第9話 兵学校一日目

 レヴァンニと別れた後、教えてもらった図書館へ卓人は一人で向かった。


 戦争の話を聞いていやな気分になったが、現実感がないが故にそこに拘泥されることなく、本来の目的を果たそうと気持ちは切り替わっていた。


 本来の目的とはもちろん、タクトに関する手がかりを見つけることである。


 ほとんどの予科生が出払っているためか図書館には人の気配がない。適度な明るさと静けさが独特の雰囲気を醸し、足音が吸い込まれるように拡散していくのが心地よかった。


 卓人は孤児院で少しだけ文字を習ったがほとんど読めない。それでも魔法や軍略に関する資料が大半を占めているのはなんとなくわかった。


 蔵書は町の図書館よりも五倍くらいありそうだ。これなら何らかのヒントに辿り着けるのではないだろうか。


 本来のタクトはここで見つけ本を読んで魔法を勉強した可能性だって十分ある。


 例えば、『入れ替わりの魔法』のようなものがあり、それによって自分がここに召喚されたのであれば、すぐに課題は解決できるのではないだろうか。


 卓人はおもむろに一冊をとった。タイトルが何を表しているかすでにわからない。


 すべて勘で読む。ヒエログリフだってホツマツタヱだって知識ゼロから読み解かれたんだ。きっとなんとかなるはずだ。


「…………」


 一時間後――……なんともならなかった。


 やはり英語の模試で知らない単語を勘で読むのとはわけが違う。語彙がなさすぎるのだ。ただ、挿絵と少しだけ知っている単語から類推すると旅行ガイドではないかと思われるところまではたどり着いた。


 とんだ遠回りだ。卓人は焦り始めた。


 そのとき、誰かが声をかけてきた。


「あれー、タクトじゃない。元気になったんだ。こんなところで珍しいね」


 見上げると女の子二人が立っていた。


 声をかけてきた一人は「ころころとした」という表現がよく似合う、幸せそうな笑顔をたたえた茶色のボブヘアの少女で、「軍隊でこれはありなのか」と思わずにはいられない大きなリボンで左側の髪をくくって尻尾のようにしていた。


 もう一人はモデルを思わせるようなすらりとした美しい容貌の少女で、銀色の長い髪を後ろでくくって凛とした印象だ。というより、むしろ嫌っているかのような目つきにも思える。


「なんで旅行ガイドなんて読んでるの。どっか行くの?」


「そういうわけじゃないけど……」


 自分の推測が当たっていたことは嬉しいが、問題は何も解決していない。


「タクトって、本とか読まない人だと思ってたー」


 愛想のよい女の子のほうはしゃべり方も明るくはきはきしていて安心できる。


「……あ、そうなんだ」


 とぼけた卓人の返事に、少女たちは怪訝な反応を見せた。


 不自然な受け答えをすれば、相手が疑問に思って質問してくる。そこで、自分が記憶喪失だという「設定」を説明すると、少女たちは理解を示してくれた。これで人間関係構築の面倒なところを随分省略することができた。


