第42話最強の勇者イア


 軽口に軽口を返しつつ、ルファはフレジエを見た。


 フレジエも壁に叩きつけられたはずなのに、さしたるダメージはないようだった。痛がっている雰囲気はなかった。いきなりの事に驚いて踏みとどまれなかったが、その気になれば衝撃に耐えることは簡単だったのかもしれない。


「駄目だよ。僕らの先祖がえりという力は、あまりにも強すぎる。国のために使うなとは言わないけど、使いどきは見極めないといけないよ。人をおどしたりするのは、めっ。なんだからね、めっ!」


 響いたのは、若々しい男の声である。


 フレジエを蹴りだけで吹き飛ばした相手は、目にかかっている前髪を邪魔そうに指でいじった。ともすれば十代にも見えてしまう青年は、どこか無邪気に笑う。


「あと、人質をとるのも駄目だよ。ほら、巻き込んで怪我をさせたら危ないし」


 幼い子供に言い聞かせるような穏やかさで、青年はフレジエに注意する。無邪気で、優しく、陽だまりが似合う人だった。


 最強の勇者なんて称号が似合わない青年は、少しだけ恥ずかしそうにルファを見た。可憐とも言い表すことができる美貌の頬が、うっすらと染まる。


「えっと……それでね」


 はにかむ表情には、イアの緊張が見え隠れしていた。


 ルファとしては、こんなことをしている暇はないと思うのだがイアに空気を読むという言葉はない。


「初めまして。君の妹の兄のイアです!!」


 イアは、何故か頭を下げた。


 その行動に、ルファとスーリヤは唖然とする。あまりにも予想外の行動であり、この場では相応しくない挨拶でもあった。というか、敵を目の前にして「初めまして」という人間などいないであろう。


「えっとね。寝ている間にも意識はあったから、君たちのことは色々と分かっていて……。あっ、そうだ。アメちゃんとか食べる?」


 イアは極度の緊張から、早口で喋りだした。


 自分の目覚めに驚いている人間達を置いてけぼりにして、ポケットに手を突っ込んでアメをさがしている。そして、しばらく固まっていた。眠っていた人間の服にアメなど入っているわけがないと気がついたらしい。


「……ごめんね!アメちゃんを切らしていて。ちょとそこら辺で買ってくるから!!」


「−−落ち着け」


 ルファの一言に、イアの肩が跳ね上がった。


 そして、上目遣いで甥の様子をうかがう。ルファが怒っていないことに気がついて、イアはあからさまにほっとする。小動物のような臆病さが見え隠れしており、事前知識で伯父のことを知らなかったら最強の勇者なんてルファは思わなかっただろう。


