第8話 英雄タクト
紅蓮の炎の中、深手を負ったタクトはいよいよ自らの最期を悟りつつあった。
ただ、このまま死ぬわけにはいかなかった。エミリが自分を心配して待っている。
大切な妹を一人ぼっちにさせるわけにはいかなかった。
もはやこれしかないだろう。
覚えたばかりの魔法、うまくいくかどうかもわからない。
自分の身代わりを召喚する魔法。
使うと同時にタクトの時間は止まった。
代わりに、姿かたちが全く同じである宇田川卓人が、この世界で時間を刻むことになった。
伝わるかどうかわからない中で、タクトは最後にこの一言を残した。
「エミリを……よろしく頼む」
――いや、これはあり得ないな。
宇田川卓人はこの世界においてエミリの本当の兄を見つけると決意した。
ただ、あまりにも途方がない目標であるがゆえに、何をどうすればいいのか見当がつかず、ひとまず自分が入れ替わった理由を模索していた。
まず、この世界のタクトが意図して入れ替わったのか、あるいはまったくの偶然によって現象が起こったのかについては、いずれの可能性も肯定も否定もできない。
ただ言葉を理解できたことは、こちらでの生活をしやすいようにとの誰かしらの意図が感じられた。
――軍か……
軍人といっても卓人は兵学校の学生であり、軍事教練を受ける予科生というのが正しいらしい。
その予科生である自分は戦場へ赴いていた。学生が戦場に出るというのは、どうも無慈悲で非人道的なイメージが強い。卓人は理不尽な世界への不安を禁じえなかった。
兵学校の校舎は壮麗で、貴族の屋敷と間違えそうな造りだった。しかしながら凜とした竜の彫刻など精強な軍をイメージさせる厳めしさもあり、そこに建築者の崇高な精神が感じられた。
そして改めてよく見ると、この校舎はこの前まで自分が入院していた野戦病院であった。あのときは凄惨を極めていたが、穏やかな雰囲気では建物の印象はまるで違う。
だけど、ここから見える山脈の衝撃的な雄大さはあのときと同じだ。中腹あたりにさっきまで暮らしていた孤児院があると思うと不思議な感慨深さがある。
この兵学校でちゃんとやっていけるのだろうか。記憶喪失で通せばきっとなんとかなるだろう。くよくよと考えても仕方ないのだ。
しかし、学校というにはどうにも人が少ない。グラウンドで二〇名ほどが体を鍛えているが、それ以外に見かけない。
学校なのだから講義でもしているのかとも思ったが、窓の中に人影はまばらにしかない。卓人は場違いなところにきてしまったのではないかと不安に感じた。
「おや、タクトじゃないか」
この声には聞き覚えがあった。
「いやぁ、戻ってきたのか。また、女風呂のぞくトンネル掘ろうぜ」
サムアップをして見せたのはさわやかさをまとった変質者、レヴァンニであった。街で会ったときもそうだったが、不思議なロジックを持ち合わせている。
「あ、あの……戦争は、どうなったのかな?」
「おう、俺が兵学校に戻った頃には敵はほぼ全滅、残った奴らも撤退したってよ」
なんと、戦争は終わったのか。それはありがたい。
卓人はほっと胸をなでおろした。
「ああ、そうか。記憶がないからきょろきょろしてたのか。連れてってやるよ、仮司令部に」
「か、仮?」
「そうだよ。また、いつ戦いが始まるかわからない状態だからな。この学校が仮司令部になってるのさ。最前線本部ってとこだな」
「なんで仮なんだい?」
「軍の偉い人が入ってないからだよ。今ここにいるのは佐官級の人ばかりだ。まあ、この学校の教官ばっかりだ。だから『仮』なんだと。形式を気にするのはいいが、もう少しセンスのあるネーミングをしてほしいもんだがね……」
この男でも皮肉を言うのかと思うほどの親交はないのだが、彼がこのように憂患しているのは意外なことだと思った。
「なんだか、人が少ないね」
レヴァンニの人柄もあって、卓人は思ったことを自然に質問できた。
「ああ、たいていが塹壕をつくりに行っているからな」
レヴァンニの答え方は、初めて見る者への説明口調だった。
「俺たち予科生は戦場に出るかどうかの選択権がある。戦場に行かなかった者はこういう危険じゃないときに実地で勉強するのさ」
