第19話 鉱山へ

 エミリはいつもは離れで子供たちとは別の部屋で寝ているが、あれだけの騒動があったのだから子供たちの精神状態が気がかりで一緒にいることにした。


「ベッドの中の藁を床に広げて、今日は布団をくっつけてみんなで寝よっか」


 お祭りがなくなった代わりのパーティーでもやるみたいで、子供たちは喜んだ。


 卓人もナタリアもそうした。


 安心できたからか疲れたからなのかはわからないが、案外子供たちはすぐに眠ってしまい、逆にエミリは考え込んでしまって眠れなかった。


 今日はあまりにもいろいろなことがありすぎた。


 殺されそうになったこと、殺しそうになったこと。


 集落の人々が皆殺しにされ、祭りも中止になったこと。


 そして、その犯人である女をナタリアが助けたこと――。


 兄のおかげで一命をとりとめた殺人鬼は足元をふらふらさせながら出ていった。その後下山の途中で倒れたようだが、それを見つけたナタリアが回復魔法をかけ、孤児院に連れて帰った。


 その後は風呂も食事も与えた。


 鍵のかかる地下倉庫に拘束はしたものの、許されざるべき女に対して信じられないほど寛容で、裏切られたような気分だった。


「大事なとこはそこじゃないよ」


 軍と連絡を取ったから朝には引き取りにくる、この女にはすべてを話してもらわないといけないから生かしておく必要がある、というナタリアの言を理解することはできたが、感情的にはとても受け入れることはできなかった。


 でも、自分は無茶苦茶なことを考えているのも事実だ。


 自分が女を殺してしまったと思ったときには、生きていてほしいと願った。


 ところが、生きているとわかった途端に、死を与えてほしいと願った。


 ――自分が汚れるのが嫌だから、誰かがやってくれることを期待している。


 随分と都合のいい話だ。


 そう考えると、エミリは自分がすごく悪い人間のように思えた。


 子供たちを起こさないようじっとしていないといけないが、怒りと自己嫌悪は爆発しそうな衝動を与えてくる。それでもいつの間にか眠ってしまっていて、目覚めたときにはすでに白く晴れ上がった部屋に驚いた。いつもならもっと早くに起きて朝食の準備をしているはずなのに。子供たちのうち何人かはすでに目を覚ましていたが、エミリかナタリアに寄り添って誰も布団から出ようとはしなかった。睡眠によって昨日のことが整理されたことで、事件の恐怖は、あるいは起こった直後よりも大きくなっているかもしれない。そんな理屈などエミリは知らないが、その観察力で察することはできた。エミリは子供の頭を撫でて笑ってやると、子供もぎこちなくも笑い返してくれた。

 日が少し高くなってから軍関係者が女を連行しにやってきた。女はやはり無表情だったが、昨日見せたものとは違うと思った。このときはなぜか、あの人殺しが可哀想だと思った。

 代表者の話によれば、夕方には子供たちを保護するための車を寄こすので待っておいてほしいとのことで、警護の兵を五名ほど残して去っていった。女が連れて行かれたというのがひとつの区切りとなったのだろう。子供たちも明るさを取り戻していった。これによってエミリも気がかりだったことに気を回すだけの心の余裕が出てきた。


 兄はどこへ行ったのだろう?


