第2話

「いらっしゃいませ――あ、詩絵ちゃん久しぶり!」

 ドアを開けると同い年の、若い女性店員――佳穂かほが元気よく迎え入れてくれた。

「佳穂ちゃん、久しぶり! 一年ぶりかなぁ、元気してた?」

 左手を軽く上げた少女――加野詩絵かのしえは記憶をまさぐるように一瞬、左上を見上げた。

「元気してたよ! 詩絵ちゃんは今大学生だよね? 授業は大丈夫なの?」

 急な友の来訪に嬉しく思うと同時に、驚いた佳穂は当然の疑問を口にした。

「今、大学の授業はリモートでも受けれるもんでねぇ、旅行したい気分になって来ちゃった」

 詩絵が知らぬ間にそんな最先端な技術を使いこなしていることに驚き、佳穂はつい大きな声を上げそうになった。店内にはほかのお客がいることを考慮してお互い、小声で話す。

「いい匂いするね」

 詩絵は店内を見回す。

 先ほど淹れたばかりだろうか、コーヒーのよい香りが鼻孔をくすぐった。

 今日はあいにくの雨だが、このような日に飲むコーヒーも贅沢といえるだろう。

 雨で濡れた水滴を落とし、湿気てしまった、ミルクティーベージュ色のボブヘアを手櫛で軽く整えると、詩絵は店内へと入っていった。

 レインブーツを履いていたため、足元は特に問題無いが、傘を差しても横風で防ぎきれなかった横雨で少し体全体が濡れてしまった。手提げバッグに入れていたタオルで軽くふきながら店内を見回すと、すでに二人のお客がいた。

 奥に座っている、七〇代くらいの男性は手に持っているコーヒーカップから漂うコーヒーの匂いを感じながら店内の雰囲気を楽しんでいた。

 手前側にいる高校生くらいの男性だろうか、彼は目をつむりながらコーヒーの味を感じていた。

 詩絵も初めてコーヒーを飲んだ時は、じっくりと味わいながら飲んでいたので彼の飲み方も共感できた。

「……ではこちらに」

 詩絵は久しぶりの友との談笑を終えると佳穂に案内される。

 カウンターの席に着くと、上に掲げられた黒板のメニュー表を見た。

「いつものでいいか?」

 マスターがカウンターから顔を少し覗かせると、そんなことを言ってきた。

「あ、マスター。こんにちは。いつものでお願いします」

 詩絵は夕霧島という名のこの小島にはすでに何回か来ている。だが、来ても年1回とかのレベルだ。初めて来たときは、父に連れられて来たのだった。

 父とここのマスターは昔からの知り合いだったようで、マスターに紹介してくれたのを覚えている。

 今では一人で来るようになったが、マスターは一年後の2回目の来店でも詩絵の顔を覚えてくれていた。

「いつもの」という言葉は毎日来るような常連さんに言うようなセリフだが、年1回レベルの来店の自分に言ってもらえる日が来るとは思わなった。やはり特別感がある言葉である。

 とはいえ、詩絵は看板メニューのコーヒーとチョコレートケーキ、チーズケーキと日替わりケーキまで毎回必ず頼んでいるので、ほぼすべてのメニューを頼むお客の注文は覚えられて当たり前とも言える。

