第16話とある夫婦の夜と逃げてきた花嫁



「そういうことで、次男が誕生するかの命運は今日の狩りにかかっているからな」


 森の中でルファの説明を聞いたシリエとリーリシアは、この上なく嫌な顔をした。ご近所の夫婦の夜の生活のための猪狩りと言われたのだから当然だろう。


「このために、我に人間の姿になれと言ったのか……。勇者を置いてくる事なんて出来なかったから、背負う羽目になったのだぞ」


 リーリシアは赤子に使うおんぶ紐を使用して、イアを背負っている。イアは眠ったままなので、リーリシアが歩くたびに首が左右に揺れていた。まさに、首が座っていない赤子そのものである。


「猪だけじゃなくて、山菜も取って帰りたい。一人でやるよりも二人で、二人でやるよりは三人でだろ」


 ルファは、リーリシアとシリエに籠を押し付けた。


「猪については罠を張ったから、夕方になったら見てくる。それじゃあ、夕方までに籠をいっぱいにしろよ。夕飯が欲しかったら、馬車馬のように働け」


 リーリシアは文句を言いたそうであったが、夕飯を人質に取られたので従うしかなかった。ルファの側を大人しく離れたが、数メートルおきに悔しそうに振り返る。


「あの赤トカゲは、見ていると面白いものだな。頭がおかしくなったことしか言わないが、行動を見ている分にはあきがこない」


 シリエは、すっかりリーリシアに慣れたらしい。


 飛んでも、火を吐いても、人間に姿を変えたりしても驚くことはなくなった。そして日を追うごとにリーリシアの扱いがぞんざいになっていくが、恋敵であるから仕方がないのだろう。


「さてと、こっちは森を案内しながら山菜を探すとするか。密集地があるから覚えておいてくれ。あと、崖とか危険なところも案内する」


 ルファは、シリエを連れだって森の奥へと進んでいく。シリエは、それに対して少し不満そうだ。


「子供ではないんだから、一人で森ぐらいは歩ける。今までは、一人旅をしていたからな」


 シリエには自信があるようだが、ルファは彼女を一人で歩かせる気はなかった。この森に関しては、シリエは素人だ。修行のために少し入るぐらいならば構わないが、獲物や山菜を探すために山の奥に入るならば知っておくべきことがある。


「この町で生きていくことになるんだから、町のルールを知る必要があるだろ。例えば、この薬草。これは痛み止めにも熱さましになるものだが、採取する期間が決まっている。初夏以外は取らずに、乾燥させて保存するんだ。便利な薬草でも生えている量が少ないから、取り過ぎるとあっという間になくなる」


 シリエはルファの話を聞きながら、森に生える草木を見つめる。


 集落の人間は、何世代にもわたって周囲の環境と共に生きている。その知恵は、けっして馬鹿に出来るものではない。近隣住民のルファも、その知識を受け継いでいる人物であった。


「あと、そっちには崖がある。崩れやすい岩だから、落ちたら這い上がるのが難しい。それと、そこに生えている木の樹液は触るな。毒があって、皮膚が爛れてしまう」


 ルファは、淡々とシリエに森の事を教える。その全てが、子供のころに大人たちから教えてもらった先祖代々の知識である。森で育った子供たちは大人の話を聞き、遊びまわることで知識を経験として体感して成長していく。


 生きていくうえで、その知識は大切な宝になる。森には実りも多いが、間違って食べてしまえば危険な毒物だって多い。危険な場所を知らなければ、人知れず怪我をして動けなくなる可能性が出てくる。そういった危険を回避するために先人の知恵が必要になるのだ。


「……忘れていた。子供時代には、修道院の大人たちに森の事を教えてもらったものだ」


 ルファとの森の探索で、幸福だった子供時代のことをシリエは思い出していた。


 シリエが育った修道院の近くにも森があり、そこでも様々な取り決めと注意すべきことがあった。毒キノコの種類や触ってはいけない虫、流れの速すぎるので入ってはいけない川。大人たちは、子供が安全に過ごせるように何度も自然の怖さを口にしたものである。 


 それらの決まりを破ったときには、烈火の如く怒った大人たちに叱られたものである。普段は優しい修道女たちが「あんなことをしたら死んでしまうのよ!」と恐ろしい形相で怒ったものだ。


 子供時代には理不尽にも感じたが、大人になってしまえば彼女さの愛情深さを改めて感じる。子供を危険から守るために、ありったけの知識を身につけさせてくれたのだ。大人になったシリエだからこそ、それを理解することができる。


「森は恵みをもたらすが恐ろしいところだ。大人たちに散々言われたんだろう。どこの田舎だって、言われることは同じだな」


 ルファの言葉に、シリエは笑った。互いに田舎育ちであるから、子供時代の遊びと悪戯は、さほど変わらない。その遊びにどれだけの危険があったかを振り返って、大人になってから冷や汗をかいた経験だってあるだろう。