「タクトは出て行ったよ」


「え?」


「夜明け前にね。何やらあれこれと荷物ももって行ったみたいだが、あたしも動けなかったからね。何をもって行ったのかはわからないけど」


 ナタリアの答えはいつも以上にエミリの心を抉った。


 昨日の件でもっともひどい目に遭ったのはエミリだ。そんなときは誰かに縋りたくもなるだろうに、一番頼りにしている兄がここにいないのは足元が崩れるような思いだった。


 いや、それだけではない。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」


 崩れた足元からいやな何かが絡まるように上ってくるような感じがした。


 震えが止まらない。


 うずくまりそうになった自分を何とか堪え、離れへ走った。


 階段を駆け上がって兄妹の寝室を見ると、奥の収納棚から以前兄が着ていた毛皮の上着がなくなっていた。


「なんで……山へ?」


 つまりここより寒い場所。


 この山の先にあるものといえばスズ鉱山だけだ。道はもろく険しく、川が穏やかになってから舟で行かなければならないようなところだ。


 だが、わざわざこの時季に毛皮の服をもっていくとするならあそこぐらいしかない。


 エミリのいやな予感はますます強まった。


 外では、別の軍人がちょうど訪れたところだった。


 ――あれは。


 レヴァンニだ。それとびっくりするほど美人の女性と、壮年の兵士二名。


「やあ、エミリちゃん。タクトは?」




 卓人がスズ鉱山の飯場を見つけたのは、川沿いの切り立つ崖を歩いて半日ほどしてのことだった。


 道中は曇天のせいで陽が射さないこともあるのだろうが思った以上に寒く、毛皮の上着でも十分とはいえなかった。


 もはやコケさえも生えておらず岩石の風化が激しい。さすがに雪は残っていなかったのでなんとか歩くことができたが、崖のせいで随分と狭い。


 川の流れが穏やかになる一ヵ月後には、この鉱山も再開され賑わうことになる。


 誰もいない飯場は鍵もかけられておらず、卓人は空き巣のように探った。


 台所では小麦粉や塩、干し肉などの保存食を発見した。寒いので虫もついていない。さすがに包丁は鍵付きの棚の中にしまってあった。


 かまど付近には火打ち石とランプがあったので拝借した。すりこぎと鍋と塩も。


 飯場の外にはいくつか小屋があったが、その中に木炭の倉庫を見つけた。この木炭でスズ鉱石を還元しているようだ。卓人はその中から柔らかそうなものを選んだ。


 別の倉庫にはつるはしやスコップがまとめて置いてあった。


 いずれも武器にはなりそうだが、つるはしは攻撃力こそ高そうだが振り回しにくそうなので、スコップを選ぶことにした。さらにランプはもっとも必要なものだった。


 飯場から五〇メートルほど離れたところに鉱山の入り口がある。


 休鉱の間、余計なゴミや動物が入ったりしないように板で塞がれている。まだ板があったことに卓人は少しほっとし、はめ重ねただけの板を外して鉱山への入り口を開けた。


 ランプを火打石で灯し、足音ができるだけしないようにゆっくりと奥へ進む。


 ところどころを丸太や板で補強された坑道は卓人の頭より少し高くて歩きやすい。


 空気も外ほど寒くはない。ただ、奇妙な異臭がして不快だった。毒ガスだったらどうしようと思ったが、小さなネズミが駆けて行き、その心配はないと確認することができた。


 しばらく進むと少し広くなり、坑道はいくつかに分かれていた。


 どちらに進むべきか迷ったが、慎重に耳を澄ますと、洞窟特有のうなりに併せてかすかに一定のリズムの音が混じっている。まるで誰かが歩いているかのような……


 指をちょいとなめて空気の流れを確かめる。自分のきたほうがわずかにひんやりとして、ゆっくりとだが坑道の奥の方へ流れていることがわかる。


 坑道が行き止まりであればこの現象はありそうもない。


 ――まず間違いなく、敵はきている!


