第6話 再招集

 新緑は鮮やかで、空は高い。遠くで雪解け水が激しく打ちつける音が響く中、宇田川卓人は正座をして講義を受けていた。


「ぎゃははははは! タクト君、変顔になってるー!」


 いたずら好きのシュータとゲオルギが爆笑する。幼い子供たちもそれに倣う。


「笑ってはいけません。タクト君は真剣なのです」


 たしなめつつも、講師を務める十歳のタマラも思わず吹き出す。


 卓人はこの数日何度タマラによる魔法講義を受けていた。最近はエミリに料理も習うようになった金髪の三つ編みがかわいらしい子だが、毎日何時間もスパルタ訓練を課してくるのは恐ろしかった。


「周りにあるちょっぴりの熱を指先に集めるのです。そのちょっぴりがたくさん集まれば火になるのです」


 それも何度も聞かされた。卓人は指先を凝視し、意識して「熱よ、集まれー」と念じるものの、何か変化が起こる気配はなかった。


「あぁー、集中が足りないのです。根性なしにもほどがあります!」


 しかも、訳もわからずに魔法を使おうとするとどうやら無意識に変顔になってしまうらしく、それを笑いに子供たちが集まってくるようになった。なかなかの屈辱だ。


 卓人は魔法が使えるようになればいいと思っていたが、この訓練はタマラによる強制だった。元のタクトは魔法がかなり使え、タマラはそんな彼に憧れていたらしく、それが無能になって帰ってきたとなればその気持ちもわからないでもなかった。


「ほらほら、お兄ちゃんは真面目にやってるんだから邪魔しちゃダメよ」


 やさしいエミリは畑の種まきに子供たちを連れて行ってくれた。昨日は怒らせてしまったが、今日はいつものようにやさしい子に戻っていた。


 卓人にとってこの講義は何一つ楽しくはなかったが、知識としては面白いと感じられるものはいくつかあった。


 まず、魔法は火・風・水・土の四つの属性に分かれていること。


 つまり、この世界では四元素説が信じられているということだ。原子論しか知らない卓人にとってはちょっと驚きだった。また、その習得の難易は属性の順の通りで、一般に火が簡単で、土が最も難しいとされている。しかしながら、巨大な炎をつくり出すのは火の魔法を極める必要があり、一概にその序列が魔法の優劣を表すものではない。


 この世界ではおよそ半数の人が魔法を覚えるらしい。魔法を使う中でもほぼすべての人が、小さな炎を出すことを初めに覚え、次に風を操り、最後に水の流れをつくる。土の魔法は難度が高いこともあり、先日訪れたおじさんのように老後の趣味で覚える人が何人かいる程度だという。


 ナタリア先生が使っていた回復魔法は水に属するらしい。人体の六〇パーセントが水分だからだろうか。風の魔法の使われ方は面白く、この前のように足音を消すのに使うときもあれば、昨日街で見たように大きな荷物を浮かせて運ぶのに使ったりもして、応用の幅が広いようだ。


 ほとんどの人は、魔法を生活の支えのためだけ使い、修練を要するレベルまでは極めようとはしない。深く関心をもつ、あるいは必要に迫られた人のみが凄まじいまでの威力をもった魔法を身につけてゆく。


 そういう人たちは主に戦場や研究へと身を投じる。それはおそらく、元の世界では軍事関係者とか大学教授に当たるのだろう。


「どうしてタクト君はこんなバカになってしまったんでしょう? 残念でなりません」


「……ごめん」


 この孤児院の人たちの家族的な寛容さは居心地がいいからこそ、別人に入れ替わってしまった自分に罪悪の念が生じてくる。


 しかしながら、こうして講義を受けていると彼らなりの理論が見えてきて、自分の科学理論と同様に考えられる部分もいくつかある。


 例えば、火・風・水・土の属性について、これは土→固体、水→液体、風→気体とみなすことができる。物質の三態に次ぐ第四の状態としてプラズマを加えるなら、火→プラズマとなるので、魔法と物質の状態にそれぞれの対応が与えられることになる。


 そして熱運動の小さい固体を動かす(?)土の魔法を使うには、それだけの多量のエネルギーを要するから習得が難しい、と考えるとまずまず合理的な気がする。


 仮にそうであるとして、この世界の人はそれをどのようにして意図的に行うことができているのだろうか。ここが異世界だからできるのか、あるいは元の世界の人も同じ能力をもっているが単に使えないだけなのか。


