第45話最強の名が伊達だと誰が言った


 フレジエは、森の中を飛ぶような速さで逃げていた。


 最強の勇者のことは知っていたが、これほどまで自分と実力が離れていたとは考えてもみなかった。目覚めたばかりだったというのに、イアは子供と遊ぶような気楽さでフレジエをあしらっていた。


 王宮では一番だった体術だったフレジエの攻撃を躱し、拳を易々と受け止める。さらには、魔法さえも無力化した。


 勇者イアの現役時代を知る人々は、彼を聖人のように称えていた。


 そんな話は嘘だった。


 勇者イアは、ただの化け物だ。


「左に逃げる癖がついているし、歩いた痕跡を消す技術も甘いよ。隠密の行動とかは習ってないんだろうね。戦い方も一対一を想定している動きだったし。もしかして、王宮とかで育ったのかな。うん、あそこだったら上品な戦い方を教えるかもね」


 上から、声が降ってきた。


 フレジエが顔を上げれば、そこには木の枝に立っているイアがいた。イアの体重を受け止めるのは木の枝にとっても辛いらしく、みししと折れそうになっている音が聞こえてくる。それに気がついたらしいイアは、体重を感じさせない動きで地面に降り立った。


 イアは、空に手を伸ばす。


 その行動をフレジエが警戒していれば、雷鳴を轟かせて雷がイアに向かって落ちた。普通であれば大怪我ではすまない光景であるというのに、イアはけろりとしている。それどころか、彼の手には大剣が握られていた。


 これもイアの魔法の一つなのだ。天に大剣を収納し、雷と共に自分の手の中に落とす。こんな魔法は初めて見たし、聞いたことなどない。


 そもそも、イアは何種類の魔法を使いこなしているのだろうか。戦いの技術も適わず、魔法の多様さも適わないというのならば、自分はどのように戦えばいいのか。


 戦意を喪失したフレジエは、その場に膝を折ってしまった。


 こんな化け物には敵わない。


「嘘ですよね……。こんなの……こんな化け物」


 同じ先祖返りだといっても、自分とは別物だ。


 イアは最強の勇者と聞いていたが、その呼び名は伊達ではなかった。


「えっと、君の目的は不死の仕組みを調べるために僕を王宮に連れて行くことなんだよね。これで、合っているかな。あっているよね?」


 フレジエは、拳を握った。


 敵の目的など聞き返すことではないだろう。イアは、フレジエのことを脅威だとはみなしていない。戦う修行をしてきた身としては、それが悔しい。


 けれども、フレジエは抗う術を持たないのだ。

 


「なるほどね。僕が歳を取らないから、不死だと思ったわけか。残念ながら寝ている間も不死ではなかったし、今は呪自体を解呪しているから無駄足なんだよね。あと、もう少し速かったら……いや、無理かな。君は可愛い女の子だから、僕には敵わないだろうしね」


 フレジエの頭が、怒りに染まった。


 可愛い女の子は、フレジエが手に入れられなかったものだ。イアは、その言葉をフレジエが自分よりも圧倒的に弱いという意味合いで使ったのだ。


 許せることではなかった。


 夢を笑われたような気がしたのだ。



 フレジエは、力を込めて地面を蹴る。油断しきっているであろうイアに飛び掛かって、その懐に入り込んだ。


 ただでさえ、木々が生い茂る森のなかだ。大剣では、小回りが効かないであろう。


「貫通しますよ!」


 先程とは違い篭手の拳の部分には、三本の太い棘が生えていた。普段は見せない奥の手であり、共に修行した兵であってもフレジエの装備の秘密を知る者は少ない。 


 篭手についた頑丈な棘。こんなものを先祖返りの拳と共に撃ち込まれたら、たまったものではない。たとえ踏みとどまったとしても、殴られた箇所に穴が開くであろう。


 フレジエの渾身の一撃は、イアに防がれた。さすがのイアも棘付きの拳を素手で受け止めるのはためらったようだ。自分とフレジエの間に巨大な剣を突き刺して、その刀身で身を守ったのである。


