第5話 異世界についての考察②

 馬車は孤児院を出発した。


 エミリに馬車の運転を勧められた卓人は、その挙動に全神経を張り巡らせていた。


 山を下っているのでブレーキを踏みながら進まないと荷台がロバを轢いてしまう。大した勾配に見えなくとも結構な速さで転がってしまうのだ。かといってブレーキを踏みすぎるとロバが歩くのを妨げる。


 初めは戸惑ったが、ロバの賢さも手伝ってすぐに要領をつかむことができた。


「やっぱり、こういうのって身体が覚えてるんだね。お兄ちゃん、小さいころから馬車の運転上手だったから」


「……そうかもしれないね」


 エミリの言葉が明るいだけに心に突き刺さるものがある。


 一時間ほど下ったところで運転を替わった。緊張から解放されるとおもむろに卓人はまたスカートめくりの謎について考え始めていた。結果として無言のまま馬車の横を歩くだけになってしまい、エミリとしてはつまらなかった。


「考え事してる?」


「え、いや、そんなことはないよ」


 そう答えながらも左手をあごにそえて沈黙を続ける。


 何か変だと兄の顔を覗き込んだ彼女はドキッとして思わず目をそらした。


 その瞳はどこでもないはるか遠くを見つめるかのようだった。


 ――こんな凛々しい兄を見たことがあっただろうか?


 それをずっと見続けてしまえば、吸い込まれてしまうのではないかと錯覚するほどであった。


 とりたててよく整った顔というほどでもない卓人だが、ひとたび考え始めるとその目ははるか先を見つめている。そして、なぜかそのまなざしは女性たちを魅了してしまう。


 それは妹を自認するエミリであっても例外ではない。


『なぜ子供はスカートめくりをするのか』


 その「なぜ」を追究することに何の意味があるのかと問われれば答えようがないかもしれない。だが、「なぜ」を解き明かすことこそが彼の存在意義でもありえる。


 思いがけない兄のかっこよさに動揺する妹をよそに、卓人の頭の中では目の前にある厚手の布を翻すために必要な運動エネルギーと、その抗力たる空気抵抗と重力の関係についてシミュレーションが行われていた。


 いくつかの集落を通り過ぎ、賑わう街に着いたころには太陽は南中を少し過ぎていた。


 ここは初めてエミリに連れられたときに通った街だ。


 科学技術のない古く貧しい世界だという印象は間違いで、街には多くの食材があふれ、欲しいものを好きなように選ぶことができる。人々は車も電気もない豊かさの中で生活している。


 街を貫く大きな川は、山脈からの雪解け水が怒涛の濁流となっている。


 そんな川の下流から荷を積んだ大きな船が川岸の十数頭の馬に曳かれて上ってくるのを見たときには、その商売根性に感服した。水の魔法を使えば水の勢いが強くてもああやって運べるのだという。


 津に停泊した船からはいくつもの荷が下ろされ、大きな荷箱を滑らせるように軽々と押して進むさまは不自然に映ったが、よく見ると地面からわずかに浮いていた。風の魔法だとのことだった。


 この街は自分たちが暮らす孤児院よりもさらに川上にあるスズ鉱山の荷卸し中継点として栄えているのだという。


 この時季は鉱山が雪で覆われてしまうため休鉱しているが、夏から秋の半年ほどは鉱山で働く人たちが遊びにきたり鉱石を求める人々でさらににぎわうらしい。なるほど、ブリキや青銅、白目などのスズを使った装飾品を扱う店も多い。スズめっきの鏡はここの特産で、一般にはこの鏡が流通している。


 この賑わいでは馬車に乗っているほうが自由が利きにくい。二人はロバを降りて連れて歩くことにした。ほどなくして誰かが声をかけてくる。


「タクトくん、動物の白目細工は子供たちに大人気だよ。新しいの頼んだよ」


 声をかけてきたのは土産物などを扱う店の主人だった。白目細工とはすぐに本当のタクトがつくったものだとわかったが、答えに困ってしまったところで、エミリが助けてくれた。


「ごめんなさい、お兄ちゃんは記憶がないの」


「えぇ、もしかして戦場でかい? それは困ったねぇ」


 店主の同情には人の好さが表れていた。


 その後も何人かに声をかけられた。ナタリアの言ったとおり、街では結構知られているらしい。


「エミリちゃん、また腕を上げたんじゃないの?」


 ブティックというのが適切だろうか、婦人服を扱う店の女主人はいかにも厳格な経営者といった感じだったが、エミリのつくった腰帯を見るや相好を崩していた。


「この前のは結構な値をつけさせてもらったけどさ、あっという間に売れちゃったからね。今回もいい仕入れをさせてもらうよ」


 商品を渡して受け取った銀貨にエミリは目を丸くした。


「あんた、うちで住み込みで働かない? 給料はずんでもいいよ」


「もうちょっとしたら考えさせてもらってもいいですか?」


「ああ、待ってるよ」


 この兄妹はどうやらかなり器用な血筋のようである。


 エミリはそのほかにも馬車の荷台に乗せていたものをあちこちの店で売りさばくと、今度は買い物に勤しんだ。


 塩や干し魚、柑橘類、食用油や燃料油、さまざまに染色された糸をつぎつぎと購入していった。きび砂糖は多めに、どうやら子供たちにお菓子をつくるらしい。


 こうしてエミリの行動を見ていると、彼女は自分の能力が評価されることよりも、孤児院の子供たちの生活のほうに関心があるように思えた。


 同じ年頃の女の子がただ生活するだけにはりつけられていることを思うと、もっと浮かれた何かに惹きつけられてしかるべきなのではないかと案じたりもしたが、その姿は必ずしも青春時代を奪われた哀れな少女ではなかった。