 錬金術と呼ばれる技術はその後大きく二つに分かれた。ひとつは物質的な再現性を重視した化学であり、もうひとつは精神性を探究した魔術だ。元の世界が前者であり、この異世界は後者なのかもしれない。


 多世界解釈に基づけばこのような世界線の分岐はあり得えそうだ。そうであるなら自分もそのうち魔法が使えるようになるのかもしれない。


 いつしか卓人は左手をあごに添えて思考に没頭していた。


「こここ、こら! 何を落書きしてるんですか! 人の話を聞きなさい!」


「うわわわわ、ごめんなさい!」


 叱りつけるタマラの顔はなぜか真っ赤だった。




 その日の午後、卓人はナタリアに呼び出された。春とはいえ結構寒いのだが、この人は相変わらず涼しい恰好で目のやり場に困る。だけど、ちょっといつもと違って深刻そうな表情に別の意味で戸惑う。


「予想はついていたけど……再招集だ」


「再招集?」


「怪我も十分に癒えた頃だから、軍に戻ってこいとのことだ。どうする?」


「どうするって……命令だったら、そうするしかないんじゃ……」


 レヴァンニとの話から、いずれそうなるだろうと考えていた。しかし正直なところ戦場になど行きたくない。


 目覚めたときには命を奪われようとしていた、あのときの記憶は鮮明でありながら、いまだに事実として認識できていなかった。ましてや人を殺すなんて絶対に嫌だ。


 それでもこの異世界にきてしまった以上、行かなければならないならそうせざるをえないと考えていた。


「あんたには二つの選択がある。軍に戻るか、あるいはやめるか」


 それは思ってもみない選択の自由だった。


「回復魔法が発達したおかげで、戦傷兵の戦場復帰が当たり前になってきたけど、精神的にもはや戦えなくなってしまう者もいる。本人がそれを望むなら、多くはないが退職金もついて軍から退職することができる」


 なるほど、そのような条件があったとは。だとすると、自分が行くべき理由は何もない。すぐにでも退職の意向を示そうと思ったが、何かひっかかっるものがあった。


「どうする?」


「返事はいつまでにすればいいですか?」


「三日後だ」


 今、戦争はどうなっているのだろうか。


 歴史の授業では、一日もかからずに終わったものもあれば、百年にもわたって戦い続けた記録もあったと教わったが、その違いが何なのかということについてあいにく卓人は深く考えたことがなかったし、真剣に考えたいという気持ちになれなかった。


 そもそも、ナタリア先生は「エミリのお兄ちゃんでいてやってくれ」と言っていたのだから、軍に戻ってはならないという立場をとるべきなのではないだろうか。なぜ自分に選択を委ねるのだろうか。


 ――つまりそれは、誰かが行かなくてもいい、あるいは行ってはならないと言ってくれるのを待っているということじゃないか。


 自らの思考の本質を洗い出してしまうと惨めな気持ちになる。


「なんで、本当の僕は軍人になろうと思ったんですか?」


 ふと口にしてから後悔した。言外に戦場に行きたくないと申告しているようなものだ。


「うーん、そうだね。軍人になって金を稼いで、このボロの孤児院を新築するって言ってたかね。どこまで本気だったかは知らないけど」


 このような質問をしても自分が知りたい本当の「タクト」という人物像は決して明確にはならない。ただぼんやりとイメージがわき、近づいたようでも決して近づいてはいない。そして不愉快さだけが増してゆく。


