§002 縁談の便り
グレインとの離婚の後、リズは実家へと戻っていた。
両親は決して彼女を責めることなく、むしろ彼女の身をひどく按じてくれたが、離婚に伴う違約金が想像以上に多額だったこともあり、その対応に奔走して、家を留守にしていることが多かった。
一方のリズはというと、離婚による精神的ストレス、違約金を発生させて御家に迷惑をかけてしまったという肩身の狭さから引き籠もりがちの生活となってしまっていた。
蘇ってくるのは、グレインから投げかけられた心無い言葉の数々。
――よくそんな世間知らずで外を歩けたものだな。
――お前と結婚したことが私の人生で最大の汚点だ。
――目障りだ。早く私の前から消えてくれ。
これらの言葉はリズのアイデンティティを破壊するに十分なものだったのだ。
元々どちらかといえば、何に対しても興味津々で、積極的な性格の彼女だったが、今ではすっかり生きる気力を失い、何にも手がつかない状況だった。
ふと思い立って、部屋に置かれた姿見に自身の姿を映してみる。
その風貌はとても齢二十一には見えないほどに血色が悪い。
以前は「墨を落としたように綺麗だ」と言われた黒髪も、今では見る影もなくパサパサと跳ね。
以前は「湖面のように美しい」と言われた紺碧の瞳の下にもクマが目立つ。
「……お姉ちゃん、なんか雰囲気変わっちゃったよね」
「……ね。前は『明日はあれを作るんだ~!』って無邪気な子供みたいな感じだったのに……伯爵家の生活がよほどキツかったんだろうね」
弟達のこんな声も当然聞こえていたが、聞こえないふりをして、布団の中に潜り込む。
更に追い討ちをかけるように、グレインが茶会で同席したことのある子爵の令嬢と再婚するという報が風の便りで届いた。
噂によると、既に子供を身籠もっているという。
「なによ……最初からそのつもりだったんじゃない……」
普段あまり陰口など言わないリズからこんな言葉が漏れてしまうほどに、彼女の心は荒んでいた。
そんな実家での生活が数ヵ月ほど続いたある日。
リズは、突如、父から呼び出しを受けた。
「お呼びでしょうか、お父様」
「急な話だが、お前に縁談の話が来ている」
「……縁談」
その言葉を聞いて、心がギュッと締め付けられるのがわかった。
今の状況下において、縁談をいただけるほど喜ばしいほどことはない。
しかし、その他方で感じる心臓への痛みは、離婚届に判を押すことによって全て精算したものだと思っていた過去のトラウマが、今も尚、リズの心に巣くうていることを象徴しているかのようだった。
それにリズは、離婚からまだ数ヵ月しか経っていない身。
こんなにも早々に縁談の声がかかるほどうまい話はないだろう。
おそらくこれには何か裏があるだろうと、リズは思った。
そんなリズの予想は的中する。
「お前に婚姻の申し込みをしてきたのは、北の砦『ネージュフォルテ』を統治する辺境伯・エラルド・ローレンツ将軍閣下だ」
「き、ネージュフォルテですか……」
その言葉を聞いたリズは思わず膝から崩れ落ちそうになった。
北の砦『ネージュフォルテ』とは、我が国の最も北方に位置する軍事拠点の名称である。
我が国は、隣国レクシア王国と継続的な戦争状態にあるのだが、レクシア王国と国境が接しているがゆえに、戦争が最も苛烈な地域が北の砦『ネージュフォルテ』だ。
当然、この地域にも領地という概念はあるのだが、近年の戦争の激化に伴い、領地民は他の領地へと移住となり、現在、ネージュフォルテに周辺に滞在しているのはほぼ全てが軍事関係者という話。
しかも、そのネージュフォルテを統治するエラルド将軍閣下と言ったら……。
「エラルド将軍閣下って『氷帝』って呼ばれている方ですよね? 我が国最高峰の魔導士で……冷酷無慈悲な戦闘狂で有名な……」
「……うむ」
エラルドの噂は世辞に疎いリズの下にも轟くほどだった。
辺境伯家出身でありながら、その実力のみで王国軍の将軍まで上り詰めた武官。
性格は冷酷無慈悲で、その冷たく鋭い眼光に捕らえられたら最後、命の保証はないとの風評だ。
それに加えて、エラルドは大の女嫌い。
数多の縁談が持ち上がり、良家のご令嬢と婚約するも、家に入って三日も経たずして皆泣きながら出て行くという噂も。
(……それにもかかわらず、なぜ今更になって……というか私なんだろう?)
絶対何か裏があると思った。
おそらく父も同様の感想だったのあろう。
娘の身を按じてくれているのか、この縁談に対して後ろ向きな発言が紡がれる。
「相手は伯爵家であり、この話が良縁であることは間違いないのだが……北の砦『ネージュフォルテ』と言えば、我が国で最も戦争が苛烈な地域。さすがにそのような地域に私の大切な娘を嫁がせるわけには」
確かにネージュフォルテに嫁ぐ以上、戦死する覚悟も決めなければならない。
それに冷酷無慈悲と噂のエラルドが自身を選んだ理由にも、何か裏があることは明白。
このようなマイナス要素が目白押しの縁談をわざわざ飲む必要はないように思える。
しかし、とリズは最近の自分を振り返ってみる。
いくら離婚の傷があるとはいえ、部屋に引き籠もって現実逃避した過ごす日々。
違約金の支払いもあるというのに、それを全て両親に押しつける無価値な娘。
……でも、この縁談を受ければ、ローレンツ家からは多額の結納金が支払われるだろう。
そうすれば、自身のせいで発生した違約金を帳消しにすることだってできる。
そうだ、何を躊躇っているのだ。
……自分のような無価値の人間を辺境伯家の将軍様が引き受けてくださるというのだからこれ以上何を望むというのだろう。
……否定、非難、無視、暴力。三年間全てに耐えてきたではないか。
……たとえ相手が噂通りに冷酷無慈悲な殿方で、また苦悩の日々が始まることとなろうとも。
……この首が回らない財政状況にもかかわらず、自身の身を按じてくれる家族すら幸せにできずして何が貴族の娘だ。
――私ならきっと耐えられる。
覚悟は決まった。
「お父様。その縁談、お受けします」
こうして、リズは最初の一歩を踏み出した。
まだ見ぬ二度目の結婚生活へと向かって。
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