§008 旦那様のために
エラルドとの食事から数日が経過したある日、リズは屋敷の厨房を訪れていた。
「ど、どうしたのですか、リズ様。このような仕事、わたくしめが行いますので、リズ様どうか休まれていてください」
対応してくれたのは、エラルドが乳飲み子の頃からこの屋敷に遣えているというエイサという初老の使用人だった。
使用人というのは歴が長くなるほどお局化するというのは一度目の結婚の時に学習済みだったが、エイサは決してそんなことはなく、むしろ田舎のおばあちゃんという感じで、非常に親しみやすい女性だった。
「お気遣いありがとうございます。今日はエイサさんに頼みたいことがあって来ました」
リズはそう言うと、小柄なエイサに合わせて腰を折り、こっそりと耳打ちした。
「おお、旦那様に手料理を作る! それは素晴らしいアイデアですね! 旦那様もきっとお喜ばれますよ!」
ああ、恥ずかしいから敢えて耳打ちしたのに。それに……。
「エラルド様には私が作ったことは内緒にしてほしいのです」
「内緒にですか? エイサは構いませんが、何か理由がおありなのですか?」
「実は……」
先日、エラルドと食事をしていて気になったこと。
それは肉偏重の食事で、野菜をほとんど口にしていないということだ。
フィレ肉のステーキに添えられていた野菜も手つかずだったし、おそらくあまり野菜を好まれないのだろう。
そのためかはわからないが、最近のエラルドは疲れ気味に見え、軽い貧血又は壊血病を起こしているようにも見えた。
そんなエラルドに少しでも元気になってもらおうと、ビタミンC盛り盛り、鉄分盛り盛りの食事を作るべく、こうして厨房を訪れたのだ。
「リズ様は錬金術だけでなく、医学の知識もお持ちなのですか?」
「いや、医学というか……年の功というやつですかね」
そう、これは栄養管理にうるさかった前夫から叩き込まれた事柄だった。
野菜、果物、芋類はビタミンCを多く含むために鉄分の吸収を促進するし、それにしじみやあさりなどの貝類を加えれば、更にビタミンBも摂取することができる。
まあ、さすがにこの場でその知識が役に立つとは思わなかったけど。
まあそんなこんなで思い立ったが吉日ということで、今日の献立は『野菜たっぷりボンゴレ・ビアンコ』だ。
まずはパスタをお湯に入れ、塩をひとつまみ。
フライパンにオリーブオイル、にんにく、唐辛子を加えてサッと弱火で。
その後、あさり、ムール貝、アスパラ、キャベツ、小松菜などを加えて、白ワインでサッと蒸し焼きに。
最後にレモングラスを添えて。
「はい、できあがり!」
そんなリズの想像以上の手際に、エイサは目を丸くする。
「リズ様、目を見張るほどの手際ですね。今まで旦那様に手料理を振る舞おうなどという婚約者の方はいらっしゃいませんでしたので、婆は感動してしまいました」
「エイサさんは大袈裟ですね。私はエラルド様にこの程度のことしかしてあげられないだけですよ。でも、料理は大好きなので、これからもちょくちょく顔を出させていただければなと思っていますよ。あ、あとこれを……」
リズはそう言うと、ポケットから紫色の小袋を取り出した。
「これは?」
不思議そうに小首を傾げるエイサ。
「これは『お香』と呼ばれるもので、香木と呼ばれる草木を乾燥させてすりつぶしたものです。もし可能であれば、これをエラルド様がお食事の時に焚いてあげてください。ほんのりと優しい香りが部屋を包み込んで、リラックス効果があるはずです」
「まあまあ、これはまた可愛らしい。まさに女性ならではといった贈り物ですね。この領地は完全なる男社会で、わたくしめも含めて、皆、こういったものには疎くて。リズ様のそういった女性らしいところ、エイサはとても素敵に思いますよ」
(実はこれも一回目の結婚の時の知識で作ったものなんだけどね……)
「ありがとう、エイサ。そう言っていただけると私も嬉しいわ」
リズはエイサにそう告げると、厨房を去ろうとする。
しかし、そんな背中にエイサが言葉を投げかけてきた。