 髪の短い子がベラ、長い子がルイザであるという。


 親切に教えてくれたのはベラで、ルイザは不機嫌に腕を組んで声を出そうともしない。嫌われるのはいい気分ではなかったが、卓人は気にせず疑問を尋ねてみた。


「ねえ、入れ替わりの魔法ってあるのかな?」


「入れ替わり? なにそれ」


 ベラはルイザに視線を送ったが、彼女も知らないようだった。


「火風水土のどの系統なんだろう?」


「ああ、でもその魔法があるのかどうかもわからないんだけど」


「へぇ、だから珍しく本を読んでるんだ。でもさ、仮にあったとして、それって国家機密レベルの魔法のような気がする。うちみたいな学校にはおいてないんじゃないかな」


 言われてみると、確かにそうだ。目標が遠くなって卓人は少し落胆した。


「なぁに、かわいい女の子を前にそんな顔するわけ?」


「え? ああ、ごめん」


 卓人の反応に、ベラの表情はさらに福々しくなった。


「でもさ、記憶もないのに、字は読めるの?」


「あははは……」


「じゃあ、私が読んであげる」


 そう言うと卓人のすぐ隣に座ってきた。


「ちょっと、ベラ。こいつにそこまでしてやる必要ないわよ」


「いいじゃない、困ってるみたいだし」


「もう、私は行くからね」


 ルイザはそう言うとぷいと去ってしまった。どうやら本当に嫌われているみたいだ。


「気を悪くした?」


「というか、何かあったのかな」


「記憶にないなら、そのほうがいいかな」


 ベラはいたずらっぽくそう言ってはぐらかした。


 結局、ベラと一緒に人格やらが入れ替わるといった魔法の本を探してみたがそれらしいものが見つかることはなかった。何しろ蔵書が多すぎて探しきれない。


「時間の無駄になりそうだ。ごめん、手伝ってくれてありがとう」


「そうだねー。まずは魔法を思い出した方がいいかも」


 孤児院で使われていた魔法は生活のためのものだ。しかし、兵学校では戦うために用いる。目的が違えば、学べるものも違ってくるはずだ。


 ベラは魔法の基礎理論の本を取るとテーブルに着くよう促し、くっつくほどそばに寄ってきた。卓人は一瞬ドキッとしたが、こうしないと二人で読むことはできない。


「あ、エーテル……」


「そうだよ。風の魔法を使うには必ずエーテルが制御できないとダメ」


「火の魔法はいらないの?」


「うん。でもね、大きな炎とかはエーテルがないとつくれないよ。火に風を送ると、火が大きくなるでしょう。あの原理なんだって」


 それはとても奇妙なことに聞こえた。火が風で大きくなるのは、燃焼に必要な酸素がより多く供給されるからである。


 卓人は先日、火の魔法は化学反応ではなくプラズマによっておこることを証明した。その過程において酸素が供給される必要はない。


 ということは、風の魔法によって火が大きくなるのではなく、エーテルによって大きくすることができる、と解釈すべきだろうか。


「エーテルとは、その人の本来ある姿となるようにはたらきかけている、と教えてもらったけど……なぜ風の魔法にはエーテルの制御が必要なのかわからないな」


「うーん、講義でもやるんだけど、みんな使えるからどうでもいいみたいに思ってるし……でもね、風の魔法を使うときは、エーテルで空気の塊をつくってボーンって動かすと風が吹くんだよ」


 いかにも感覚的に理解していそうな表現である。


 ただ、それは理解が不十分だとかそういうことではない。これは何故手を動かせるのかという疑問と同質で、そのことについて科学的に説明ができるものの知らなくても手は動かせる。


 そしてどこまで解明できたとしても、動作そのものは理論でなく感覚によって行われ続けるに違いない。


 しかし「空気の塊」という認識をベラがもっていたことは興味深い。


 風というのは、数多くの空気の分子がある一定の方向へ運動することで生じる現象である。おそらく、エーテルが「どのようにか」作用することで一定量の空気を塊として扱うことができるのだろう。そしてそれを「どのようにか」して動かせば風となるという非常にシンプルなシステムがイメージできる。


