子どもにはとても自然な状態で、ちょうど多くの人が万里の長城に雄大さを感じるように、決して牧歌的な均衡を破壊してはいなかった。


 あるいは、この高速道路は田舎の暮らしともよく調和していたの。あるところではアンダーパスが吹き通しになっていて、柱と柱のあいだにベンチやすべり台や鉄棒が設置されてるところもあった。日陰になった桁下の空間は夏でも涼しいらしく、金網のフェンスに覆われた児童公園には、そのときも男児の姿が三つ四つあった。彼らは日の当たらない薄暗さとは別に、陽気にかけっこや鬼ごっこをして遊んでた。柱を挟んで隣の空間はどうやらゲートボール場になっているらしかった。数基あるプラスチック製のベンチの一つに、忘れ物のゲートボールスティックが一本立てかけられてあった。


 そこからやや行くと、次は桁下に大きな特殊車両が停められていた。全身を黄色く塗られて前面にバケットが搭載されたそれは、どうやら公共の除雪機らしかった。冬になるとこのあたりは雪深い白銀の世界に変わる。


「そういえば、雪だるま、作ったな」って私はつぶやいた。トモ兄たちと結託して生家の駐車スペースに特大のやつを作ったの。土混じりの見栄えが悪いやつだったけど、王様みたいにでっかくて、小石や枝を使って表情も与えてやった。その後買い出しに出ようとした母に怒鳴られたのも含めて、懐かしい思い出だ。


 太平洋側にある地元では、そういうことも出来なかった。引っ越してきてから何年か経つと、私もすっかり雪の積もらない環境に慣れていた。


 ――この旅は思い出に触れる旅でもあった。この帰郷旅行のあいだ私は何度となく十年前に置き忘れた記憶を拾い直してた。居着いていたのはたったの七年間なのに、この町には多くの記憶が眠ってたんだ。


 まるでそこに記憶の欠片が埋まっているとでもいうように、私は高速道路の壁に腕を伸ばした。手で触れてみると表面はひんやりと、かすかにざらついていた。


 そうして壁に触れられる場所は案外少なかった。大部分は金網のフェンスに囲われていて、あるいはフェンスと高速道路のあいだが土の斜面になっているところもあった。立体交差のアンダーパスや吹き通しが唯一触れられる場所だ。


 記憶の壁から離れると、奥に一台の車を発見した。ちょうど吹き通しの道路の真ん中あたり、最も日の当たらない路肩にその車は停められていた。


 古いセダンタイプの車だった。普段町中で見かけるときは、どこかの会社の駐車場にクローンと一緒にずらっと並べられてある型だ。一目で営業用の社用車だろうなとわかった。車は完全に停止しているのかと思ったけれど、よく見れば車体はエンジンの駆動に合わせて小刻みに揺れていた。


 近づいてみると運転席に男の人が座ってた。いや、あれを座ってると表現するのはちょっと微妙かな。彼は運転席のシートを全開に倒し、顔にタオルを被せた状態で瞑想してた。よほど集中してたのか一切動きはなかった。けど観察しているうちに彼の体がびくっと痙攣し、私は慌ててその場を後ずさった。


 そういう業務形態があることを、私はそのときまで知らなかったんだ。外回りの営業マンが会社に虚偽報告したいがために利用する場所は、冷房のきいた喫茶店かパチンコ店くらいだと思っていたの。


 路肩の社用車から離れるついで、高速道路からも距離を置くように、私は田園の中の舗装されたあぜ道を進んでいった。ちょうど壁を伝うのにも飽きてきたとこだった。


 祖母の家は綿入でも奥まった場所にあって、七歳当時の私にしてみれば生家からは県境をまたぐくらいの遠さにあった。だからこの辺りには全く土地勘がなかったんだ。それでも大胆に動き回れたのは、何度もいうように目印の高速道路のおかげだ。あぜ道を進んでゆくあいだも振り返れば彼がいる。彼は私が進むごとに遠ざかっていったけど、振り返ったときどのくらいの大きさに見えるかで、自分の立っている場所と祖母の家の位置関係はだいたい把握できた。


