第13話 決闘
美しい新緑が彩る校庭に兵学校の予科生五〇〇名ほぼすべてが集結し、円をつくっていた。その中心には卓人とルイザがいる。
卓人はこれまでにないほどの居心地の悪さを感じていた。図らずもルイザを侮辱する形になってしまったので、その責任を負う必要はあるだろう。だけど、これではほとんど見世物だ。
このアイア兵学校では、予科生同士の決闘を教官の許可のもとで認めている。
本来、兵学校の指導は非常に厳しく、基本的生活から徹底的に仕込まれるので予科生間での大きな問題はあまり起こらない。それでもごくまれに著しい名誉の棄損や教官の知りえぬところでの重篤な規律違反がありえ、予科生の自治意識の向上の目的に設けられている制度である。
教官が決闘を行う理由とその結果においての要望に正当性を認めれば翌日には行われ、申し渡された相手は逃げることは許されない。
必ず一対一で行われ、仮にグループ同士の対立であったとしても代表者が闘うのみで、誰かが協力してはならない。
また学校という性質上、対戦相手を殺すあるいは再起不能となるような重傷を負わせてはならない。ただし、腕の骨折程度なら問題ない。回復魔法によって全快することがわかっているからだ。
つまり命のやりとりではないが、かなり苛烈な戦いになる。
申請した者が勝利した場合、その要望が認められる。決闘を申し込まれた側が勝利した場合は、五日以内にその者が要望を申し出れば認められる。
もちろん、いずれの要望も法外であれば退けられる。
決闘開始から五分経過した場合は引き分けとなり、申請した者の要望は退けられ、なおかつその評価は下げられる。
また、申し込まれた側は代理人を立てることができる。これは悪意ある申請を防ぎ、決闘を受ける側に支援者があるならばその者にも正当性があると訴えることにもなる。
このように決闘は申し込む側に不利になるように設定されており、申し込むには相応の覚悟が必要である。
観衆はどちらの応援をするかで二分されている。グループとして二つに分かれているだけで、その人数には格段の差があるが。
ルイザはその容貌もあって人気が高く、全体の九割はルイザの応援だ。とくに女子のすべてはルイザの応援をしている。男子も向上心の高いグループはルイザの味方である。
ベラはルイザの応援についていたが、にこにこと無邪気な笑顔で「タクト、負けちゃだめだよー」と手を振っている。
卓人の応援はレヴァンニたちくらいのものだ。
戦う二人を取り囲む人ごみを八人の教官が制止するとともに、この決闘における立会人として見守っている。
「両者、不正が認められた場合は即刻敗北を宣告する」
二人は同時にうなずいた。
「では申請者であるルイザ・アフレディアニ。決闘を行う理由を観衆全員に聞こえるように述べよ」
ルイザは堂々と凛とした声を発した。
「はい。タクトは魔法を忘れてしまいました。彼が戦場でまっとうに戦うことができるでしょうか。いいえ、無為に命を落としてしまうのが目に見えています。この決闘を通して、彼の決断の機会とします」
観衆はざわついた。戦場で活躍したタクトが魔法を忘れたということはそれほど広まっていなかったからだ。事情を知っている者はなるほどといった顔をしている。
だけど違うと思っている者もいる。一昨日の夜、決闘を申し渡されたときは明らかに別の理由だった。まあ、胸が小さいと言われたとか嫌いだからという理由で決闘が認められるとも思えないが。
「では、勝利の際は何を望むか」
「はい、彼の退学です」
そこで観衆はさらにざわついた。
「おいおい、ちょっと待てよ。いくらなんでも退学にする必要はないだろう」
レヴァンニたち男仲間たちが文句を言ったが教官に制止された。ルイザはそんな抗議など意に介することもない。
「では、ナナリのタクト。勝利の際は何を望むか」
とりあえずはここで平和に暮らして、入れ替わりの魔法について調べられればいい。