「マスター、今日の日替わりケーキは何ですか?」

 あえて聞かなくてもいいが、聞いた上で待つのも期待感が高まり、また楽しい。

「……実は今日の日替わりは新作でね、ここで採れる夕霧みかんで作った『夕霧みかんのケーキ』だ」

「新作!? やったー!」

「ご近所の農家さんにもらったんだよ」

 佳穂が付け加えた。

「そうなんだ!――日替わりケーキだけ先にいただいてもいいですか?」

 新作のケーキが食べれるなんて何て運がいいんだろう。雨が降って退屈していたがツイている。

 マスターは豆をミルに入れると、手で回し始めた。

 ――ゴリゴリゴリ。

 コーヒの豆を挽く心地の良い音が聞こえてくる。

 佳穂は厨房の奥へ行くと、ケーキのセッティングの準備を始めた。

「すみません、僕も日替わりケーキもらってもいいですか?」

 詩絵がケーキを待っている間、いつものようにマスターが挽くコーヒを眺めていると、隣から声がした。

 声の主は隣に座っていた高校生くらいの青年だった。 詩絵が注文したのを聞いて食べたくなったのだろうか。

「日替わりケーキ、美味しそうですよね。新作って聞くだけで心躍っちゃう」

 詩絵は青年に話しかけた。

「僕も食べたくなっちゃいました。あなたの――ええっと……」

 青年は詩絵の方を向くと、少し前のめりになりながら話し始めるも戸惑ったような顔をした。

 ――お名前は? と言いたかったのだろうか。青年が途中で言葉を切ったのは気軽に名前を聞いて良いか躊躇したからだろう。

 だが、こうして小さなきっかけで輪が広がっていくのも喫茶店での出会いの好きなところだ。

 詩絵は気にすることなく、自己紹介をした。

「私は加野詩絵と言います。地元はこちらではないですが、今日は旅行で来ています」

 詩絵が名乗ったことで安心したのだろう、青年も簡潔に名乗った。

「加野さん、よろしくお願いします。小長谷隆こながやたかしです。僕も旅行で来ています」

「よろしくお願いします。小長谷さんは学生さんですか?」

 旅行で来た――と答えた青年、隆は一人で来たのだろうか。詩絵も学生時代、旅行に行くときは結構飛び回るタイプだったが、もしかして彼もそうなのではないかと期待を寄せた。

「はい、高校二年生です」

 おお――詩絵は心の中で喜びの声を上げる。高校二年というと、来年は受験生だ。受験生になれば夏休みは勉強漬け――つまりはゆっくり遠方まで旅行に行けるのは高校二年生の夏だけ、ということなのだろう。高校に入学してから1年がたって慣れてきたころに最後の最高の夏を迎えてしまう。詩絵もすでに経験しているが、悲しくも高校生というのはそういうものだ。

 けれども大学生になれば、自由になるかと言えば意外とそうでもない。詩絵の場合は特にそうだった。

「そうですか……学生ってたいへんですねぇ」

 高校生の時、私もいろんなことをしたな――。彼に伝わるか分からないが、詩絵はしみじみと噛みしめながらつぶやいた。いつの間にか自分も年をとってしまった。若い人を目の前にしたとき、気づかされてしまうものだ。

「ええ……。ほんとですよ。最後の夏休みを満喫したくてここ――夕霧島に来たのに、初日からこんな天気が続いていてまだ何も楽しめていません」

「同じだ……」

 詩絵も隆と同じ境遇に苛まれていた。詩絵は三日前から夕霧島に来ていた。

 到着日は晴れていたが、苦手な船旅ということもあり疲れてその日は寝てしまったのだ。

 翌日はまるでバケツをひっくり返したかのような大雨。前日とは打って変わった天気だった。

「……号は猛烈な勢力を保ったまま北上しています――」

 ラジオを聴いているのだろうか。奥に座っている七〇代くらいの男性が耳にしているイヤホンからうっすらと台風情報が聞こえてくる。

 台風が上陸する前に現地入りするつもりだったので台風が来ることは分かっていたが、今回の台風は想定よりスピ―ドが速かったのだ。

 出発日が少しずれていたら船は欠航になっていたかもしれない。

 早めに来てよかった、と詩絵は安堵した。

「今回の台風、このスピードなら明日には抜けそうですね」

 青年もうっすら聞こえるラジオに耳を傾けながらつぶやいた。

 でも大事なのは台風が過ぎてからだ。

 彼は知っているだろうか。

 この夕霧島の名前の由来を――。

 詩絵は雨が叩きつけられている小窓から外の様子を見る。

 ――去年、来た時も確かこんな天気だった。

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