第30話オーガの姥捨て
壁で守られた街の外は、見晴らしのよい平原となっている。遠くには森が見えており、平原も本来は森の一部であった。だが、街を襲撃する敵を発見しやすくするために、人々が木を切り倒して人工的な平原を作り出したのである。
その平原は、オーガで埋め尽くされた。
武器を持ったオーガたちは獲物がいる街を目指そうとしていたが、その前に立ちはだかる者がいる。
勇者イアであった。
常人では持ち上げることも出来ないほど巨大な大剣を片手で軽々と扱い。もう片方の手では、雷の魔法を操る。その雷鳴は、オーガたちを焼いていった。
戦場に置いて、勇者イアは暴君であった。彼が歩くごとに、オーガの死体が出来あがっていく。その光景は、いっそのこと華々しいものであった。
「そっちじゃない!勇者よ、そっちじゃない!!」
ただし、敵と味方の区別はあまりついていないようだった。たとえ人間であっても目の前を横切っただけで剣を振り上げようとするので、人形のリーリシアは必死になってイアの射程からオーガと戦っている人間たちを逃がす。
リーリシアが必死になってイアの暴走をコントロールしようとしているかいもあって、イアが人間を攻撃することはなかった。
だが、予想のつかないイアの動きにはリーリシアであっても冷や冷やする。さらに魔法まで使っているので、いつ味方側に被害を出してもおかしくはない状態であった。
最初こそはイア一人が戦っていたが、時間が経つにつれて街を守る兵たちが草原に駆けつけた。街を守るために戦う兵は心強い味方であったが、同時にイアの攻撃に巻き込まれないように守らなければならない存在でもあった。
イアも兵たちも必死に剣を振るったが、オーガの猛威は途切れることをしらない。
老齢であるが故に全盛期よりもオーガたち腕力は衰えているが、その分だけ老獪で戦い慣れた集団である。弱ったふりをして敵を誘ったり、自分が有利な地形に相手を誘き出そうとした。
たかがモンスターと侮った新兵たちが、そんなオーガの最初の餌食になった。剛腕から繰り出される棍棒の一撃で鎧を砕かれ、止めも刺されない内に食われ始める。
これこそが、オークやオーガの恐ろしさの真髄である。
仲間が生きながら食われる光景と聞こえてくる悲鳴と断末魔は、兵たちの戦意を削ぐ。足腰を震わせながら逃げだす兵が続出し、戦場からの離脱者は時が経つごとに増えていった。
リーリシアの背中に張り付いて戦況を見守っていたルファの目にも、生きながら食われる恐怖に負けて逃げ出す兵士の背中が見える。
「おい、爬虫類。大きくなって、オーガを食べるとか出来ないのか!」
混乱する戦場で、ルファが叫ぶ。
「無理を言うな!勇者が我の呪を解呪しているが故に、力が大幅に弱体化しているのだ。そもそも勇者を放っておいたら、オーガ同様の脅威になる!!」
役に立たない爬虫類だなとルファは人知れず呟いた。伝説竜は火炎を吹くというのに、リーリシアが吐く炎は人一人を焼く程度の火力しかない。しかも、今は人間の姿でイアを操ろうと四苦八苦しているので、そもそも火を吐けない。
「今、我のことを盛大に侮ったな!暴走している勇者を誘導しているだけでも、とんでもない苦行なのだぞ!甥っ子よ、少しは見直せ!!」
この場で勇者イアの誘導を出来るのはリーリシアだけなので、そこは称賛している。まがりなくとも竜である。並みの人間よりも優れた身体能力を持っていた。しかし、人の妄想から産まれた竜の伝説と比べれば活躍は地味だ。
「甥っ子、しっかりつかまっていろ!」
リーリシアの舌打ちと共に、イアから離れる。先ほどまでリーリシアがいた場所には、巨大な石が転がっていた。見ればオーガたちのなかには石を運んできている者がおり、その石を敵に投げつける者もいた。
石を運ぶものと投げる者の役割がしっかりと決まっている光景は、オーガたちが戦い中で敵を効率的に殺す術を学んできた証拠である。
「老獪なオーガは武器の投擲もこなすようだな。こうなってくると人間たちには辛い戦いになるぞ。なにせ、オーガの脂肪は分厚い。弓は効かないからな」
脂肪と筋肉が複雑に入り組んだオーガの身体は、弓矢ぐらいの威力では絶命にいたらない。そのため、オーガを殺す手段は限られているのだ。
「しかも兵の練度は足りないか……。田舎ゆえに新人の兵ばかりが配備されていたようだ」
リーリシアの見立て通り、戦場には若い兵士が多い。しかし、彼らはオーガと善戦しているとは言い難かった。
オーガは全身が筋肉で覆われているが故に、殺すのが難しいモンスターなのだ。いくつかある弱点を正確に突く必要がある。新兵たちにはそれが出来ていない。
さらに言えば、戦いの経験そのものが少ないので戦場に足がすくんでしまう者までいた。逃げ出すよりはマシなのかもしれないが、人間側の不利には違いはない
「街に逗留していた勇者たちは、さすがに戦い馴れているか。赤毛の小娘も、思っていた以上にマシな動きをしているな。勇者として訓練を受けただけはある」
シリエは、男の勇者に負けず劣らずの戦果を上げていた。体力に劣る女性のシリエだったが、彼女はオーガの首や手首を狙っている。太い血管を切り裂き、オーガたちを出血死させていたのだ。