「今のところ、とくにありません」
「よかろう。五日以内であれば、新たに要望するなら許可する」
宣言を終えたところで、教官は互いに十歩下がるよう指示した。
「互いに剣を構え」
ルイザはいつもの竜の装飾がされた細身の剣を抜いた。
卓人も剣を構えた。訓練で使っていた鋳鉄製でなく、より重くてもろい青銅製で、柄のところで小さな金属製の鎖が鞘につながっていた。
ルイザはそれを見て嘲笑した。剣を弾かれにくくするのが目的かもしれないが、その膂力では振り回すのも困難だろう。
「勝つ気ないのかしら。だったらさっさと辞めてくれたほうがよかったんだけど」
「いや、負けるつもりはないんだが……」
「だったら代理人立てたほうがよかったんじゃなくて?」
「ははは……」
代理人を立てることができると知り、このことについて卓人は同室の仲間に相談していた。彼らはすぐに腕の立つ連中に声をかけてくれたが、ルイザが相手だと知ると皆、勝てるわけがないと断ってきた。
レヴァンニに至っては、「あいつは美人だが、色気がないからつまらん」と答えた。そして、「あいつに色気がないのは俺たち男の責任でもあるからな。目覚めさせてやってもいいが、それはルイザがもう少し大人になってからだな」と付け加えた。
結局、誰も代理人にはなってくれなかった。
薄情だとは思わなかった。いくら軍人としての向上心がないとはいっても、まじめに訓練している者たちが敵わないという。まともにやって勝てるはずはないだろう。
しかし、負けるわけにはいかない。
卓人は、知恵をしぼる必要があった。
「では、始めよ」
始めの鐘や笛など劇的な何かはなく、味気ない決闘の開始であった。
ルイザは得意の雷撃でなく、剣戟で卓人に挑んできた。
軽い剣を操っているだけにその速さはニコライに優るとも劣らない。だが、それより速いわけではない。一杯いっぱいではあったが、卓人はルイザの攻撃をしのぐことができていた。
「ふん、ニコライ先生の特訓を受けていただけはあるわね」
卓人は事前に予測していた。プライドの高い彼女は、得意の雷撃は敢えて使ってこないのではないのではないかと。完全な勝利を見せつけるためには、戦いの基本である剣戟で打ち負かすことが最良と考えるに違いないと。
それは予想通りであった。
卓人はこの決闘に負けるわけにはいかなかったが、勝ってルイザを打ちのめすことも望んでいなかった。だから五分を何とかしのぎ切って、この話が消えてしまえばいいと思っていた。
質量のある青銅の剣のほうが扱いにくいが、軽い細身の剣と打ち合えば軌道が変えられてしまうのは必ずルイザのほうだった。
「この!」
ルイザは斬りつけるのをやめ、突いてきた。これも距離を保って逃げ切った。予想外の好試合に観衆は湧き上がった。
「なかなかやるじゃない」
「……なんとか逃げ切らせてもらうよ」
平然としたルイザに対して、卓人の息はすでに上がりかけていた。これまでの鍛錬の差もあるが、受け身になる側の消耗は激しい。
「そう」
ルイザはさらに激しい攻撃を仕掛けてきた。だけどリズムが単調で、卓人はすべて受け流した。
「この!」
イラついたルイザは振りが大きくなった。この瞬間にこちらが攻撃を加えれば彼女は大きなダメージを食うことが理解できた。でも卓人はそれをしなかった。
「!?」
その一瞬、ルイザの動きが止まった。
『しまった、これはフェイクだ!』
思ったときにはもう遅い。これまでの過程すべては彼女の企みだったのだ。
ルイザの剣は一度止まってしまった卓人の眼球の動きより速く軌道を変え、左の小手を激しく叩いた。剣を握る一方の手ははじかれ、大きくバランスを崩した。
そこへきれいな足払いが入る。
卓人は地面に転がった。
魔法を使うまでもなく、剣術だけであしらわれた。誰の目にもそう映った。
「くすくす、無様ね」
冷たくそう言い放って、ルイザは特徴的なモーションをとった。
――とどめの雷撃だ!