「じゃあさ、私が今からエーテルで空気の塊つくるからさ、エーテルがどんなものか感じてごらんよ。何か思い出すかもしれないよ」


「え?」


「私、風の魔法得意なんだよ。ほら、これつついてみて」


 よくわからないが、広げられた手のひらの上にはすでに魔法で空気の塊があるらしい。卓人はそっと指を当ててみた。


「あ」


 ぽよんと何かはじき返される感触がある。


「そのまま指を当てて、エーテルがどう流れてるか感じ取るの」


「う、うん」


 確かに何かが流れているような感覚はある。それは触覚や視覚に訴えかけてくるのではなく、何かもっと別の感覚に作用しているようだ。


 卓人はもっと理解したいと思い、感覚を研ぎ澄ました。


 だが、わかるようでちっともわからない。何かがそこにはあるのに、それをどう理解していいのかわからないのだ。


 卓人はさらに集中を高めようと試みた。


「ぷー!! ぎゃはははは! タクト、変な顔しないでよ!」


 ベラが大笑いして、図書館からつまみ出された。


「ごめんねー。だって笑いが堪えられなくなっちゃって」


「…………」


 どうも卓人は魔法に関して集中すると変顔になってしまうようだ。


「で、何かつかめそうだった?」


「いや、ちょっとわからなかったかな。ごめん……」


 せっかく協力してくれたというのになんとも不甲斐ない。


「あーあ。タクト、魔法使えなくなっちゃのか」


「どうやって使っていたかさえ覚えてないんだ」


「……っていうかさぁ、別人?」


 卓人は迂闊だったと思った。


「入れ替わりの魔法とか聞いてくるし。なんか、全然違う人になっちゃったみたい」


「あ……あ、ああ、あの……僕って、どんな人間だったのかな?」


「本当に覚えてないの?」


「……うん」


 卓人は返答に少しためらいを覚えた。


「私のことも?」


「うん」


「ひどいね……」


「え?」


「女の子の大事なものをあなたにあげたっていうのに……」


 婉曲な表現の意味を理解するのに何秒かかっただろう。ほのかに悲しげな上目遣いでじとっと見つめられると、背中から汗がざぶざぶと流れてきた。


「え? い、いやあのその……それはどう……」


 そんな責任を負う覚悟を迫られることになるとは思ってもみないことだった。


「なんてね。うっそー」


 少女の豊かな表情は上機嫌なネコのようだ。うそと言っているのが嘘のようにも思えてしまう。


 卓人は決してその一言で落ち着くことはなかった。それを知ってか知らずか、ベラは満足して軽やかにその場を去っていった。




「疲れた……」

 ベラはとてもかわいらしかったのに、話しているとガリガリと精神を削ってきた。


 こっちの世界にきてからというもの精神的に休まる日などなかった。それでも、孤児院の子たちはいたわりの心があるというか、そこにいることを認めてくれていた。


 ところが兵学校は崖の先端に立たされているような気分にさせられる。自分が場違いであることは理解しているものの、こうもうまく振る舞えないとなると精神的には堪えた。さすがにこれ以上本を読む、いや解読する気力はなかった。


 図書館を出たところで一人の男に呼び止められた。


 かっちりと油で固めた髪が印象的で、背は卓人よりも低いのだが、その佇まいだけで圧倒的な貫禄を感じさせる。見た目は二十代前半くらいだが、醸し出す雰囲気は戦場のすべてを知り尽くしたかのようでもある。


 この精悍な顔は見たことがあった。司令部で幹部として並んでいた男だった。


 正直もう今日は閉店ですと言いたいところだったが、卓人はさっと敬礼をした。


「タクト。魔法の勉強をしていたところを見ると、役に立てるなら何でもする、と言ったのは嘘ではないようだな」


 男は名乗らなかった。既知であるならばその義務もない。


「今の貴様を軍に残すべきかどうかで幹部でもいろいろ意見があった。まず聞いておこう。貴様は今後戦争となったとき、戦争に参加する意思はあるか?」


 本来、予科生である卓人に必ずしもその義務はない。しかし、それは訓練によってその後の戦力となる見込みによって猶予されるものである。魔法が使えないまま、戦力とならない人間を置いておくわけにはいかないだろう。


「……もちろんです」


 少しためらいつつも卓人は自らの意思を示した。


「ならば回復魔法だけは使えるようになっておけ」


「回復魔法ですか?」


「戦場で傷を負ったときに自らを回復できなければ、それはそのまま小隊の戦力を低下させることにつながる。これは予科生が戦闘に参加するための最低条件だ」


 極めて合理的な理由だ。しかし魔法について感覚的理解が全く及んでいないのにできるのだろうか。エミリは魔法の感性が優れていると思ったが、それでも回復魔法は使えなかった。つまり火の魔法よりも難しいということだ。


