第21話こうして街へと向かった
「シリエ、これを届けてきてくれ」
起きてきたばかりのシリエに、ルファは小さな蓋つきの鍋を差し出す。
鍋からは香ばしい香がしていて、本能に導かれるままにシリエは蓋を開いた。中に入っていたのは、美味そうに焼かれた肉の塊だ。鍋に入れられていたのは、近所に届けるためであろう。蓋つきの鍋は埃などの異物から、料理を守ってくれる。
香味野菜と共に焼かれた肉のジューシーさに、シリエは生唾を飲み込む。これは、猪肉を焼いた料理だ。甘い臭いも微かにするので、猪肉に賭けられているソースは果実を煮て作ったものだろう。
ソースは、プルーンと赤ワインを合わせて煮たものなのだろうか。フルーツの甘さと肉のしょっぱさが組み合わさった猪肉は、田舎料理とは思えないほどの繊細な味となっているはずだ。
「味見するなよ。精力を増強させるための猪の睾丸料理だ。量にも数にも限りがあるんだからな」
それを聞いたシリエは、少しばかり嫌な顔をした。
肉に罪はないが、年頃の乙女としては遠慮したい珍味はある。
「地域によっては高級食材らしいぞ。それを息子を望んでいる夫婦に届けてくれ。これからすぐに、ロージャスを親元に送っていく。付き合ってくれるよな」
ルファの言葉には、迷いというものがなかった。
その決断に、シリエは驚かない。ルファやシリエでは、ロージャスの面倒を見続けることなど出来ない。
ならば、選択肢は一つだけだ。
親元に返すしかない。
「分かった。私がルファとロージャスを安全に送り届けよう」
一人旅をしてきたシリエならば、二人をロージャスの家まで安全に送り届けることができる。人を殺すことはできないが、旅のノウハウは持っているのだ。心配することは何一つないだろう。
「リーリシアも連れて行くから、そんなに気を張らなくていいぞ。子連れの旅だからな。万全の準備が必要だ」
旅のことなど初耳だったらしいリーリシアは、咥えていた骨を落とした。トカゲの姿をしたリーリシアは、ちょっとまてと叫ぶ。
「勇者はどうするんだ。一人にはしておけないぞ!!」
リーリシアの側には、眠り続けているイアがいる。寝ているだけなので世話はいらないのだが、リーリシアとしては一人にするのは心配らしい。
「町の暇なばあさんにでも見ていてもらえばいいだろ。老犬より手間がかからないから大丈夫だ」
そこら辺に転がしておいてくださいと頼めば事足りるだろう。甥の雑な提案に、リーリシアは噛み付いた。
「勇者を老犬扱いするな。甥っ子のくせに、どうして勇者の扱いが雑なんだ。我が行くならば、勇者も連れて行くからな!」
床に落ちた骨を咥えなおして、リーリシアはそれをかみ砕く。
リーリシアの鋭い歯を見てしまったシリエは、彼が猪の血まで飲むと聞いたことを思い出した。人は襲わないと言ったが、トカゲの姿では説得力がない。所詮は爬虫類だと思ってしまう。
「赤トカゲ、お前は本当に人を食べないのか?」
シリエの言葉を聞いたリーリシアは、見るからに不機嫌になった。トカゲの姿から人間の姿に変化して、身長差まで使ってシリエを威嚇する。
「思い上がるなよ、人間。お前ら人間の肉なんて、不味くて食べられたものじゃない。お前らを食べるぐらいならば、猪の方がずっとマシだ」
リーリシアは喉を鳴らし、鋭い目つきでシリエを睨んでいた。そんなリーリシアの頭を叩いたのはルファである。
「おい、女性を睨むな」
それと、と言いながらルファはシリエを指さす。
「食べ物の好き嫌いの話は、繊細な話だ。リーリシアは人を食べないし、食べたいとも思わない。そうじゃなきゃ、俺だって身内を任せない」
ルファだって良心がある。手紙の中だけとはいえ、あれだけの愛情をかけてもらった伯父だ。人を食べる可能性がる邪竜には、さすがに任せない。
「……今のは、私が悪かった。気を悪くしたのは当然だな」