 水田は水田の区画、野菜畑は野菜畑の区画と、あぜ道の左右は能率的に棲み分けされていた。たまに視界を遮る密林の区画があると思えば、それはすべてリンゴ畑だった。


 この地域では果樹園といえばほとんどリンゴ畑を指していた。桃や梨といった種類は本当に稀なんだ。リンゴ畑はこうした田園地帯ではもちろんのこと、住宅地の内部にも当たり前のように存在してる。民家と民家のあいだにちょっとした隙間でもあれば、ちょうど囲碁棋士が起死回生の一手をそこに打つように、盤面の空白は簡単にリンゴ畑という碁石に埋められた。いみじくも生家の周りがそうであったようにね。


 秋に収穫期を迎えるリンゴは、この時期、全体の熟れ具合でいうと六分から八分ってとこだった。だけど個別に見れば青々としていたものや真っ赤に染まったものや、ばらつきも多かった。太陽の当たり具合で差が生まれるのかな、って、あぜ道を進みしな彼らをじっと観察してた。


 水田に張られた泥っぽい色の水や、すいすい泳ぐ茶色のカエル、青々とした稲が一部を黒く変色させているところや先端で羽を休める小さな虫、旬を迎えたキュウリやトマトの色の濃さ……観察といえば聞こえはいいけれど、私はそういったものに、このあぜ道の中で逐一目移りしてた。


 私は何にでも興味が移りやすかった。十七歳って年齢に達すると、周りのみんなは乾燥した手で砂をこぼすみたいにさらさらと興味を流していったけど、私はあいも変わらず手を濡らしたままだった。物事は基本的に新鮮で、そして不思議の対象だった。一言でいえば私は成長の遅い子どもだった。


 リンゴの区画を過ぎると、次もまた水の張られた農地が現れた。だけどそれはすぐにも水田とは違ってた。ぴたっと張られた水面の上に、無数のお皿が浮かんでる。陶芸の失敗作か、あるいは機能性より外見を重視したおしゃれなサラダボウルか、波打ったすり鉢状の葉っぱがびっしり埋め尽くされていた。


 見渡す限りの蓮畑だった。大きな車道を挟んだ先に広がっていて、車道の向こうにも舗装されたあぜ道が伸びている。あぜ道は100mくらい行った先で十字に分岐して、それぞれの角をすべて蓮畑が占めていた。その十字路の中心に立つと、文字通り全周パノラマの蓮畑だったんだ。


 夏はちょうど花の咲き頃だった。幾何学的に開いた花びらが、根本の部分ほど濃い赤に染め、先端に行くほど白いグラデーションを生んでいる。花びら一つ一つには粗い繊維の筋が入ってて、色合いも含めてちょうど桃の果実のようだった。


 普通、蓮の花は朝早くに開いてお昼を過ぎれば涙マークの形に閉じてしまうのだけど、どういうわけかこの蓮畑では、昼下がりのこの時間にも、全体の三割くらいが花を開かせたままだった。花の中心には鮮やかな黄色の花托が備わっている。まるで偉い人のために用意された台座のようだ(と感じるのは私がお釈迦さまと蓮の関係を知っていたからかもしれない)。


 水面に浮かぶウキクサ。これもきれいだった。それは星々のようだった。水面という宇宙に散りばめられた星。そして幾何学的な模様をした太陽の群れと、何かを求め続けて天上へ無数に伸びる緑のお皿。いや、お皿というよりも、そういう視点から見ればまるで手のようだ。


 その場にかがんで目線を落としてみると、目の前の光景はまるで神話の挿絵か神話そのものだった。人工的なものはいっさいない。あの高速道路も蓮の葉に遮られて姿を消した。


 あとで祖母に聞いたところでは、綿入は昔からレンコン栽培が盛んとのことだった。山に接した小さな平野、つまり沖積地という場所は、元から水害に弱く、更にいうと前面を走る大きな川は綿入の手前から緩やかに曲線を描いてた。そのカーブの膨らんだ先にこの町が広がっている。だから雨季に川が暴れだすとこの町は他の地域より多くの水害を受けていた。特に祖母の家の近くは川岸より地面が低く、まだ堤防技術の不十分だった時代には氾濫した水のたまり場になっていた。厳密にいえばすこし条件は異なるけれど、いわゆる後背湿地というやつで、祖母さえ生まれる前の歴史の世界では、この辺り一帯は長いことぬかるみの姿だった。そうした土地をどうにか有効活用しようとしたのがレンコン栽培の始まりだ。なんでも江戸時代の中頃を始めとしているらしい。