「わかりました」


 それでも答えは一択だった。


「まあ、いいだろう。魔法が使えないとなると剣を振るうしかない。よって、そのときは私の麾下で戦ってもらうことになる」


「わかりました! よろしくお願いいたします」


「時間はあるな」


「今からですか?」


 これから剣の訓練をするということだ。断れるはずもなかった。


 卓人は武道場ほどの大きさの部屋に連れてこられた。


 一〇メートルはあろうかという天井のあたりに採光の窓があるだけで、あとは石壁だけで覆われた極めて無機質な部屋だ。湿っぽさこそないものの、閉塞的な圧迫感をおぼえずにいられない。


 男は卓人に剣を渡した。大きな鉈のような、日本刀の脇差をいかつくしたような感じだ。ゲームで出てくるようなかっこいいものではなく、実用性を重視しているようだ。


 刃の部分は木製で丸くなっている。おそらく訓練用の剣だ。


「こい」


 しかしまともに当たれば大怪我をするのは間違いない。


 しかも顔つきは怖いが、教官の背丈は自分よりもちょっと低く、見下ろせてしまう。


 本当にいいのか迷いつつ、卓人は遠慮がちに剣を振った。その軌道は男の剣によってあっさりと目的とは違う方向へはじかれ、代わりに男の剣の柄がみぞおちをえぐった。


「かっ」


 一瞬息ができなくなり跪きたくなったが、ここはそれを許される場所ではないと思った。


「ぬるい」


 男の発言はいたって端的だ。だが、言外の意図は卓人も理解できた。卓人は今度こそ思い切って剣をたたきつけてみた。しかし、これもはじかれた。


「……いかに記憶がないとはいえ、訓練してきたものは肉体に染みついているものだと思っていたがな」


 その通りだ。


 その人が繰り返してきた行動は、小脳が司る無意識によって自動化される。しばらく泳いだり自転車に乗ってなかったとしても、一度覚えれば自然にそれができてしまうのはそういうことだ。


 この肉体がタクトのものならば、彼が覚えた通りに剣を振るうことができてもおかしくないだろうに。


「何をしている。さっさとこい」


 卓人はこのままではどうにも埒が明かないと悟った。


「きえぇぇぇぇぇぇぇ!」


 思いつくのは体育でやった剣道だけだった。


 授業で習った通りに、中段で構えて奇声を発した。体育の先生は「臍下丹田に力を入れる」と言っていたが、そのときは何の効果があるのか理解できなかった。だが、その発声によって身体が動くと確信できた。


 なにより意表を突かれたのか、教官は一瞬だが身じろいだ。


 卓人はもっとも小さなモーションで相手の剣を薙ぐと、そこから面を入れる動作に入った。しかし、これでは怪我をさせると思って躊躇したところで腕に激痛が走った。自分の剣が転がった。


「なかなか変わったことをする。貴様、本当にナナリのタクトか?」


 その問いに卓人が答えられなかったのは、腕の痛みによるものだけではなかった。


「貴様のやろうとしたことは、一対一の戦いにおいてならばある程度は有効かもしれん。しかし戦場では何の役にも立たん」


 それは、教えたはずのことが全く残されていないことへの苦言でもあった。


「戦場では、敵の戦闘能力を奪うことが肝要だ。敵の利き腕を落とせ。剣を握る指の骨を折れ。足の腱を切れ。視力を奪え。殺すことに時間をかけるくらいなら、素早く敵の戦意を打ち砕くのだ」


 どちらかといえば凛々しいという印象の男であったが、それは違ったのかもしれない。その冷徹な表情と残酷な言葉は戦場で何人もの敵を殺してきたことをうかがわせた。


 結局、教官の訓練は三時間ほど続き、門限直前に寄宿舎に戻った。


 そこではレヴァンニら同室の七人が歓待してくれたが、卓人はまともに口を交わすどころか食事もとらずに倒れこむとそのまま泥のように眠った。


「疲れた……」


 今日二度目のこの言葉は、精神だけでなく肉体的にも削られた、最後のひとしぼりだった。こうして、卓人の兵学校での一日目は終わった。


 本当にここでやっていけるのだろうか。

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