第46話自分勝手な人生だ



 ルファとリーリシア、そしてシリエは森に入っていた。


 三人だけで森にきたのは、フレジエとイアを探すためだ。リーリシアとシリエは戦力になるし、リーベルトの町の森にルファほど詳しい人間がいなかった。


「伯父さんは、呪を全て解呪できたんだよな。今までみたいに変なところで、また寝たりしないよな」


 ルファが恐れているのは、フレジエの目の前でイアが眠りにつくことだ。いくら最強の勇者でも、寝首をかかれたらどうにもならない。


 ルファの質問に、リーリシアは難しい顔をする。


 イアが呪を完全に解呪したら、自分のなかで何かが変わるような気がした。だが、現実には何一つ変わる事はない。拍子抜けするほどにいつもの自分であり、解呪が成功したのかどうかリーリシアに分からない。


「すまないが、我には分からない。死ねば分かるのだろうが、ここで自害をするわけにもいかないし……」


 この爬虫類は役に立たない。


 ルファは、心の底からそう思った。


「匂いでもかいで伯父さんとフレジエの場所に案内しろ。それぐらいは役にたてよ、極潰し!」


 ルファの暴言に、リーリシアは睨みをきかせる。


「我は。仕入れ担当として働いているだろうが!」


 男たちの無意味な言い争いに、シリエはため息をついた。


 一刻も早くイアを見つけないと大変なことになるかもしれないというのに、それすら彼らは忘れてしまっているようであった。


 シリエたちは、イアが寝首をかかれること以外にも危惧していることがあった。それは、イアが意識を失う場所である。


 今までは誰かが支えていたが、ぬかるみなどに仰向けになって倒れていたら窒息する。最強の勇者といっても酸素は、絶対に必要なのだ。


「こうなってくると最強なのか最弱なのかが分からなくなってくるな……」


 シリエは、ぼそりと呟いた。限定された戦場で無秩序で暴れる様は悪鬼のようだったが、人の目が離れると意外なほどに単純なことで命を落としかねない。


「だが、圧倒的な強さだった。あの人に微笑みかけてもらえたら……」


 シリエは、破壊された店やイアの戦う様子を思い出した。自分では届かない高みにいるイアの姿は神々しく、まさに憧れの勇者の姿であったのだ。


 シリエは、柄にもなく頬を染める。あの強者に自分の料理を食べてもらい「美味しい」と褒めてもらいたい。空色の瞳に、自分を映してもらいたい。そして、その唇で自分を奪って欲しかった。


 乙女な妄想にふけるシリエだったが、それをリーリシアは目ざとく見つけた。そして、いつものように吠え始める。


「勇者は、我の卵を産む相手だと言っているだろう!」


 目覚めた勇者に冷たくされたというのに、リーリシアの熱意は健在であった。あきらめの悪い竜と乙女な剣士が言い争いを始めそうになったので、ルファが一喝する。


「いい加減にしろ。お前ら二人とも晩飯を抜くぞ!!」


 ルファに怒鳴り声に、二人は黙った。


 双方ともに餌付けだけは、しっかり成功している。


「……あそこにいるのは、紫の先祖返りではないか?」


 リーリシアが指差す方向には、フレジエがいた。彼女は薄暗い森の中で座り込んでおり、イアの姿は近くにない。殺意を失っており、呆然自失といった状態のようだ。


 脅威には思えないが、相手は先祖返りである。


 警戒をしておくことに越したことはない。


「ルファは隠れていろ。まずは、私と爬虫類で近づく」


 シリエの判断に、反論する者はいない。


 戦えないルファでは、いざという時に身を守れない。シリエもフレジエには力負けするだろうが、攻撃を躱して逃げるぐらいは出来る。


「紫の先祖返りよ。……こんなところで何をやっているのだ」


 シリエとリーリシアは、出来るだけ気配を殺してフリジエに近付く。だが、普通ならば気づかれてもおかしくはない距離になっても、フリジエは二人を見る様子はない。


 明らかに普通の様子ではなかった。


「紫の先祖返りよ。……こんなところで、何をやっているのだ」


 リーリシアの問いかけに、フレジエはようやく顔をあげる。


 彼女の顔は、悦に溶けていた。この世の物とは思えぬ甘美な一時を過ごした者が放つ気怠い雰囲気に。リーリシアは息を飲んだ。生娘のシリエは戸惑っているが、リーリシアはフレジエの変化を見逃さない。


