§007 初めての食事
今日は初めてエラルドから食事に誘われた。
普段から外泊の多いエラルドだったので、仮に家にいることはあっても、食堂で一緒に食事をするということはなかった。
リズにとって初めての旦那様との食事。
あまりにも急なことだったので、ついに別れを切り出されるのではと、食べる前から吐きそうなことこの上なかった。
ただ、最近は自分もやっとこの生活に慣れてきたのだ。
出来ればエラルドに認めてもらいたいし、出来るならこのままここに置いてほしい。
それにせっかくエラルドの方から声をかけてくれたのだ。
自分としては、どうにかこの食事でエラルドとの距離を縮めたいと考えていた。
「お疲れ様、エラルド様」
「……ああ」
そんな気持ちから軽く声をかけてみたものの、返ってきたのはやはり素っ気ない返事。
正直、何を話していいのかわからない。
そうこうしている間に、目の前に料理が並べられる。
ジャガイモのポタージュ、オマール海老のカクテル、真鯛のタルタル、フィレ肉のステーキ。
さすがは辺境伯家の当主であり、王国軍将軍のために作られたお料理。
どれもとても美味しそうだし、涎が止まらないのだが、普段は使用人達と同じ料理を食べていた自分からすると、この好待遇は何ともむず痒いものだった。
(ほ、本当に私がこれを食べてもいいのかな?)
そんなことを考えて、ふとエラルドに視線を移すと、ちょうどメインディッシュであるフィレ肉のステーキを口に運んでいるところだった。
その気品溢れるフォーク裁きに、リズは思わず視線を奪われた。
(ああ、なんて綺麗な人なのだろう)
まるで完成された一枚の絵画のようだと思った。
そんなあまりにも美しいお姿にあんぐりと口を開けて見蕩れていると、不意に視線がこちらに向けられた。
「なんだそんなにこちらを見て。毒でも盛ったか?」
その言葉にリズはすぐさま首を横に振る。
「滅相もございません。必要とあらば、私が毒味を」
そう言ってリズは思わず席を立とうとした。
(ガタン)
……まあ勢い余って膝をテーブルにぶつけてしまったわけだが。
「あ、いたたた……」
そんな辺境伯夫人としてどう考えても失格な振る舞い。
前夫の前でこんな振る舞いをしたが最後、叱責と暴力の嵐だったことは記憶に新しい。
そんなトラウマがあるからこそ、リズは思わず目を瞑った。
「ふっ」
しかし、聞こえてきたのはエラルドの微かな笑い声だった。
「冗談だ。本当に毒が入っていると思っているなら私はそもそもこの食卓についていない。それともあれか? お前は私のフィレ肉までも狙っていたのか?」
そんな冗談を含んだ言葉に、顔の温度が見る見る上昇していくのがわかった。
「……すみません。はしたない真似をしました」
(……ああ、穴があったら入りたい)
しかし、会話はやはりそこで途切れ、そこからは黙食の時間が続いた。
カチャカチャと食器が触れあう音だけが食堂内に響く。
そんな気まずい沈黙を破ったのは、他ならぬエラルドだった。
「そういえば、お前が『カイロ』というものをうちの者共に配ってくれたみたいだな」
「え」
リズは、この言葉に逡巡した。
あれだけおおっぴらにやったのだから当然エラルドの耳にも入っているとは思っていたが、今更ながら、砦の統治者であるエラルドに一言断りを入れておくべきだったかと思ったからだ。
また、もしかしたらこの行為が、エラルドの言う――『自身に干渉するな』という条件に抵触してしまっていたかもとも考えた。
「すみません。出過ぎた真似をしました」
リズは静かに頭を下げた。
正直なところ、今までの結婚生活で積極的に動いて成功した試しがなかった。
一度目の結婚の時は、善かれと思って取った行動がことごとく前夫の逆鱗に触れたのだ。
そんな苦い思い出が蘇ったこともあり、リズはすぐさま頭を下げる選択をしたのだ。
しかし、待っていたのは今まで浴びせられ続けていた冷たい言葉ではなく……。
「皆、これで冬を越せると喜んでいたよ。私からも礼を言わせてもらう」
「へ」
エラルドから紡がれた言葉。
それはとても『氷帝』と恐れられたとはとても思えない、温かくも心に染み入るような声音だった。
リズは思わず伏せていた視線を上げる。
すると、エラルドは微かに口の端を挙げて、微笑んでいた。
「私はお前のことを少しだけ誤解していたようだ。正直、お前に『錬金術』の才があるとは思っていなかったよ」
そこまで言ったエラルドは、向けていた皿からスッと視線を上げると、リズの目を見て言った。
「少しだけだが、お前に興味がわいたよ」
……興味。
リズはその言葉を反芻する。
おそらくこれは『錬金術』という魔法に利用価値を見出してもらっただけ。
決して婚約者という立場に対してかけられた言葉でもないし、ましてや愛する妻という立場に対してかけられた言葉でもない。
……でも。
一度目の結婚で無価値と断罪され、自分の存在価値を見失っていたリズにとって、この言葉はとても自信となるものだった。
「エラルド様、ありがとうございます。その言葉を胸に、これからも軍の皆様のお役に立てるように邁進していければと思います」
気付けば、自身の口の端もほんのりと上がっていることに気付いた。
それがどうにも恥ずかしくて、リズはおずおずとエラルドに視線を戻すと、彼は今までに見たことのない表情を浮かべていた。
「別に喜ぶような言葉を言ったつもりはないが、不思議な女だ」
リズはあの表情の意味を知っていた。
あれは照れていらっしゃるのだ。
そんな普段は見せないエラルドの表情がとても新鮮で、同時にこんな自分にそんな感情を見せてくれたことが心より嬉しくて、リズはくすりと笑いを零してしまった。
今思えば、こうして笑えたのはいつ振りのことだろう。
この気持ちがあれば明日からも頑張れる。
それほどまでにエラルドの紡いだ一言は、リズの存在意義を肯定した一言は、彼女の心に深く根付くものとなったのだ。
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