「さっさと戦争なんて終わっちまえばいいのにね」


 ナタリアが卓人の気持ちを代わって口にしてくれた。




「なぁ、エミリ」


 こう口にするたび、自分は役者には向いてないと思う。純美なる「妹」の名を呼ぶのに兄としてはなんともぎこちない。ただ、エミリはそれを気にする素振りを見せない。


「何、お兄ちゃん?」


 二人の寝室をランプの明かりだけが照らす。


「魔法って、どうやったら使えるようになるのかな」


 卓人は再招集の話をしなかった。


「そうだね。なんか当たり前になっちゃったから、覚えたての頃どうだったか忘れちゃったんだけど……、両手をこうやってほわんほわんさせられたよ」


 そう言って、空虚にバレーボールくらいのものがあると仮定して、両手でつかむように軽く押したり押し返されたりするような仕草をした。


 これはタマラにもさんざんやらされた。いわゆる「気」を集中させていると思われる。


「……で、何日かやってたら、火が出せるようになった」


「え?」


 たったそれだけなのか。思った以上の敷居の低さに卓人は焦りさえ覚えた。


「かかる子は二、三ヶ月かかることもあるけど、だいたいそのくらいやればみんなできるようになるよ」


「でも、できない人もいるんじゃないのかな。半分くらいの人は魔法を使わないって聞いたけど」


「できないんじゃなくて、やらないんだと思うよ。例えば職人さんは、魔法は繊細な作業を邪魔するって覚えようとしないらしいから」


「そうなの?」


「迷信かもしれないけどね。だって、私もお兄ちゃんも職人さんみたいなことやってるのに、普通に魔法使ってるし」


 魔法について、卓人はいくつかの推論を立てていた。


 まず、着火の魔法では燃料を伴うような燃焼は起こっていないということ。


 もし燃料を供給するのであればそれは指先から、そして人体からということになるだろう。つまり肉体を削りながら燃焼させるということと同義であり、しかも生成させる化学的な過程はどう考えても複雑だ。もっとも簡単な魔法としてあり得ない。


 では何が有力であるかというと、卓人はプラズマではないかと考えた。


 プラズマとは、原子あるいは分子がもつ電子がはぎとられた状態で、固体、液体、気体に次ぐ第四の状態とも呼ばれる。プラズマ状態になるとたいてい発光するため、それが炎のように見えることは科学的に何の不都合もない。


 この状態にするためにはかなりのエネルギーを要するが、その熱を「何らかの方法」で一点に集中させて小さな炎をつくっていると考えればすべての説明がつくのではないだろうか。


 ただ、この「何らかの方法」が魔法の醍醐味であり、これを習得しないことには魔法は使えるようにはならないだろう。


 卓人は左手をあごにそえて、じっと魔法の体系について思考を巡らせた。


 そんな真剣に考え込む姿はエミリの知る兄とはちょっと違う。


 そしてじっと見ているとなんだかすごく恥ずかしくなってしまう。


「エミリは、火は点けられるけど、ものを凍らせたりとかはできるのかい?」


「え? え? そ、そんなのできないよ!」


 不思議な質問をしたからかもしれないが、エミリは思いのほか驚いた。


「凍らせるのは水の魔法だから。私は風の魔法がちょっとできるくらいだから。でも、回復魔法とか使えるようになりたいから、覚えてみたいかな」


「なんで、凍らせるのと回復魔法は同じ水の魔法なのかな?」


 凍ることと傷が治癒することはまったく異なる現象である。


「うーん、なんでかな? 考えたこともなかった」


 こんな風になんでもかんでもあれこれと質問されるのは面倒極まりないはずだったが、エミリは一つひとつにわかる範囲で丁寧に答えた。


 ――魔法について、もっと知りたい。


 この欲求は、ここにきてからというもの日増しに大きくなっていた。でもこの孤児院で知れることには限界があるだろう。


 ――外に出れば、もっと多くのことが知れるのだろうか?


 軍へ戻れば、魔法に関する知識が豊富にあることは間違いないだろう。


 ――だけど、戦場か……


 やはり戦争はいやだった。


 ――でも、エミリのお兄さんは軍にいたわけだし、何か手がかりとかあるのかな。


 そうだ、軍へ行かないとわからないことはきっとある。


「記憶なくすのって、ちょっとおもしろいかもしれないね」


「え、なんで?」


「昔のお兄ちゃんはそんなことあんまり考えたりしなかったのに。多分、記憶がなくなっちゃったから、いろんなことが気になるんだろうね」


 エミリはたまに、本来の兄と卓人の違いについて都合よく解釈してくれる。そのときの一点の曇りもない笑顔は卓人の胸を抉るようだった。


 ランプの明かりを消して、ベッドにもぐる。


「ねぇ、お兄ちゃん」


「何?」


「……ううん、何でもない」


 暗くなったからなのだろうか、その声はひそめるかのようにか細かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る