美しきルイザの勝利を予期して、すでに観衆は沸き上がっていた。
だが、卓人はこれを待っていた。
ルイザは細身の剣を卓人に突きつけるような動きをした。
卓人はそれに対して青銅の剣を頭より高く掲げた。
結果として何も起こらなかった。
「え?」
驚いた顔をしたのはルイザだった。
観衆も何をしているかわからない奇妙な間に戸惑った。なぜあそこで魔法を使わなかったのか。
いや、使わなかったのではない。ベラたちルイザを知る観衆は雷撃を失敗したことが分かった。
卓人は冷や汗をひとつ滴らせるとしたりと笑みを浮かべ、剣を突き刺して立ち上がる。焦ったルイザは次の雷撃を放ったが、やはり何も起こらなかった。このときも卓人は剣を頭上に掲げていた。
「雷撃は僕には通じないよ」
このセリフはあえてルイザを追い込むために用意したものだ。
「なんで……?」
卓人は決闘をせざるを得なくなってから、その戦い方について考えた。ルイザの得意は雷撃である。それは風の魔法に属するということで、自然現象の雷と同じだという仮説のもとに推測した。
すべての物質は原子からなり、原子は原子核とそれを取り巻く電子からなる。
原則として電子はその原子核に捕縛されているが、自然界では必ずしもその状態が保たれるわけではない。風が吹けば、地面の土を構成する物質の電子の一部はその流れに乗って上空に舞い上げられることもある。
舞い上げられた電子はその数が多くなると無理やりにでも地面に帰ろうとする。そのときに空気をプラズマ化させながら天空から地面へ電子が駆け抜ける現象が雷であり、その軌道が光となって現れるのが稲妻である。
原理は、髪の毛と下敷きをこすってくっつく静電気と全く同じだ。
つまり、雷撃とは魔法によって起こした風によって地面から電子を中空に巻き上げ一点に集め、それを相手の身体を通して地面に戻す際に感電させるという仕組みからなると想定した。
本当にそうなのかわからないが妙な確信はあった。
卓人は雷撃に対処するため、青銅の剣と鞘を金属の鎖でつないだ。鞘は木製だが表面は金属箔で覆って装飾してあった。その鞘にスズを熱して溶かして中に流し込み、余分を捨てた。これによって鞘の内部もスズの金属箔で覆われた。
金属箔で挟まれた絶縁体は電気をため込むことができる。これはコンデンサーあるいはキャパシターなどと呼ばれる。
かつてオランダのライデン大学でつくられたライデン瓶とも同じ構造である。アメリカのベンジャミン・フランクリンは雷雨の日に凧を揚げて落雷させ、ライデン瓶にその電力をため込む実験をし、その後避雷針を発明している。
卓人はその事例に倣った。同様の実験をして命を落とした実験者も少なからずいるのだが、なんとかうまくいったようである。
電気抵抗率が高い鋳鉄の剣よりも青銅の剣を選んだ。また、革の手袋を二重にすることで自分に電気が流れることも防いだ。
リスクはあったが、結果としてすべてが計算通りになった。ルイザの雷撃はもっとも電気の流れやすい青銅の剣を通り、鎖を経てライデン瓶と同じ役割を果たす鞘へたまったのだ。
卓人は剣を地面に突き立てることで再び青銅の剣を経由してたまった電子を地面に拡散させる。
雷撃を無効化されればルイザは動揺するはずだ。それによって単調な攻撃を仕掛けてくれれば五分間の決闘をしのぐことができる、というのが卓人の戦術であった。
果たしてルイザの攻撃は強引で乱雑なものになった。
決闘はその手続きから見ても、勝利を確信するからこそ申請するということになる。タクトの剣術がどのレベルかは知らなかったが、まずは剣戟で様子を見て、雷撃で勝負を決める算段を立てていた。
その雷撃が堪えられるならまだしも、無効化されるとは予想の範疇になかった。負けはないにしても、引き分けにでもなろうものなら評価は下がり、ティフリスへの首位推薦が遠のいてしまう!
