§009 心温まる発明

 エラルドはその日の深夜、屋敷に戻った。

 時間的にリズは寝てしまっているようで、今日の出迎えはない。

 リズがここに来る前はこれが当たり前のことだったので特に何というわけではないのだが、なんというか……普段有るものが無いというのは、若干の口寂しさを感じるものだ。


 エラルドはその足で食堂へと向かった。

 すると、幼少から自身に遣えてくれている使用人のエイサがその場で待っていた。


「お待ちしておりました旦那様。本日のお料理はボンゴレ・ビアンコでございます」


 ……お待ちしていた?


 その語感に若干の違和感を覚えつつ、一人、腰を下ろす。

 目の前に出されたのは、貝類をふんだんに使ったパスタだった。

 普段は肉料理が多く、正直、胃がもたれかけていたので、このように軽く食べられる料理は今の気分に合っていた。


 オリーブオイルと香辛料の香りに誘われるがままに、一口、口に含む。


「う、うまい!」


 使われている素材は質素なものなのだが、魚介類の持つ程よい塩味がアクセントとなって食欲がかき立てられる。

 野菜のボイル感もちょうどよく、一口食べるごとに一日の疲れが吹き飛んでいくのような感覚に包まれた。


 エラルドは結局数刻もしないうちに一皿丸々を平らげてしまった。


「美味しかったぞ、エイサ。普段とは少し趣向の異なる料理だったが、こういうのも悪くない」


「ええ、そうですか。喜んでいただけて何よりです」


 エイサが満面の笑みを浮かべているのが印象的だった。


 夕食、いや、夜食を終え、自室に着替えを取りに戻った後、今度はシャワー室へと向かった。


 エラルドが屋敷まで戻ってくる理由。

 その中でも最も大きな理由を占めるのが、お湯で水浴びをしたいというものだった。

 砦にもシャワー室は備え付けられているが、火気厳禁の観点から、出るのは冷たい水だけ。

 夏や春先はこれで構わないのだが、段々と寒くなってくる秋口くらいからはこれが身体に堪える。


「ん」


 シャワー室の扉を開けると、そこに前には無かったが備え付けられていることに気付いた。


「なんだこれは」


 エラルドはそのをまじまじと観察する。

 白い箱のようなものに、複雑そうな機械。

 正直エラルドはこういった機械の類いは門外漢であった。


 元々、『魔法』の力一つで将軍位へと上り詰めた身。

 逆に言えば、それ以外のものはほとんど切り捨ててきたに等しいため、いわゆる生活魔法に対する造詣も皆無だった。


(危険物の可能性もあるが……いっそ魔法で凍らせてしまえば問題ないか?)


 そんな物騒なことを考えていると、先ほど食事の準備をしてくれたエイサが駆け付けてくれた。


「申し訳ございません。が設置されて以降、旦那様がこちらのシャワー室を使用するのは初めてでしたね」


「ああ、エイサ。これは一体何だ?」


「こちらは『風呂』というものでございます」


「フロ? 初めて聞く名だが、何に使うものなのだ?」


「はい。こちらはリズ様が錬金術により発明なさった品で、お湯に浸かって身体の疲れを取るための道具にございます」


 またリズか……。

 最近はどうにもリズを意識してしまう生活が続いている。

 しかも、お湯に浸かる道具だと?

 それだと燃料費が馬鹿にならないのではないのか?


 そんな疑問をエイサにぶつけてみるが、エイサは首を横に振る。


「私にも詳しいことはわかりませんが、何やらネツジュンカン?とかいうものを利用しているようで、少量の燃料で半永久的にお湯を沸かし続けることができるそうです」


「……熱循環?」


「とりあえず入られてみませんか? きっと旦那様も気に入るかと思います」


「…………」


(カポーン)


「お湯加減はどうでございますか、旦那様」


 脱衣所の向こう側からエイサの声が聞こえる。


「ああ、悪くない。確かに少量の燃料でこの設備を維持できるのであれば、悪くない代物かもしれない」


「その言葉を聞いたら、リズ様、大変喜ばれると思いますよ」


「なぜそこでリズの名前が出てくる」


「一応口止めはされているんですけどね、この『風呂』はリズ様が作られたものなのですよ。遠征任務の後は身体がさぞ冷えているだろうって」


「リズが?」


「ええ、お食事のボンゴレ・ビアンコもそうですし、本当によくできた奥方です」


「ボンゴレ・ビアンコ? なんか変だと思ったらあれもリズが作ったものなのか?」


「おっと、こちらも口止めされていたのですが、婆は最近物忘れが激しいのか、うっかり口を滑らせてしまいました」


「…………」


 そんな黙りこくるエラルドに対して、エイサは更に続ける。


「こんなことを旦那様に言っても仕方ないのかもしれませんが、リズ様がいらっしゃってから屋敷の雰囲気も随分と変わりました。今までは男性の軍関係者ばかりでどちらかと殺伐した雰囲気があったのですが、リズ様がいらっしゃってからはそれが和らいだというか、むしろ華やいだと言ってもいいほどに。今では詰所に訪れる兵士様達にも笑顔が溢れていて、何やら昔のローレンツ領が戻ってきたようで、婆は心より嬉しいのです」


