第34話占い師は宗教と伝統を信じない


「本物の勇者イアね……。話だけは聞いたことはあるけど、普通は本物だとは思わないわよ。本当に本物なのよね?」


 スーリヤは、イアの瑞々しい頬をつついた。


 若者の頬は、女の指先を特有の弾力で跳ね返す。感嘆のため息を漏らすスーリヤの気持ちが、ルファには分かった。三十代にとっては、目の毒になるほどの若々しさなのだ。


「まったく……私の子供時代の伝説が、まさか生きているなんてねぇ」


 美しい青年だと思った人間が六十歳を超えているはずの伝説の勇者だと聞かされて、スーリヤはにわかには信じられなかった。なにせ、最強と名高い勇者イアなのだ。偽物が現れてもおかしくはない。


 勇者イアは特徴的な空色の髪色と瞳をしていたというが、先祖返りで同じ配色の人間が見つかれば偽物に仕立てることも可能である。万が一にでも有力者が信じれば、その利益は莫大なものになるだろう。


 だというのに、ルファたちはイアがもたらす利益に無関心なようだった。恐らくは気がついてもいないのだろう。この辺りを統治するロス家の家紋すら知らないようであった。


 簡素な衣類が示すとおりに、見た目通りの田舎者のようだ。


 それも純朴で無欲の、である。


 そうなれば寝ている青年を勇者イアだと信じる必要があるのだが、彼らは爬虫類に変身する男を仲間にしていた。正確には爬虫類の方が本性らしいが、彼らがスーリヤの理解が及ばぬ力を持った一団であることに変わりはない。


「教会の力も理解も及ばぬ存在ね。占い師だって、本来は同じような存在よ」


 不穏な空気が立ち込める街で、スーリヤは深呼吸する。この出会いは、スーリヤにとっては幸運だったのかもしれない。少なくとも、一人でいるときよりも生存率は上がるはずだ。


 スーリヤは、元々は山奥に住む少数民族だった。


 小さな集落を作って、外界との接触を断った生活をしていた。しかし、その生活はスーリヤの幼い頃に壊れる。


 ある日、教会が修道院を建てた。


 修道院の人間たちは神の教えというものを説いたが、それをスーリヤたちは受け入れなかった。スーリヤたちは古い伝承と共に生きており、それは教会の神とは相容れなかった。


 修道院とスーリヤたちの信仰心の拮抗は、静かに続く。そんな中で、長雨によって洪水が起きた。


 修道院の人間達は神に願いながら建造物のなかに立て籠もり、スーリヤ以外の仲間は伝承に従って山に逃げた。


 修道院の人間たちは川に流されて死んで、仲間は大雨によって起こった土砂崩れに邪着こまれて死んだ。


 スーリヤだけが巻き込まれなかったのは、集落に訪れた商人たちの馬車に忍び込んでいたからであった。神を信仰する修道院と伝承と共に生きる集落が、スーリヤは大嫌いだったのだ。


 だから、大雨のどさくさに紛れて逃げようとしていた。巻き込まれなかったのは、そのためだ。


 教会の人々も仲間たちも、どちらも見えないものに人生を縛られていた。それは、あまりにも不自由だった。だから、スーリヤはそこから抜け出したかったのだ。


 自分が憐れんだものに人生を縛られるのは、まっぴら御免だと思った。それに従って生きたならば、自分の人生などないに等しい。


 修道院と仲間たちの双方が消え去ったことで、スーリヤは何者にも縛られない人間の味方をしようと決めた。


 神にも古いものにも縛られず、自分の力のみを信じる人々。そんな人々を助けることが、自分の生き様だと思ったからだ。


 スーリヤが占い師になったのは、何者にも縛られない自分の生き様を貫くため。教会はスーリヤを邪教の信者というが、まったくもって違う。


 宗教や神には縛られずに、自分だけを信じる生き方。それこそが、スーリヤが考える占い師だ。


「皆さん!」


 ベールを降ろしたスーリヤは、不安と行き場もない人々に声をかけた。うつむいていた人間の顔が、一斉にスーリヤの方を向いた。彼女は、自分が舞台上の女優になったようにも感じる。


 ここが、自分の大仕事だ。



 自分自身の力を信じ、ひたすら突き進むのみ。仲間たちと違う道を選んだときのように、自分だけを信じて自分を信じる人々の背中を押す。


「教会に隠れても安全ではありません。この街ですら安全ではないでしょう。だからこそ、この街を出るのです」



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