第27話女性の占い師は失くすものを予言する
「あら、珍しいものを見たわ」
ロージャスを送り届けた帰り道。
街角に店を構えていた女性の占い師に、ルファたちは声をかけられた。薄紫色のベールを被っているせいで、紅い唇しか客には見せていない。
占い師の存在は、街では特に珍しくもないものだ。
人が集まる場所には、衣食住には関わらない娯楽を提供する職業も多く存在する。少しの歩いただけでも大道芸人の類は山ほど見てきた。最初こそ珍しさで足を止めたが、今ではすっかり慣れてしまっている。
そんな理由もあって、一行は占い師の言葉を気にもせずに歩みを進めた。
このような人間にいちいちかまっていたら、いくら時間があっても足りなくなる。それに、ルファには帰り道を急ぐ理由もあったのだ。一刻も速くリーベルトの町に帰って、近所の人々に頼んだ畑の様子を見なければならない。
シリエがやってきてから、時間に余裕が出来たので畑を開墾したのである。広くなった畑の世話をいつまでも任せるのはしのびない。
「あっ。こういう時には、お土産って必要なのか?」
普段は町から出ないルファは、慌てはじめる。田舎で細々と店をやっているルファには、手持ちの路銀に余裕などない。それに、なにを買っていけばいいのかも分からなかった。
「ルファの場合は、何かを作って持っていった方が喜ばれるだろう。菓子でも作ったらどうだ。普段は、あまり作っていないから珍しいし」
ロージャスの館で食べたような口当たりが優しいクッキーがいいと思うぞ、とシリエは提案した。彼女は、バターや牛乳をたっぷりと使った高級品を気に入ったらしい。
「あれなら、店にあるものでも作れるか」
しかも、ルファは菓子の類をあまり作らない。酒に菓子は合わないし、ルファ本人が好んでいないのだ。食べないわけではないが、わざわざ作るほどではない。
だからこそ、お礼として製作するには良いのかもしれない。街で覚えてきた味だと言えば、特別な感じもする。
ルファがクッキー製作の算段を立てながら歩いていれば「無視するんじゃないわよ!」と怒鳴り声が聞こえた。
一同が振り返れば、そこには水晶玉を持った占い師がいた。「珍しいしものを見たわ」と独り言を言っていた女性の占い師である。呼び止められた記憶はないのだが、占い師としては声をかけたつもりらしい。
「そこの男性の二人。今に大切なものを失うわよ」
占い師は水晶玉を片手に大威張りで宣言するが、ルファとリーリシアはそろって首を傾げた。今のところ失って困るものはない。強いていえば、残り少ない路銀だろうか。
「……猪の呪いで睾丸を失うとか」
ぼそり、とシリエは呟いた。
旅の出がけに猪の睾丸料理をご近所のために作ったことを思い出してのセリフだったが、男性二人の顔色は悪かった。
シリエは知らなかった。
男は、他種族であっても睾丸の痛みにだけは同情を示す。珍味あるいは栄養源のために食べる際にだって、他の部位とは違う感情を覚えるのだ。美味しく調理はするが。
「子供を作る予定はないが、さすがに睾丸とのお別れは……。一緒に天寿を真っ当できるのだろうか」
これまでにないほどに真剣な表情で、ルファは占い師に詰め寄った。睾丸との別れの有無を聞かれた女性の占い師は、引きつった笑いを浮かべながら逃げようとした。だが、リーリシアが退路を塞ぐ。
「我には勇者と繁殖する運命にある。故に、それは絶対に必要な器官だ。それさえ終わってしまったら要らぬから。竜の睾丸を求める人間の神には、しばし待てと伝えよ」
人間の神は邪竜の睾丸など欲していないだろうが、何故か欲しがっていることにされた。とばっちりにもほどがある。
「ちょっと何がどうなって睾丸の話になるのよ!」
予測不可能な会話の流れに、女性の占い師が怒り出す。ルファとリーリシアは声をそろえて「人体で一番大切な場所だ」と答えた。こんなときだけ、二人はとても仲が良い。
いつの間にか周囲に群がっていた人々が、どっと笑いだした。ルファとリーリシアは理由が分からない様子だが、商売を邪魔された女性の占い師からしたらたまったものではない。