 言われてみれば、ふと通りかかった詰所から笑い声が聞こえていたような気がする。


 屋敷周りにも花壇が出来たり、食堂も何やら優しげな甘い香りに溢れていたり、女性が一人いるだけでこれほどまでに生活が華やぐのかと、エラルド自身が一番自覚していることだった。


「旦那様」


「なんだエイサ」


「出過ぎたことを言うようですが、エイサはリズ様が旦那様に嫁いでくださったこと、大変良かったと思っておりますよ」


 この屋敷に最も長く遣えたエイサが言うのだから、リズはこれまでの婚約者とは大分違うのは確かだろう。


「……そうか」


 エラルドは静かにそう呟く。


 正直、エラルドは『結婚』に夢も希望も抱いていなかった。

 真実の愛など存在しないし、家庭などいずれは瓦解するもの。

 これは自身の両親を見ていたら自然と芽生えてしまった、言わば、感覚のようなものだった。


 だから、エラルドは自身と同等の家柄でありながらも、最も面倒の少なそうだったオルブライト家を選んだ。


 彼女の家はお取り潰し寸前の貧乏貴族。

 しかも、リズは直前に離婚を経験しており、その前夫の評判もあまり良くなかったことから、おそらくは結婚生活というものに絶望しているだろうと推察していた。


 そう、エラルドは婚約者に『結婚に対する夢や希望』を持って欲しくなかったのだ。


 両親からそれを学べなかった時点で、エラルド自身がそれを婚約者に教えてあげることはできないと考えたから。


 しかし、我が屋敷に来たリズはどうだっただろう。

 確かにひどくやつれていた。

 自身との結婚に前向きでないこともよくわかった。


 でも、まだ一筋の希望が残されているかのような眼差しをこちらに向けてくるものだから、そんなものは幻想だと教えてやるためにも。


 ――私がお前を愛することは決してあり得ない


 つい心にも無い言葉を吐いてしまった。


 正直、ここまでのことを言うつもりはなかった。

 ここまでのことを考えていたわけでもなかった。


 でも、後に裏切られるのなら、最初から希望など存在しない方がいいと……この言葉を口にしてしまったのだ。


 ただ、今となってはあの言葉は言いすぎだったと反省している。


 エラルドは静かにエイサに声をかける。


「エイサ。女性に謝意を伝えるにはどうすればいい?」


「……謝意でございますか?」


 エラルドからこんな言葉が出るとは思っても見なかったのだろう。

 エイサからはオウム返しな言葉が返ってくる。


 しかし、すぐに「くすっ」という微かな笑い声とともに、いたずらっぽい声が返ってきた。


「そうですね。もちろん真っ直ぐに気持ちを伝えることは必要だと思います。しかし、それだとなかなか気恥ずかしい点もおありでしょう。それであれば、『プレゼント』をお渡しするというのはどうでしょう?」


「……プレゼントか」


 こう言われて見ると、それしかなかったと思えるような答え。

 しかし、女性嫌いで、恋愛経験に乏しいエラルドは、女性がどんなものをもらったら喜ぶのか皆目見当もつかなかった。


「女性は何をもらったら嬉しいものなのだ?」


「品は何でもよろしいのです。要は気持ち。なら、旦那様からのプレゼントであれば何でも喜ばれると思いますよ」


「なっ! 別にリズへなんて一言も……」


 エラルドは思わず湯船の中で立ち上がる。

 そんな雰囲気を察したエイサは更なるいたずらっぽい声を出す。


「おっと、お湯が少し熱うございましたかね。婆は温度の調節をして参りますね」


 その言葉を聞いて、エラルドの顔が更に上気してくるのがわかった。


「……まったく何を勘違いしているのか」


 そう、愚痴を垂れると、再度、湯船に身体を沈めた。


 それにしてもプレゼントか。

 リズは何を渡せば喜ぶのだろうか。


 そう考えると……。


(私はリズのことを何も知らないんだな……)


 そうしてリズのことを考えていたら、本当に逆上せそうになってしまった。

 エラルドは「私らしくもない」と軽く嘆息すると、エイサに一声かけてシャワー室を後にした。




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