第10話 雷撃のルイザ
宇田川卓人がこのアイア兵学校にきて一週間が過ぎようとしていた。
ここは学校だけあって、様々なことを受動的に教わることになる。その上で、国家の成り立ちやこの兵学校の沿革を知ることができた。
ここドマニス王国は、三〇〇〇年以上前の神話の時代に建国された国家であるが、何度も近隣帝国主義国家による侵略と支配があり、歴史は栄光と屈辱の繰り返しである。
三五〇年ほど前に何度目かの独立を勝ち取り、以降現在に至るまでは魔法軍事力を基盤とした中立国家としてその地位を保っている。
国家として五万ほどの兵士を抱えているが、これは国土面積や人口に比して他国を圧倒する。
常設の軍備をもつには莫大な予算が必要となるが、資源に由来する経済力でその維持を支えている。そしてそれは、独立国家としてあり続けることを願う国民の労働力があってこそ可能となっている。
兵力の育成にも力を入れており、国内七つの兵学校では年間合計千名の屈強な兵士を生み出している。
このアイア兵学校もその一つで、豪奢な建築は熱心な愛国者である地元領主アフレディアニ伯爵の寄付によってなされたものである。
一五歳で試験に合格できるだけの魔法及び運動能力をもつ一四〇名の者が入学を許され、以降は四年をかけて厳しい訓練と基本的生活が叩き込まれるが、教わる身でありながら給料をもらうことができる。
成績の優秀な者は学年に関係なく首都の幹部学校に転属になる。そのような予科生は年に五人ほど推薦によって決定されるが、さらにその中で将来幹部になる者は一人いるかどうかという厳しい競争である。
他にもいくつか能力に応じた配属があるが、ほとんどの者はその流れには乗れず四年間の訓練を終えたら一〇年間の兵役義務を各地で過ごす。
ここで一定上の昇進をしていれば軍役を続けられるが、そうでない場合はその後の保証はない。必ずしも安定した職業というわけではないが、三〇歳までは食えるからという理由で目的意識もなく入学する者も決して少なくはない。
そして、そのような態度は必ずしも否定はされない。著しい不適応がない限りその籍は抹消されたりしない。これは軍が貧困層の生活保障を担っているという側面をもつからである。
さて、魔法が使えず、文字もあまり読めない卓人は、著しい不適応に該当する可能性があった。それでも卓人は追い出されないよう、必死になって励んでいた。
講義で習ったことは何度も納得のいくまで反復することで自分の肉体の一部にしていった。歴史や戦略論については教官の評価はまずまずだが、魔法については実感がないせいか理論が全くなじんでこない。
それでも熱心に励む姿を、教官たちは肯定的に受け止めていた。
卓人はここにきてから実に多くの男友達に囲まれることになった。彼らのほとんどが出世というものを意識していない。レヴァンニもそうだ。
規律を守り、訓練には真面目に取り組んで軍人としてあるべき姿を見せているが、私生活では下世話な話をして喜んでいる。
ということは、本来のタクトも軍人として成功したいという願望をもっていたわけではなく、収入を得るためにその道を選んだのだと推測された。
もちろん出世に意義を感じるグループもある。彼らは決してこちら側には属そうとはせず、蔑むようなまなざしを送ってくる。
機を見れば出し抜こうという姿勢が露わで、いかにも姑息な態度は卓人も好ましいとは思えなかった。
仲間たちは「あいつらはいやな奴らだ」と言う。向こうは、「税金泥棒」だの「国家への帰属意識が足りない」などと言う。
態度はどうであれ、少なくともそれで国に尽くそうと懸命になっているのだ。ところが自分たちは収入源の一つとしてしか軍を見ていないのかもしれない。どちらが正しいとも思えなかった。
灰色と白色がまだらになった空からこぼれた水滴は地面と空気を潤していた。孤児院と違いここはすでに初夏の気配で、梅雨の時季かと思ったがここは日本ではない。
そんな感慨に浸る間もなく、日課が終わるとまた例のように特訓が始まる。雨はすでに上がり、月明かりが雲から顔をのぞかせている。気温が上がらなかったため、今日は身体がよく動いた。
「ほう、五日間でここまで変わるか。なかなか筋がいいな」
しっかりと髪を油で固めた教官が訓練用の剣を肩に言った。戦場で鍛え上げられた肉体と精神をもつこの男は、意外にもその人間性はやわらかかった。
その名をニコライ・バランシンという。
自らが名乗ったのではなく、仲間が教えてくれたのだ。