シリエは、リーリシアに掌を差し出した。
仲直りをしようということなのだろうが、リーリシアは良いことを思いついたとばかりにほそく笑む。尖った犬歯を見せつけたと思ったら、シリエの指にがぶりと彼は噛みついた。
人間の姿の歯で、なおかつ力の入っていない甘噛ではシリエに痛みはなかったであろう。それでもシリエは嫌悪の表情を浮かべており、リーリシアはしてやったりという顔をした。
その時であった。
がたんと音がした。
二階にいたと思っていたロージャスが、リーリシアとシリエの姿を見て振るえていた。
「あの……えっと……。お二人は、恋人同士なんですか?」
リーリシアがシリエの指など噛んだから、十三歳の幼い知識では二人が恋人同士だと勘違いしたらしい。たしかに恋人ぐらいにしか許さない距離の近さであったな、とルファでさえ感じていた。
シリエとリーリシアは「違う!」と声を揃えて怒鳴った。
「我の卵を産むのは、そこにいる勇者だ!」
リーリシアが寝ているイアを指さしたが、シリエはその指を曲げてはいけない方向に曲げようとしていた。
「勇者イアは、私の料理を毎日食べてもらう相手だ。この爬虫類の言葉なんて信じるな」
それぞれの意見を聞きながら、ロージャスはテーブルで寝ているイアを見つめた。今まではイアのことをゆっくりと見たことはなかったのだろう。好奇心で輝いていたはずの彼女の瞳は、いつの間にかうっとりと夢見るように溶けていた。
「綺麗な人……」
ロージャスはため息さえも漏らして、イアの顔に魅入っている。幼子さえも魅了するイアの顔は、今日も穏やかだ。
「幼い姫君でも勇者の美しさは分かるか。勇者は美しいだけではなくて、心根も優しい者だった。種族の違う我の呪いさえも解くと約束し、今もこうして眠りについているのだ」
リーリシアは、イアの前髪をなでる。その顔は、幸福そうであった。その光景を見たルファは、改めてリーリシアの呪いなんてものを解こうとした伯父の事を考える。
不死の呪いを解くことを危険だとは思わなかったのだろうか。
眠り続ける事になったのは予想外だったのかもしれないが、竜でさえ手が出せなかった呪いの解呪である。少なからず危険があることをイアが知っていてもおかしくはない。
それでも解呪という方法を選んだのは、自分のこと以上に竜のことを憐れんだからなのか。ルファは伯父が目覚めたら、それを一番に聞いてみたい。
そして、こうも尋ねてみたいのだ。
あなたの愛情深さと優しさは、どこからやってきたのか。
身内の自分にも模倣できることなのだろうか。
「他人の為に身を投げ出すこともいとわないなんて……。私も、そうなれたら良いのに」
ロージャスは、小さく呟く。リーリシアは、彼女の白い額を指先で弾いた。
「我が身を粗末にしてまでも相手の我が儘を叶えるということは、勇者であってもしていない。勇者には上手くいくという算段があったし、現にこうして生きてもいる。我も呪の解呪で勇者が死ぬとは考えていなかった。……眠り続けたことに関しては、予測できていなかったが」
ルファは、人知れず大きく息を吐いた。
伯父は、万事が上手くいくと信じていたのだ。だから、リーリシアの呪の解呪をおこなった。全てが終わったら、邪竜との会話も呪のことも妹への手紙にしたためる気でいたのだろう。
「自分を犠牲にして他者の我が儘を叶えようとするのは、そうしなければ生きてはいけない弱き者だ」
リーリシアの言葉を聞いて、ルファは人知れず拳を握りしめた。それは、まるで自分の感情を殺してまでも親に従おうとするロージャスの事を言っているかのように感じられたのだ。子供の彼女では、親の庇護からは逃げることが出来ないから。
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