第12話 ドラコーン
「は!」
卓人は夢を見て突如目覚めた。
不意に現れた竜にいきなり食われたかと思うと、次の瞬間には戦場にいた。
ニコライの訓練についていけるようになってきたのはいいが、おかげで最近は睡眠中に夢を見るようになった。気絶したように眠れた昔が懐かしい。
この夢は、何かを象徴しているのか、あるいは無意味な脳の活動に過ぎないのか。
いずれにしても、嫌なことを思い出したことと同室の仲間のいびきのせいでそれ以降はあまり眠れなかった。
それから数日、ベラは『魂の変成について』を一緒に読むのに付き合ってくれた。
読んでいるうちに気づいたのは、『それを認めよ。認めるとは、虚ろなるやも知れぬが、虚は虚をもって実となす』という行は量子論における観測が与える影響について語っているのではないかと直感した。
原子より小さい電子とかの研究領域を総じて量子論というが、代表的なものに波と粒子の性質が同時に存在するというものがある。
電子が波のように広がりながら存在するというのはなかなか想像が難しいが、とりあえずそういうものだと理解するしかない。しかしその波の性質は誰かが観測することによって粒子へと収縮するのだという。
実際、卓人も本で読んだだけで量子論についてはよくわかっていないところが多い。
だけど「虚ろな」、すなわち実態がはっきりしていないものを「認める」、すなわち観測することで「実となす」、すなわち実体としての粒子をなすと捉えると、まさに量子論だ。
二〇世紀初頭に生まれた研究分野だが、これに似たような論は古来よりのさまざまな宗教でも見られる。そういうのは深い洞察から導かれた結論なのではなかろうか。
「何かわかったの?」
「うーん、こういう解釈なのかなってくらいには」
「すごーい」
『己が尾を喰らうドラコーン。
いずれは自らを食い尽して無に帰すや、
あるいは永劫に食み続けるや。
魂は永劫なれ、変成しつつ、変成しつつ、魂は永劫なれ。
魂は、他の秩序を壊してその秩序得るなり。
その変成とは、秩序を失うこと甚だしくも、
新たな秩序をもたらすはドラコーン。
その口の先には異なる秩序の世界がある』
「ドラコーンって何、ドラゴンのこと?」
「違いはしないかな。自分の尻尾を食べてる竜のことだよ。そんなのすごくマヌケなのに、永遠の象徴として昔から崇められてるんだよ。変だよねー」
「『その口の先には異なる秩序の世界がある』って、まさか……」
「うわー、なんかガチで『入れ替わりの魔法』っぽくない? 別の世界の人と!」
ひとしきり盛り上がると、ベラは急に沈黙して卓人の顔を見た。
「?」
「にゃはははは、まさかね」
本を読んで、実際に入れ替わりの魔法のヒントになるものが見つかったと思った。
現実的にそれがわかったところで本当のタクトがどこにいるのかわかるわけではないのだが、動機の一端は垣間見えたのかも知れない。
彼はどのようにかしてこれを読み解き、魔法によって自分をこの世界に呼び寄せたという可能性が濃いように感じられる。だとしたらなぜだろう? 自分とうり二つの彼は何を目的で自分をこの世界に召喚したのだろうか。そして、何を目的に自分を身代わりにこの場を去ってしまったのだろうか。
「僕が記憶をなくす前……何か言ってなかった? どこか遠くに行ってみたいとか」
「えー、知らないよー。タクトってばあんまり女子と話す子じゃなかったもん」
「そうなの?」
「まあ、男の子より女の子とつるんでる男なんて軍にはいないけどさ。浮ついたことしてたら怒られるし……」
確かに軍でチャラチャラするのは御法度だろう。
「レヴァンニとか知ってるんじゃないの?」
「そうだね……」
だけどそうだとすると、何のために自分が召喚されたのかという新たな疑問が生じる。卓人はその理由について、左手をあごにそえて考えた。
「あれ? タ……タクト?」
いけない、こんなときの卓人は女性を強く引きつけてしまうのだ。そして、隣にいるベラはもろにそんな彼を直視してしまっていた。
ぐりぐりと机の上をこすった後、そっと軍服の袖をつまむ。
「……ね、ねーぇ、タクト……」
「はい」
「私、子供五人くらいほしいかなって……」
