第22話初めての街と田舎者たち


 ロージャスの両親が住んでいるのは、リーベルトの町から一番近い街だった。一番近いといっても馬車での旅となれば、五日もかかる距離である。徒歩ならば、もっと時間がかかったことだろう。


 幸運にも農繁期には重ならなかったために、畑を耕す時や収穫の際に使う馬を借りることができた。がっしりとした足の馬は商人が使うものよりも小さくて、一言で表現するならばずんぐりとしている。


 重い荷物を運ぶのに適した肉体であり、全体的に丸みを帯びている体型なので可愛いと言えなくもない。もっとも、繁殖のために去勢を施していないので性格は荒々しい。繁殖期ではないのでルファにでも扱えるが、雌馬を一目見た途端に飼い主以外は手が付けられなくなる暴れ馬でもある。


「馬が暴れた時は、爬虫類が動物語でなだめてくれよ」


 荷馬車に乗り込んでいたリーリシアは、むっとしていた。馬の言葉など分かるものかと言いたいらしい。


 五日間の旅の果てにたどり着いたのは、周囲を壁に覆われた巨大な街である。この壁はモンスターや野獣の侵入を防ぐための物で、敵襲があったときには敵を遮る最初の難関となる。


 巨大な街を見たのは、普段はリーベルトの町から出ないルファにとっては初めての経験であった。王都と呼ばれる国の中心部は、もっと守りが厚くて賑わっているのだと叔父の手紙には書かれているが信じられない。


 この街にはリーベルトの町の特産品などが運ばれているはずだが、そんなものは見つからないぐらいに店には商品が並んでいる。街の活気と人の多さを目の当たりにしたルファは、その光景に目を丸くしていた。


 街道は石やレンガで整えられており、野菜や家畜を育てている人間は一人もいなかった。街の人々は、商品を仕入れて販売することによって生計を立てている。そんな当たり前のことにすら、ルファには物珍しくてたまらない。


「こんなに一度に作物を売りに出したところで、街の人間は消費しきれるのか?この状態だと二日も持たないぞ。というか、全体的に鮮度が悪い」


 本人も生産者であるルファは、野菜や果物を並べている店の前でぶつぶつと呟いていた。店主が何も気が付いていない内に、無意識に失礼なことを言っているルファをシリエは店から遠ざける。


 地産地消が当たり前の町で暮らしているルファの目には、果実の野菜もしなびたように見えていた。しかし、この街の野菜類は遠方から運ばれてくるものがほとんどだ。店に並んでいる野菜は、これでも鮮度が良い方なのである。


「しかし……ここから、子供の足でよくリーベルト町までたどり着いたな」


 シリエの言う通り、改めて地図で確認してみてもリーベルトの町とはかなり距離がある。旅慣れた大人ならばいざ知らず、箱入り娘の一人旅では無理がある。


「婚約式をするために、街の外にある教会に馬車で向かっていたんです。たぶん、ここら辺で馬車から飛び降りて、森に入って……」


 ロージャスは、指で地図をなぞる。


 目指していた教会は、どちらかといえばリーベルトの町の近くにあった。その途中で、ロージャスは馬車から飛び降りたらしい。


 追手から逃げるために、ロージャスは普通ならば通らないような獣道に侵入した。危険な道のりではあったが、最短距離でリーベルトの町の森にまでたどり着けたようだ。


 だが、一歩間違えば遭難していた足取りである。そうでなくとも獣などに襲われてもおかしくはなかった。いや、ルファたちと会わなければ、そうなっていたのだ。


「私は、幸運だったんですね。どこかで命を失っていてもおかしくはなかった」


 ロージャスは、己の愚行を反省する。


 彼女の逃走に計画性はなく、突発的な行動だった。身一つで逃げ出したロージャスは、逃亡する直前まで親のことや家のことを考えていたのだろう。それでも、我慢ならなかったのだ。


「ここまで人が多い場所は、我は好まない。リーベルトの町のひっそりした雰囲気の方が好ましい。ここは、どうにも落ち着かぬ。」

 