 堤防や灌漑の技術が進むに連れて、この辺りにも野菜やお米といった通常の作物が栽培されるようになったけど、そうなるまでに綿入のレンコンは地元ではちょっと名の知れた名産品になっていた。ただ、冬の厳しい時期を収穫期にするレンコンは、他の作物と比べてもなり手の数が多くないみたいで、作付面積は時を経るごとに減り続けてる。十七歳の夏の日々には、あぜ道の十字路に区切られた四区画、私が神話の世界となぞらえたこの一面だけが綿入のレンコン畑だった。


 そうして残された神話の世界は、どれだけ眺め続けても幻想的だった。フェイスタオルで額の汗を拭いながら、私はいつまでもその場所に留まり続けたいと感じてた。

 頭の上には白い雲と透き通った大気だけがあった。もはや高速道路はその姿はもちろん、上を走る車の騒音も私の耳に届かせていなかった。この世界の中で存在する音は夏らしいセミの声だけだった。すっかり太陽が登りきったあとのこんな時間には、農作業に精を出す人さえいない。私だけの独り占めの空間だ。


 なんとなく、心が晴れてきた。いや、別にさ、今回の生家の件で、私はそこまで心を痛めているわけではなかったし、綿入に呼び戻された理由が単にマスコットを招くためだとわかっても、それほど落ち込んではなかったの。だけど、それでも無意識のどこかでは、こんな自分をシニカルに笑っていたらしい。


 私は大きくあくびをかいた。それから立ち上がってレンコン畑を後にした。このままじゃ夜までここにいてしまいそうだった。


 去り際に携帯端末を取り出して時間を確認した。長く居座っていたように思ったけれど、祖母の家を出てからまだ二十分しか経っていなかった。ディスプレイの表示を確認しただけで私はすぐに携帯端末をポケットにしまった。レンコン畑を撮影しておこうとは思わなかった。


 というのは、ねえ、仔猫くん、この物語が――おそらく君が思っているより、もっとずっと古い時代を舞台にしているからだ。当時の携帯端末にもカメラ機能は搭載されてたよ、だけど今なんかよりずいぶん性能が低かった。美しい景色を鮮明に保存しておくことはできなかったんだ。だからこそ私も神話の世界の保存をあてにしていなかった。もちろんカメラ機能だけじゃない、便利なアプリケーションをインストールしたり、友だちとグループ会話ができたりすることは、十七歳の夏の日々の時代にはまるで夢物語だった。そんなことを信じてるのは、熱意に燃える研究者か怪しい予言者しかいない時代だったんだ。


 ところでその携帯端末をポケットにしまうと、途端にぶるぶる震えだした。もう一度取り出してみるとメールの着信を告げていた。「お母さんからだ」、そう思ってメール画面を開いた。


 送り主は思ってた相手とは違った。夏休み前に辞めてしまったアルバイト先の先輩からだった。先輩といっても歳は一緒で、私が辞めてからも彼は義理かなにかで折々連絡をくれてたの。そのときは夏休み中にどこかへ行かないかっていう遊びのお誘いだった。


 私はすこし考えて、断りの返事を入れることにした。別段仲が悪かったとも嫌いだったというわけでもない。語弊を恐れずにいえば単に面倒だった。三泊四日の帰郷旅行を終えて地元に戻ると、数日後からスケジュールはびっしりだった。大きなものでいえば迎え盆と送り盆に母の実家へ顔を出すことになっていたし、お盆中の二日間はクラスメイトからキャンプの誘いも受けていた。それを過ぎたあとでは海水浴の予定まで入っていて、だから帰郷旅行を終えたタイミングで一度休みを挟んでおきたかったの。自分でいうのもあれだけど、私はそんなにタフじゃないんだよ。


 本当なら(つまり私の体調不良が長引きさえしなければ)彼と会うために時間を割けたかもしれない。でも実際に綿入への帰郷がずれこんだことで、既にいくつかの予定を流してしまっていたし、おかげで誘いを断ることにも慣れてしまってた。


