第11話 魂の変成について
「あららー、それは禁句だったわねー」
にこにことそのときの状況を分析するのはベラだった。どうやら昨夜のやり取りを見かけたらしく、昼の休み時間にその詳細を聞きにきたのだった。
「ルイザって、領主の娘だからプライド高いからね」
確かに差し出がましいことは言ったと思う。それが彼女に致死寸前の雷撃を放たせるほどのプライドを傷つけるものだったのだろうか。
「っていうかね……これも忘れちゃってるのかな」
ベラは過去にあったことを話した。
本来のタクトは一時期、兵学校の女学生をモデルに絵を描いて売ろうとしていた。服を着たままポーズをとって、それをもとに裸の絵を描くというものだった。
それはほとんどの女子にとっては気分の良いことではない上に、兵学校内の風紀を乱す行為でもあったため、協力者は誰一人としていなかった。しかし、「声をかけられるということは美人の証」と、いつしか女子の間でひとつのステータスとなっていた。
ちなみにベラにも声をかけたことがあるらしいが、彼女は断っている。
この兵学校で一番の美女とささやかれていたのはルイザだった。それについては本人も自覚するところであったが、いつになってもタクトから声がかかることはなかった。しびれをきらせ、ある日彼女はそれとなく遠回しに誘ってみたのだが、このときタクトは次のように答えた。
『胸が小さいと売れねぇんだよな』
この日以来、ルイザの美しくしなやかな肉体はコンプレックスへと転じた。
「……そ、そんなひどいことを!」
「それからかな、ルイザがタクトにあんな態度をとるようになったのは」
卓人は頭を抱えずにはおれなかった。
「でもね、ルイザの名誉のために一応言っておくと、多分それだけじゃないんだな」
「というと?」
「あの子は領主の娘だから、家族とか領民の期待をすごく背負っているのよ。だから、首席でティフリスへ転属されたいと考えているわ。一年目の去年は三番手の成績で推薦されたけど断ってるの」
ティフリスとはこのドマニス王国の首都のことで、ここではそこにある幹部養成学校のことを指す。
実力主義なのでそこでの教育に推薦順位など関係ないはずなのだが、学生間ではそれが顕然と表れることになる。
成績上位者は威圧的な態度をとる傾向になり、発言力が増す。これは上位者のほうが優れているという錯覚からくるものと考えられるが、下位者が敢えて逆らえるような空気ではない。
結局、同期の間ではその人間関係がずっと変わることなく、就役後も役職が逆転した例はほとんどなく、それが老いて退役するまで続くことさえある。
入学一年目で推薦されたのはルイザだけであり、抜群の能力を示すものだったが、このことを知っていたので断った。
「だから今年に賭けていたのに、折からの戦争でルイザより活躍した人がいるでしょ」
ベラは卓人を指さした。
「あなたがもう少し軍人として本気ならルイザもすっきりするんだろうけど」
卓人は複雑な気分になり、余計なことを言うのが躊躇われた。
昨日の雨はまだ地面を濡らしていたが、さわやかな日差しが降り注いでいた。
今日も敵国の攻撃の気配がないので、参戦希望でない予科生は今後起こりうる戦闘に備えての防護柵の設営に駆り出されていた。
参戦希望は一定期間において厳密に区別され、最初に希望を出さなかった者はその期間は決して参戦を認められない。それは戦時での生死を明確にするためでもあり、生命を預かる軍としての最低限の措置である。
この時間は、参戦希望者にとっては自由時間となる。優雅な休み時間とすることも可能だが、命を懸けた戦闘に臨もうというのにのんびりできる予科生などほとんどいない。むしろこのような自由な時間こそが己を見つめ、研鑽を重ねる絶好の機会となる。
ルイザは親友のベラを伴って図書館へ向かっていた。
黄と灰色を帯びた穏やかな陽光の差し込む廊下を、かつんかつんと冷たさを含んだ二人の足音が心地よく響く。
「水の魔法?」
「ええ、やっぱりあの魔法を高度なレベルで身につけないと勝てないわ」
「まあね。でも、タクト魔法使えなくなったじゃん。多分、幹部候補生として外されちゃってるんじゃないかな。あんまり焦らなくてもルイザのほうが評価高いんじゃない?」
「教官たちが自分の都合のいいように判断してくれるとは限らないわ」
「まあ、そうなんだけど……」
いつも凛とした態度のルイザは同じ女性の視点からも美しく好ましい。だけど、ベラにはその中にちょっとした焦りが見えてあまり肯定的に捉えられなかった。