 途中、硫黄を売っている店を見つけた。


「なぁ、硫黄があるけど、買ったりしないの?」


「つけ木に使うの? いらないよ。燃やすといやな臭いもするし」


 細く割った木の先に硫黄をつけたものをつけ木という。火打ち石などで簡単に着火できるがマッチよりは不便だ。魔法が使える人があえてつけ木で火を起こしたりしない。


「そうか……」


 単に実物に触れることが少なかったから興味をもっただけなのだが、卓人が残念そうな顔をすると、「相変わらず変なもの買うの好きだね」と購入してくれた。


 にぎわう街中は人道と車道が区別されているもののその役割は果たされておらず、馬車は当たり前のように進行を妨げられた。ロバは賢いので、無理に前に進もうとしたりはしない。卓人とエミリはのんびりと街を歩き回った。


 その時間は、卓人の考察を進めさせてくれた。


 もちろん、スカートめくりについてのだ。


 街では多くの子供たちが駆けまわってその奔放さをいかんなく発揮していたが、期待に反し彼らの誰一人としてスカートめくりをしてはいなかった。確かにどこかしこでも行われる行為ではないだろう。


 彼らの「その瞬間」はいかなるときだろうかと、じっくりと観察する姿は変質者にも等しい。


 スカートめくりとは、攻撃的な行為であるといえる。


 卓人はこれを、幼い肉食獣が互いに噛みついてじゃれあいながら社会性を獲得していくのに近いのではないかと考えてみた。


 しかし自分がかつてしたことを思い出しても、とくにそれによって社会性が獲得できたとは思えないし、なによりじゃれあいが相互の攻撃であるのに対し、スカートめくりは一方的である。


 また、現象がそれほど頻発しないということはある特定の条件があるのではないかとも考えられたが、経験的な推測以外とくに合理的な結論は得られないでいた。

 

 そうやって考えるときの卓人の姿は、またしても行き交う女性たちの注目を集めてしまっていた。


 初めは不思議に思ったエミリだが、すれ違うたびに老若を問わず女性が兄に羨望のまなざしを向けていることを誇らしく思うようになった。同時にそれはそれで面白くないことだと気づくと、ちょっとだけ隣の兄に寄り添うように歩いた。


 端正な顔つきの同年代の少年が声をかけてきたのはそんなときのことだった。


「おう、タクトじゃないか。やあ、エミリちゃんも」


 卓人よりもずっと背が高く筋肉質で、背負っている荷物袋が何となく似つかわしいと思った。もちろん卓人には面識がない。


「レヴァンニだよ。お兄ちゃんの……お友達の」


 エミリが気を利かせて耳打ちしてくれた。なぜかその後一歩退いた。


「お前もかなりの重傷だったらしいな。でも、元気そうで何よりだ」


「ありがとう」


 短く刈り上げた髪型が醸し出すさわやかな笑顔に心を許してしまいそうになる。


「やっぱり、ナタリア先生のおかげなのか?」


「うん、毎日回復魔法をかけてくれたおかげだね」


「そうか、うらやましいなあ。回復魔法かけながら、触らせてくれるんだろう?」


「何を?」


「あのでっかい胸をさ。そりゃあ、あのやわらかさに包まれれば、どんな怪我でもすぐに治っちまうだろう」


「……?」


 何かがおかしいとエミリを見ると、その表情は何かを訴えかけていた。


「ところでタクト。例の、あれはどうなった?」


「あれ?」


「そうだよ! 例の! 白目細工のフィギュア! ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっと、ずーっと待ってるんだが。ぼいんぼいんでぷるんぷるんのつくってくれるって!」


 卓人はそれが何を指しているか想像がついた。と同時に妙な汗が噴き出してきた。


 見かねたエミリが間に入ってきた。


「あ、あのね、レヴァンニ。お兄ちゃん、戦場で怪我したときに記憶がなくなっちゃったの。だから、そういうの全然覚えてなくて……」


 レヴァンニはそれを聞くと一瞬呆然とし、いかにもショックを受けたかのようによろめいて膝を折った。


「そうか……そうだったのか。大変だったなあ、タクト。いや、大変なのはエミリちゃんのほうだよな」


 うなだれるふりをしながら手を伸ばしてエミリのスカートを「ちらり」とあえて声に出してめくろうとする。すでに想定済みだったのか次の瞬間、つま先が顔面にめり込む。


「ふふふふ、エミリちゃん。とても素敵な一撃だったよ」


 鼻血を流しながらもさわやかだ。エミリは兄の後ろに身を隠して、威風堂々たる変質者に質問した。


「レヴァンニ、その荷物はどうしたの?」


「ああ、これから戦場に戻るところだよ。俺の怪我も完治しちゃったからな」


「……え?」


「バルツの軍がなかなか退いてくれないらしくてね、バカみたいな消耗戦になっちまったんだ。首都からの大部隊が応援にくるまでにはもうちょっと時間がかかるようだから、俺たちみたいな怪我人ももう一度戦場に出ないと人手が足りないんだと」