兵を育てるための兵学校で未熟な予科生を戦場に出して死なれては元も子もない。ただし能力のある者は戦場での経験の機会が与えられる。これは合理的な考え方である。
「図書館って……どこにあるのかな」
「なんだお前、記憶がなくなったと思ったら、本好きになったのか? それならあそこだよ。でもさ、読むくらいなら描いてほしいんだよな。ぼいんぼいんのやつ」
レヴァンニのこういう態度がなんだか安心できるのは奇妙だった。
いくつか廊下を曲がって通された仮司令部は、仮というだけあって、質素な部屋に軍旗と思われる竜と剣をあしらった旗のみが飾られていた。
そこには六名の幹部と思われる凛とした雰囲気の男女が並んでいたが、年齢は若く、高くても四〇代、若風な人は二〇代ではないだろうか。いずれもうぐいす色の制服に勲章らしきバッジをいくつも付けている。
中央に立つ最高齢であろう偉丈夫が発言した。
「ナナリのタクト。傷も十分に癒えぬうちによく戻ってきてくれた。感謝する」
ナナリというのは孤児院のある地域の地名である。この国ではある程度以上の身分の者のみが姓を名乗る習慣で、そうでなければ先のように出身地の後に名前を連ねて呼ぶのが通例となっている。
「ありがとうございます。怪我についてはもう十分に回復したと思います。これから、がんばります」
卓人はそう返事すると、ぺこりと頭を下げた。
「おい」
「え?」
レヴァンニが後ろから指摘してきたのだが、何を指しているのかわからなかった。
「僭越ながら申し上げます。このタクトですが、先日の負傷の際に記憶をなくしてしまったようでございます。彼の礼の失するところ、代わりましてお詫び申し上げます」
半歩前へ進み出て、レヴァンニは美しい軍式敬礼をとった。
なるほど、ここは軍だった。
卓人もさっと敬礼をまねる。
「なんと、記憶がない……」
この情報は少なからず幹部たちをざわつかせた。
「それで、大丈夫なのか?」
「一般生活に問題はありません!」
「いや、そこじゃねえだろ」
卓人は今度こそはと思って軍人らしい返答を試みたが、即座に突っ込みが入った。ここは軍なのだから、軍人としてやっていけるのか、という問いであることに気づくのにそれから数秒を要した。
「お役に立てるならば、何でも致します!」
的外れな返答に幹部たちはしばらく沈黙した。
「まあ、それは仕方のないことだと思います。魔法のほうは大丈夫よね?」
問うてきたのは、いかにも魔法が使えそうな才女を思わせる女性幹部たった。
「はい。魔法もすべて忘れております。つきましては、剣を振るうなり、物資を運搬するなり、何でも致します」
卓人としては使えないと思われないよう軍人としての覚悟を表したつもりだったが、その発言は幹部たちの目を丸くさせ、突っ込みを入れるレヴァンニの声は裏返っていた。
「だったらお前、何しにここにきたんだ?」
仮司令部を出たときには、幹部たちの顔色は完全に失望色に染まっていた。
卓人はレヴァンニに、戦争のほとんどが魔法でされていることを教えられた。元の世界でいえば、戦闘機とか鉄砲のようなものだろう。そこへ単刀で突入しますと言っているのだから、ナンセンスにも程があるというものだ。
「お前は、英雄だったんだぜ」
「英雄?」
卓人は率直に驚いた。
「ああ。のぞきの天才、俺たち男の英雄だった」
「…………」
「おっと、すまん。これは今すべき話じゃなかったな」
謝りながらも悪びれた様子がかけらもない。この男は何を考えているのかわかりにくい。
「幹部の人たちは、この長引き始めた戦争を、お前の力で止めることができたらと考えていたんだろう。ところがその魔法を全部忘れたとなれば、がっかりもするわな」
「僕に……そんな力が?」
孤児院ではけっこう魔法が使えたくらいに聞いていたが、どうも話が違う。
「初めてバルツ軍が攻めてきたとき、お前は上陸させる前に、敵の船三隻を一人で沈めて全滅させた」
二ヶ月ほど前のことである。
兵学校のあるこの地から西の海沿いの小さな漁村に敵軍が現れた。攻撃してきたのはバルツという国の軍である。海のずっと向こうの国で、当時は野蛮な国としての認識はされていなかった。
