§003 辺境伯様
山を越え、谷を越えた先にあるのがエラルド・ローレンツ辺境伯領。
その最も北端に位置するのが、王国軍の最重要拠点である北の砦『ネージュフォルテ』だ。
現在もレクシア王国との戦争は継続中。
リズはこの戦争がどういう経緯で始まったものかの仔細は知らなかったが、領土を広げようとするレクシア王国軍に対する防衛戦の色彩が強いとのことだ。
リズは道中の土地に視線を向けるが、閑散としており、領民と思しき陰は見当たらない。
それどころか、もしかしたらここは以前戦地となった場所なのかもしれないと思わせるほどに、土地は痩せ、建物も荒廃しており、殺風景とも呼べる荒野が広がっていた。
また、エラルド・ローレンツ辺境伯領は、緯度が高いところにあるため、まだ秋口だというのに、気温もかなり低い。
少し厚手のコートを着てきてよかった、とリズは馬車の中で独り言ちる。
向かったのは、エラルドが住まうお屋敷。
辺境伯家のお屋敷ということで、確かにとても広大な敷地であり、建物自体も立派だったのだが、軍関係者と思しき方々が頻繁に出入りしており、非常に物々しい雰囲気だ。
聞いたところによると、お屋敷は、軍事拠点である北の砦『ネージュフォルテ』と程近い場所にあり、軍の会議室や詰所としても活用されているとのこと。
要は、戦地から一歩引いた場所にある、安全ではあるが、急務の際はすぐに駆け付けることが可能な都合のよい場所ということなのだろう。
とりあえず、自分がこれから住まうことになるであろう屋敷に砲弾が直撃することはないとのことなので、思わず安堵の溜息をついてしまった。
リズはまず屋敷に赴き、自身が縁談で参った旨を伝える。
すると、すぐさまエラルドの側近と名乗る方が迎えに来てくれた。
「お、聞いていた以上に綺麗な方ですね。俺はジェフリーです。よろしく~」
ジェフリーと名乗った男は軽いと言っては失礼だが、「お調子者」という言葉がよく似合う雰囲気を纏った青年だった。
軍服もおしゃれに着崩しており、髪も茶色。
冷酷無慈悲なエラルドに遣える側近とのことなので、もっと無骨で無感情な方が来るのかと想像していたが、そのあまりの気さくさに少々面食らってしまった。
どうやらエラルドは現在屋敷の執務室で次なる作戦の立案を行っているとのこと。
リズはジェフリーに案内されるがままに後に続く。
「リズさんはなんで将軍の縁談をお受けになったんですか?」
「へ?」
あまりにも突飛な質問にリズは呆けた声を上げてしまった。
そんなリズを見たジェフリーは「悪い、悪い」と冗談めかして笑う。
「いやね、将軍って評判悪いじゃないですか。目が合っただけで殺されるとか、婚約者が三日も経たずに泣いて実家に帰ったとか。まあ半分くらいは実話なんですが」
実話なんだ、という言葉が思わず漏れそうになるが、リズは首を横に振る。
「私は離婚を経験した身です。そんな私を見初めてくださるというのですから、不満などあるわけがございません」
「……離婚か」
どういうわけか「離婚」という言葉に甚く関心を示したジェフリー。
しかし、そんな反応を誤魔化すようにふっと瞑目する。
「いや、貴方が今まで来た女共みたいに地位を鼻にかけた傲慢な雰囲気の人だったら、こんな助言しなかったかもしれないけど……仮に今日どんなにひどいことを言われようとも、将軍のことを嫌わないであげてください」
「え?」
リズはジェフリーの言葉の意味がわからずに、その意味を聞き返す。
「将軍はいろいろあってあまり女性が得意じゃないんですよ。まあ、無愛想ですし、仕事人間なことは否定しませんが――本当は優しい人なので」
ジェフリーの真意はわからない。
でも、「本当は優しい人なので」という言葉がリズの心に残ったのは確かだった。
ほどなくして目的の部屋へと辿り着いた。
ジェフリーに先導されるがまま入室したリズは、入室とともに深々と頭を下げた。
「将軍閣下、お初にお目にかかります。オルブライト伯爵家からまいりましたリズ・オルブライトと申します」
通されたのは、書斎のような形状をした執務室だった。
そんな書斎の中で一際大きい執務机に座しているのが、リズの新たな婚約者であり、『氷帝』の名で恐れられるエラルド・ローレンツだ。
整然と着こなされた紺色の軍服。
繊細な糸で紡がれたような金色の髪。
しかし、その婚約者は彼女の声を聞いても顔を上げる気配はなかった。
最初は聞こえなかったのかなと思った。
そのため、少しだけ声を張って、再度、頭を下げてみる。
「本日からお世話になります、リズ・オルブライトでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「聞こえている」
すると、不機嫌を言葉にしたような声が返ってきた。
リズはその声に釣られるように顔を上げるが、一方の婚約者は未だに視線を机に落としたままだった。
この時点で理解した。
ああ、自分になど顔を上げてまで対応するほどの価値はないという意味なのだと。
「…………」
「…………」
どうにも重い空気が書斎内を支配する。
先ほどまであれほどおちゃらけた空気を出していたジェフリーですら、この場では口を噤んでしまっている。
それほどまでにエラルドが放つ威圧感は、他を圧倒するものだった。
しかし、そんな気まずい沈黙の時間もいずれ終わりを告げる。
エラルドは、一度大きく嘆息すると、机上の書面から視線を上げたのだ。
リズとエラルドの視線が交錯する。
(……あ、まぶしい)
それがリズの抱いた最初の感想だった。
一度目の結婚の時、茶会や夜会に出席して、美男美女にはそれなりに慣れていると思っていた。
でも、過去にお会いした方の中で、これほどまでに中性的で、これほどまでに繊細な容姿の持ち主など唯の一人もいなかった。
夜空を映したような魅惑的な瞳には見る者全てを虜にする美しさが宿り、きめ細やかな色白の肌はどこか女性的でとても歴戦の武官とは思えない。
しかし、綺麗な薔薇には棘があるもの。
紡がれた言葉は、まさにその名に冠する氷剣の如く、鋭い切れ味を誇るものだった。
「お前がリズか」
その問いに静かに首肯する。
「隠すことでもないから初めに言っておく。――私がお前を愛することは決してあり得ない」
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