 そもそも普段の私はそこまで行動的じゃない。この夏は、あとになって自分でも驚いたほど、遊ぶことに忙しかったんだ。


 来年には受験が控えていることを思えば、十七歳って年齢は高校生活最後のモラトリアムだった。私がそれを強く感じていたというよりも、みんながそう感じてた。だから色んなグループの同級生から色んな誘いを受けてたの。


 どこの学校でも同じだと思うけど、クラス内や学年内には目に見えない派閥があって、だけど私はそれらのどこにも属していなかった。そうすると彼らや彼女らからすると、しがらみがない分、返って声をかけやすい存在らしかった。日頃からそういう便利な立ち位置にいたことが、高校二年生の夏休みという限られた瞬間に、私を目まぐるしい勢いの中に投じていたわけだ。


 だからこそ帰郷旅行を終えてからはじっくり英気を養う期間が必要だった、って、綿入に着いたばかりの私は先の予定をそんなふうに考えていた。結局誘いを断ったのは正解だったけど、それがこの帰郷旅行を六泊七日に延長するためのお膳立てになるとは、まさか思ってもみなかった。


 やっと返事を送信して携帯端末をポケットに収めたとき、見上げるとそこは知らない場所だった。田園風景から一転して周りは山の景色になっていた。道はちょうど私の立っている位置から登り坂になっていて、このまま進めば山の頂上まで続いてそうだった。


 後ろに振り返るとぽつぽつ民家が建っていた。民家と民家の隙間からは遠くの高速道路が見えた。とすると大体のところ自分の居場所は計算できる。大丈夫、まだ迷子じゃない。背後の景色をちょっと先まで見れば道が丁字路になっていた。メールの返事に夢中で、たぶん、その角を無意識に曲がってしまったんだろう。


 それなら焦る必要はなかった。私は顔を前に戻して直進を続けた。登り坂はややいったところから弓なりにカーブしていて、道が膨らみ始めるすぐ脇に赤い鳥居の神社が見えてたの。


 山の際のすれすれに神社は建てられていた。赤鳥居の横には大小いくつかのお地蔵様が祀られ、鳥居の先は数段の石段になっていた。石段を登る前、私は外から神社の様子を見渡した。思っていたより境内は広く、ちょっとした児童公園くらいの空間が確保されていた。


 最後の段差を踏み越えると、急に肌を刺す寒さがあった。背の高い木々で周囲を囲った境内は、夏の暑さとは無縁の空間だった。見知らぬ場所の見知らぬ神社には、たしかに薄気味悪さもあったけど、それよりは心地よさのほうが勝ってた。


「すてきな場所だ」って私は感じた。何よりすてきだったのは日差しをしのげる避暑地の効果より、本殿の、いかにも田舎の薄寂れた神社ですと言いたげな、灰がかった佇まいだった。


 山から吹き下ろす風は断続的に周囲の木々を揺らしてた。茂みを分け入るようなかさかさって音が私のはるか頭の上で鳴ったりやんだりを繰り返してる。けれども地表では不思議と風が凪いでいた。木々の喧騒が大きくなったときにだけ、申し訳程度に小風が吹いた。


 小風と同時に子どもの笑い声がこだまする。辺りを伺っても人影は見当たらない――そんなオカルトが許されそうな雰囲気だ。むしろどれだけ待っても現実のままなのが残念なくらいだった。


 本殿にはちょうど腰掛けるのに具合いい木造の階段がかけられていた。でもそこは砂埃に汚れてて、代わりに本殿の縁まで上がりこんで、そこに腰を落ち着けた。板張りの縁はひんやり気持ちよかった。どういうわけかセミの鳴き声は石段を超えた辺りからぴたっとやんで、木々の葉擦れ以外は物静かな場所だった。無音の強度が、ここではレンコン畑よりもう一段高かった。


 本殿の近くには柵に囲われたご神木が一柱あった。元々は巨木らしかったのが根本のあたりから伐り倒されて、その上から年輪を隠すように瓦の屋根が被されている。年輪を隠すということは女の神様なのかな、って、私は自分でもよくわからないことを考えていた。囲いの横には由来書きの看板が立てられていたけれど、本殿からだと看板は裏だった。


