第28話壁の向こうの不穏な気配
「体力はあるが、スピードはないな」
シリエに指摘されたルファは、額から流れる汗を拭った。同じ距離を走っているのだが、シリエの表情には余裕がある。ルファの走る速さに合わせてくれていることが、一目瞭然で分かった。体力面で女性に負けるのは悔しいが、ルファの体力は人並みである。シリエが疲れ知らずなだけだ。
「こっちは、ほぼ農民なんだよ。お前らみたいに訓練を受けたわけでもないんだ……」
ルファは息も絶え絶えだったが、シリエはあっけらかんとしている。それどころか、ルファとは違って周囲の様子をうかがう余裕まであった。これでも鍛えた男よりも体力面で劣っているとは、ルファは信じられない。
「それにしても、何が起こっているんだ?憲兵だの役人だのが、集まってきているな」
本来ならば街の主要施設を守る憲兵が、一か所に集まっている。しかも、町を取り囲む 壁の近くとなれば何も感じない人間はいないであろう。壁の外で、なにかが起こっているのだ。
「まだ、この町にいたのか」
聞き覚えのある男の声に、シリエが剣を抜いた。
剣の先にいたの、ロージャスの父である。彼の護衛も剣を抜いていたので、互いの警戒心を解くためにもルファが間に入った。
剣の切っ先が交差しそうになっているというのに、自分から間に入るルファの姿に護衛たちは驚いている。だが、普段からイアの暴走に付き合っているルファにとっては護衛の剣は恐怖の対象にならない。言葉が通じる分だけ、安心感すらあった。
「俺たちは……危険を察して、ここに来たんだ。でも、まだ状況の確認が出来ていない。何があったのか教えてもらえないだろうか。場合によっては協力できる」
ルファの言葉に、ロージャスの父は目を細めた。目の前の人間たちが役に立つかどうかを見極めようとしている統治者の目である。同時に、包帯が巻かれた手首もさすっていた。今となっては、若干申し訳なくなる光景であった。
「そちらの竜はどうした。まさか、早々と帰ったのか?」
ロージャスの父は、ルファたちの最大の戦力であると思っているリーリシアの行方を探っているようだ。当たり前の反応である。ロージャスの両親は、リーリシアにしこたま脅されているのだから。
「俺たちよりも速く動けるから、異変の最前線に走っていったはずだ。あいつは、一度認めた相手は守りきる」
ルファとしては、リーリシアが出来る限り仲間思いであることを伝えたかった。ここでリーリシアが白状だと思われたら、ロージャスの立場が揺らいでしまう。
「おい、これはまずいぞ!」
小さな爬虫類の姿になったリーリシアが、人間たちの頭の上を旋回していた。人語を話す生物に、集められた兵たちは口をあんぐりと開けて空を眺めている。弓を持っている者がいたら、リーリアスは間違いなく攻撃されていたことだろう。
「先方にオーガの群れがいるぞ。数は百体前後。オークは一匹も見当たらない」
リーリシアの簡単な報告に、ルファは思い当たるものがあった。まさかと思うが、それしか考えられない。
「オークの姥捨てだ……」
伯父の手紙に書かれていた。
オークたちは成長していくと凶暴性が増していき、オーガと呼ばれるようになる。しかし、その繁殖能力の旺盛さのせいもあって群れにいるオーガが追放される場合もあるのだ。
高齢のオーガが選ばれて群から外された姿を『オーガの姥捨』と呼ぶ。捨てられたオーガたちは老齢であることもあって、普通ならばさほど脅威にはならない。
旅人が襲われることはあるが、複数人で行動すればオーガが自分から襲ってくることはないのだ。高齢のオーガには知恵があり、集団になったときの人間の手ごわさを知っているからである。
しかし、捨てられたオーガたちが群れとなる場合がある。
干ばつによって限られた水場でオーガの群れが出来上がったり、年によっては少なくなった獲物を追ってオーガの群れと群れが合流する場合があるのだ。