ルイザは休む間もなく剣戟を加えるが、重い剣と卓人の最小限の動きの防御に完全に阻まれた。時折強引すぎて姿勢を崩して隙を見せたりもしたが、卓人は攻撃を加えたりしなかった。
「くそ!」
何が起こっているかわからないがゆえに、加減のない渾身の雷撃を放った。
卓人の剣の鞘が電気容量を超えて爆発して燃えた。
「うわ!」
さすがに卓人も驚いた。この直撃を受けたら死んでいたのではないだろうか。
その目線は否応なく燃えた鞘に向けられた。
この好機を逃さずルイザは卓人に剣を突き立てた。
一瞬遅れた卓人は反射的に剣でそれを払おうとする。
剣と剣が触れ合おうとした瞬間、青白いプラズマがスパークした。
「しまった!」
卓人がそう思ったときはもう遅かった。
すべての電気は爆発によって拡散されてはいなかった。剣と剣とがふれあった瞬間、鞘に残った電気は流れやすいほう、すなわちルイザの剣からその肉体を経て地面へと流れた。
「きゃあああ!」
ルイザは自らが放った雷撃によって感電した。あらゆる筋肉が瞬間的に硬直し、突進してきた勢いはかき消された。
よろめくように卓人の横を通り過ぎ、そして跪いた。
細身の剣を落とし、そのまま倒れこもうとしたところを卓人が抱き止めた。
「あんた……なんかに……」
そう言い残してルイザはこと切れた。卓人は焦ってルイザの胸に耳を当てた。立会人である教官が詰めかける。
「大丈夫、心臓は動いています」
周囲は安堵のため息をついた。そして思い出したようにざわつき始めた。
「今のってさ、魔法反射じゃないか?」
「雷撃を放ったルイザのほうが感電してたからな」
「反射ってどの属性だったっけ?」
「多分、水じゃないかな。それでもかなりのハイレベルな魔法だぜ」
「すごい、すごいぞ。カウンターなんて初めて見た」
「ああ、さすがタクトだ」
にわかに歓声が上がった。立会人をしていた教官たちも唖然としていた。
おそらく魔法反射とはあらゆる魔法を撥ね返すものであろう。これは雷撃だから撥ね返したのであって、それ以外の魔法ではこうはならない。応用範囲としては極めて狭い。
「ナナリのタクトの勝利」
立会人の教官が宣言した。
すると周囲は堰を切ったように闘った者たちに駆け寄った。まずはレヴァンニたち男仲間が、それにつられて他も取り囲む。
遅れてルイザを心配する女子たちが人込みをかき分けて姿を見せる。
気を失ったルイザを引き渡すと、ベラは悲しそうな笑みを浮かべ、女仲間とともに数人で肩を担いで医務室へ連れ去った。
さっきまではほとんどがルイザの味方だったが、一部は卓人の勝利を喜んだ。
「やったな、タクト」
「まさか勝つとは」
「何よりすごいのは、安否を気遣うふりをしつつ、しれっと女の胸に顔を押しつけてみせたことだ。やはりこいつは俺たちとは違う」
レヴァンニの発言に男連中はどっと笑った。
しかし、卓人は一緒になって笑うことができなかった。
負けるわけにはいかなかったが、勝ちたいとも思っていなかった。勝ってしまえばルイザのこれまで積み重ねてきたものが失われてしまう。引き分けですませたかった。
一方的に自分を嫌っているとはいえ、誰かのために努力してきた人からチャンスを奪ってしまうのは忍びなかった。
「教官、勝てば僕の要望を認めてもらえるということでしたね」
「原則的には、だが」
「では、ルイザの評価を下げないようにお願いしたいのですが」
教官は思いもしない要望に驚いた。「ひょう、かっこいい!」と周りが冷やかす。
「それは認められんな」
「何故ですか?」
「それは、この決闘そのものを侮辱するものだ」
理由は簡潔である代わりに曖昧なものであったが、「侮辱」という言葉がどういうことを指しているのかはなんとなく想像できた。望まぬ結果に、卓人は暗澹たる気持ちになった。
そのとき、遠くからけたたましく木板をたたく音がした。
警告音である。予科生たちはざわついた。教官たちは即座に予科生たちを落ち着かせ、それぞれに指示を出した。
「きたか」
そうつぶやいたのはニコライであった。
バルツ軍がまたしても攻め込んできたのだ。
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