第29話不死身の竜のためだけに



 はるか昔のリーリシアは人間だった。その頃は、まだ先祖返りなどいなかった。全ての人類が古代人であり、リーリシアもそうだったのだ。


 森や草原、時には渓谷。様々な場所を仲間と共に旅して周り、定住することは決してなかった。食べ物や一時の住処をかけて同種との争いもあったが、その戦いは命をかけるほどのものには発展することなどない。


 新たな食糧や寝床を探す方が、古代人同士で争うよりもずっと安全だったのだ。

 

 けれども、一つの場所に定住する者たちが現れた。彼らは自分たちで食料を栽培し、手間をかけた住処を奪われてなるものかと敵と戦う。新たなものを探しに行こうとはせずに、自分たちで作り出したものを守るために命がけで戦うのだ。


 やがて集団での生活を選んだ者たちは、定住している場所を壁で囲った。そして、敵と戦うためだけに存在する兵士という存在を作り出した。


 定住せずに暮らしていたリーリシアたちであったが、徐々に厳しくなっていく気候や安定しない食糧問題の末に定住の道を選ぶしかなくなった。すでに集落と呼ばれる安住の地を築いていた者たちは、リーリシアたちが兵士になることを条件に仲間になることを許した。


 あの決定は、間違いだったのかもしれない。


 リーリシアが定住してから少しもしないうちに、近隣の集落の人間たちが攻め込んできた。


 今までだったら小競り合いですんでいたはずの戦いが、命と命をぶつかり合うものに変化していた。逃げることは許されない。食料も、仲間も、家すらも、囲いのなかの集落にあった。負ければ、それを全て失う。


 負けるという事が、定住していない頃のものとは違う意味になっていた。仲間の生活と命が、兵士である自分たちの双肩に乗っていた。そして、それは敵も同じだった。


 いつの間にか、効率的に敵を殺せるための武器も作られるようになった。敵を殺せば殺すほどに称えられて、リーリシアは集落の守護神と呼ばれるようになる。でも、その内にお前は悪鬼だと指を指されるようにもなっていた。


 その二つに違いがあることは、誰も教えてくれなかった。


 誰もが知っていて当然という顔をしていたのに、リーリシアだけが違いが分からない。


 自分の所属する群れの為に、敵を殺し続ける。そこには、善悪はない。


 大勢を殺す為に考えて行動することは、兵士の仕事の範疇にすぎない。殺すことが楽しいのかと問われたことがあったが、リーリシアには意味が分からない質問であった。


 争いは、所詮は仕事だ。効率を考えて、より利益を求める。そこには、楽しいも楽しくないもない。


 殺すことが楽しいのかと尋ねてきた仲間は、そのように答えたリーリシアを恐れるようになった。どうしてなのかもリーリシアには分からなかった。


 リーリシアの人並み外れた肉体と魔法は、敵の集落を攻め落とすのにも役に立った。自分たちのように集落を取り囲んだ木製の壁を燃やして、立ち向かってきた兵士を殺した。


 ありったけの食料を奪って、抵抗する者がいれば殺す。労働者となりうる人間がいれば、さらうこともあった。


 良いも悪いもない。


 他者に行うことは自分たちにも返ってきて、いつかは敗者側になるだけだ。





 昼寝から起きたかのような唐突さで、リーリシアは白い空間にいた。森の緑が視界に入らないのは産まれて初めてのことで、広々とした空間のはずなのに息苦しさを感じた。


「なによ、この記録は……。もう人間兵器じゃん。原始的な武器で、この数を殺せるっておかしいわよ」


 若い女の声が聞こえた。


 織ることが手間なはずの布を惜しげもなく使った服を着ている女は、リーリシアの集落の首領よりも高い地位にいるようだ。しかし、その顔には見覚えはない。


 ならば集落の人間ではなくて、外部の人間だということだ。しかし、女には他者の集落に来た者が抱く独特の緊張感がなかった。リラックスしているのだ。むしろ、リーリアスの方が座りの悪い思いをしている。