「はい?」
言われた側はその真意を理解することもできなかった。
「ここは図書館です。私語は慎みなさい」
直後、危険な空気感を察した司書官に二人はつまみ出された。
その夜。
「うーん、十五~二十五歳の女しかいない島に行きたいと言っていたな」
「しかも全員水着で生活している」
「昼は暑いから海で遊んで、夜は寒いからみんなで温め合いながら寝るんだ」
寄宿舎に帰ってレヴァンニ達に、本物のタクトが何か言っていなかったか聞いてみたらこんな返事が返ってきた。
「島には泉が湧いててだな、その水を飲むと胸がでかくなるんだ」
「しかも二十五歳を過ぎると、その水のおかげで逆に一年で一歳若返るようになる。
十五歳になるとまた大人になっていくんだ」
「その島は必ずある。見つけ出すと言っていた」
「うっひょー、俺も行きたいぜ!」
「あわわわわわわ…………」
寄宿舎の部屋は八人部屋というには狭さを感じさせるが、それなりに団らんもできる広さはある。そして、この部屋は揃いもそろって下世話な話が大好きなもてない連中がそろっていた。
部屋の割り当ては毎年変わり、思想的な偏りが生じないよう教官たちによって強制的に割り振られるのだが、タクトとレヴァンニに影響されて全員が一様に変態教に改宗してしまった。
「だけどタクト。お前、記憶なくなったらえらくうぶになっちまったな!」
「いや、それは!」
「何を言ってるんだ、それは読みが甘いぜ」
「どういうことだ、レヴァンニ?」
「新しい境地を模索しているところなのさ。純粋な心をもった人間が少しずつ変態への道に目覚めていく様を俺たちに見せつけようとしているのさ。人間の成長ドラマをこの機会に披露するつもりなのさ」
「なんだと?」
「タ……タクト、お前って奴は!」
「さすがだぜ!」
「そんなわけあるわけないだろ!」と叫びたかったが、自分だけがこの集団から取り残されているという後ろめたさがそれを咎めた。
「竜の背中に乗って世界中を旅して探し出すんだったな」
「竜?」
「そうさ。なんてロマンにあふれてるんだ。俺はあのときお前を尊敬したよ」
この世界には竜がいるのだろうか?
いや、それ以前に本に載っていた竜、ドラコーンが思い立った。あれは一体何を象徴しているのだろうか。
「おや、そういえば、あのことかな?」
「何かあったのか?」
「そういえば、昔何か言っていたような……」
レヴァンニのしゃべり方はいつも大げさでわざとらしくて嘘っぽいのだが、いつもそうだから逆に判断できなくて信じてしまいそうになる。卓人だけでなく、他の者もついつい引きつけられていた。
「きな。もしかしたら失われた記憶が蘇るかもしれないぜ」
レヴァンニに連れられて、卓人とそのほかの同室も月明かりの寄宿舎敷地を歩く。まだ門限には時間があるから問題ない。
「なあ、レヴァンニ。何かタクトが思い出しそうなことがこの辺りにあったのか?」
「思い出せるかはわからん。タクト次第だな」
それはその通りだ。
「げげ!」
レヴァンニは急に足を止めた。
「あら、こんな夜中におそろいで」
「ル、ルイザ!」
レヴァンニは明らかに青ざめていた。
「な、なんでお前がここに?」
「あら、鍛錬してただけだけど。何か不都合でもあって?」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、そ、そんなことはないんだけどよ」
「もしかして女子風呂をのぞきにきたりなんかしないわよね」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、当たり前だろ!」
完璧な図星だった。
昔タクトと一緒に掘ったトンネルがそのむこうにあった。まだ貫通してないが、この人数ならすぐにできると踏んでいたのだった。
先ほどの「記憶が戻るかも」というのはただの口実に過ぎない。
「そう、ちょうどよかったわ。私も用があったの」
「お、おうおう、困ったことがあったら何でも言ってくれ」
「用があるのはタクトよ」
「何?」
「え、僕に?」
月明かりのルイザの眼差しは凍るようだった。卓人の顔は引きつった。
