§004 契約結婚

「隠すことでもないから初めに言っておく。――私がお前を愛することは決してあり得ない」


「え、」


 容姿に見蕩れてしまっていたがゆえ、エラルドが紡いだ言葉の意味を理解するのに数秒の時間がかかった。

 そして、その意味を理解し終えた時、リズは思わず問い返してしまっていた。


「……それは『契約結婚』という意味でしょうか」


 契約結婚とは、恋愛関係にない男女が、何かしらの目的のために形式的に夫婦になるというもの。

 その目的は多岐にわたるが、例えば、政治的な理由だったり、次々に舞い込んでくる縁談を煩わしく思って『女性除け』のために結婚することなどが挙げられる。


 リズのその言葉にエラルドは「ほぉ」と少し感心して見せたようだった。


「常識を弁えない田舎娘と聞き及んでいたが、で多少の見識を深めたようだな」


「…………」


「確かに『契約結婚』という言葉が最もしっくりくる。私は辺境伯という立場ではあるが、主に王国軍の将軍として、この北の砦『ネージュフォルテ』を任される立場にある。辺境伯としての私の用務は、一点、この国を防衛することだ。逆に言えば、本来貴族家が行うべきそれ以外の用務、例えば、社交界との交流や、夜会やパーティなどへの出席なのだが、最近はレクシア王国の攻勢が激しさを増しており、そんなくだらないことに割いている時間が惜しいのだ」


「それで私と婚約さえしてしまえば、次々に舞い込んでくる縁談を断る口実になると判断なさったということですね」


「そのとおりだ。お前が前夫ぜんぷからどのような扱いを受けていたかは調べがついている。ここでは別にそのような使用人同然の生活を強いるつもりはない」


 エラルドは端整な顔の横で、人差し指をスッと立てた。


「ただ一つ。――私に干渉するな。これが、私がお前に望む唯一にして絶対の条件だ」


 この言葉を聞いて、少しだけ前向きになっていた心が急激に萎んでいくのがわかった。

 そう、リズは少なからず期待していたのだ。


 一度目の結婚は失敗した。

 それは自身の伯爵夫人としての素養の無さゆえだった。


 それでも、もしかしたらこの方となら……。

 どんなに冷酷無慈悲な『氷帝』と呼ばれるような方だったとしても……。


 ありのままの自分を受け入れてくれるかもしれない。

 幸せな結婚生活を送れるかもしれない。

 本当の愛を教えてくれるかもしれない。


 ……今度こそ、心から愛する人との間で、幸せな家庭を築けるかもしれない。


 そんな微かな希望を抱いてしまっていたのだ。


 しかし、そんな希望は早くも崩れ去った。


 ――私に干渉するな。これが唯一にして絶対の条件だ。


 これさえ守ればここに置いてもらえる。

 実家にいる家族の生活も保障される。

 前のように使用人同然の生活を強いられることもない。


 これ以上の好待遇はないのではないかと思う。


(でも、リズ。……貴方は本当にこれでいいの?)


 そう考えた時に、頬を一筋の涙が伝っていた。


 我慢していたはずなのに……。

 離婚して以降は決して流していなかったのに……。


 涙が止めどなく溢れてきていた。


 別にこの条件に不満があったわけではない。

 何が悲しいとか、何が悔しいとかを考えたわけでもない。


 でも、心の奥底に眠る自身の感情が、気まぐれに顔を見せてしまったのだ。


 けれど、こんな感情をエラルドに見せるわけにはいかない。


 二度目の結婚生活。

 どんなに愛の無い結婚生活になろうとも。


 ――今度こそ、後悔だけは残したくない!


 リズはエラルド達に気取られぬように涙を拭うと、満面の笑みを浮かべて言った。


「承知しました、将軍閣下。改めてよろしくお願いいたします」


 そうして、リズはすぐさまその場を後にした。


 あとに残されたジェフリーは軽く嘆息しつつ、エラルドへ小言を述べる。


「将軍、あの子泣いてましたよ。さすがに言い過ぎではないですか」


 エラルドもリズが泣いていたことに気付いていたのか、わずかに視線を伏せる。


「……事実を言ったまでだ」


「それなのに、自身の両親が離婚していることは言わなかったんですね。離婚というものの辛さは貴方が一番わかっていると思ってましたけど」


「…………」


「俺はあの子を追いますけど、それでいいですね?」


「……好きにしろ」


「本当にめんどくさい人だ」


 ジェフリーは今度はあからさまな嘆息を見せると、エラルドに背を向けて部屋を立ち去ろうとする。


「ちょっと待て、ジェフリー」


 しかし、そんな彼を止める声。


「あいつを追うなら、その時にこれを伝えろ」


「はい?」





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