「何が書かれてあるんだろう」って私は気になった。


 こういう性分は私のよくない点だ。ご神木や由来書きの存在には境内に上がった瞬間から気づいてた。でも興味は本殿の方にあって、途中の寄り道を嫌ってしまったの。そしてすっかり腰を落ち着けた今になって看板の内容を気にかけてるし、同時に、由来書きのために腰を上げ直す気を起こせなかった。だったら初めから立ち寄っておけばいい。


「電車の中で寝ておけばよかったかな」って私は思った。どうしても始発を選んだせいで、慣れない早起きが祟ってた。レンコン畑で大きなあくびをかいたときには、もうまどろみに片足を突っ込んでいた。


 ぼんやりと、カンガルーポケットから文庫本を取り出した。表紙を眺めているあいだ、中身を手繰る気にはなれなかったけど、それでも眠気が紛れるならと読みさしのページを開いた。


 内容は一向に頭に入ってこなかった。文字は一つ一つが分離して意味のない記号だった。記号がひとまとめになるとそれは棒状の固まりで、棒状の固まりが集まるとそれは鍾乳洞の石柱群だった。象形的な絵が両開きの中にびっしりと描きこまれてる。そして本の香りには睡眠薬の成分が含まれていた。


 あっと気付いたとき、文庫本は私の手元から落ちていた。携帯端末を取り出すと、幸いにも寝入っていた時間はそれほど長くはないようだった。さっき送信したメールの時間から逆算して、たぶん、十分程度だ。文庫本も地面に転げ落ちたりせず私の腿の上に止まってた。


 一つあくびをすると、頭は妙に冴えていた。目をぱちくりやって屈伸すると、張り詰めた部分がぐっと喜んだ。いきおい私はご神木と由来書きのもとへ歩み寄った。


 ご神木は平均的な女子高生の幅二つ分、上背はそんな私の鼻先辺りまでしかなく、上に載せられた三角屋根まで足すことで私の背丈を頭一つ分追い越した。ご神木の隣に設置された由来書きの看板もだいたい同じくらいの高さがあった。


 立て看板は中央に罫線を引いて、オムニバスの伝説を上下に二つ紹介してた。そのうちの一つは江戸時代の中頃、この町に疫病が流行ったときのお話だった。


 疫病は、えっと、具体的には『疱瘡』って書かれてあったかな。とにかく住民の多くが疫病に罹り、特に体の弱い老人や子どもたちが次々と最悪の末路をたどっていったと、その看板には書かれてた。


 困り果てた氏子たちが藁にもすがる思いで祭祀を開いてみたところ、翌日から疫病の被害は次第に治まってゆき、彼らは神様に御礼申し上げるため、再度この神社に立ち寄った。ところがそこで見たのは、黒い液を吐いて根本から腐るご神木の姿だった。彼らは神様が我々の身代わりになってくれたのだと信じて大変感謝した。と、まあざっくりいってこんなお話だ。


 それがつまり看板の横に佇む、朽ちたご神木の姿を説明しているわけだ。それはよくある伝承もののお話で、どこまで信じればいいのかもちょっとよくわからなかった。


 だけど面白いのは二つ目の伝説だ。これは伝説というより史実に近かった。

 流行り病の伝説から時を追って、時代が明治に移ると、政府は財政確保のため全国各地の寺社を統合するって方針を打ち出した。統合という言葉の中には単純な毀損という意味も含まれていた。実際にこの施策によって全国七万社の神社が取り壊しにあったんだ。


 各地からの反発は強いもので、当然この神社でも反対運動が起こされた。氏子たちからしてみれば、自分たちのご先祖様を疫病から守ってくれた、大切な神様の遺骸を祀る神社だったわけだ。彼らはこの反対運動を確実なものにするべく、廃社取り消しの嘆願書を、当時陸軍連隊に所属して新潟に駐屯していた、奥田という子爵に送りつけた。彼は版籍奉還ならびに廃藩置県が行われるまでこの地の藩主を務めてきた堀家の末裔で、奥田と名乗っていたのは藩政廃止の際に旧姓復帰したためだった。いや、実際に復姓の手続きを行ったのは彼の父だったのだけど、そのあたりは多分、些末な問題だ。少なくともこのお話には関係のないことだね。