「ここは、どこだ?」


 リーリシアの疑問の声に気がついたらしい女は顔を上げた。そして、にこりと笑う。


「ようこそ、ここは本来ならば来なくても良い空間よ。どこにも行くあてのないあなたが、天国か地獄に行くかを解決する場所だから」


 天国も地獄も、初めて聞く言葉だった。「南にあるのか。それとも北にあるのか?」とリーリシアが尋ねると女は苦笑いをした。


「天国と地獄は、貴方の死後のずっと後に産まれる概念。そして、人類の一番長い善悪の指針になるの。だから、全ての人類はコレで死後は裁かれるのよ」


 女が言うに、天国か地獄かに行くには明確な別れ目があるらしい。


 その別れ目は、リーリシアの死後の時代に出来上がったものだという。だが、人類が一番長く使用してきたものだから、リーリシアも繰り上がって天国に行くか地獄に行くかの裁きを受けることになるらしい。


 リーリシアには、未来の価値観で裁かれる理屈も意味も分からなかった。だが、自分が死んだことだけは、すんなりと受け入れることができた。むしろ、しっくりときたぐらいだ。


 死ぬ直前まで戦っていた記憶はないから、怪我の悪化か毒でも食べたか。はたまた、病気で逝ったか。候補が多すぎて、理由は分からないが詮無きことだ。死なんて、誰にだって唐突に訪れる。


「あなたは、あまりに殺しすぎたの。未来人は人間が、こんなにも途方のない数の人を殺せるものだとは思わなかったのよ。だから、あなたを裁く法がない。でも、人間は全員が裁かれないといけない」


 それほど殺しただろうかとリーリシアは首を傾げた。自分の行為を実感していないリーリシアの様子に、女は再びため息をつく。


「あなたは、小国とは言えども五つも国を滅ぼしているの。しかも、残虐な方法でね。記録に残されていたら、あなたは最悪の兵士と呼ばれていたわ!」


 他者が自分を呼ぶ名に、どれほどの意味があるというのだろうか。リーリアスは生きるために戦っていたし、殺した相手側だってそうであろう。


「もう、この時代の人間は嫌だわ。あなたは、そのなかでも異常よ。価値観が原始的過ぎて、根本的に会話が成り立たない。命の価値は低すぎるし、名誉力はなさ過ぎる。動物と人間の境目みたいなのよ!」


 頭を抱える女の様子を見て、リーリシアは自分の存在が彼女を困らせているらしいと理解した。なら、理解なんてしなければいいのに。


「ともかく、あなたの行いは宗教の範疇外なので裁けません。だから、人生をやり直して裁けるような普通の人生をおくりなさい。記憶を持ったままで、別の人生を全うするのよ」


 リーリシアとしては、自分の人生は十分に普通のものだったと思う。しかし、女としては違うらしい。


「……命は循環するものだと思っていたが、俺はそこから外れるのか」


 記憶を持って生まれ変わってしまったら、それは自分として生き直すということだ。


 肉体が腐って、土の養分となるように別のものにはなれない。それすなわち、命の循環から外れるということだ。リーリシアの言葉に、女は真剣な声で答えた。


「心配しないで。人間の全ては、あなたが言うとおりに外れてしまったわ。いいえ、はじめから循環のなかに含まれてさえもいなかった。未来の人が、そのように決めたのよ。そして、とても長く信じた。だから、人間の作った決まりで人間は裁かれることになったの」


 それが死後の取り決めだとしたら、とても理不尽なことだ。自分より前に死んだ者たちは、この理不尽を受け止めたのだろうか。


 いいや、そもそも女がいる空間には死者は訪れないと聞いた。ならば、死後の仕組みさえも知らずに天国か地獄かに行ったらしい。


「さてと、転生の準備をしましょう。こっちの落ち度みたいなものだから、少しは要望とか聞くわよ。といっても、他の生き方を知っているほどの経験は積めなかったか……。なんにせよ。次に死んだ時に、あなたは改めて裁かれるわ」