痛みに鈍いオーガは多量の出血をしているにも関わらずに動き回り、やがて死に至る。シリエの周辺の土は、オーガたちが自らの行動で漏らした血で濡れていた。
「……えげつないな。モンスター相手だと手加減なしかよ」
人間を殺せないと言っていたシリエしか知らないルファは、彼女の姿を見て息を飲んだ。
人間は殺せないが、モンスター退治はシリエの得意分野であるらしい。返り血浴びるシリエからは表情が消え去っており、剣技を学んだ者が持ちうる凄みがあった。
「オーガたちが撤退しはじめたか……。だが、一気に叩くぞ!」
リーリシアが叫び、森の方向に逃げ始めたオーガたちを追いかける。他の兵士たちもそれに続き、逃げるオーガとの距離をどんどんと縮めていった。
そのままオーガたちが森に入ったことで、ルファは違和感を感じた。森では木が邪魔して、石の投擲が出来ない。なにより、オーガたちは森に逃げ帰るほどに劣勢だったのだろうか。
リーリシアと共に森に入り、しばらく走れば違和感は余計に強くなった。
「ちょっとおかしくないか。木が密集しているなら、オーガたちが飛び出してきて攻撃してきても良いのに……」
本来ならば、それが姥捨ての運命にあったオーガの戦法だ。森のなかに隠れて、不意をついて人間に襲い掛かるのである。
今ならば森の木々のせいもあって、兵士たちも個々で分散している。一対一ならば、人間よりもオーガの方が有利なはずだ。
好戦的で狡猾なオーガならば、ルファでも分かるほどの好機を逃すはずがない。
「おい、駄目だろ……。伯父さんを力尽くでも止めろ!絶対に止めろ!!」
ルファの鬼気迫った叫びに、リーリシアはイアの身体が坂から滑り落ちそうになっているのを見た。そして、ルファの叫びの理由を察してはっとする。
ルファは「止まれ!止まれ!!」と大声で叫び、周囲に危険を知らせようとしていた。
リーリシアは、イアの腕を掴んだ。イアの体重は、その見た目に反して重い。先祖返りは筋肉が発達しており、その分だけ体重が増加しているのだ。
その重たい体重を片腕に感じながら、リーリシアはイアを止めるために両足で踏ん張った。しかし、リーリシアの体はイアの進行方向に引っ張られる。それでも、勢いは殺すことが出来た。
「伯父さんを後ろに投げろ!」
リーリシアは、ルファの言葉に従ってイアを後方に向かって投げる。着地したイアは、瞬時に木々の影に隠れていたオーガを斬り伏せた。
「背後を取られていただと。しかも、進路方向は崖……」
リーリシアは、自分たちが進もうとした方向に崖があったことを確認した。あのままイアが真っ直ぐに走っていれば、崖から落ちていただろう。
自分たちの後方を走ってくる兵士たちは、森に隠れていたオーガの攻撃を受け始めている。オーガたちに追われた兵士のなかには、崖の存在に気がつけずに落下していく者もいた。
そして、崖の下にはオーガの別働隊が待ち構えている。崖から落ちた兵士は、オーガたちの棍棒の餌食になった。
兵士たち悲鳴を聞きながら、リーリシアはどうするべきかを考える。崖から落ちた兵士を助けるのは不可能だ。彼らにはオーガが群がっており、すでに喰らわれ始めた者もいた。
そして、その兵たちの悲鳴を聞いて、自軍の劣勢を悟った者たちが怖気づいていた。見通しの効かない森の中では、敵味方の有利不利を正確に見極めるのが難しい。自己の判断が求められるからこそ、人は選択肢の多さからパニックになる。
森の木々を縫うようにして、イアの雷の魔法が轟く。
混戦の状況下では、勇者イアの魔法すらも厄介だ。意識がない彼が誰を狙っているのかも分からなし、雷鳴は大きすぎて場の混乱を助長する。
「爬虫類、ちょっと降ろせ!それでもって、トカゲに戻って手伝え!!」
ルファはリーリシアから背から降りて、小さなトカゲの姿に戻ったリーリシアの首根っこと掴む。
「なにをやってる……」
状況が読めないリーリシアに向かって、ルファは叫んだ。
「いいから、この植物に向かって火を噴け!」
ルファが指さしたのは、枯れた植物であった。細長いツタが幾重にも絡まり合い、丸みを帯びた形を作っている。周囲には、似た形状のものがいくつもあった。
訳が分からなかったが、リーリアスは枯れた植物に火をつける。途端に煙が沸き出てきて、リーリシアとルファはそろって咳き込んだ。しかし、これがルファの狙いであった。
「森には恐ろしいことが沢山ある。その一つが、山火事だ。歳をとって経験を詰んだオーガなら、火の恐怖は十分に知っているよな」
ルファは出来る限り、煙が出やすい植物を探して燃やしたのだ。本当の山火事になれば人間側も危うい。だから、それらしく見せるためだった。
「さて……引っかかってくれるか。いいや、たとえ怪しんでも焼死なんて最悪な死に方はごめんだろ」
自分たちが優勢になっていたとしても火事の脅威を知っていれば、戦うことよりも逃げることを優先するはずだ。経験を積んだ相手なら、なおのこと無理はしないはずである。
なにせ、わざわざ獲物を今日仕留めなければならない理由はオーガ側にはないのだ。
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