第24話大人として譲らない


「ロージャスは、婚約したくないから逃げ出したんだ。けれども、一人では生きてはいけないとあきらめたから実家に戻ったに過ぎない。彼女をまだ子供でいさせてあげて欲しい」


 頼みます、とルファは深く頭を下げる。


 その姿を見たシリエは腹を決めた。ここまで来てしまったら、乗りかかった船である。それに勇者イアと結ばれた暁には、ルファは家族になる。見捨てるものかと考えたのである。


「私からもお願いします。ロージャス様はご自分の立場を理解し、ご両親と家名を愛しておられます。その責任故に婚約式に向かわれましたが、耐え切れなくなってしまったのだと話していました。どうか……ロージャス様の御心が安らかになるような判断を」


 シリエが頭を深く下げる前に、ルファに向かって紅茶のカップが投げられた。


 カップを投げたのは、ロージャスの父親である。熱い紅茶を頭から浴びて、陶器が粉々になる音を聞いてもルファは顔を上げなかった。


 ロージャスの父親が、ルファの姿に怒りにさらに燃え上がらせる。


「農民風情に何が分かる。これは我が家の命運をかけた婚約であり、この家の者ならば従うべき家長である私の判断だ。あの子が婚約を受け入れることで私の王宮での立場は安定し、さらなる出世への足掛かりになる。あの子の婚約相手だって、あの子を気に入っているんだ。悪いようにはしないだろう」


 さっさと金を持って消えろ、と父親は言った。


 だが、ルファは譲らなかった。


「俺には子供はいないし、守る家名もないから分からない。それでも、子供を守って愛さなければならないことは分かっている。俺の伯父さんは、半分しか血の繋がりのない俺の母……妹をずっと愛していた」


 その言葉に驚いたのは、シリエである。


 勇者イアが、ルファの母親である妹を深く愛していたことは知っていた。だが、彼らの血の繋がりが半分であったことは初耳である。


「最初はぎこちなかったり、複雑な感情もあったかもしれない。それでも、伯父は愛し続けた。子供は愛さないと守る事ができないと知っていたから。そこから、きっと本物の愛になったんだと思う。……ロージャスのことを愛しているならば、大人になるまで守ってあげてくれ。それが大人と親の責任だ」


 甲高い笑い声が響いた。


 場にそぐわない声に、ルファとシリアは顔を上げる。ロージャスの母が、扇で口元を隠して笑っていたのだ。


「聞いていれば、滑稽な話ね。私たちは、あの子をちゃんと愛しているわ」


 扇を閉じたことで現れた女性の顔は、濃い化粧で彩られている。不自然なほどに白い肌は白粉のせいで、高価な口紅をふんだんに使って唇を赤く彩っていた。


 化粧を落とせば、ロージャスと似ているかもしれない。ということは美女なのであろう。


 生まれながらにして美しいのに、富を見せびらかすために分厚い化粧でそれを隠している。勿体ないな、とルファは思った。貴族の生活というのは勿体ないの連続なのかもしれない。


「愛しているからこそ、ロージャスを愛してくれる殿方に預けることにしたの。それに、本当の結婚前にお相手が亡くなったら、初婚として次の相手に嫁げるかもしれないわ。そうでなくとも歳の差があるから、相手がロージャスより早く亡くなるのは決まっている。ロージャスは裕福な未亡人として、将来は悠々自適に暮らせるわ」


 それこそがロージャスの幸福であるのだ、と母親は語った。


「それに、ロージャスは分かっていると言っていたのよね。一人では生きていけない、と。なら、親の判断に従うのは子供として仕方のない事よ」


 話し合いは終わったとばかりに母親はソファから立ち上がり、最後にイアを嫌悪の目で見た。剣呑な話だというのに、イアは安らかに眠っている。


「最初から最後まで寝ているなんて、上に立つ相手への礼儀がなさすぎるわ。……その男は、私たちをからかっているのかしら。それとも、彼も言いたいことがあるの?」


 母親の言葉に、ルファとシリエは答えに瀕していた。眠り続けるイアが起きることなどないし、起きたとしても出来上がるのは血の海である。右往左往しているルファとシリエの様子を見たロージャスの母は、眉間の皺を深くした。


「……そう、起こすつもりすらないのね」


 ルファとシリエがイアを起こさないのが気に障ったらしく、ロージャスの母親は持っていた扇をイアに投げつける。扇はイアの頭にぶつかって、床に落ちた。


「その扇はあげるわ。農民にはもったいないぐらいの……」


 母の言葉は、最後まで続くことはなかった。


 その瞳は大きく見開いていて、イアのことを真っ直ぐに見つめている。


 なにを見ているのだろうかと思って、ルファたちは母の視線の先を確認する。その視線の先にいたのはイアだ。


 彼の眼は、開いていた。

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