 リーリシアは、口を開いた。


「我は、そのような理不尽な裁きを受けることを拒否する」


 リーリシアの言葉に、女が目を細める。


「正気なの。裁きなんて、理不尽なことが当たり前よ。むしろ、説明するだけ感謝されるぐらいだと私は思っているわ」


 それでもはるか未来の人々の考えで自分が裁かれるのは、リーリシアにとってはごめんだった。なにより、儚く散った命が世界のなかで循環しないことが理解できなかった。


 そこまで考えて、リーリアスは命の循環こそが自分の信じる宗教であったのだと気がつく。未来人とは相容れない宗教観を持っているからこそ、リーリアスは死後の裁判に納得できないのだ。


「生きなおしたところで、未来の理解できない法で裁かれるぐらいならば……。世界の循環に取り残された方がましだ」



 自分の信じているものを否定するかのように、知らないものを押し付けられる。そんなことになるぐらいならば、自分の信じているものでさえも放り投げた方がいい。


 定住する前のように、いっそのこと何も持たずにいたい。


 リーリシアの心が変わらないことを知った女は、彼から視線を背ける。その顔は、少しばかり悲しげであった。


「……裁きを拒否するならば、あなたは不死の存在に転生する。そうすれば、死後の裁きを受けることはなくなるわ」


 それは、と女は続けた


「様々な命に置いていかれる悲しみと孤独に苛まれるということ……。誰とも苦しみを共有できないし、誰もあなたを理解しない」


 女の声は悲しげだ。


 不死の存在の孤独は、自分が何よりも知っているとでも言いたげだった。だから、リーリシアは考えてしまったのだ。


 この女は、どれほどの月日を白い空間で過ごしているのだろうか。


 もしや、女も不死という存在なのだろうか。


 だとしたら、記憶をもったまま転生した自分ならば彼女の気持ちを理解できる唯一になりうるのだろう。そんな時がきたとしたら、リーリアスは目の前にいる女に生前には感じたともないような感情を持つような気がした。


「かまわない。生きていた時ですら、我のことを誰も理解はしなかった」


 けれども、不死の存在となれば女が自分を理解する。そんな瞬間が来るとしたら、リーリアスは理解されるために不死になったと言えるのかもしれない。


 女の手が、ふいにリーリシアの頬に触れる。


 そのときに、リーリシアは女も自分と同じ考えにいたったのだと知った。けれども、女には迷いがある。己の理解者を作ることが出来るという期待を抱いて、リーリアスに不死という苦しみを与えることに。


「お前自身が不死であるから、その苦しみに我を突き落とすことを迷うというのか。それが、我の安らぎだと信じて」


 女は頷く。


 リーリシアが死後の裁判を再び受けることを彼女は心の底から望んでいるのだ。優しい女であるのだなとリーリシアは思った。自分の理解者を作ることを優先せずに、他者の安念を願う気持ちが女にはある。


 同時に、とてつもなく傲慢だ。


 死後の裁判を受けて、天国か地獄かにいくことなどリーリアスの魂の安念ではない。むしろ、自分を自分自身の行いで否定する苦行だ。


「我は、人生をやり直して裁きを受ける事などできない。何者かになって人生をやり直すことになったとしても、我の記憶があれば我の人生の延長線だ。ならば、自分の信じてきたものを最後に否定されるために生きる虚しい人生に意味などない」