 子供時代に感じた大人の厳しさが、今になって優しさだと分かる。それは大人になったということで、成長なのだ。


 鹿や猪といった獲物や山菜やキノコといった恵みを森はもたらすが、それと同じぐらいに森は人の命を奪う。迷えば出られなくなるし、不安定な足場で怪我をすることもあった。獲物となる動物もいるが、猛獣だって森にはいる。


「どこでだって言われることは同じという事だな。……これは、なんだ?」


 シリエが見つけたのは、熊をかたどった石像である。しゃがめば視線が合うぐらいの大きさだった。自然に出来たものではない。あきらかに、人の手で作られたものである。雨風で削られているため、古い時代に作られたものであろう。


「これは、禁足地の目印だ。ここから先に入るのは、祭りの日以外は禁止されている。昔は呪いとか色々と言われているけど、実際のところは毒蛇の密集地になっているんだ」


 シリエは、顔をしかめる。


 その反応を見たルファは、シリエの嫌悪感を意外に思った。一人旅をしていたならば、普通の女性が好まない蛇も平気なものだと考えていたのだ。それとも毒蛇という響きに嫌悪感があるのか。


 蛇というのはあまり食べるのには適さないので、ルファとしてみれば嫌いのままでもかまわない。生命力の強い蛇はさばくのは難しいし、全身に骨があるので骨だけを切るような包丁使いを会得するのも手間である。


 食べるのには適さない蛇だが、アルコール度数が高い酒に漬けこんだものは人気だ。精力が付くと言われているが、女性受けしない見た目の問題で店の床下に仕舞われている。望んだ客の注文が入った時だけ蛇酒は供されていた。


「爬虫類を酒につけたら、身体に良い成分とか染み出て来るのかな……」


 トカゲ酒など聞いたこともないが、喋れる爬虫類には効能があるような気がしないでもない。リーリシアが何かやらかしたら、御仕置きで酒瓶のなかに入れてみよう。


 今のリーリシアは不死ではないし、力も弱体化しているらしい。それでも栄養ぐらいは残っていることだろう。生肉を毎日食べているのだから。


「良くないことを考えている顔をしているぞ……」


 隣を歩いていたシリエが、うろんな目をしていた。蛇酒もとい爬虫類酒に心を奪われすぎていたことをシリエは反省する。


「この置物の向こうがには沼があって、そこが危険すぎるから禁足地ということになっている。繁殖期には大量の毒蛇が沼に集まる。沼に足を取られても危ないし、毒蛇に噛まれても危ない。一年に二回の祭にかこつけて沼の様子は見ているけど……人骨が見つかる年もある」


 底なし沼にはまれば、ゆっくりと沈んでいくのを待つしかない。繁殖期の気の立っている毒蛇たちと鉢合わせすれば、致死量の毒を注入されてしまう。危険すぎる場所なのである。


 ルファは「入るなよ」と念を押した。禁足地で見つかった人骨の類は、おそらくは余所者のものだろう。森の危険を知らない者たちが、沼と蛇の犠牲者になっているのだ。


「……勇者イアが殺した人間たちの骨は、町人にはまだ見つかっていないのか?」


 沼や蛇と言った危険な話題が、シリエのなかでイアの暴走に繋がったらしい。部外者がいない場であるから、ルファとしては話しやすかった。


「ああ、見つかっていない。一応は、埋める場所は考えているからな。滅多なことでは掘り返されないと思う」


 遺体はリーリシアの炎で焼いて、骨だけにしている。それを埋めているから、臭いは発生しない。


 万が一、遺体が見つかったとしても狼やクマが穴を掘って埋めたと考えられるはずだ。彼らが獲物の一部を埋めることは少なくないし、獲物の骨をコレクションのようにため込んでいたという個体もいたという。


 それに、着ているものや持ち物も出来る限り焼いている。金銭や武器といったものは絶対に持ち帰らずに、離れた場所に捨てていた。少しでも殺人と自分たちが繋がらないように、細心の注意を払っていたのだ。


「……違うと思うが、今日は祭の日ではないよな。禁足地から、花嫁が走ってくるぞ」


 気が狂ったとしか思えないシリエの言葉を聞いて、ルファは顔をしかめた。悪戯で入った子供が禁足地から飛び出してくるなら分かるが、花嫁は走ってはこないだろう。


「なんで、そんな見間違いをするんだ」


 シリエは疲れて幻でも見たのだろうか。


 そう考えながら禁足地の奥をルファが見てみれば、彼の目に飛び込んできたのは白いドレスを着た少女だった。たなびくほどの裾の長さはたしかに花嫁衣装を思わせるが、ベールらしきものはつけていない。


 それどころか花嫁衣装だとしたら、シンプルすぎる姿だ。ここら辺の地域では白い花嫁衣装に花の刺繍を一年かけて施すが、少女が身に着けているドレスには刺繍の一つも入ってはいない。


「たっ、助けてください。私、結婚させられそうになっているんです!」


 花嫁姿の少女は、そのように訴える。しかし、結婚云々よりも危険な禁足地から花嫁衣装で飛び出してきたことの方が、ルファとシリエに衝撃を与えたのだった。


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