「なによ。せっかくなんだから、不安そうな顔をして相談してきなさいよ。それとも、同業者なの。営業妨害なの!」
女性の占い師の非難は的外れだが、営業妨害について言い訳できない。話題が話題だけに寄ってくる客はおじさんばかりだ。しかも、占いを頼む様子はなく、女性の占い師を冷やかしている。
その様子に、シリエは頭痛を覚えた。同じ女性として、シリエは占い師が憐れに思えて仕方がなかった。
「すまない……。こういう話の流れになるとは思わなかったんだ」
睾丸うんぬんと話題を振った身としては、シリエは同情を禁じ得ない。
「金は払うから、この爬虫類の死因を占ってくれ。丸焼きにされるとか、そういうのでいいから」
シリエは財布から銅貨を出すが、占いの結果を催促するところがおかしい。占い師の女は、変な人間たちに声をかけたことを後悔しながら水晶玉を覗き込んだ。
「あなたの……最後は、戦場なのかしら。沢山の剣と血が見えるわ」
女性の占い師の不吉な予言に、周囲の人々がざわついた。リーリシアのたくましい肉体から、彼の本職が兵士だと女性の占い師は考えたのだ。周囲の人間たちも、リーリシアが戦場で惨たらしく運命を想像したのだろう。
リーリシアの発達した良質な筋肉は、一般人のものには思えない。だからこそ、戦死という華やかで残酷な死を予言した。
兵士のなかでは、戦場で散ることを誉れとしている者もいる。女性の占い師は、リーリシアはそのような兵士であると考えたらしい。
実際のところ、リーリシアは人間ですらない。まさか睾丸を心配する男の正体が邪竜であるだなんて、女性の占い師には想像もつかない事であろう。
リーリシアの本性を知っているシリエだって、今回ばかりは信じたくはない。
そもそも占い師というのは客の少ない情報から、それらしい未来を予言したり悩みを解決することが仕事だ。観察眼があり、口が上手い占い師ほど売れっ子になっていく。
女性の占い師はリーリシアの仕事を推察し、その将来をショッキングに彩っている。これはリーリシアに対する占いというよりは、集まってきた群衆に対するデモンストレーションだろう。人はときに恐ろしい未来を欲するものだ。
「なるほど……当たらずしも遠からずというところか」
占い師の言葉に、リーリシアは小さく呟いた。その言葉を聞き逃さなかった女性の占い師は、にやりと笑った。自分の言葉が、リーリシアの心を掴んだと思ったのだろう。
「おや、死にかけたことがあるのかしら?」
自分の言葉がリーリシアの過去をかすめたことに対して、占い師の女は嬉しそうであった。彼女としては、ここからが腕の見せどころなのだろう。様々な手腕を駆使して、リーリシアに自分の言葉を信じさせる。
嘘を真実に塗り替えることが、占い師の仕事だ。
「おい、こんなところで何をやっているんだ!」
男の大声に、その場にいた全員が振り向く。水色のローブを来た男は、人混みを掻き分けて女性の占い師に手を伸ばそうとする。だが、その手が届くことはなかった。いつの間にか女性の占い師の姿はなくなっていたからだ。
「くそっ。また逃げられた!」
水色のローブの男は地団駄を踏んだが、その様子は役人には見えない。何者だろう、とルファは首を傾げた。
「あれは教会の信徒だ。着実に信者を増やして、大きな街には活動拠点を作っている。信者の数が多いせいもあって、今のように横暴なことをする人間もいる。一神教の彼らは、占い師や土着の神などを嫌っているからな」
シリエの説明に、ルファは眉を潜めた。
田舎産まれで田舎育ちのルファは、どちらかと言えば土着の神を信仰している部類の人間に入る。リーリシアがロージャスを自分の巫女にすると言い出したときも違和感を抱かなかったのは、リーベルトの町の神々が多神教だからだ。巫女という宗教的な言葉が出てきて神が一人増えても、ルファは気にも留めない。
しかし、唯一神を敬っている人間にとっては神が増えるというのは死活問題だ。だから、妖しい者と田舎の伝説などを毛嫌いする傾向があった。