「あのバカでも身につけられたのよ、私にできないはずはない」
「雷撃があるじゃない」
彼女は風の魔法の中でもハイレベルな雷撃を極めたといってもいい。
「実戦で、それでも足りないことを思い知ったわ。もっと強力な魔法を身につけたい」
「そうなんだ……」
「何?」
ルイザの口調はともすれば冷たく威圧的に捉えられかねない。それは一部の予科生を遠ざけた。ベラはそんなのお構いなしでいつもにこにこと受け答えしてくれる。だから親友とも呼べる仲になった。そんな彼女があまり嬉しくなさそうなのが妙に気になった。
「ルイザってさ、最終的には軍人じゃなくて政治家になるんだよね」
「そうね。家を継がないといけなくなるかもしれないし。兄さんが家を継いだとしても、私はこの国の繁栄のために力を尽くしていきたいわ」
「だったらさ、あんまり強力な魔法なんて身につけても仕方ないんじゃない?」
「軍で実績を積み上げた人のほうが政治家でも発言力は高くなるのよ」
「……だけどさ、それで人を殺すんだよね」
「戦場では当然のことじゃない。ベラだって同じでしょ」
「まあ、そうだけどさ……」
ベラも高い能力を有する予科生として戦場には赴いていた。
「そんなことよりさ、ルイザもお化粧とかに興味もったりしないの?」
ちょっと深刻気味になった会話を、声色を変えて明るくする。軍では風紀を乱さない程度であれば化粧はとくに咎められない。ベラなんか休日にはよくおめかしして街へ出かけている。そういう女子は多い。
「興味ないわね」
さらっとした答えからすると、本当に興味ないみたいだ。
「もう。そんなんじゃルイザ、男の子になっちゃうよ!」
「違うわ、私は何もしなくても美しいの。化粧は女として負けを認めたようなものね」
それを言ったら化粧を楽しんでいる女の子が不愉快に思うだろうに、悪びれるでもなく断言するところはいかにもルイザらしかった。
「そうだね!」
ベラはにっこりとしてそれ以上自分の意見を言うのをやめた。
ただ彼女としては、たとえそれが敵のものであったとしても、ルイザの美しい身が血に塗れることが望ましいとは思わなかった。
多くの予科生が出払っているので、今日の図書館は静謐に支配されている。
高さ六メートルほどの本棚が並び、読まれる頻度の高い本が手に届く位置へ、そうでないものは上の方へやられる傾向にある。それは上にある本ほど難解であるということでもあり、自身の革新を求めるほど上の本を選ぶといわれる。
そしてルイザは移動式の階段を使って自らの求めるものを丹念に吟味した。
――あのタクトはどのようにして水の魔法を身につけたのだろうか。
兵学校に入って必ず覚えさせられるのが回復魔法だ。ある程度であれば傷を負っても自分で治せるなら戦力が低下しにくいからだ。ルイザも得意とはいわないが、それなりに使える。そして回復魔法は水の魔法に分類されているのに、攻撃的な水の魔法を彼女は身につけられないでいる。これはどういうことなのだろうか。
ここで敢えて述べておくならば、その系統分類は完全なものではない。例えば冷却の魔法、氷の魔法は一般的には水の系統に属すると信じられてきたが、先日卓人が試みでやったように水の技量でなくとも扱うことが可能なものもある。
回復の魔法が水の系統であるという明確な根拠が示されたことはないが誰もがそうだと信じ込んでいる。これらが新しい魔法を身に着ける上で、少なからず混乱をもたらしている。
そんな中、ルイザはある本を見つけた。
それはどちらかといえば薄い本で、表紙もハードカバーでなく安っぽい装丁だ。とても普通では目につかないような奥まった位置にあったのだが、なぜか気になった。運命ともいうべき導きが出合わせたようにも思えた。
『魂の変成について』
不思議なタイトルだと思った。
ぱらりぱらりとページをめくると、いかにも難しそうな文が読む気を萎えさせる。
裏表紙裏に挟まれた貸出カードがそっと顔をのぞかせるのをルイザは何気なく見た。そこには同じ人が何度も借りた様子が記録されていた。昨年の三月から一四回連続、貸出期間が二週間だから、およそ半年にわたって読み続けたということである。
この難解な本を根気よく理解に努めた証である。
誰がそこまで熱心に読んだのか、名前を確かめてみてルイザは驚いた。
その借主は、タクトであった。
あのバカはこれを読んで水の魔法を身につけたのだろうか?