 本来ならば、大剣など森の中では邪魔になる。剣を振ろうとしても枝や木に引っかかってしまうからだ。けれども、イアは違った。


 イアは、大剣が通る道にある障害物を全て切り落としていた。


 剣が通る道に太い枝があろうがなかろうかは関係なく、圧倒的な力で切り伏せる。それが森の中という障害物の多い場所でもイアが大剣を振るう理由であった。


 彼には、障害物など意味をなさないのである。


「その籠手はすごいね。どうやって刺を出したんだろう。収納の仕方も見ただけでは分からないし……。ギミックが凝っている武器って憧れるんだ。ほら、かっこいいよね」


 少年のように目をきらめかせるイアには、フリジエの悔しさなど分からないであろう。自分が、圧倒的な力を見せつけているとも思っていないはずだ。


 それでも、ここで引くわけにはいかない。


 フレジエの足が半円を描き、手甲と同じように鋭い棘がブーツの足先から飛び出す。蹴りの威力だけでは勝てぬ相手を想定しての隠し武器を出現させたフレジエは、全ての力を込めてイアを蹴り上げようとした。


 狙うのは、顎だ。


 圧倒的な実力差があるのは、自覚している。このまま攻撃を続けても手慰みのように嬲られて終わるだけである。ならば、狙うのは一箇所だけ。


 顔は様々な敏感な器官が集めっているために、大抵は動物の弱点である。そして、人間の顎は蹴りであれば攻撃は容易だ。


 イアの顎を貫き、一気に形勢を逆転させる。


 フレジエに残された手は、それしかなかったのである。


 しかし、フレジエの身体が、予想外の方向にバランスを崩した。途端に視界が逆さまになって、思わず息を飲む。顎を取り飛ばそうとした足はいとも簡単に捕まえられて、フレジエは捕らえられた野ウサギのように逆さにされていた。


「離して。離してください!!」


 フレジエは体をひねったりして、力を振り絞って暴れるがイアはびくりともしなかった。それどころかもう片方の足首まで捕まえられて、抵抗は完全に封じられる。


「君は、すごいよ。すごく挑戦心があるし、努力を惜しまない。最後まで抵抗できるんだから、本当にすごい。うん、すごいよ」


 イアは、フレジエは地面に下ろした。


「信じられないかもしれないけど……僕は邪竜の不死の呪を解くためにだけに生まれた。その目的だけが、僕の存在の全てだったんだよ」


 イアは、悲しげに笑った。


 イアは、自分自身のことを誇ってはいない。むしろ、その人生や存在に虚無さえ抱いている。フレジエがイアの感情に気がついたのは、彼女も自分自身に同じことを感じていたからだ。


「僕の人生には、それだけの意味しかなかったんだ。僕を産んだ母さんや育ててくれた母さん……妹に出会うために産まれたんじゃない。呪を解くためだけに生まれ落ちた」


 イアは、フレジエに顔を近づける。


 美しい顔であった。


 これほど美しい人は見たことはないというのに、彼の心のやるせなさは自分のものと似ている。まるで、ぴったりと組み合うかのように。


 フリジエは自分の初恋が叶わなかったのは、イアに出会うためではないのだろうかと思った。実力では遠く及ばないのに、心のどこかが似通っている青年に会うために初恋は無残に終わったのだ。そう考えれば、この瞬間こそがフレジエの運命に感じられた。


 空色の青年に出会ったこと。


 それこそが、フレジエの意味であったのだと。


「君の人生は、君だけのものだよ。僕とは違って、君はやりたいことをやっていいんだ」


 イアは、フレジエを抱きしめる。


 自分より力強い力で抱きしめられたのは初めてのことで、女性的な美しい彼であっても男なのだとフレジエは理解した。その心地よい力強さと体温は、フレジエに安心をもたらす。


 なぜだか、自分が普通の女になったような気がしたのだ。



「だから、君を縛るものを解いてあげる」


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