「シリエは、あの一団に育てられたのか?」
ルファの問いかけに、シリエは困ったような顔をする。シリエは修道院で育っているが、教会と言えども一枚岩とはいかない。特に各地に点在している修道院については、責任者が地元住民との折り合い付け方などを決定する。
「私が育った修道院は院長の考えもあって、周囲に布教とかはしていなかった。おかげで、ああいう連中を見ると嫌になる」
シリエは、腰に帯びている剣に触れた。
その仕草を見て、ルファは彼女の苛立ちを感じた。怒りの矛先が形のないものであっても切ってしまいたいというシリエの気持ちが伝わってくるようだ。
「それに……本当の苦しみから逃げる道と得たいものは、神は授けてはくれなかった」
シリエは欲しかったものを手に入れられなかった故に、神と決別したのであろう。ルファとしてみれば、シリエの幸せを願うしかない。
「おい、どうしたのだ。勇者!」
リーリシアの背中におぶられていたイアが、急に手足をバタつかせて暴れ始める。手足で殴られるだけでもかなりの痛みを味わう事になったリーリシアは、急いでイアを縛っていたおんぶ紐を外す。
「伯父さん、まさか目覚めて……」
ロージャスの館の中で、イアは初めて喋った。
だからこそ、ルファは期待してしまう。
イアが完全に目覚めて、自分を甥だと知ってくれるのではないかと。母の兄として、家族になれるのかもしれないかと。
「下がれ!!」
気がついたらリーリシアに手を引かれて、伯父のイアから引き離されていた。
イアは片手をかかげて、静かに何かを待つ。そして、数秒後に曇り始めた空から雷が落ちた。雷が落ちた先は、勇者イアの掌のなかである。
その光景を見たルファは、言葉を失った。目の前で身内が雷に打たれたのである。無事ですむとは考えられない。
「伯父さん、伯父さん!」
ルファは、イアに駆け寄ろうとしたがリーリシアがそれを許さない。自分よりもたくましい手を振り払おうとするが、リーリシアの力にルファが敵うことはなかった。
「離せよ、爬虫類。いくら伯父さんでも雷に撃たれたら死ぬ!!」
リーリシアは、落ち着けと言った。
その表情が真剣なものだったので、ルファは彼を信じて深呼吸をする。リーリシアが、イアに向ける愛情は本物である。そんな彼が落ち着けということは、それぐらいの余裕を持てる状況であるということだ。
ルファは、改めて伯父がいる方向を見た。
雷が直撃したというのにイアは、倒れてはいなかった。空色の瞳を半分だけ開いて、意識はぼんやりしているようだ。それでも怪我は一つもない。
その光景に、ルファは安堵した。
雷が直撃したというのに立ち続けているイアの姿に街の人々はざわついているが、そんなことはどうでもよかった。伯父が無事なだけで、ルファとしては十分だ。
落ち着いてくるとイアの手の中に、何かが握られていたことにルファは気がついた。天にかかげた手にあったのは、普通の人間ならば扱いあぐねるような大剣である。
いつもどこから出しているのか、どこにしまっているのかも分からないイアの大剣が姿を現したことにルファは衝撃を覚える。
「まさかだと思うが……天に剣を収納しているのか」
魔法の一種であると思うのだが、衝撃的な光景であった。それは、シリエも同じらしい。目を見開いて、イアの姿に見入っている。
「我と出逢った頃から、勇者は剣を天に収納していたぞ。勇者の妹は、息子とのお出かけ用にオムツを入れていたらしい」
ルファの顔は、引きつった。
母がここまでの魔法を使えたのも初耳だが、お出かけ用のオムツ入れに空を利用していたことも初めて知った。雷鳴と共にオムツが降ってくる光景は、あまりにシュールだ。
最強の勇者イアは、自分の身長を超える大剣を担いで走り出す。経験則から分かる。何かが起ころうとしていた。
「爬虫類、伯父さんを追ってくれ。俺とシリエは、後から行く!」
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