「……ごめんね。すごく、緊張しちゃって。改めて、君の伯父さんのイアです。君のお母さんとは、ずっと前から兄妹をやっています」


 イアは、照れ臭そうだった。


 それでもルファと喋ることが出来たのが嬉しいらしく、彼の口元が緩んでいる。そして、ルファの口元は反対に引きつっていた。


 手紙の文面から察していた通りだった。


 伯父は言葉の使い方が人とズレいて、生きているテンポもおかしい。


 手紙の文面からルファは、イアの性格を察していた。ルファの母親は暴力の方面でおかしい人だったが、兄のイアは存在と性格がおかしいのだ。


「そこの子は、フレジエだったよね?そうだよね。そうだったよね」


 イアは、フレジエの方を見た。


 すでに立ち上がっていたフレジエは、遠慮がちではあるが好き放題やっていたイアにすっかり毒気を抜かれているようだった。


「僕を王様のところに連れていきたいんだよね。たぶん難しいけど、大丈夫なのかな。ほら、もうすぐ嵐が来るらしいよ」


 イアの煽りとも思える言葉に、フレジエは無言で手首を鳴らした。


 流石のイアもフレジエの不機嫌に気がつき—


「そうだ。王様に振り回されるのが嫌ならば、この町に住めばいいんだよ。ここの人たちは、先祖返りに慣れているよ。これで解決だよね。だよね!!」


 気がついていなかった。




「……私は、王の子です。王の命令には、絶対に逆らえません」


 フレジエは拳を握って、腰の位置を落とす。


 それは、戦うための構えであった。武術を知らないルファでも、それが意味するところが分かる。フレジエは、ここで戦おうとしていた。


「でも、逆らったことはないんだよね。やったら意外と大丈夫なことも多いよ」


 にこにこしているイアの眼前に、音もなく距離を縮めたフレジエの姿が現れる。フレジエは人並み外れた脚力で、イアとの距離を一瞬で縮めたのだ。


 先祖返りの本気の身体能力に、ルファは息を飲んだ。今まで出会った先祖返りは、全てが味方であった。圧倒的な能力は今まで頼もしかったが、敵に回ると背筋が寒くなる。


「私の母や妹たちが、人質に取られているんです……。私は自分の身を守れても、家族の暮らしまでは守れない」


 フレジエは、悔しさを滲ませる。


 王の愛人である母と彼女の妹たちの暮らしを守りたいという気持ちが、フレジエにあったのだ。フレジエが王の命令に背いたり、逃亡したりすれば家族の身がどうなるのか分からない。


 フレジエにとって、離れて暮らす家族が生きがいだった。家族を守っていると思えば、王の命令に従っている自分のことが少しだけ誇らしく感じられるのだ。


 フレジエは拳を振り上げて、イアに向かってそれを叩きつける。先祖返りが撃ち込んだ強力な一撃は、イアに片手で受け止められた。


「そっか……。僕の場合は、妹も先祖返りだったからね。家族の安全なんて、あんまり考えたことはなかった。うん。やっぱり、あの子は僕の誇りだ。僕の可愛い妹だよ」


 イアは、少しばかり寂しそうだった。


 兄妹のなかで兄だけが勇者になったのは、国としては故郷の妹を人質にしたかったのかもしれない。


 しかし、猛獣の人質が怪獣だったのは、国としては不幸だったとしか言いようがない。ルファの母に王の魔の手が迫ったとしても、手下を追い返したことであろう。もしくは、幼い頃のように馬糞のなかに手下を沈めたあげくに、頭を踏みつけて人としての尊厳を奪うか。


「よし!王様には家族には手を出しませんって、一筆書いてもらおう。それがいいよね。絶対に、いいよね」


 イアの提案を聞いて、フレジエは激怒した。


 彼女の気持ちが、ルフアには痛いほど分かった。絶対の権力を持つからこそ王を恐れているといのに、一筆書いてもらうだけで事をすまそうとしているなんて馬鹿にしているとしか思えない。


 フレジエは鳥ような身軽さで飛び上がり、くるりと回転する。勢いをつけた踵落としをイアはひょいと避けたが、その目は子供のように輝いていた。なお、店の床にはフレジエの足がのめり込んだ。


「体術がすごいね。すごく、すごいよ。だって、くるくるしてからの踵落としだもん。格好がいいよ。すっごく、格好がいい!」


 スーリヤに「すごいね」と同意を求めるイアだが、彼女は初めて見るだろう先祖返り同士の戦いに腰を抜かしていた。


 無理もないだろうとルファは苦笑いする。本人たちはちょっとしたじゃれ合いのつもりで戦っているのだろうが、一般人からみたら獅子同士の争いに見える。


「あなたは、私を舐めているんですね。国の最高権力者に盾突くことが、どういうことかも分からないんですか!家族は日陰者になって、今の生活を失うかもしれないんです。私が我慢すれば、全てが丸く収まるんだから!!」


 自分の思いを叫ぶフレジエの掌から、いくつもの氷のツブテが発射される。氷のツブテの一つ一つは拳程度の大きさだが、それが目にも止まらぬ速さで目標に向かって発射されたのだ。


 先祖返りの魔法の威力に、ルファは咄嗟にスーリヤに覆いかぶさった。


 イアの雷の魔法がそうであるように、先祖返りの魔法は強力なものが多い。眠っていたイアの戦いを何度も見たことで、その恐ろしさをルファは身をもって知っていた。


「ルファ、自分の身を守りなさい!」


 スーリヤは怒鳴ったが、ルファの身体は動かない。それどころか、スーリヤの身体を力強く抱きしめた。


 自分が無力であることを知りながら、ルファは女のスーリヤを守ろうとしていた。そこに下心はなく、自分より弱い者がいたから庇った程度の想いしかないだろう。


 スーリヤは、ルファが確かに勇者の甥であるのだと思い知った。


 彼もまた優しすぎる男だ。


「でも……なんにも起きてないわよね」


 スーリヤの言葉に、ルファは顔を上げた。たしかに魔法が発動された気配はなく、店は無事であった。それどころか空中に浮いていたはずの無数の氷のツブテさえも消えてしまっていた。



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