 リーリアスはそう言うが、落ち着かないのは街行く人々の視線のせいだろう。成人男性をおんぶ紐で背負って歩く人間など目立って当然である。


「にいちゃん、別嬪さんたちを沢山つれているね。よかったら、一人ぐらい譲ってくれたりしないかい?」


 日中から酔っぱらっているらしい男が、冗談交じりでリーリアスに話しかけてきた。


 背負われたままではイアの身長までは分からず、整った顔から女性と勘違いされたのだろう。そして、シリエも若々しく美しい少女である。幼いロージャスが側にいる事を男が羨んだとは考えにくいが、胸元だけを見ていれば彼女も子供とは思えない。


「彼らは、我の所有物ではない。お前のところに行きたくなったら行くだろうから、勝手に口説け。それより、あの女たちはなんだ?こっち向かって手を振っているが、我と顔なじみというわけではないぞ。しかも、あのようにおんぼろの服を着て」


 リーリアスが指さしたのは、娼婦と思われる女性たちである。おんぼろの服は露出度が高いだけで、人間の男性ならば魅惑的な格好とでも表現したかもしれない。


「あんたは、馬鹿なのか。あんたが遠目から見ても良い男だから、誘われているんだよ。くそっ、おい女ども。男の良さはガタイと顔で決まるんじゃないからなぁ!!」


 遠ざかっていく男の背中を見送ったリーリアスは深いため息をついた。土鳩に居候しているので酔っ払いが面倒くさいことは知っていたが、見ず知らずの人間にからんでくるとは思わなかったのである。


「赤トカゲは、あんまり気を抜けた顔をするな。人が多いという事はスリも多い。財布でも盗まれたなら、取り返せないからな」


 シリエの言葉に、リーリアスではなくルファが反応する。財布が懐にある事を確認した彼は、ほっとした顔をしていた。


「スリが横行しているなんて、治安が悪すぎるぞ」


 ルファは少しばかり不安げな顔を見せるが、この街はシリエからしてみれば治安が良い方である。憲兵もしっかりと仕事をしており、住民たちを脅しているような姿も見られない。治安が悪い地域になればなるほどに兵の質も悪化していき、そこいらの悪党よりも面倒な存在となるのだ。そうなってしまえば、もはや手が付けられない状態だ。


「ロージャス様のお父上は、この街をきちんと治めている……」


 シリエは、何とも言えない気分になった。街の治安を乱すような極悪な為政者であれば、シリエはロージャスの父親を簡単に糾弾できた。だが、ロージャスの父の統治者としての腕前は優れているようである。


「あのやたらと大きな家が、ロージャスの実家なのか!」


 ロージャスの案内でたどり着いた屋敷を見上げて驚いたのはルファである。貴族の館が広いことは知っていたが、想像を超える大きさだった。ルファが今まで見てきたなかで、一番大きな建物であることは間違いない。


 街と同じように壁に囲まれているのだが、建物が高すぎるせいで館がはみ出て見えた。伯父の手紙によると王都にある王宮というものが国で一番大きな建物らしいが、これ以上に大きな建物をルファは想像できない。


 伯父のイアは、王宮のことを「町の人々が飼っている全部の牛の牧草地にしたって、土地が余るぐらいに広い建物」と書き記していた。


 イアの微妙な例えと広大すぎる面積に、ルファは今まで冗談かと思っていた。しかし、貴族よりも偉い王族が住まう王宮ならば、たしかに広大な牧草地よりも広いのかもしれない。


「はい……ここがロス家の屋敷になります」


 ロージャスは、唇を噛んだ。


 実家に戻れば意に添わない相手との婚約が待っているが、一人で生きていくことも出来ない。その悔しさを滲ませていた。


 今のロージャスは、森を走り抜けてきた花嫁衣裳を着ていない。旅のためにも動きやすいワンピースを着てもらっている。質素な服では、彼女が貴族だとは誰も思わないだろう。なのに、覚悟を決めたロージャスの横顔は悲しいぐらいに大人びていた。


「行きましょう。そして、皆さんにお礼をしないと……」


 悲しげに笑う子供の痛ましさに、ルファは改めて覚悟を決めた。



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