 とにかく嘆願書を受け取った奥田子爵は、廃社取り消しの訴えを政府に持ち込んで、結果、この神社は現在まで存続を許されることになったというわけだ。


 まるで鶴の恩返しのようなよく出来たエピソードだった。鶴の恩返しと違ってめでたしめでたしで終わってるのが本当にいい。だって、伝説の信憑性はともかくとして、疫病の被害から先祖を守ってくれた恩を、彼らの子孫はしっかりと神様に返済したわけなんだから。だからもし、目の前にあるご神木が朽ちたり腐ったりとしていなければ、この神社の命脈は私が生まれるよりずっと前に絶たれていたかもしれない。

 歴史は百年でも二百年でも地続きだった。私がこの話を面白いと感じたのは、絶えず時間というものが繋がりを持ってるという、その点だった。いわゆる歴史の必然性ってやつだね。それは私の信じる天の邪鬼な運命にも通じる部分があって、全体をとりまく目に見えない意思を感じられるようだった。


 そっとご神木に腕を伸ばしてみた。三角屋根には細いしめ縄が巻かれ、しめ縄からは等間隔に紙垂がぶら下がってる。なんとなくそれらを避けるようにご神木に触れてみると、表面には枯れ木というより岩みたいな硬さがあった。温かい気持ちに包まれながらその表面を二度三度撫でていた。


「お邪魔しました」って私は最後に手を合わせながら言った。木々の葉擦れが呼応するように答え、実際ご利益もあった。すっかり眠気は払われていた。


 祖母の家を出てからそろそろ一時間が過ぎようとしてた。あまり遅くなってもサヤコさんを心配させてしまうだろうから、神社を発つと、ぼちぼち帰る算段を立てて、道をあるべき方向に向けて進んでいった。


 ところでもう一つあった。城壁の高速道路、神話のレンコン畑、伝説の神社――まるでロールプレイングゲームのようなロケーションが、最後にもう一つ、帰りしなの私の目を捉え、離さなかったの。


 神社を出て、ちょうど祖母の家との中間地点まで来たときにそれはあった。初めはなんの変哲もない児童公園かと思ってた。目の前に用水路が流れて、入り口にコンクリート製の小さな橋がかけられている以外は、ごくごく一般的な公園の様子だ。農具置き場らしい倉庫が敷地の端っこに見えたのは、たしかに珍しいといえば珍しかったけど、この町の生活を考えれば特に不思議とも感じなかった。


 ぼんやり目をそちらに向けただけで通り過ぎるとこだったんだ。あっ、って立ち止まったのは公園の切れ目まで差し掛かったときだった。児童公園の横には路地が伸びていて、路地と公園のあいだに、小川くらいの水路が流れてた。水路は手前では深堀りの用水路に合流し、奥では、小ぶりの池に繋がっていた。


 まるでエメラルドを通して見た光景だった。ほとりの一部が扇状に隆起して小高い崖のようになり、樺の木や枝垂れ桜や、あるいは背の低い雑草や、様々な植物が生い茂ったその台地は、そろそろ陽が傾き始めたこの時間に、池の西側からめいっぱい光を吸収して、自分たちの色を水面に淡く、ごく美しい色彩で反映させていた。周囲はすっかり住宅地の様子だったのに、そこだけはひっそりとした日陰の、緑のベールに覆われた楽園だった。


 池から水路に切り替わるあたりに、岸と岸をつなぐ飛び石のコンクリートブロックが渡してあった。ブロックには水草がびっしり生えていて、そうなってみるとこれが人工物なのかはたまた天然の苔石なのかの違いなんて、まるでないようだった。私はその苔石の上にかがんで、小川の水をすくい上げてみた。


 両手で作ったお皿に水を湛えると、痛みはすぐにやってきた。刺すような痛みが強烈な速度で肘まで上ってきたの。慌てて水を捨て、あまりの冷たさに驚いた。


「すごい」って私は笑った。

 水気の含んだ手を手首に塗りつけるとひんやり気持ちよかった。


 ところでそう考えてみると、人間の体は腕よりも足のほうが感覚は鈍いみたい。靴と靴下を脱いで素足を浸してみると、たしかに刺す痛みはあったけど、膝の下、ふくらはぎの辺りで押さえつけられて、そのあとは徐々に痛みも水中に還っていった。残ったのは足を覆う心地よさだけだ。