 明かりは見えないことから、まだかなり遠い。


 卓人は孤児院からもってきたパサつきのある白い粉を取り出すと、それを飯場にあった鍋の中で塩と混ぜた。これらの鍋を通路の壁上部に取り付けられた篝籠に乗せ、別の小さなランプで穏やかに熱した。


 戻って適当なところで腰を落ち着けると、木炭をすりこぎで潰して微粉末にし、そして孤児院からもってきた硫黄と自作の硝酸カリウムの粉を混ぜ合わせた。




 昨日、卓人は集落の惨状を目にした。


 うろたえるナタリアの様子が卓人を冷静にさせた。


「この状況を軍に報告できますか?」


「あ、ああ……」


 ナタリアは魔法による遠隔通信で軍と連絡を取った。落ち着きを取り戻して、集落が全滅させられたことを正確に伝えた。


「先生。ついでで申し訳ないんですが、バルツは近年、どこかの国と戦争したことはないか、聞いてもらえませんか?」


「なんだい、そりゃ?」


 不審に思いつつも「まあ、いいけどね」と従ってくれた。


「……ある」


 それは、敵の意図を明確に表していた。


 ――敵は、山脈を越えて攻めてくる!




 五千メートル級の山脈を軍隊が登って越えることは損害の方が大きくなる可能性が高い。かといって、何キロメートルものトンネルを掘って進むことも現実的でない。山脈越えの可能性は消された。


 しかし敵はこの戦略を選んだ。


 この山脈の向こうには、エルゲニア帝国がある。


 今までのバルツの攻撃はエルゲニア帝国が協力、あるいは強制して行われたものだ。


 バルツの無意味な侵略戦争は搖動である。軍を西側に集中させたところで、がら空きになった北から攻撃する。


 敵がもしこの国を侵略したいと考えたなら、どうするだろうか。


 精強なドマニス軍を圧倒するには、万単位の兵士が必要になる。


 南北を山脈に、東西を海に囲まれたこの国は天然の要害ともいえる。それだけの軍勢を移動させるには、海からなら船で、山からなら徒歩で、ということになるだろう。


 しかし、海は見通しがよい上に警戒が厳しい。それに対して山は警備の目が行き届かない場所が必ず存在する。奇襲を考えるなら山からに違いなかった。


 ドマニスのスズ資源は近隣各国に輸出されているから、このスズ鉱山の存在も知られていよう。ここにつながるトンネルを掘れば、山越えも容易になる。


 しかも、かなり標高の高い位置にあるので冬場は閉山されていて、その時季であれば軍を進行させても察知される可能性が低い。


 問題は、多くの兵士を短期間で移動させるにはトンネルの場合、通路の広さに限界があるということだ。


 しかし、兵士たちが駐留できる場所があるなら、少々時間がかかってもいい。仮に一万の兵を導入するのに三日かかるとして、その三日間だけ情報がドマニス軍に漏れなければいいのだ。


 この山脈にある集落は他との交流が少ないという特徴がある。人里離れた集落では間違いなく保存食を多量に備蓄している。一万の軍が三日食う程度ならなんとかなる。集落を滅ぼせば、情報封鎖と食糧確保が同時にできるのだ。


 こう仮定すると、これまでのバルツ軍の無謀ともいえる侵略に意味が生じる。


 一つはトンネルを掘るまでの意識を別に向けさせるための時間稼ぎだ。


 もう一つは、ドマニス軍が首都ではない地域に何人の兵を割くことができるかの限界点を見ることだ。


 即座に集められるのは多くて三〇〇〇程度。


 そして何度も攻撃するからこそ、軍をそこに張りつけることができる。ここに一万、いや少なくとも六~七〇〇〇程度の兵で攻め込めば簡単に周辺は陥落するだろう。


 しかも、高地から低地へ攻め込むほうが、その逆よりも有利だ。アイア地区を制圧し、拠点とできたならば、敵が今後ドマニス王国を侵攻するための好条件が整うのである。


 バルツは本当の敵ではない。


 バルツ軍を動かす別の存在がある。


 やむなく攻撃せざるを得なかったのだ。


 エルゲニアに敗れたバルツは、ドマニスに攻め込むことを強要されたのである。


 卓人は奇妙な運命だと思った。


 おそらく自分の推測はすべて正しい。それは必ずしも喜ばしくはない。


 だが、兵学校から逃げ出さずにそのまま残っていたら、孤児院の子供たちはどうなっていただろうか。


 少なくともエミリが人殺しの十字架を背負わずに済んだのは幸いとしか言いようがない。


 ――そうだ、僕はあの子たちを守らなければならない。




「なるほど、そういうことか」


 ニコライはナタリアからの連絡を通信員から受け取った。彼女からタクトもいることを聞かされた。そして、「バルツがこれまでに戦争をしたことがあるか」と彼が質問してきたのだという。


