第7話 温泉街のおいしいもの
朝、氷のように冷たい床が頭の中の眠気を一掃する。窓の外を見るとしんしんと雪が降っている。このくらい振ってしまえば東京ならもう電車は動かないんだろうなと雪国の人がマウントをとる理由が少しわかった気がした。
パジャマから私服に着替え階段を降りる。
居間にはおばあちゃんが作ってくれた豆腐の味噌汁と菜葉のおひたしが朝ごはんとして置かれている…
「あれ、ご飯がない」
「柚ちゃん、お餅いるかい?」
「食べたい!あ、そのお餅…」
東京の家には冬になると豆の入ったお餅が届くのだが、そういえばおばあちゃんが手作りしてわざわざ送ってくれたものなのだと改めて気がついた。
年季の入ったストーブの上にフライパンを置き餅を焼く。しばらくするとお餅がぷくーっと膨らむ。お皿に大さじ一杯の砂糖と同じくらいの醤油をかけ焼きあがったばかりのお餅をお皿に乗せる、お餅の熱が砂糖を溶かして醤油と混ざり合う。シンプルながらも最強の組み合わせの完成だ。
まだ湯気の上がるお餅を砂糖醬油だれに絡めて喉に詰まらせないように注意して少しずつ食べる。
少し甘いお餅と甘じょっぱい砂糖醬油が口の中で絡まり合う。
お袋の味ってこんな感じなんだろう懐かしい味というか、暖かさを感じる。この季節限定の味だ。
朝ごはんを食べ終えて、こたつに入りながらゴロゴロして、テレビの天気予報をぼーっと見ているとピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴る。
「まぁ、寒そうな格好ね〜…雪代さんのお孫さん?」
「佳代子ちゃん?」
玄関にはこの雪の中を歩いてきたとは思えないミニスカート姿の佳代子ちゃんがいた。
「やほ〜迎えに来たよ〜」
「柚ちゃんに用があったんだね、今日は寒いから柚ちゃんはあったかい格好で行っておいで」
おばあちゃんに言われた通り、私は寒さに考慮した服装で外に出た。
「今日も寒いね〜」
その発言はミニスカートを履いてる時には言えるものではないと思う。
「佳代子ちゃん、おすすめのってお店ってなんのお店?」
「お蕎麦屋さんだよ!あ…柚ちゃんそばアレルギーとかないよね!?」
「そばは大丈夫だよ、そういえばお蕎麦久しぶりに食べるかも」
「めっちゃおいしいから!柚ちゃんの中のお蕎麦のイメージ変わるよ!」
しばらく歩いていると前の方にながーい行列ができてる。ここが例のお蕎麦屋さんかな?だが柚ちゃんはその行列はスルーして歩き続ける。
「あれ、さっきの場所じゃないの?」
「さっきの店はトンカツとか揚げ物のお店、あそこいつも混んでるんだよね〜私たちが行くお店はもう少し先だよ」
長い行列のある店から五百メートルくらい先の古い蔵のような建物の前で佳代子ちゃんが止まった。
「ここが、古民家カフェ兼お蕎麦屋さんの『そば蔵』だよ、今日はそこまで混んでないね」
「わぁ〜蔵がカフェになってるんだ。私、古民家カフェ一度行って見たかったんだよね!」
「よかった!じゃあ行こっか」
引き戸のすりガラスのドアを開けると、リンリンと吊り下げられていた鈴が鳴り店の奥から五十代くらいの割烹着姿のおばさんが出てきた。
「いらっしゃいませ〜!…あ、佳代子ちゃんじゃない!いらっしゃい。そっちの子は見たことないけどお友達かしら?」
「ののさん久しぶり〜!そう友達!親友!」
「あら〜!よかったわねぇ!昔から佳代子ちゃんと同い年の子は男の子ばっかで女の子はこの温泉街には住んでなかったからね〜」
佳代子ちゃんは陽気な性格だけど、今まで友達はあんまりいなかったのかな。
「あなた、お名前は?」
「湯本柚です…!東京から少しの間ですがここに滞在してます!」
「そんな緊張しなくてもいいのよ〜東京の子なのね、ここが気に入ったら移住してきてもいいのよ〜あはは」
ののさんと呼ばれるおばさんは笑いながら温かいお茶を用意してくれた。
外の雪が見える窓際の席。ふと置かれたテーブルにメニュー表を見る。
普通のお蕎麦に、温かいお蕎麦、それと蕎麦ガレット?写真には茶色いクレープのような生地に真ん中に目玉焼きとベーコンが包まれている。なんともおしゃれな感じのする料理だ。
「柚ちゃん決まった?」
「佳代子ちゃん、私蕎麦ガレット食べてみたいな」
「いいね!じゃ私もおんなじの頼もうかな、ののさ〜ん!蕎麦ガレット二つと、コーヒー二つくださーい!」
「こら、ピンポン押してから注文してねって言ってるでしょ〜」
「この前までピンポンなかったから忘れちゃってた」
しばらくすると厨房からベーコンの焼けるいい音と匂いがしてきた。こういう待ち時間は嫌いじゃない。
そして、出来立ての蕎麦ガレットが運ばれてくる。
「「いただきます!」」
とろとろ半熟の目玉焼きを割ってカリカリのベーコンと蕎麦ガレットに絡める。
口の中は蕎麦の風味でいっぱいになる。
ガレットは黒胡椒がなかなか効いていて、あるとないとじゃ満足度の桁が違う。
「美味しい…!」
初めは普通のお蕎麦を食べようとしてたけどこれも全然ありだ。ガレットは蕎麦の風味が十分に味わえてしかもアレンジがきく、お店としてもこれは人気になりそうだ。
私はそんな感じでペロリと一枚のガレットを食べ終わってしまった。
「ガレット、どうだった?」
ののさんがカウンターから話しかける。
「美味しかったです!東京でも作ってみたいです!」
「よかった〜今度は家族とこの町にいらっしゃい、そしたらきっとあなたの家族も美味しいって言ってくれるはずよ」
「はい!絶対連れてきます!」
「うん!いい返事だ!あはは!」
この町の人はとても活気に溢れていて素敵だ。
私も近いうちにやりたいこととか、見つけられるかな。
「佳代子ちゃん、今日はありがとう!ガレットすごい美味しかった!」
「そういえば、柚ちゃん、いつまでこの町に滞在できるの?」
そうだ、私東京に帰らなくちゃいけないんだ。
親には年末前に帰ってこいと言われている。私はだんだん佳代子ちゃんとのお別れの時が迫っていることに気がついてしまった。
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