第14話 お祭り
その頃、タクトがいなくなった孤児院は寂しさを抱えつつもいつものように皆が元気に過ごしていた。
エミリは卓人から教わった冷却の魔法を自在に使えるようになり、頻繁に料理にこの魔法を用いた。地下の氷室でもいいのだが、思ったように冷やせるのはやはり魔法ならではだ。
子供たちが好きなお菓子をいろいろ冷やしてみるとおいしくなるものがあった。ただ、甘みを感じにくくなるので高価な砂糖を多めにしなければならないのは困った問題だった。
最大の発見は、卵をゆでて魔法で即座に冷やしてやると殻が簡単にむけるようになるということだった。これには子供たちも驚いて、するするとむける卵の殻が面白くて一時期は毎日のようにゆで卵を食べていた。
兄が自分のもとを去ってもう二週間になろうとしている。
その前は一年も会わない生活をしていたのだから慣れてもよさそうなものだが、それでもやはり虚しいものがある。兄のために料理をつくりたかった。兄に自分の成長を見てほしかった。
「お祭りだ!」
この孤児院から山を下った集落では、少し汗ばむこの時季になると豊穣の女神アドギリスを祭った催しが行われる。四〇軒ばかり二〇〇人ほどが飲んで食っての二日間を過ごし、孤児院の子供たちも呼ばれる。
集落の里長がやってくるのがその報せとなっている。
まだ重ね着の欠かせない気候の下、いつものように白衣一枚(正確には下着も着ているが)で過ごすナタリアの職業は巫女であり、この地域に根付く多神教宗教の祭祀一切をとり仕切っている。
ちなみに、孤児院の監督も巫女としての仕事というか慈善事業の一環である。ただし、ナタリアの日頃の服装は巫女という職業に一切関係ない。
里長はナタリアと祭りの打ち合わせにきたのだ。そしてもう一人若いのを連れてきていた。
「あら、ヨシフ」
「やあ。大きくなったね、エミリ」
細面の二十二歳はいかにも素朴な男だ。
「おばさんは元気?」
「あはははは、商売敵が増えちゃったから困っているよ」
ヨシフはそう言ってエミリを指さした。
三年ほど前、エミリはこのヨシフの母のところへ機織りと刺繍を習うために毎日通っていた。その期間は一ヶ月ほどだったが、その間にヨシフともよく話し、遊んだりした。
その頃の親切だが頼りない印象と変わってはいないが、ちょっとだけ逞しくなった感じがする。
「エミリちゃんは、今年が成人だね」
「え? ……そうか」
里長に言われるまでまるで考えたこともないような口ぶりだ。この地域では一五歳を成人として独立を促される。タクトが兵学校に行くことを決めたのも成人を迎えたからにほかならない。
「今年のお祭りはね、エミリちゃんが主役だからね」
「主役?」
「そうだよ。神様たちに成人したことを報告しなきゃならない」
エミリは思い出した。
星空の下、篝火に照らされて美しく舞う女性の姿を。
「え、私がやるんですか?」
「うん。同い年の子はいないわけじゃないけど、みんな結婚しちゃってるからね。お役目は未婚の女性と決まっているんだ」
エミリは同時に三つのことに驚いた。
自分に舞の奉納のお鉢が回ってくるとは思っていなかったこと。
同い年の子たちがみな結婚してしまっていること。
そして、自分がそういった年齢に達してしまっていること。
ここの高地性集落では、住民たちだけで生活していくだけのシステムをつくりあげてきた。それぞれの家が農業、建築業、衣料製造など役割分担をし、時として互いに協力しながら、家業を代々受け継いできた。
もちろん山を下って街で品物を売買したりとか、遊んだりすることもあるが、基本的にはその地域だけで生活は完結してしまうため、人生の選択肢は極めて少ない。そのことに不満もないし、まして住民すべてがそれを当たり前だと思っているため人生の決定も早い。
だから一五歳までに結婚することは、ここに暮らす女子としては普通のことである。
この観点でエミリはすでに適齢期であり、もっと言えばナタリアはかなり行き遅れてしまっているということになる。当のナタリアはそれを気にしている風ではないが。
祭りでは、集落は色とりどりに飾り付けられ、中央広場には切り出した大きな木を塔にして神々を祭る。男子は大人も子供もレスリングや腕相撲をして競う。女子はみんなで集まって食事をつくる。家族的な雰囲気の中、みんなが楽しそうに過ごす。
日が暮れたころ、篝火が灯され、塔の下に設けられた舞台で美しい衣装をまとった少女の舞いが披露される。
エミリはその美しさには心惹かれた。
その他の人々も声を失ってしまったかのように見入り、音楽の演奏だけが流れる。
舞いを始めると、おもむろに精霊たちが集まり、いつの間にか少女は精霊たちと戯れているかのようにさえ見えた。
豊穣の女神様もきっと喜んでいるに違いない、自分もあんな風に精霊たちと会話をしてみたい、きれいな衣装を着てみたいと思った。
しかし、孤児院で暮らす自分はお客として祭りに参加させてもらっているだけなので、決してあの舞台に立つことはできないと思っていた。ところがそのお役目が自分に回ってきたことに心は高鳴った。
「舞はナタリアさんがしっかり教えてくれるからね」
「任せときな」
「あはは、お祭りはいつですか?」
「一週間後だよ」
「え? それだけしか時間がないんですか」