 救われないことなど今更である。


 リーリシアは、そもそも救われるために戦ってきたのではないのだ。


「……生前のあなたに出会いたかったわ。私ならば、あなたの孤独が理解できた。あなたならば、私を理解できた」


 救われたかったのは、女だったのだろう。生きているリーリシアと言葉を交わし、その揺らぎのない意思に触れたかったに違いない。


「お前は、死後の裁きを受けることは出来るのか?」


 女は「いいえ」と答えた。


「私には、生前も死後もないの。だから、裁きを受けることは出来ないの……」


 ならば、不死となったリーリシアと女が再び出会うことはないだろう。それだけが、少しばかり残念だった。


 その時になって、リーリシアは生前ですら抱けなかった人への執着を初めて知る。


 死後の裁きを受けたくはないはずなのに、再び女に会えないということが寂しい。この相反する気持ちがなんであるのかが、リーリシアには分からなかった。


 他者に向ける自分の感情が分からないからこそ、リーリシアは残酷なまでに他者を殺し続けることができた。なのに、死後の今になって感情の一片を見たのだ。


「私は……あなたが欲しくなってしまったの。だから、あなたの願いを邪魔させて」


 女の唇が、リーリシアのものに触れた。


 触れた瞬間に、己と女の感情が交わったような気がした。


「いつか……私は、自分のためにあなたを殺す存在を世に解き放つ。あなたと再び会いたくなって、我慢が出来なくなる瞬間がきてしまうから」


 女もリーリシアと同じように、再び会いたいと願っている。会いたいからこそ、不死の存在を殺すことのできる存在を世に解き放つという。


「あなたを殺すのは、人智を超越した者よ。未来の存在も過去の存在すらも軽々と超える力を持った者を遣わして、それはあなたを殺すの」


 いつか生まれる最強の存在は、リーリシアを殺す為だけに生まれるのだと女は言った。


「あなたを殺す為に生まれ、あなたを殺す為に人と出会い、あなたを殺す為に人を愛する経験を積む最強の存在よ。あなたを殺すこと以外は、なんの意味もない存在」


 そんな虚しくて無意味なものを遣わしてまで、女はリーリアスを欲した。


 そんな存在と出会ったら、リーリシアはせめて愛そうと思った。死後に学んだ他者に向けるべき感情を向けて、不憫で無意味な存在を愛してやろうと考えたのだ。


 それが、自分を殺す最強の存在に出来る唯一の贖罪のような気がした。


「あなたは不死の竜になってしまうけど、私が遣わす最強の存在に殺してもらって。そうしたら……再び逢いましょう」


 そうして、リーリシアは竜に生まれ変わる。元から長寿の竜であったが、そのなかでもリーリシアは群を抜いていた。


 大人になるまでは周囲と同じ成長速度であったが、それ以降は老いというものはやってこなかった。竜は群れを作ることなく生活する存在だったので、仲間から不審な目を向けられることもなくリーリシアは一人で長い時を過ごすことになった。


 誰とも会わず、言葉も交わさない日々は、まるでまどろみのようだ。


 かつて自分が人間であったという記憶でさえ、嘘ではないかとリーリシアは疑うようになった。あまりに長い時間を竜として生きたので、人間のときの感覚や本能が薄れていってしまったのだ。


 長命のはずの同種が時代の移り変わりと共に消えていき、竜はリーリシアだけとなった。それに反比例するように数が増えた人間のたちの行動範囲は、モンスターたちの住処と隣接するようになる。


 そのため、リーリシアが人間であったときよりもモンスターと人との争いは増えていった。今では、その争いは日常だ。


 人間とモンスターが日常的に戦うなかで、静かに暮らしていたリーリシアも人間たちに発見された。


 人間たちは特に何もしていないリーリシアの存在を恐れて、その怒りをかわないように奉った。そして、リーリシアとあらゆる自然現象を結び付けて、彼が望んでもいないのに生贄を差し出す。


 知恵を絞ってリーリシアは生贄を人間たちに返したが、それぐらいでは人々の畏怖は収まることはなかった。


 ある日、教会という団体がリーリシアの住処の側に修道院を設置した。リーリシアのことを恐れる住民たちと揉め事を何度か起こした修道院であるが、彼らは段々と人々の生活に溶け込むようになる。


 教会の人間たちは、リーリシアを恐ろしい邪竜であると人々に唱えるようになった。厄災は邪竜のリーリシアが引き起こしているものであり、神という存在だけが人々を救うのであると唱えたのである。


 神は死んだ人間を裁き、善人を天国に送り、悪人を地獄に送る。


 人間たちの死後の世界の裁きと生前の宗教が、ここでようやく一致した。これからの人間たちは、自分たちの価値観で裁かれる。


 自然を恐れて敬う者たちも数多くいたが、彼らも教会の死後の裁きの概念を徐々に受け入れていくのだろう。そうやって、リーリシアが人間であったときに持っていたものは失われていくのだ。


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