その場合は、オーガたちは人間にとっては大きな脅威になる。老いたオーガたちには、最盛期の体力はない。
だが、仲間との連携を覚えて、効率的に敵を屠ることを覚えてしまった老獪なオーガたちばかりだ。下手をすれば、若いオークを中心とした群れよりも厄介な存在になりうる。
「勇者はオーガに群れの真ん中で戦っているが、取りこぼしも多いな。このままでは壁を破壊されて、街に侵入される可能性もあるぞ」
リーリシアの報告は最悪とまでは言えないが、間違いなく最高ではない。
オークもオーガも繁殖力が強く、他の種族とも繁殖が可能だ。無論、人間の女性とも繁殖は可能である。そして、雄の繁殖能力は死ぬまで落ちることはないと言われてもいた。
「シリエ、街の女性たちを守ってくれ!避難先を探して、そこに女性を集めないと」
オーガに侵入される可能性があるのならば、何よりも優先すべきは女性の安全である。そのように判断したルファは、シリエに女性たちのことを頼んだ。
戦える女性は、とても少ない。勇者の兵士も中心となるのは男性である。そのなかでシリエが側にいれば、避難した女子供を安心させられるだろう。
「だが……どこに避難をすればいいか」
戸惑うシリエに口を出したのは、ロージャスの父だった。
「我が家には地下がある。そこに女子供だけでも避難させろ。ただし、さすがに街の女の全ては保護できない」
街の女性たちを守るためには、オーガたちを壁から遠ざけるしかない。いや、壁を破壊される前にオーガたちの全てを倒さなければ女性たちの安全は確保されないのだ。
そして、武器を持たない一般市民の男たちもオーガの食料になり果てるであろう。
「改めて、言うけど。俺たちは、オーガたちを倒す手伝いをする。俺以外は戦力になるから、存分に使ってくれ」
ルファの言葉に、ロージャスの父は改めて彼とシリエに向き合った。余所者であるはずの二人に、ロージャスの父は尋ねる。
「この街のために命を捨てられるというのか。どうして、そこまでのことが出来る?」
ロージャスの父の疑問は当然である。ルファたちは、通りかかりの人間だ。この街には、ロージャス以外の思い入れはないのである。
「俺たちは、リーベルトの町から来た。ここでオーガを全滅させないと町に被害が出る可能性がある。それに、この街にはロージャスがいるんだ」
自分の故郷と面倒を見た少女のために戦う。
ルファは、そのように宣言した。
「俺の伯父さんは、すでに戦い始めている。伯父さんは、勝つまでは引かないだろう。だから、俺たちには撤退の意思はない」
勇者であるイアは、オーガの危機に瀕している街を見捨てることはない。意識がはっきりしない状態であっても、弱い者たちのためにイアは戦い続けるだろう。
ロージャスの父は、ルファを睨みつける。彼が自分たちに良い印象を持っていないことは、ルファにだって分かっていた。それでも、背を預けて戦うに値する戦力であることは認めて欲しい。
沈黙が長く続いたせいもあって、シリエとロージャスの父の護衛との間の緊張感が再び高まった。だが、それを止めたのはロージャスの父である。
「こんな事を言えた義理ではないが、妻と娘を守ってほしい」
その言葉はた一人の男のものであり、父のものだった。
「ルファ……。私は、街で避難の準備を手伝う。終わり次第、こちらに合流するつもりだ。お前は、どうする?」
シリエは、ルファに訪ねた。
この場では、彼だけが非戦闘員だ。イアの身内として大見得を切ってしまったが、戦闘面では役立たずである。それでも、避難できない理由があった。
「俺は、ここに残る。やれることはないかもしれないが、何かの間違いで伯父さんに影響を与えられたら万々歳だ」
ルファは、頭上を飛ぶリーリシアを見た。
「お前は、戦場で伯父さんを助けてくれ」
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