年齢は三〇を越えているというが、見た目は二〇代前半にしか見えない。かつては王都の警護を務めていたこともあるらしい。
剣術というものについて見識があるわけではないのでニコライがどれほどのレベルなのか見当がつかないが、多分かなりの使い手なのだろうというのは剣を交えるほどに伝わるようになってきた。
「ではいくぞ」
「はい!」
金属の剣は想像以上に重い。もった瞬間は何とかなる気がしたが、十秒も振っていればもう腕が上がらなくなる。
それでも素早いニコライの攻撃をなんとかしのぎ続けることができるのは、卓人ができるだけ力を必要としない前後運動、あるいは重力を利用した下向きの運動を軸として剣を捌いているからだ。
こうすることによって、判断の選択肢を少なくして反応速度を上げることに成功した。剣の接触があったときは接点をそのまま支点として回転運動も加えた。
やっていることはその二つに過ぎないが、思いのほか効果的であった。
もう一つ、攻撃にはその直前のモーションがあることを発見していた。何か動作をしようとするとき、相手にはその前段階的な準備の動きが少なからずある。敵の攻撃というのは当然自分に向かってくるわけだから、動作の直前の瞬間的な目線や身体の傾き、筋肉の張りつめ具合からどこを狙っているか、あるいは何を意図しているかをある程度予想できるようになった。
肉体的にとくに優れているわけでもない卓人が、体育で好成績をとれたのは何よりこの合理的な発想と観察力にあった。
「剣に振り回されずによく対応できている。だが……」
ニコライは必要以上に踏み込んできた。
「戦場とは、勝つこと以外に価値はない場所だぞ」
一気に顔が近づいて、剣をもつ自分の腕がつくる円軌道よりもさらに内側に距離をとられた。そのまま肩で突き飛ばされると、なすすべもなくよろめいたところに剣を突きつけられる。
「知恵はある」
それは称賛ではない。力のなさを何とか工夫で補っているだけだと言っている。実戦ならわずかにバランスを崩しただけであの世行きだ。
「筋力は数日で何とかなるものじゃない。それとは別に貴様に足りないものを何とかして補え」
それは否定的な表現でありながら、「それさえ補えば何とかなる」と言われているように感じられた。卓人は進歩が認められたと思った。
これでこの日の訓練は終わったが、ニコライは思いついたように声をかけてきた。
「貴様は、今の戦争をどう思う? 記憶がなくとも内容くらいは聞いていよう」
なぜそんなことをただの予科生、しかもおそらくはもっとも使えない自分に聞くのだろうかと思った。期待の表れだろうか……いやただの気まぐれだろう。
「奇妙な感じがします」
「ほう、それはどのように?」
「敵国がこれだけ何度も攻めてくるのは変だと思います。攻めては全滅させられているのに、同じようなことを繰り返すだけの戦争はおかしいと思います」
「貴様が戦線を離脱したときの戦いはかなり苛烈なものだったが。同じとはいえまい」
「でも、結局敵は全滅しました。全滅する戦争を続けることに利益はあるのでしょうか? 僕がそこの兵士だとしたら、きっと逃げたくなると思います」
「では、なぜ彼らは戦おうとする?」
「うーん、例えばこっちにすごい恨みがあるとか。それか、無理やりやらされているか……魔法で催眠術でもかけられているのか」
「大量の催眠を行いたいなら、魔法よりも教育のほうが効率的だ」
「そ、そうなんですか……」
恐ろしいことを簡単に言われると思考がついて行かない。
「しかし、無理やりに……か」
ニコライは何やら思い当たる節があるようだった。
「それから?」
期待されていないからこそ素直に思ったことをしゃべったが、ニコライは思いのほか深いところまで聞いてきたので驚いた。
「えっと……敵には別の目的があるんじゃないでしょうか」
「ほう」
「例えば、ここに攻め込むことによって僕たちの軍を釘づけにし、別のところから大軍で攻め込もうと考えているかもしれません」
「なるほど。では、どこからくると思う?」
「え? いや、テキトーに思いついたことを言っただけで……」
尻込みするタクトなど無視して、ニコライは壁に掲げられた地図を外してテーブルに置く。中心の南北を大きな山脈に挟まれた区域がこのドマニス王国である。すぐ西とずっと東には海がある。バルツが攻めてきているのは西の海からである。
「敵の狙いは、おそらくその通りだ。だが、どこからくるかがわからん。この国は基本的には天然の要害ともいうべき地形だ。山脈の頂上は万年雪に覆われた極寒の地だ。個人ならいざ知らず、大部隊でこれを越えて攻めてくることはまずありえない」