 言葉にはしぶしぶが含まれているが、使命として受けとる者の覚悟がその奥にあった。魔法による回復が可能なこの世界では、戦場で傷を負っても容易に復帰ができてしまう。


「ははは。そのうちタクトにも連絡がくるかもしれないが、その前に大部隊が追い払ってくれてるといいな」


 レヴァンニは「じゃあな」と言うと、さわやかな笑顔で自らの道を歩き始めた。気のいい変態の背中を見送りながら、エミリは兄の袖をつまんだ。


「お兄ちゃん……」


 せっかく帰ってきた兄がまた戦場に駆り出されてしまうのだろうか。また大怪我をしたりしないだろうか、いやもっとひどいことが起こるかもしれない。


 兄の横顔は自分の心配を上回ってはるかに深刻だった。


 だって、あれだけの大怪我をしたのだ。戦場に戻るなんて考えたくもないだろうに。


『軍になんて戻らなくてもいいよ、一緒にいよう』


 言いたくても、それは兄の自由を奪うことになるのではないか。


 エミリは葛藤し、次の言葉が出せないでいた。


 だが心配する妹を横に、卓人は左手をあごにそえて全く違うことを考えていた。


 ――あの眼差しは……まるでオオカミのようですらあった。


 レヴァンニがスカートをめくろうとする瞬間、比喩でなくまさに獲物を狩ろうとする目をしていた。完璧に狙いすまして次の行動に移ったのである。


 ――狩り?

 そういえばあのときのショータとゲオルギの目にも同様の鋭さがあった。いや、シカを射るときのエミリの目もそうだった! あれはまさに、何かを狩ろうとするときの目つきではないだろうか。


 その瞬間、結論がまさに天から舞い降りてきた。


 ――スカートめくりとは、狩りの代償行為である。


 ヒトは農耕を行う動物であるとともに狩猟も行ってきた。歴史全体を眺めれば、むしろ狩猟動物としての生活のほうが圧倒的に長い。それはすでに本能といってもよい。


 しかしながら、しかしながら、幼い子供に本当の狩りなどできるだろうか。それはかなり難しい。さらに農耕という手段を手に入れた人類は幼い時期に危険を冒してあえて狩りをする必要がなくなった。


 結果的に子供は本来もち備えているその狩猟本能を満たされることがなくなったのだ。


 ゆえに子供たちは何らかの代償行為をもって補おうとする。


 そのひとつの方法がスカートめくりなのではないだろうか?


 つまり、子供たちはスカートめくりを通して疑似的に狩りを行っているのである。


 その仮説は、これまでになく合理的な論理であるように思えた。可能性にあふれた仮説が導かれ、卓人の心は晴れ上がった。あとはこのことについて実験的に証明できればよいはずだ。


「はうあ!」


 しかし同時に重大な事実に気づき、卓人はにわかに呻いた。


「お兄ちゃん?」


 声に反応すると、そこにはまさに研究対象であるスカートがあるではないか。


「それは……だめだ!」


 仮説の証明とはすなわち、スカートをめくってみることに他ならない。しかしそれは紛れもない犯罪行為であった。


 残酷だとの批判があっても動物実験が行われているのは、高い再現性のある事実を積み重ねなければならないからだ。医学には人類を救うという崇高な名目がある。だが、スカートめくりの本質がわかったところで人類は救われない。しかしながら、一見何の役にも立たない知見の積み重ねが偉大なる叡智へとつながってゆくのもまた事実だ。


 そして仮説は実証されないままではただの空論でしかない。


 この現実に卓人は頭を抱え、ひざまずいた。


「どうしたの? 気分悪いの」


「……いや、何でもない!」


「は! もしかして、戦場であった恐ろしいことを思い出したの? 大丈夫だから。ここは大丈夫。お兄ちゃんはもう、戦場になんて行く必要ないのよ」


「……そうじゃないんだ。僕は……こんなこと許されないんだ」


 少なくともスカートめくりなど笑って許される年齢ではない。


「どうして? 私は許すよ。お兄ちゃんがどんなだって私は許す。だからお兄ちゃん、心配しなくていいから……!」


「い、いいのかい……?」


 悲劇とは、互いのベクトルが違っているにもかかわらず、言葉が通じ合ってしまったときこそ起こってしまうのかもしれない。


 人々の往来の真ん中でエミリのスカートがふわりと舞った。


 その次に、拳が卓人の顔面にめり込んだ。

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