 バルツが戦争状態になったのは三年前のことである。


 しかし、あれはその隣国との国境紛争でエルゲニア帝国は直接的に関与していないはずだ。そしてバルツは侵略者を追い返し、国際的評価を上げることになった。


 おそらく実態はそうではなかったのだろう。紛争のあった国は政権交代以降エルゲニア帝国の走狗のごとき振る舞いを見せていた。


 戦ったのはエルゲニア帝国であり、バルツ勝利との虚報を世界に流布したのだ。


 実質的にエルゲニアの支配下に置かれたバルツは、ドマニスへの侵略を強要されたのだ。


 きちんと実地調査をしていれば、事態の真相は少なからずわかっていたはずだ。外交部はいったい何をしていたのだ!


 なにしろ、エルゲニアは山脈を挟んだ向こう側の帝国である。そして、三五〇年前にこのドマニスを支配していた国でもあるのだ。再占領を目論んでいてもおかしくない。もっとも警戒してしかるべき敵である。


 このことについてニコライは即座に次に打つべき手を兵学校校長、すなわち仮司令部の最高司令官に具申した。確定的でない以上、現時点であまり多くの兵を動かすことはできないが、斥候として何名かなら派遣できる。


 レヴァンニとルイザは聞くやすぐさま立候補し、さらに遠隔通信の魔法を使える二名を加えた四名で出発した。


 出発前、ルイザはレヴァンニに尋ねられた。


「ルイザ。この役目はタクトと一緒になるだろうに、なんで自分から手を挙げたんだ?」


「それを言うなら、あんたみたいな軽薄な男と任務をこなすのも嫌なんだけど。この前の決闘で評価を下げてしまったから、取り返したいだけよ」


「なんだつまんねぇな」


「はぁ? 気持ち悪いわね。あんたこそ斥候って仕事なめてんじゃないわよ。ちょっと様子見てくればいいってわけじゃないんだから。私たちの判断次第では、その後の戦況が大きく変わりうるのよ」


「おお、そうかもな」


「ほんと、テキトーな人間ね。場合によっては、戦闘状態にだってなりうるし、その許可も下りてる」


「この人数でか? 冗談じゃねぇぞ」


「人数が少ないからこそ、死なれたら困るわ」


 レヴァンニは、「足手まといになるんじゃないわよ」と言うと思ったが違った。


 ベラの死以降、ルイザの中では仲間を失いたくないという気持ちが何より強くなっていた。それは、いくら嫌いだからといっても仲間である以上はすべてに対して等しい。


「行くわよ!」


「指示出してくれると、考えなくていいから楽チンだな!」


「あんた、いい加減にしなさいよ!」


 通信員として加わった二名の兵士は、予科生のやり取りに不安を覚えたが、同時にてきぱきと物事を進めていく姿には頼もしさも覚えた。


 それから四人が孤児院へ到着したのは昼になろうとする頃だった。


「あれ、タクトは?」


 出迎えたのは、あのタクトには全くふさわしくない清純な美しさをもつ妹だった。見るからに不安を抱えているようだ。


「きっと、お兄ちゃんは……山に……」


 ルイザとレヴァンニは顔を見合わせた。


「独りで行ったのか?」


「敵が……きてるかもしれないのに?」


「敵?」


「いいえ、エミリちゃんは気にしなくていいわ。ここで待っていて。お兄ちゃんと様子を見てきたら、すぐ戻るから」


 ルイザは危うさを感じ取っていた。記憶をなくしてからのタクトは何か違う。

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