「貴様は、我の勇者と交尾したのか!」


「もう少し慎みのある言い方をしろ!!」


 今までにない反応速度で、シリエの拳は繰り出された。頭に命中した拳の威力はすさまじく、殴られたリーリシアは痛みで悶絶する。


 前々から女性とは思えない力を見せてきたシリエだが、この拳の威力は人智を超えていた。リーリシアは、後にそう証言する。


「処女の赤毛の小娘には分からないだろうが、あれは交尾した後の雌の顔だぞ!目は潤み、息は荒い。あのような反応は、交尾後によく見られるものなのだ!」


 よく見ろとリーリシアは言うが、顔を真っ赤にしていたシリエの羞恥心は限界だった。


 シリエは、修道院育ちの少女である。色事は恥ずべきと教えられて、今まで見聞きしないように自衛してきた。そんな娘がリーリシアの言葉に耐えきれる訳もなく、反射的に剣を抜く。


 目の前の邪竜を切ろう。


 この時のシリエは、それしか考えられなかった。


「何故、我を目の敵にするのだ。普通なら勇者と交尾をした相手に殺意を向けるのではないか!出し抜かれた我は、むしろ同胞のはずだぞ!!」


 隠れて様子を見ていたルファは、潮時だろうと考えて姿を現す。フレジエは戦意を喪失しているし、味方同士の争いも激化している。冷静な第三者が必要な状況であった。


「伯父さん……イアはどうしたんだ?」


 ルファは、まじまじとフレジエを見た。


 リーリシアの言う通り、フレジエは事後の雰囲気を漂わせている。だが、獣ではないのだから森の中で何かがあったとは思えない。第一に、彼女の衣服には乱れはなかった。


 フリジエは、夢を見たような顔で微笑む。


 この幸福そうな顔には、ルファも見覚えがあった。町の少女たちが、恋にのぼせ上ったときの顔である。彼女の脳内には、イアとの様々な妄想が駆け巡っているのだろう。


「……あの方は、抱きしめてくれたんです。普通の女の幸せはあきらめていたのに。私を父から解放して、女にしてくれるって」


 誤解が産まれそうな言葉であった。


 ルファが思うに、フレジエを支配しようとする父を何とかするという話なのだろう。その単純な話が、フレジエの恋心でねじ曲がっているのだ。


 年頃の少女ならば誰でも経験する厄介な事象が恋だが、難しい案件と混ざると途端に面倒くさくなってしまう。


 リーリシアは、フレジエに詰め寄った。


 伯父とフレジエが男女の関係になったとまだ勘違いしているのかと思ったが、リーリシエの言葉は意外なものであった。


「まさかとは思うが、勇者は王の元に行ったのか……」


 フレジエは、嬉しそうに頷く。


 それを見たリーリシアは舌打ちをして、ルファは呆然とした。シリエでさえ、言葉を失っている。


「おいおい、まさか王様に楯突こうとしないよな。いくら伯父さんでもしないよな」


 ルファは、リーリシアに何度も確認を取った。


 どれほどの交流があったかは不明だが、眠る前のイアを知るのはリーリシア一人である。イアの行動の予測については、彼を頼るしかなかった。


「恐らくは、楯突くだろうな。今の勇者は、我のせいで自暴自棄になっていたようだし……。紫の先祖返りのためにだって、王の一人や二人は退治するだろう」


 ルファは、頭を抱えるしかなかった。


 イアとリーリシアが、王に狙われているのはうっすらと理解していた。しかし、イアが自分から王を殴りに行くとは思わなかったのだ。


 相手は、この国で一番偉い人間だ。彼から逃げようとは思っても、殴りに行こうだなんて普通は考えない。


「あの方は、自分の人生は自分のものにならなかった。でも、私は自分の人生を歩んでよいと言っていました。あの人は、きっと私の救世主……」