初めて地図を見る卓人はバルツの位置を確認して少し驚いた。西の海から攻めてくるから当然西にあるわけだが、隣国というわけではなく随分と離れた位置にある。しかもドマニスよりも小さな国である。
「なんでバルツはこのドマニスを攻めるんでしょうか?」
「……我が国は大陸での交通の要衝だ。軍事的な侵略を図るには好都合な位置にある。また、気候も温暖で農作物も豊かで、鉄鉱石などの地下資源にも恵まれている。誰もが欲しがる土地と言っていいだろう」
それは兵学校の講義でも聞いたことだった。しかしそれは一般論であり、バルツという小国があえて攻め込む理由としては不十分ではないだろうか。
「例えば……山脈にトンネルを掘って攻めてくるとか……いや、山脈の向こうはバルツじゃないから、軍を動かすことはできませんね」
「この距離を手作業では一〇年ではすむまい。現実的ではないだろうな」
「魔法で掘るとか」
「まあ、できる者もいるかもしれんな。例えば爆発の魔法とか。だが土や岩をどけるのはかなりの重労働だな」
そう言いつつも、ニコライはその案に興味を示したように地図をじっと眺めた。
「もうひとつ変に思うことがあるので聞いてもいいでしょうか」
「なんだ」
「なぜ、攻められてばかりなんでしょうか? こちらからやり返したりはしないのですか」
「それはない」
ニコライの声には不愉快さが混じっていた。
「我々軍隊は国防のためのみに存在する。他国に赴き、侵略するかのごとき軍事行動は決して行わぬ。あさましき侵略主義国家と同じ道は歩まぬ。それは国王陛下の断固たるご決意だ。そしてそれは、兵学校に入って最初に覚えることだ。いかに記憶がないとはいえ、その発言は許しがたいな」
「す、すみません」
「二度とそのような考えをもつな」
怒られはしたが、侵略的な行動は絶対にしないという軍の方針は正しいと思った。図らずも属することになった軍に対し、安心感をもつことができた。
徹底的にしごかれた後は、鉛のような我が身を引きずって寄宿舎に帰り、すぐさま眠るのがすでに日々のルーティーンになっている。
本来ならレヴァンニをはじめとした同室の仲間と下世話な会話でもして自由な時間を過ごすのだろうが、くたくたになって帰ってきた卓人を無神経にも寝かせずにつきあわせるような友人でなかったのはありがたかった。
それでなくとも兵学校の一日は座学よりも肉体的な鍛錬のほうが多い。なんとか翌日には体力を回復させるのがやっとだった。
そんなある夜、へとへとになりながら寄宿舎へ戻る途中、月明かりの中庭で舞う美しい影を見かけた。
くるくると身体を軸に回転しながら剣の素振りをしている。
逆光なので誰なのかわからないが、月明かりに映える美しく長い髪としなやかなシルエットから女性であることはわかる。剣の描く軌道は極めて理に適っており、力点が支点に無理なく作用し、水が流れるように、ときとして雪崩が押し流すかのようになだらかかつ力強い印象を与えた。
卓人は疲れ切っていることも忘れて、その華麗な剣さばきに見入っていた。
しばらく見ていると、相手もこちらの存在を認めたようで動きを止めた。その女性がおもむろに剣をこちらへ向けると、いきなりしびれるような激痛が体中に走った。
「ぐえっ?」
卓人は一瞬前後不覚に陥ったものの、即座に正気を取り戻すことができた。
「この変態。人の鍛錬をのぞいてるんじゃないわよ」
少しだけ聞き覚えのある冷たい声。その主が歩み寄ってくる。すらりとした長身の美しい少女は、確かルイザといった。ボディスーツのような身体のラインがくっきりと表れる服を着ているので、確かにまじまじと見ていれば変態扱いされても仕方ない。
「ご、ごめん。失礼だったかな? きれいでつい見入ってしまった」
「へぇ、随分と殊勝なことを言うようになったものね。でも、気持ち悪いからさっさとどっか行ってくれない?」
先日会ったときもそうだが、これは確実に嫌われているようだ。
「わかったよ。あ、でもその前に、さっきのびりびりってなったのは、きみの魔法かい?」
「残念ね。本当に記憶がなくなったんだ。私が雷撃使いだってことも覚えてないなんて」
「雷撃か……それは風の魔法に属するの?」
「当たり前でしょ。さっさと行かないともう一発くらわすわよ」
そういうとルイザは剣を突きつけてきた。その眼には殺意に近いものさえ潜んでいるが、月に銀色の髪が溶け込んでその美しさはさらに際立っていた。