 暑さ対策のためとはいえフェイスタオルを持ち出したのは正解だった。ここにきて彼は額の汗を拭うだけじゃなく、苔石から私のお尻を防護する、座椅子カバーの役割も果たしてくれた。


 炎天下に私は疲れ切っていた。自分ではそうは感じてなかったけど。そして木々の日陰とせせらぎは足や腕だけでなく、火照った首筋や肩の熱まで適度に奪っていった。呼吸が、自然と深くなってゆく。


 なんだか、また眠ってしまいそうだね。だけどさっきのうたた寝でまぶたはしっかりさせられてた。足を上下にばたつかせてじゃぶじゃぶさせると、その水音もまた心地よかった。ああ、これで私は本当に十七歳だったんだ。誰かの視線がない限り、そういうことに恥じらいを覚えない十七歳だった。


 池のほとりにはさっきの赤鳥居の神社とおなじように由来書きの看板が設置されていて、由来書きによると、どうもこの池は湧き水によって生まれたらしかった。近くの山の雪解け水が地下水脈を通ってここにたどり着くらしかったんだ。フェイスタオルで足の水気を拭いながらその看板に目を通してた。そこまでは素足で地面を踏んでいた。


 池の奥の、崖の真下あたりで、小さな魚が数匹の群れをなしていた。そこまで観察したわけじゃないから魚の種類はわからなかったけど、一体彼らはどうやってこの池までやってきたんだろう。もしかすると誰かが放流したのかもしれない。ただ、彼らが住み着くにも快適そうなくらい、池の水は澄み渡ってた。


 ここもまたある意味で神話の世界だ。飽食と怠惰から穢れを洗い流し、ゆらゆらとたゆたう日々を肯定した緩慢な世界。きっとこんなところなら太陽も動きを止めてるし、あるいは飽食や怠惰とは反対に、空腹も眠気も感じないまま、気の済むまで読書にも耽ってられるだろう。木々に生った果実をいたずらにもいで口に含ませてみれば、それだけで潤いに満たされる。私はまた本の続きに戻る。一枚手繰るのに一時間もかけて、贅沢に目を動かしてゆく。木々と藻と水草に包まれて、ここは緑の庭園だ。


 さて現実に返ってみると、どうもそういう再現は無理そうだった。土の地面には座れそうな場所はなかったし、そこにフェイスタオルを敷いてみたところで、本を読むのに厳しい体勢なのは明白だった。それに、こんな私でも一応、汚れた衣服で祖母の家に帰るわけにいかないってくらいわかってる。


 そうするとおあつらえ向きの物に思いついた。さっき児童公園の端に見た、農具置き場らしい倉庫だよ。倉庫の軒下には木製のパレットがちょうどいい高さに積まれてた。そしてその倉庫は池から数メートルのところにあった。


 ここまできたら、もう祖母の家まで帰ってしまうほうが早かったけど、パレットの高さは読書を奨めていたし、緑の庭園から着想を得ていた私は、既にそういう気分になっていた。それに、祖母の家で本を開きでもしたら、またサヤコさんたちに余計な気を遣わせてしまうかもしれない、けど、それは単なる言い訳だ。この場ではそんな心配は考え付きもしなかった。


 途中に挟んでおいたスピンは、さっきの居眠りの衝撃で外に飛び出していた。仕方なく私はページを手繰って、続きの部分を探っていった。


 このとき開いていたのはヨハン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』だ。お話の展開でいえばまだ序盤、物語のヒロインであるロッテが作中に登場したところまで読み進めてた。


 主人公のウェルテルは、さる貴族の夜会に招かれた夕方、悪天候の馬車の中で彼女と出会う。その出会いはウェルテルにとって衝撃的で、ロッテの美しさに触れた途端、彼はこの女性に一目惚れをしてしまう。だけど残念なことにロッテには婚約者がいて、実のところウェルテルも彼女と会う前に釘を差されてたんだ。「美しい女性だが、恋に落ちないように」って。


