第14話君の胃袋を何時かは掴み取る
「ルファ、この店で私に料理を教えてくれ。弟子にして欲しいんだ」
店が酒屋に変貌する時間に、シリエはそのように宣言した。尋ねるのではなくて、宣言である。ルファの意見など聞く気はないようだ。
「あのさ……。これって、同棲の宣言なわけかな」
店にやってきて酒を飲んでいる常連客のルーベルは驚いていたが、次の瞬間にはニヤニヤと笑い始めた。色恋が絡む楽しい予感を感じ取ったらしい。
「ほらぁ、嫁候補が出来ちゃったじゃないか。まずは同棲から初めて、ゆくゆくは結婚なんだよな。一緒に土鳩をやっていくんだろ」
上機嫌のルーベルは酒の追加を頼むが、冷やかされたルファは額に皺を寄せる。シリエが料理を学びたいだなんて初耳だ。ついでに言うならば、シリエは同居をするとは一言も言っていない。
「弟子なんて取るつもりはないぞ。ここよりも都会の店の方が料理も鮮麗されているし、料理以外のこと……経理やら接客だって学べる。なあなあでやっている田舎の店で修行しているよりも有意義だ」
ルファの言葉に「なあなあの自覚はあったんだな」とリーリシアとリーベルはそろって呟いた。普段の業務の様子から察していたことだが、ルファは真面目に商売する気が全くない。そもそも商売っ気のない性格で、本人もそれを自覚しているからなのだろう。我武者羅に働くよりも、ほどほどにのんびりとルファは暮らしていきたいのだ。
「私は、私が認めたものを学びたい。これは、勇者を志したときの気持ちと一緒だ。憧れたものになりたいという気持ちなんだ」
断言するシリエだったが、料理を褒められたルファは難しい顔をするばかりだ。自分の元で修行することが、シリエにとって良いことであるとは思えないのだろう。
「私の人生は、勇者が手に入れられなかった人生だったのかもしれない。そう思えば、今の私も捨てたものではないと思ったんだ」
人を殺せずに勇者になれず、人を殺せないから他者を守ることが出来ないとシリエは考えていた。人を殺せないことが恥ずかしくて、自分は失敗作だと感じていた。
「勇者イアは人を殺さない人生が欲しくて、私はそれを持っている。今までの私は、無い物ねだりをしすぎていた」
シリエは、イアを見つめた。
最強の勇者は、今日も穏やかな顔で寝ている。
「今の私の目標は、目覚めた勇者イアに毎日手料理を食べてもらうことだ。そのために、最高の料理の修行をしたい。私の人生と勇者イアの人生には、足りないものが多すぎる。だから、埋め合うことが出来るだろう」
シリエの独白を聞いていたルファとルーベルは、これ以上ないほどに険しい顔をした。彼女の口から、とんでもない言葉が出てきたような気がする。
気のせいだろうと思いたい。
気のせいではなかったら、色々と問題がありすぎる。
「勇者イアが目覚めた暁には、私は結婚を申し込む。それまでは勇者の許嫁として、この土鳩で料理を教えてくれ。」
ルファとルーベルの予感は、悪い方向に当たってしまった。どうしてこうなったのかは分からないが、シリエの心はイアに盗まれてしまったらしい。
若い娘の真っ直ぐさで眠り続けるイアを見つめるシリエの瞳は、三十代になったルファと六十代のルーベルには眩しすぎた。失った青春と若さのきらめきが、老いた網膜を焼くのである。
しかし、シリエの恋に問題は山ずみだ。
イアは眠り続けており、いつ目覚めるかも分からない。そして、何より問題であったのは年齢差である。
「赤毛のお嬢ちゃん、騙されるな。イアの兄貴は見た目こそ若いが、俺よりも年上だ。孫がいたっておかしくはない歳なんだぞ」
ルーベルの言うとおりである。
いくら見た目が若々しくとも、イアの実年齢は六十代過ぎだ。イアの身内としても常識的な大人としても、ルファがシリエを止めなければならない。
「勇者は我の卵を産む人間だ。我と勇者を引き裂こうとするな!」
ただでさえややこしい状態なのに、リーリシアが口を挟んできた。
人間は卵生ではないし、そもそも雄は産めない。そのように何時もならばリーリシアに言うのだが、今のルファには気力がなかった。勝手に起こりもしない未来を夢想していろと心の中で怒鳴り散らす。
「うるさいぞ、爬虫類。人間の女は人間の男と結婚して、ずっと側にいることを許されるのだ。法的に家族と認められ、その間に生まれた子供も法に守られる存在になるのだ」
シリエの言葉に、リーリシアは口をあんぐりと開けた。そして、ルファの方を見る。今の話は本当であるかどうかを確認したがっているようだった。
「本当だぞ。人間には、法律があって結婚は認められた権利だ。結婚すれば、他人同士が家族になる。子供だって、家族でいる権利が認められる」
ごく当たり前のことをルファは言っただけなのに、リーリシアはとても落ち込んでいた。リーリシアは人間の法律を知らなかったようだ。爬虫類なのに法律を気にするかとルファは意外に思った。
「結婚……勇者、結婚が結婚。……大丈夫だ、勇者が我の嫁になって卵を産めば解決する!」
リーリシアは意気込んだが、基本的に何も分かっていない返答だった。邪竜に法律は適用されないだろうし、イアは男性である。嫁になる事は不可能だし、卵にいたっては逆立ちしても産めない。
「それに、結婚など愛の前では無力。人間が決めた法律などでは、我と勇者の仲を引き裂くのは不可能だ!」
自信たっぷりに高笑いするリーリシアは、どこまでも前向きである。
「ということで、ルファ。この家に住む許可を頂きたい」
シリエは、リーリシアを無視することにしたらしい。
ルファに同居の許可をもらって、イアとの距離を埋めることを頑張っていた。シリエだって、なんの利益もなしにルファが店に住む許可を出すとは考えていない。ちゃんと説得の材料を持っていた。
「私がここに住めば、人手が増えるから畑を拡大できる。私は勇者になるために鍛えられたから体力だってあるし、普通の人間よりも多く働けるだろう。収穫量が増えた珍しい野菜を売れば、鶏程度ならば買えるようになるはずだ。珍しい鶏を飼育すれば、普通の卵と珍しい鶏の卵の両方を料理に使えるようになるぞ」
ルファの目が、一瞬だけ輝いた。普通の卵は近所の住民から融通してもらい。さらには、珍しい卵も料理に使う。それは、ルファにとっては楽しい想像だった。今まで作っていた料理も趣の違うものになるかもしれない。
卵に心を奪われ始めていたルファを見て、リーリシアは怒鳴り散らす。
「赤毛の小娘に惑わされるな。というか、卵につられて同居を許したら間抜けすぎるぞ!」
トカゲ姿のリーリシアは、ルファに近付くために飛んだ。しかし、そんなリーリシアのことをルファはフライパンで叩き落す。
「うるさいぞ、無駄飯食らいの赤トカゲ。意見するなら、お前が鶏の卵を産め」
ルファは、床に落ちたリーリシアを見下ろしながらも口を開く。その顔は、どこか冷えたものがあった。人間の自分勝手さに、リーリシアは人知れず涙を流す。
シリエが店に住むことが決定したからなのだろうか。
イアは「うーん。うぅん」とうなされていた。苦しそうな寝顔を見てしまったルーベルは、引きつった笑顔を浮かべる。
「イア兄貴の苦しそうな顔なんて久しぶりだな……。尊厳破壊魔人が悪さをしたとき以来かなぁ」
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