「あんた、ベラに何をしたの?」
「ベラに? したっていうより、今日も本を読んでもらったかな」
「そのときに何をしたかって聞いてるのよ!」
「へ? いや、何も」
「嘘をおっしゃい!」
卓人は混乱したが、周りはなお一層ざわめいた。
「お前、ベラに手をつけたのか?」
「やっちまったのか!」
「嫁にしたい女ランキング第三位のベラだと?」
ベラはにこにことした笑顔が素敵で男子からの人気は高い。
「うるさい、バカ男ども! あんたらは黙ってなさい!」
「ぎえ!」
ルイザは男子たちに軽い雷撃を浴びせた。
部屋に戻ってきたベラの様子がおかしかった。なぜかタクトラブラブモードになっていて、同室の誰もがドン引きするレベルだった。
もともとタクトに対して好意があるようにも見えた彼女だが、ここまで露骨なのは異常だった。
そしてある瞬間で、はっと催眠でも解けたように冷静さを取り戻した。あの変態タクトのことだ、何かやらかしたに違いないとルイザは確信した。
この兵学校の風紀を乱すような真似は許しがたい。しかも親友を誑かしたとなれば怒りは正気を失うのを通り越し、殺意にまで昇華していた。
「おいおい、ひでえじゃねぇかって……おいおい……!」
まさかだが、ルイザは卓人の鼻先に真剣を突きつけてきた。
慌てる周りをよそに、当の卓人はあまり驚いていなかった。剣を突きつけられた先に起こりうるべきことがあまりに現実感がなくて理解が及んでいなかったのだ。
むしろ、月明かりに映える細身の剣先からつま先までのなめらかな曲線美に感心していた。そしてよく見ると、剣の柄には小さな竜の彫刻が施してある。
――竜。
「え?」
驚いたのは剣を突きつけた方のルイザだった。卓人は真剣に剣の柄を凝視し始めた。そしてそっと左手をあごにそえる。
ルイザの実家であるアフレディアニ家は竜を神聖な存在として信奉している。故に彼女が授けられた剣には竜をその柄にあしらっており、家宝ともいえる逸品であった。兵学校の教練でこれを使ったりなどしないが、自己鍛錬のときには家や領民の心を決して忘れたりせぬよう常に使っていた。
『ドラコーンの口の先には異世界がある』
そう受け取ることができる一文がどうにも気になって仕方なかった。
この中の口の先が異世界、つまり自分が元いた世界につながっているかもしれない。もっと言えば、本物のタクトはそれを通じて自分を召喚したのかもしれない。そう直感した。
竜の口の奥とはどうなっているのか。
「な……タ、タクト?」
「お前、何を見てんだ?」
竜の口だ。
「ちょっと、あんた……気持ちわる……はう?」
ルイザは見てはならないものを見てしまったと思った。
薄暗い月明かりに照らされる中、深く底知れぬ輝きを湛える双眸。その神秘の輝きに吸い込まれてしまうようだった。
突如として心臓は高鳴り、顔から湯気でも出ているような感覚だ。どう立っていればいいのかわからなくなった。
卓人はそれを知ってかますます剣の柄にぐぐいと近寄ってまじまじと観察した。
「ううぅ、タ、タクト……」
こんな恥じらいにまみれた声を自分が出すなんて屈辱ですらあった。だけど、甘酸っぱい心地よさが怒濤のごとくあふれてきて抗いがたい。
ルイザの変化など気にすることもなく観察する卓人だったが、竜の彫刻は小さく月明かり程度でははっきりと見ることが難しかった。
「もう少し……大きければ」
ぼそりと口走った言葉がこれまでにないほど空気を凍らせた。
「おい、タクト!」
「それは言っちゃいけないぜ!」
「え?」
男子たちが慌てる理由がわからなかった。気づいていなかったのだ。卓人の目と剣の柄を結ぶ線の延長上にルイザの胸があったことを。
ルイザはさっきまでのきゅんきゅんはどこへやら、一気に冷めてさっきまでの殺意がみるみる増幅しているのを実感した。次の瞬間、ためらうことなく目の前の男に拳をめり込ませていた。
「ふんぎゃ!」
「く……あ、あ、あ……あんたなんて兵学校にいられなくしてやるんだから!」
いや、それは困る。
「け、けけけ……決闘よ!」
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