 フレジエの言葉は消え入りそうに小さかったが、それでもルファには聞こえた。


 慣れ親しんだ森のなかで、幼少期の思い出と母の顔がルファの脳裏に浮かんでくる。そして、それらの思い出の裏には叔父の存在がいつだって隠れていた。


 伯父は眠っていたというのに、母と自分はイアの影響をあまりにも強く受けていた。それなのに、イアは自分の人生を生きられなかったという。


 ルファは拳を握る。


 許せない、と思ったのだ。


「自分の人生を歩めなかったって……。あいつは、人のことを馬鹿にしているのかよ」


 ルファは、リーリシアの胸倉を掴んだ。


 リーリシアは、それに驚く。


 粗雑に扱われることが多いリーリシアであったが、怨みともとれそうなほどに強い怒りをルファからぶつけられるのは初めてのことだった。


 シリエもただ事ではない気配を察して、二人の様子を見守る。


 何がここまでルファを怒らせたのかは、シリエとリーリシアには見当もつかない。分かるのは、ルファの怒りの激しさだけである。


「伯父さんを追うぞ。王都にまっすぐに行ったとしたら、伯父さんは三日で着く。今すぐに俺たちも王都に向かうからな」


 リーリシアを引っ張るルファに、シリエは待ったをかけた。本当に王都に旅立つにしても、色々と準備が必要である。それに、イアだってまだ近くにいるかもしれないのだ。


「いくらなんでも三日で王都に行くのは無理がある。まずは、周囲の捜索から始めるべきだ」


 先祖返りの脚力を知らないシリエの意見は、ルファとリーリシアにそろって拒否される。


「先祖返りの脚力を甘く見るな!」


 二人は、先祖返りの恐ろしい脚力を知っていた。


 ルファの母親でさえ、二十歳を超えた息子を背負って悠々と山を超えたのだ。そのときの母は、すでに最盛期の体力ではなかったはずである。だというのに、そこまでの脚力を持っていた。


 青年期の最強の勇者は、そのときのルファの母よりも確実に体力がある。母ならば王都までは五日でたどり着くであろうが、それより体力のあるイアならば三日ほどで着くだろうとルファは考えたのだ。それよりも速い可能性はないと思いたいところだ。


「どうして、あの人を止めるのですか?」


 フレジエは、ルファの服の裾を掴んでいた。彼女はイアによっての救済を望んでおり、だからこそルファたちに勇者を追って欲しくはないのだろう。


 ルファは、しゃがみ込んでフレジエの顔を見た。


 フリジエは、目を見開く。


 間近で見たルファは、どことなくイアに似ていたのだ。顔の作りや髪の色も違うのに、血の近さを感じさせる何かがイアとルファは持っていた。


「伯父さんが、なにを考えているなんて正直なところ分からない。でもな、伯父さんに人生を狂わされた人間だっているんだよ。伯父さんは、それが分からないから自分の人生が云々って言っている。だから、一族代表として殴りに行くんだよ」


 ルファの発言に、リーリシアとシリアは驚いた。


 王を殴りに行った伯父を、甥が殴りに行くらしい。


 なんとも不可思議な話であり、あまりに無謀な話である。最強の勇者に戦いを挑むのも無謀であり、そのためだけに王の元に行くのはもっと無謀だ。


 それでも、ルファには無謀をしでかしたことがある。


 ロージャスの館で、彼女の両親に頭を下げた。どんなことを言われようとも頭を下げ続け、一人の少女の平穏を願ったのだ。今も無謀を発揮して、行動を起こそうとしている。


「さぁ、爬虫類。竜の姿になって、俺を運べ。根性で飛んで運べ。そっちの方が、絶対に速く王都につくから」


 ただし、リーリシアは積極的に巻き込むらしい。


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