そう思うとルイザは矢も楯もたまらず、一心に読みふけっていた。
「ルイザ、いい本があったんだね」
階段に座って読み続けているとベラが声をかけてきた。
「もう一時間もずっと読み続けてるけど」
「え?」
あまりに抽象的で、難解な文章を行ったりきたりしてもちっとも理解できなかったが、バカに負けたくない一心でいつのまにか没頭していた。
『それを認めよ。
認めるとは、虚ろなるやも知れぬが、虚は虚をもって実となす。
魂は虚であれど、実との間をさまよう。
質料は現れる。
認めぬものは、実たりえぬ』
彼女にはこの一節が印象的だった。
魔法や錬金術の秘伝がこのような形で、ほとんど暗号のような状態で伝えられてきたことは知っている。わかる者にだけわかるようにすることで、秘密を守っているのだ。
ならば、筆者は何を意図して出版したのかがわからない。
本にするということは公に伝えるということであり,秘伝ではないからだ。
ただ、読んでいて感じたのは、これは水や土の魔法について書かれたのではなく、もっと霊的な何かを書こうとしているのだと思った。『魂の変成について』というタイトルから、そう判断すべきだったのかもしれない。
もしかすると、この前タクトが言っていた「入れ替わりの魔法」とか、そういったことが書かれているのだろうか。
すべてを忘れてしまった哀れなタクト――。
「なんだ、水の魔法じゃなかったのか」
ベラはルイザの表情から目的が果たせていたわけではないことを読み取った。
「でもずいぶん熱心に読んでたじゃない」
「ちょっと内容が難しすぎて……むしろね」
「へえ、ちょっと見せて…………うわー、よくこんなものあれだけの間読めたね」
ベラも即座に渋い顔になった。
「ん?」
ふと裏表紙裏の貸出カードに気づくと、それを見てにたにたと笑みを浮かべた。
「そっかー、ルイザってなんだかんだとタクトのこと気にかけてたんだねー」
「は?」
ありもしない邪推に血相を変え、ルイザはベラの首根っこを捕まえて図書館から連れ出した。
「なんで私があんなバカのこと気にしてるのよ!」
「えー、だってこれってタクトが言ってた『入れ替わりの魔法』に関係ありそうじゃん。記憶なくす前のタクトが何度も読んでるんだし」
「だから水の魔法が書いてると思ったんじゃない」
「あれー、タクトだー」
親友の憤りなど意に介せず、偶然図書館に行こうとしていた卓人に声をかける。
「何?」
「見てみてー。もしかしたらこれがタクトの探してた本かもしれないよ!」
「そ、そうなの?」
ベラの積極性におどおどしている卓人の姿が、ルイザの目には気持ち悪かった。
「これね、ルイザがあなたのために探してくれたんだよー」
「は?」
そんな解釈をされるとは思ってもみなかった。
「なんかすごく難しそうだけどさ、『入れ替わりの魔法』についてわかりそうな感じじゃない?」
「そうなのかな」
はっとした卓人は必死になって読み始めた。あまりよく読めないからベラが手伝う。
「何かよくわかんないけど、もしかしたらそうなのかもしれない」
「でしょ? これってルイザのおかげだね!」
タクトがこっちを見てきた。
その妙に間抜けな笑顔が無性に癇に障り、相手が「ありがとう」と言ってしまうより先にその拳を顔面にめり込ませていた。
「私があんたのために探すわけなんかないでしょ!」
怒って彼女は去って行った。
「な、なんで?」
「ああ……かわいそうなタクト」
明らかにベラがこの結果を導いたのだが、理不尽な仕打ちを受けた卓人の頭をなでつつ、なぜか「むふふ」と嬉しそうにしていた。
ベラは困っている人を見ると助けずにはおれない性分なのだが、誰かを助けるためにその人を困らせるなかなか厄介な性分でもあった。
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