 基本的には『若きウェルテルの悩み』は二人の恋を描いた(というより、ほとんどウェルテルの独り相撲だね)恋愛小説で、作品の大部分が書簡体で作られた、古典文学の中でも比較的読みやすい、本に不慣れな人にもおすすめの簡単な作品だ。なのに、七月の下旬に手をとって、私はまだこれっぽっちしか読み進めていなかった。ウェルテルとロッテの出会いはページ数でいうと初めの三十か四十くらいのとこだった。


 もちろん原因の多くは熱に浮かされていた期間によるものだ。生理と風邪に苦しんだ一週間、私はただただ生命活動を維持する機械と化していた。だからこそこの帰郷旅行は私にとって読書強化期間でもあった。もしくは一度習慣から外れてしまったものを取り戻すには一定の労力が必要だから、いわゆるリハビリの期間とも捉えてた。そうすると『若きウェルテルの悩み』は、偶然手に取っていたとはいえ都合のいい小説でもあった。


 だけど読みやすさだけがこの作品の優れた点ってわけでもないんだ。主人公のウェルテル、彼は第一に人格に問題の多い人ではあったけど、それはひとえに彼が純粋すぎるせいだった。純粋なため敏感なまでに繊細で、そして世の中の汚らわしいことを許せない気難し屋の厭世家だった。彼の語ることのほとんどは現実と乖離した理想論だった。だけど彼の語る理想の中では、私たちが人間的であることが一体どういうことかがよく表されていたし、それもこの作品の大部分が書簡体だってことが重要で、幼馴染みのウィルヘルムに送られた手紙には、ウェルテルの実によく考察され敲かれた本音がしたためられてある。それは人というものを学ぶ上でとても面白い文学だった。それに、彼は人間が嫌いなだけで、子どものことは愛してやまないんだ。

 ウィルヘルムに送った手紙の中で、ウェルテルはこんな風に語ってる。



『いつか社会に出たときに必要となるモラルや才能は、しばしば子どもたちの方が自然に備えていることがある。彼らの片意地なところは決して周りの意見に流されない堅固な意志の現れだし、いたずらを働けば僕らには思いもよらない素敵な独創性を発揮する。何より彼らは頭の先から尻尾の端まで実に素直で清廉だ。

 第一、僕たちは人間を大人と子どもの二つに分けて考えるけど、神様の目を借りれば、そこにあるのは大きな子どもか小さな子どもというほどの違いでしかない。そして大きな子どもの方はずる賢く利口ぶっていて、小さな子どもを自分たちの尺度に当てはめてみたり侮ってみたりする。小さな子どもは決してそんなことはしない。だとしたら、一体どちらが神様に好かれる子どもかなんて、考えるまでもないだろう?』



 私はね、極端にいえば彼と同じように思うんだ。この作品が出版されたのは十八世紀のことで、それから二百年以上も経てば、社会の在り方も今とは少し違う。だけど変わらないのは子どもたちの清らかさだ。幸いなことに彼らは両親の社交的なずる賢さを脳に引き継いで生まれてくるわけじゃない。だからある時期までの彼らは生命原初の、ありのままの美しさを持っている。私はその姿こそが子どもであると思うし、同時にそんな清らかな子どもを愛してる。もしも現代の子どもたちが狡猾さや侮蔑を備えているんだとしたら、それは彼らこそが社会的な『文化』であるとか『文明』であるとかを象徴する存在だからだ。問題は子どもたちにあるんじゃなくって、そんなことを暗に強要する私たち大きな子どもの方にこそある。彼らが純然に愛されるべき存在でなくなったとき、それは文化や文明が純然に営まれていない何よりもの証拠だと、私はそう考えてるの。これはすこし逆説的かもしれないけれど。


 十七歳の私は農業用パレットの上でこの文章と出会い、そしてウェルテルの、ひいては作者であるゲーテの価値観にうっとりしてた。私はまだ自分を子どもの側に捉えていて、そして子どもというのは事実そうあるべきだと、そこに書かれてある事柄に教授された気になっていた。


 私は満足して『若きウェルテルの悩み』をカンガルーポケットに納めた。ここで読み進められたのはたったの十五ページほどで、本当のことをいえばすこし物足りなかったけど、それよりは読後の余韻をしっかり残しておきたかったんだ。

 パレットから飛び降りて、ぱんぱんとお尻を払った。

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