そこが何の理由もなく宣戦布告すらせずに沖に出ていた漁民を殺害し上陸を試みようとしたのだ。
全くの想定外で待機する兵の数が十分でなく、予想される三〇〇人の敵兵に対応するため、兵学校の予科生一五〇人が半強制的に駆り出されることになった。
いずれも能力を認められた者ばかりだったが、心の準備さえままならない初陣に浮足立っていた。
いよいよ軍艦が近づき、上陸用の船に乗り換えて迫ってくれば魔法の射程範囲となるのを誰もが見ているだけのときだった。
瞬間、軍艦三隻はいずれも、真ん中から真っ二つに割れた。沈没の渦に敵兵三〇〇名のほとんどが呑み込まれ、なんとか難を逃れた者も、上陸すれば捕縛され、それを拒んで上陸しなければ泳ぎ疲れて溺れ死んだ。
こうして、第一次バルツ軍侵攻はあっさりと終結した。
「その船を沈めたのが、僕……? どんな魔法を使ったんだい」
「そんなの知らねぇよ。水の魔法を使ったと言ってたのはお前だぜ」
第二次バルツ軍侵攻は五日後の深夜であった。前回は未遂に終わったからこそ次があると考え、警戒は厳重にしていたため正規軍の数は確保できていた。
それでもなおかつ、今回は予科生の中でも能力の高い者で希望する者のみに対して強制でなく、許可制として参加させた。これは兵学校創設からの理念である。
これに対し予科生は三〇名ほど参加した。敵兵はわずか一〇〇名ほどの小規模編成により、夜陰に乗じた上陸を許すことになった。
警備に参加していたタクトは広範囲に魔法で炎の矢をまき散らすと、上陸部隊の姿はありありと映し出され、数的優位であったこちらの圧勝に終わった。
「炎の魔法って、すぐに消えるよね。照明に使えるものなの?」
「だから、お前がやったんだってば。それができるなら、俺だってやってるよ」
その八日後に第三次侵攻があったが、ことごとく撃退したらしい。このときにレヴァンニは負傷し、戦線を離脱しているので詳しいことは聞けなかった。それでもタクトが顕著な活躍をしたのは間違いないらしい。
そして、くだんの第四次侵攻である。
ついにバルツ軍は、揚陸専用の平底船を軍艦にして二〇隻、およそ一五〇〇人で侵攻してきた。
まだ海の荒れる季節、船に多量の錘をぶら下げることで何とかバランスをとって漕ぎつけてきた。浜が近づくとその錘を捨て、一気に勢いをつけて上陸してきた。
この攻撃に対し軍は後手に回った。乱戦となった挙句、漁村は焼け野原となり、バルツ軍を全滅させた後には、両軍合わせて二〇〇〇名を超える死傷者が出る始末となった。
「このときには敵に爆発の魔法使いがいた。とんでもない使い手だったらしいぜ」
卓人がこの世界にきて初めての体験は、爆発に吹き飛ばされたことであった。
さらにほとんど時間を置くことなく第五次侵攻があって現在に至るが、これに関してはレヴァンニも卓人も参加していないので詳細はわからない。バルツ軍は五〇〇名ほどの小規模で、これを撃退するのにこちらも七〇名ほどの犠牲があったという。
このことについて、タクトがいれば、犠牲はもっと少なかったのではないかと幹部は評価しているとのことだった。レヴァンニが教えてくれたのは以上だった。
ここまで聞いて総じて感じたのが、「よくわからない」ということだった。
卓人はつい最近までただの高校生だった。だから戦争がどんなものかイメージはできても、それが社会的にどんな影響をもら足すかとかいまいちピンとこない。
それでも外交的な違和感や敵の戦略や戦術について疑問に思わざるを得ない点がいくつもある。
さらに軍幹部が自分に期待をするのは結構だが、それは無責任な印象をもった。何にしても、不合理な気持ち悪さがあると思った。
「そして、最大の問題があった……」
レヴァンニは真剣な顔で言った。
「バルツの女兵は、なぜかみんなおっぱいがでかかったんだ!」
「は?」
「そんなの、攻撃できるわけないだろう」
彼が以前の戦闘で負傷した理由はここにあった。卓人はそれを笑い話として聞くことができなかった。
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