「リズ様はもしかしたら旦那様を誤解されているかもしれませんが、旦那様は本当はとても優しい人なのです」
どこかで聞いたことある言葉に、リズはエイサの方を向き直る。
「度重なる縁談で旦那様が数多のご令嬢を切って捨ててきたのは紛れもない事実です。ですが、それは旦那様のご両親が……そのリズ様と同じく離婚をなされていまして、その影響を多分に受けてしまった旦那様は女性という存在を信じられなくなっているのです」
「……エラルド様のご両親が離婚」
それはリズにとって初めて知る事実だった。
「ええ。これは旦那様の根幹に関わるところですので、これ以上の言及は避けますが……最近は……リズ様がいらしてからは、ほんの少しだけ、雰囲気が柔らかくなったというか、両親が離婚される前の旦那様に戻ったようで、婆はとても懐かしい気持ちになったのです。だから、どうかリズ様だけは旦那様を見捨てないであげてほしいのです」
「見捨てるだなんて、そんな。逆に私は見捨てられないように必死で」
その言葉を聞いたエイサは、ふるふると首を横に振る。
「リズ様が旦那様を求めているように、旦那様も心のどこかでリズ様を求めている。そして、その気持ちを理解できるのは離婚を経験されているリズ様しかいらっしゃらない。エイサはそう思うのです」
(……離婚を経験している私だからわかること?)
リズはゆっくりと瞑目すると、自身の感情を整理する。
せっかくエイサは大切なことを伝えてくれようとしたのだ。
それであるならば、自分もその気持ちに報いなければならないと思った。
「エイサ、貴重なお話ありがとう。エラルド様のご両親が離婚していたというのは初耳でしたので、少々驚いたのは確かです」
エイサの視線がリズへと向かう。
「私は一度結婚に失敗をしています。幸いと言っていいのかわかりませんが、私には子供はいませんでしたので、その子を不幸にしてしまうということは避けられましたが、仮に前夫との間に子供がいて……親の不仲を見せられ続けた挙げ句、着いて行く両親をどちらか選ばなければならない状況となったら、その気持ちは想像するに余りあります」
「…………」
「離婚を経験した私だからわかること。私は、今はまだ、その答えを持ち合わせていません。でも、エラルド様は、そのような苛烈な境遇にもかかわらず、何の価値も持たない私のことを拾ってくださいました。確かに最初は『氷帝』の噂を聞き、怖いという気持ちが先行していたことは否定できません。けれど今は、エラルド様が冷酷無慈悲な方だとは思っていません。まだまだエラルド様との関わりが浅く実際に自分で確かめるという段階には至っていないのかもしれませんが、エラルド様がお優しい方だというのはエイサさんからの話からも伝わってきましたし、詰所を訪れる兵士の方々を見ていればわかります。少々冷たい物言いも仕事熱心ゆえ。むしろ私はそんな軍務にひたむきなエラルド様のことを尊敬しております」
これが今の気持ち。
確かにエラルドと関わる時間は多くない。
まだどんな人なのかわからないと思うところはある。
それでも、この屋敷に来て数ヵ月。
エラルドと出会い、たくさんの人とふれ合い、そうして生じた素直な心の変化なのだ。
「――ちゃんと言葉にできたかはわからないけど、私は心からエラルド様のことをお慕いしていますよ」
そんな言葉を受けたエイサは、まるで自身の子供が婿に行くのを喜ぶかのように、朗らかに、そして慈愛に満ちて笑った。
「リズ様のような方が旦那様のところに嫁いできてくださって本当によかった。旦那様を幼少の頃から見ていたわたくしめは親心で一杯でございます」
(……嫁いできてくれてよかったかぁ)
そんな言葉、一度目の結婚では言われたことなどなかったから、どうにも心がくすぐったい。
リズはエイサに礼を言うと、厨房を後にした。
(ボンゴレ・ビアンコ、喜んでくれるといいな)
そんな子供のような無邪気な願いを残して。
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