無難な人づきあいをしてきた卓人の人生で、これほど露骨に嫌われた覚えはなかった。無理に仲良くしようとしても、望むような結果につながらないことも予測できたし、むしろこれ以上会話を続けるのは面倒だった。
ごたごたする前にさっさと言われるまま帰ろうと背を向けたが、それでもどうしても言わずにおれないことがあり向き直った。
「髪だ!」
「?」
卓人の様子にルイザは驚いた。
「君の剣舞はとてもきれいだ!」
「きれい?」
「そうだ!」
卓人は力強く答えた。ルイザはたまらず頬を赤らめた。
「なななな、な、何をき、ききき、急に言い出すのよ!」
「そのくるくると回る剣技は雷撃を全方向に飛ばすためのものだよね」
「だ、だ、だから何よ」
「回転速度をもっと上げられれば実戦向きなんだろう?」
「そ……それはそうかもしれないわね」
実際その通りであった。
ルイザは、敵兵を一発で確実に仕留められるだけの強力な雷撃使いであり、必要ならばそれ以上に強烈なものも放てる。
何百という敵が迫ってくる実戦で、一回の雷撃をより広範囲に放つことができれば、殺傷能力は低下しても数多くの敵兵を戦闘不能にすることができるはずだ。そこで回転しながら魔法を放つことを考えたのだが、雷撃は瞬間的な攻撃であるがゆえに、回転速度が遅いと思ったような範囲に落雷させることができない。
自分がイメージしたような回転ができないでルイザはイラついていたのだ。
「髪だよ! 長い髪が君の回転を妨げているんだ」
卓人の口ぶりは、ルイザの悩みをすべて理解しているかのようであった。
「いいかい。回転体は角運動量保存の法則によって回転軸からの半径が大きくなるほど回転が遅くなるんだ」
「かく、うん……?」
さっさと去れと言いながら、ルイザは卓人の勢いに呑まれていた。
「長い髪は回転による遠心力で回転軸の外向きへ流れようとするから、結果として回転を妨げている」
「髪のせいで……」
確かに、回転によって髪が絡みつくのは少し鬱陶しかった。
「その妨げがなくなれば、もっと美しくなる!」
「もっと美しく……」
「ああ!」
「そ、そ、そそそ、それって髪を切ったほうが好みってこと?」
「いや、切る必要なんてないさ。束ねて服の中に入れてもいいし、おだんごにしてまとめてしまうのもいいだろう。そうすることでもっときれいに回転できるはずだ」
「わかったわ」
さっきまでの冷酷さはなりをひそめ、タクトの進言にルイザは従順に応えた。簡単に髪をまとめておだんごにし、卓人に見てくれと言わんばかりに剣舞を始めた。
その効果は思った以上だった。回転に対する抵抗がほとんどなく、今までのイメージをはるかに超えてスムースで速い回転を可能にした。ずっとできなくて悩んでいたことが、たったこれだけのことでできるようになるとは思ってもみなかった。
嬉しくて雷撃さえ放ってみた。
すると、あっという間に自分を中心とした半径二〇メートルばかりの雨でぬれた芝の水滴が弾けるように散った。無数の水滴が月明かりを反射・屈折させて生まれる幻想的な光の中で舞うルイザは天使のようでさえあった。
その瞳は興奮気味に輝いていた。
「どうかしら?」
「素晴らしい!」
ルイザは嬉しさで卓人に抱きついてしまいたくなるほどだったのだが、理性が必死にそれを押しとどめていた。こんな感情はいつ以来だろう。
「こ、こんな簡単なことで、今まで悩んでいたことが解決できてしまうなんてね」
卓人は腕を横に伸ばして回転してみせた。
「こうやって回るよりも、腕を折りたたんだほうが回りやすい」
「そ、そうね」
「逆に回転を止めるには腕を伸ばすといい」
「その通りね」
素直なルイザは美しいだけでなくかわいらしかった。
「回転軸から飛び出しているものが小さければ小さいほど回転を速めることができる。君の体型はすらっとしているから、髪が――」
言いかけたところでルイザが踏み出て卓人の発言を遮った。
「へー」
「?」
一転して、どすの利いたルイザの声が怖かった。
「そ、そそそそ、それって、もしかして、わわわ、わ、私の胸が……胸が小さいってことを言いたいわけ?」
「え? いや、そういうわけじゃないけど……でもそうか、確かに」
ルイザの眼は、今度は殺意で輝いた。
「ぎょえー!」
眼球が飛び出さんばかりの雷撃が卓人の全身を貫いた。
「死ね!」
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