「なに、ほかの子なら一ヶ月仕込まないといけないことでも、エミリなら一週間あればできるはずだよ」
なんとも無茶を言う。多分、急遽自分に白羽の矢が立ったのだろう。ということは、本来の子はせっかくこの役目が当たったというのに、結婚してその資格を失ってしまったということなのだろうか。
――自分なら絶対に役目をしてから結婚するんだけどな。
しかしどんな事情であっても、機会を与えられたことはとてもうれしいことだった。
「というわけでね、今日はエミリちゃんの採寸にきたんだ」
ヨシフは巻尺を取り出した。
「今からあの衣装つくるの?」
「神様に捧げるものだからね。毎年つくらないと」
「ううん、でも間に合わないよね」
「ああ、大まかなところはもう半年前から準備しててでき上がってるんだ。あとは細かい調整と仕上げだから」
いよいよ自分は代役なのだなと思い知らされた。
「エミリちゃんのための最高の一着をつくるからね」
ヨシフはそう言って飾らない笑顔を見せた。その言葉はエミリの心に温かく届いた。ふわりと巻尺を肩口から指先に当てる。
急に二人の距離が縮まって、エミリは自分の鼻息が聞こえてしまうのがためらわれた。
「ごめんね」
ヨシフはそう断ると、首から腰まで、腰からかかとまで、胸まわり、腰まわりを手際よく測っていった。図ったサイズを紙にメモする真剣なまなざしは、彼もあの頃より大人になったんだと思わせた。
その後、いくつか話をしたあと、里長とヨシフは帰っていった。
「じゃあ、エミリ。さっそく舞の練習始めるよ」
「えー、今から?」
「そりゃそうさ。時間はないんだから」
ナタリアはそう言って、日も暮れかけた外へ連れ出した。
「何するの? 何するの?」
「エミリちゃん踊るの?」
エミリが舞を奉納することを聞きつけた子供たちも見物に集まってきた。
「エミリは精霊になるんだ。神様に大人になったことを報告するためにね」
「うわー、すごい!」
子供たちのまなざしが期待に輝く。
「練習だから、みんな見ないでいいよ」
「見たい、見たい」
「エミリちゃん、かっこいい!」
「そこは精霊なんだから、もっとなめらかに」
「こう?」
「もっともっと」
ナタリアに言われるままに動作をしてみる。自分の動きを他人の目線で見ることはできないが明らかに覚束ない。
子供たちは笑ったりはしないが、それは気を遣ってというより、正しいのか間違っているのかが分からないからだ。ただ、すべての動作が興味の対象であった。好奇のまなざしを受けて、エミリは急に恥ずかしくなった。
『本番じゃ、もっともっとたくさんの人が見てるんだ……』
そんな確定的未来に今更ながら気づくと、エミリは青ざめた。
だから同い年の子たちはお役目をやりたがらなかったのだ。
この段階に至ってエミリは初めて後悔したが、もはや代わってくれる人もいないだろう。
『お兄ちゃんが見ててくれたらいいのに……お祭りの日は帰ってきてくれないかなぁ』
ヨシフの母の家は代々衣類をつくってきた。
紡績された糸を買い取り、それ以降の機織りから仕立てまですべてを行っている。仕立てを生業とする家はほかにも二軒あるが、祭りの舞子の衣装を担当するのは昔からヨシフの家だと決まっている。
この家に林業をしている父が婿入りし、四人の子供はすべて男子だった。その中でもっともおとなしいヨシフが母親の家業を継ぐことになった。
服の仕立ては好きだし、自分にも合っていると思っているが、『お前は気が弱い』と幼いころから言われ続け、森で逞しくはたらく兄弟たちと比べると自分は劣っているように思えて仕方なかった。
だから、四兄弟の中で結婚していないのもヨシフだけだった。
『エミリちゃんのための最高の一着をつくるからね』
あれはヨシフとしては最大級にまで勇気をふりしぼって発した言葉だった。
『エミリちゃんなんてどうだい? あの子はいい子だしかわいいし。うちに嫁にきてくれたら、仕事は楽になるし』
三年前、エミリが家に通っていた頃は考えもしないことだった。
だけど母親にそう言われてから、久しぶりの再会を果たしてみればどうだろう。
ただの子供にしか見えなかった少女は成長し、女性へと変貌しつつあった。
母の言葉のせいで意識しているからかもしれないが、集落の年頃の誰よりも美しいと思った。
彼女もやっぱり、強引なくらいの力強さをもった男のほうがいいのだろうか。
七つも年が違えば嫌がられはしないだろうか。
職人になると決めた自分は魔法など覚えなかったが、タクトのように魔法が使えない自分をどう思うのだろう。あの子は昔からお兄ちゃん子だったし……
いや、そんなことを悩んでいても仕方がない。
舞子の衣装の仕立ては、今回初めて任された大きな仕事である。それは母親が自分を認めてくれたという証でもある。
自分はこれに誇りをもって臨まなければならない。
「まずはいい仕事をしよう」
ヨシフは作業台の上に広げられた衣装を見つめた。そして、先ほど取ったメモに目を通し、丁寧に長さを合わせ、待ち針を打った。
あでやかに舞うエミリの姿を想像し、その動きを妨げることのない完璧な衣装をつくろうと思った。
『……祭りが終わったら、結婚を申し込んでみよう』
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